さん


「所長、良かったんですか? け負っても」


 三人組が帰ると、店の中は途端に静かになった。壁に掛けられた振り子時計は、そろそろ5時になることを示している。外はまだ明るいが、物悲しく鳴くヒグラシが夕方に近いことを告げていた。


「三人の想いは、オレに届きましたよ。届いた以上、無下にはできません。それに……」


 ミケはソファーに座ったまま、箱の中から欠片かけらを取り上げた。


 それを照明に透かすかのように頭上へ掲げる。


「訳あり品のようですから、他所よそに回されるよりもオレが預かった方がいいでしょう。ところで三輪みわ


 茶器を片付けるために店奥からお盆を出してきた三輪にミケが視線を向ける。その手にはまだくだんの欠片が握られていた。


「この欠片くっつけるのに、瞬間接着剤、使ってもいいと思いますか?」

「……」


 続けて有名どころの接着剤の名前を挙げるミケに、三輪は思わず沈黙を返した。


 三輪は、この欠片の持ち主であるという少年の正体に心当たりがある。ミケも欠片がまとう気配で同じ結論に行き着いたはずだ。だからこそあの三人組と友人達では少年には行き着けないと推測して、人探しの手伝いまでしようかと『お節介』を提案したのだ。


 ──私達の予想が正しいならば、この破片は恐らく……


「……やめておいた方が、いいんじゃないですかね?」

「やっぱり、そう思います?」

「ええ、おそらく。……体に触れるものに、瞬間接着剤は良くないかと」

「それもそうですね。では古式ゆかしく、ご飯糊を作ることにしましょうか」


 ミケは手にしていた欠片を丁寧に箱に戻すと、静かに蓋を閉めた。その箱をテーブルへ戻し、ポンッとソファーから飛び降りる。


「仕上げは三輪に頼むかもしれません。属性的に、三輪の方が近いですからね」

「分かりました」


 三輪を振り仰いで続けたミケに、三輪は小さく頷きながら答えた。そんな三輪の声に重ねるように、ボーン、ボーン、ボーン……と、振り子時計が音を鳴らす。


 夕方5時を告げる鐘だ。


「ミケ────っ!!」


 その瞬間、くうを裂くような絶叫が響き渡った。


 しっとりと空気に溶けて消えようとしていた時計の鐘の余韻がけたたましい声に驚いて跳ね飛ぶ。店全体が揺れ動く勢いで店の引き戸が開かれ、ピッ!! と飛び上がって驚いたミケがサッと三輪の陰に飛び込んだ。


「5時までには神社に帰るって約束、また破ったわねっ!?」


 店の中に飛び込んできたのは、巫女服に身を包んだ女性だった。ポニーテイルに結った黒髪が、彼女の気性を表すかのようにヒョンヒョンと勢い良く揺れている。そんな髪の動きをなだめるかのように、髪飾りについた鈴が細くリリンッと音を鳴らした。


「おや、ゆきさん。いらっしゃい。お迎えですか?」


 いきなり現れた巫女に、三輪は冷静に声をかけた。


 これも毎日のこととなれば、案外慣れるものである。


「こんにちは、三輪さん。今日もお疲れ様です。その後ろに隠れている毛玉、回収しに来ました」

「ゆっ、雪ちゃん! 毛玉とはなんですか、毛玉とはっ!!」


 雪と呼びかけられた巫女は、ニコリと三輪に笑いかけた。そんな雪に三輪の腰の後ろから顔を出したミケが抗議の声を上げるが、雪は華麗にその声を無視する。


 毎日の恒例行事なのだが、やはり毎日あれを見せつけられても、こうしてしとやかに微笑んでいる姿からは、あんな大声を出しながら引き戸を引き千切らん勢いで飛び込んでくる様は想像できないなと、毎日のように三輪は思う。


 彼女の名前は、荻野おぎのゆき


 荻野山おぎのやまのふもとにある荻野山神社の巫女であり、ミケの保護者的存在でもある。九十九堂つくもどうの面々とは顔見知り以上の仲だ。


 ミケは諸事情あって雪と『夕方5時までに神社に帰る』という約束を交わしてここに来ている。だがミケが夕方5時までに店を出ることはほとんどない。


 よって雪は毎日のようにミケを捕獲しに九十九堂までやって来る。『雪による夕方5時のミケさんのお迎え』はもはや町の住人からは風物詩的扱いをされているようで、ミケを引きずりながら歩く雪の姿を見た町の人々は、『おや、もうそんな時間かね』と夕飯の支度を始めるらしい。


「はい、この毛玉ですね」


 三輪はニコリと笑い返すと、腰に掴まってプルプル震えているミケの首根っこをひっつかんで雪へ差し出した。ミケが上げる抗議の声は、もちろん二人とも笑顔のまま聞き流している。


「そう、この毛玉よ」


 プラン、と揺れるミケを両手で受け取った雪がニコニコと笑い返す。えりを掴まれたせいで首が締まったのか、三輪に吊り上げられた時点ではジタバタと暴れていたミケは、抵抗することなく雪の手の中に納まった。それを証明するかのようにミケの顔色は大変なことになっているのだが、それを気にする二人ではない。


 雪は満足そうにミケの頭をもふもふと叩くと、ネクタイを首の後ろに回して飼い犬のリードを引っ張るかのように持ち方を変えた。しかばねと化したミケがズルズルと引きずられていく。


「じゃあ三輪さん、お疲れ様でした。お店の戸締り、よろしくお願いします」

「あ、三輪」


 そんなミケが、一瞬息を吹き返す。


 おや、珍しいと三輪は目をしばたたかせた。いつものミケならば、このまま神社まで屍状態であるはずなのだが。


「町内会の見回り当番、今日だったと思うので、よろしくお願いしますよ」

「ああ、あれ、今日だったんですか?」


 ミケの言葉に三輪は壁にかけられたカレンダーへ視線を向けた。


 柱に掛けられたカレンダーには今日の日付に赤ペンで○がつけられ、『町内会見回り当番』と書き込まれている。プルプルとよれた文字になっているのは、身長が足りないくせに『オレが書きます!』と意地を張ったミケが、足台の上で必死につま先立ちをしてその文字を書き入れたからだ。


「あら? 九十九堂も見回りに参加するの?」


 ミケを引きずって歩き出していた雪が、振り返って足を止める。


 そんな雪に三輪は頷きながら答えた。


「ええ。夏休みは、子供達の夜の行動も活発になるので。見回り強化のために、私が代表で参加しているんですよ」

「それはお疲れ様です」

「三輪にばかり見回りを任せるのは良くないと思いませんか、雪ちゃん!」


 初耳だったのか、雪は小さく目をみはると微かに頭を下げた。


 そんな雪の様子に気付いたミケはここぞとばかりに口を開く。


「ここは門限を解除してオレも見回りに参加……」

「何言ってんのよ、ミケだって子供じゃない! そんな格好で見回りなんてしてたら、逆に補導されるわ。ほら、帰るわよっ!」

「グエッ!! だがら雪ぢゃん、ネグダイばリードじゃない……」


 だが保護者の返答は無情だった。


 ミケの発言をバッサリと切り捨てた雪はリード……もといネクタイを持っていない方の手をヒラリと振ると、今度こそミケを引きずりながら店を後にする。


 ──相変わらず、パワフルな御方だ。


 ミケにあんなことができる人間は、恐らく世界に雪一人しかいない。ミケもミケで、自分をあんな風に扱うことを許すのは雪だけだろう。


 ──あの二人はあの二人で、二人にしか分からない絆があるんですよね。


 ふとその姿に、先程までここにいた三人組と、三人組とえにしを紡いだ少年のことを思い出す。少しでもその結末が幸せなものであってほしいと願うのは、三輪にとっても事件が他人事ではないからなのかもしれない。


 三輪は小さく息をつくと、止まってしまっていた片付けの手を動かし始めた。


 タンスの修繕が終わったのか、店奥の工房から響いていた音が消えていた。物悲しげに遠くから響くヒグラシの声が、店内をひたひたと満たす静寂を余計に引き立てている。


 店主はミケだが、店の戸締りを担当しているのは三輪だ。


 ミケが帰ってしまった後の店に客が訪れることはまれだから、5時を過ぎた後の三輪の仕事はほとんどない。掃除は工房を担当しているコダマと大牙たいが、もしくは雷牙らいががしていくから、三輪がすることはレジのお金の管理と帳簿の整理だけだ。


「さて。サクッと終わらせましょうかね」


 三輪は小さく呟くと、まずは三人組に出した茶器を洗うべく、工房側の給湯室へ向かった。


 そんな三輪に賛同するかのように、店の外からヒグラシの声がつつましやかに響いていた。

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