九十九堂つくもどうは開店している間、基本的に店表の引き戸を大きく開け放っている。訪れるモノは客であろうが冷やかしであろうが、仕事の邪魔をしなければどこでも自由にくつろいでいていいし、客からの預かり物でなければ置いてある品物は自由に手に取って良いというのが九十九堂のスタンスだ。


 だがそんな中で2ヵ所だけ、立ち入りに従業員の許可が必要になる場所がある。


三輪みわが淹れてくれたお茶は美味しいんですよー。それに奮発して、オレがゆきちゃんからもらったとっときのお煎餅せんべいもつけちゃいます!」


 そのひとつである、パーテーションで区切られた奥の一角。


 訳ありの客の応対や、高価な品物を取り扱う時に使われる商談スペースに通された少年三人組は、落ち着かない様子でソワソワと周囲に視線を走らせていた。


「ど……どうして、俺達をここに通したの?」


 三人組の一人、『野球少年』という言葉よりも『イケショタ子役』という言葉の方が似合いそうな顔立ちの少年、直人なおとがおずおずと口を開いた。反対側の端に座る、こちらはいかにも『野球少年』という外見の智也ともやは、落ち着きなく商談スペースの中に視線を走らせている。


「そりゃあ、あんないかにも『訳ありです!』みたいな顔をした直人達と、レジ台みたいなあっぱっぱーな場所で話はできないでしょう」


 マイ湯呑を嬉しそうに両手で持ったミケは、三輪が新しく淹れ直した緑茶を美味しそうに口にすると『ぷはー』と満ちたりた息をついた。満足に細められた瞳を三人組に向けたミケは、顔全体に柔らかな笑みを広げている。


「見ただけで大切な話があるんだろうなって分かったんです。大切な話は、落ち着いて聞かなきゃいけないでしょう?」


 だから今日はここなんですよ、と笑うミケの笑みは、母が我が子に向けるような慈愛に満ちたものだった。その笑みだけで、何が変わったわけでもないのに、ミケがまとう空気が一瞬グッと大人びる。


「でも、俺達、小学生だよ……?」


 その笑みに緊張の糸が緩んだのか、店に入ってからかたくなに唇を引き結んでいた勇希ゆうきがようやく口を開いた。


「こんなに、大人みたいに扱ってもらっても、お金、いっぱいは払えないし……。直してもらおうとしているものだって、そんなに高価なものじゃないかもしれないし……」

「え? そこ、関係あります?」


 おずおずと口を開いた勇希に、ミケはキョトンと首をかしげた。今度はたったそれだけでさっきまでミケを取り巻いていた大人びた空気が霧散する。


「大事な話をするのに、大人も子供も、品が高価も安価あんかも、関係なくないですか?」

「え?」

「『大事』の重さは、年齢や、話の中心になる品の値段で変わるわけじゃないでしょう? もしも変わるとしたら、その原因は、そこに込められている『想い』の強さです」


 ミケの言葉に三人ともが素直にミケを見上げた。そんな三人組に向かって、ミケはゆっくりと言葉を紡ぐ。


 九十九堂の根幹を形作っている、大切な想いを。


「九十九堂は、『大切なモノ』を取り巻くえにしや気持ち、モノに込められた想いや重ねた記憶を『大切なヒト』に届けるために、『形』という『器』が壊れてしまったモノを継ぎ、磨く店です。想いの強さに、『小学生だから』とか『お金がないから』とか、関係ないでしょう?」


 前半の言葉には首を傾げていた三人だったが、後半の言葉には何か心に響くものがあったらしい。ミケの言葉に三人はハッ目を丸くした。そんな三人を見たミケはいつものようにフニャッと笑いかけ、テーブルの真ん中の菓子皿に盛られたお煎餅に手を伸ばす。


 本日のミケが大切そうに持参したお煎餅は、昔ながらのお餅屋さんが作っている特製お煎餅だった。『これはオレのおやつなんですからねっ! 勝手に食べちゃダメなんですからねっ!』と朝一で三輪に威嚇してきたくらいお気に入りのそのお煎餅を、ミケは三人組に惜しげなくすすめる。


「それとも勇希達は、オレがそんな小さなことを気にするように見えるんですかね?」

「! ちがっ……! そんなこと……っ!!」

「じゃあ、安心していなさい。いつも通りに、元気いっぱいに『ミケさーん! おねがーい!』って言ってくれればいいんですよ」


 ミケはほんわか笑ったまま、個別包装されていたお煎餅の包みを開く。ペリッと包装を破る音が、いつも以上に鮮明に三輪の耳に届いた。


 ──おや?


 その不自然な静けさに耳を澄ましてみると、あれほど響いていた子供達の声がいつの間にか聞こえなくなっていた。どうやら子供達なりに、三人組の穏やかならざる空気を感じ取っていたようだ。


 ──そうですよね。学年2クラスしかない学校にみんな通っているんですから。


 学年を飛び越えて、ほとんどの生徒が顔見知りという状況だ。三人組の様子がおかしいことには、ミケや三輪より子供達の方が先に気付いたのだろう。『聞いてはいけない話なのだ』と気を利かせて、そっと帰宅してくれたに違いない。


「それで、どうしたんです? その箱の中にある品物が依頼品ですか?」


 パリポリといい音を立ててお煎餅にかじりつきながら、ミケは勇希の手の中にある小箱を視線で示す。


 その言葉に三人組は素直に頷いた。


「見せてもらっても?」

「うん」


 勇希が小箱を差し出す。お煎餅を飲み込んだミケは、両手を払ってお煎餅の欠片をはたき落としてからその小箱を受け取った。その箱を、三輪はミケの隣からのぞき見る。


 ぱっと見たところ、箱はお菓子の空き箱であるようだった。ごくありふれた箱であることから考えるに、箱そのものが依頼品というわけではなさそうだ。多少角が潰れているが、特に手荒に扱われた様子はない。


 ミケはしばらく小箱を観察してから蓋に手をかけた。ボール紙で作られた蓋は、特に抵抗もなくするりと外れる。


 その中に入っていたのは……


「……鉢植えでも、割ったんですか?」


 素焼きと思われる、明るい土色の、ザラついた焼き物だった。


「いえ、所長。これは皿だと思いますよ」


 箱の中に収められた数個の破片の形状にざっと視線を走らせた三輪は、己の所感を口にした。


 破片はどれもそこそこに大きさがあるが、どれものっぺりと平たい形をしている。破片を継ぎ合わせても、植木鉢のような円筒形にはなりそうにない。わずかに曲線を帯びているから完全な平面体ではないようだが、それでも植木鉢にはならないだろう。せいぜい大皿ぐらいの湾曲だ。


 そこまで考えてから、三輪はそっと箱の中の破片へ指を伸ばす。


 だが三輪の細い指は、破片に触れる前にピタリと動きを止めた。


「……」


 まるで人肌のような、明るいベージュ色の破片。その破片はどれもわずかに湿気を帯びているような気がする。だがそれ以上に三輪が気になったのは、破片が帯びているだった。


 三輪は無言のまま指を引き、ミケへ視線を送る。その視線に答えるようにチラリと三輪を見たミケは、三人組に視線を向け直すと口を開いた。


「この皿を、どこで?」

「俺達、放課後によく、河川敷のグランドで野球をしてるんだけど……」


 知ってる? と問うように、勇希がチラリと視線を向けてきた。


 それに三輪は頷き返す。


荒川あらかわグランドですね?」

「うん、そう」


 町と外の境界を引く荒川は、途中で西へ大きく湾曲している。その内側にたまった土砂を整備して作られたのが、荒川グランドだ。バックネットや照明設備が設置されているわけではなく、本当にただの大きな空き地という風情なのだが、そこは町の住人達が年齢に関係なくつどう大切な場所になっている。


「俺達、学校が終わった後とか、休みの日とか、そこで野球をやってることが多いんだけど……」


 勇希達野球少年は、特に誘い合わせるわけでもなく、その日野球をやりたい人間が適当に荒川グランドに集って、人数が集まれば試合をする、といった流れで野球をしているらしい。


 特に約束をしているわけではないから、集まる人間も都度都度つどつど違う。チーム分けも適当だ。学年も男女も区別なく、時には町の外から遊びに来ている人間や、中学生や高校生まで混じって遊んでいる。夏休みで祖父母の家に泊まりにくる家族が増える今シーズンは、特に知らない顔が多い。


「その中に、わりとよく顔を出すヤツがいるんだ。夏休み前から、放課後とかによく見かけてたし、多分外の子じゃないと思うんだけど、学校じゃ全然見かけないヤツで……」


 は、小柄な男の子だった。


 詳しく聞いたことはないけれど、多分勇希達よりも年下だとは思う。誰も学年や学校を気にしていないから、詳しい素性を知っている人間は誰もいない。それでも今までは全くもって問題なかった。


 だって、名前も歳も知らなくても、一緒に野球をすれば楽しかったから。間違いなく『仲間』だったから


「昨日も、いつもと変わらず、野球、してたんだ。そいつも一緒になって」


 その時、勇希はバッターボックスでバットを構えていて、そいつがライトで守備に立っていた。


 ピッチャーをやっていた直人が投げた球を勇希が思いっきりかっ飛ばし、球はライトへ飛んだ。球は勢いよく飛んで、それを捕まえるためにそいつは草むらに突っこむ勢いで走っていた。


 そしたら……


「ガチャンッて、食器が割れるみたいな音がしたんだ。でもさ、荒川グランドにそんな割れるような物なんて、ないはずじゃん?」


 音を不審に思いながらも、仲間達はそいつが姿を現すのを待った。しかししばらく待っても、そいつは草むらから出てこない。


 勇希達はグランドに散った仲間達と視線を交わし、首を傾げながらそいつが駆け込んだ草むらに集まっていった。


「そしたら……そいつが、倒れてたんだ。草むらの中で」


 勇希はコクリとつばを飲み込んだ。その光景を見た時の衝撃がまだ消えきっていないのだろう。直人と智也もその現場を見たのか、勇希と同じ表情で息を詰めている。


「俺達、もしかしたらボールが当たったんじゃないかって、ものすごくあせって。慌てて抱き起したらそいつ、それで目が覚めたみたいで、ハッてなって、で、それで……」

「勇希を突き飛ばして、走って行っちゃったんだ!」


 勇希が言葉につまった瞬間、隣から智也が声を上げた。


「俺達、ビックリしちゃってさ! みんなかたまっちゃって、そいつの後、追いかけられなくてさ……」

「そいつが倒れていた後に散らばっていたのが、この破片なんだ」


 直人も横から口を出す。言葉ではミケの手の中にある破片のことを説明しながらも、視線は案じるように勇希へ向けられていた。説明の言葉を途中で失ってしまった勇希は、しおしおと項垂うなだれている。


「どうしてあいつが野球している所に、こんな……皿? みたいなの持ってきたのか、分かんないけど……」


 その勇希が、うつむいたまま、だがはっきりと言葉を紡いだ。


「大切な物なら、返さないと」


 もう一度コクリと空唾からつばを飲み込んだ勇希の瞳は、不安と緊張に揺れながらも強い意志の光を宿している。


「だって、そうだろ? 野球しているところに、こんな割れ物を持ち込むくらいに、これはきっと、あいつにとっては大切なものなんだ」


 だから、その場にいた全員で、周囲の草の根をかき分けて全ての欠片かけらを拾い集めた。追いかけることはできなかったから、せめてきちんと壊してしまった品だけは欠けることなく回収したかった。


 そいつが大切にしているであろうモノを、できることならきちんと修理して、『壊してごめんな』『あの時、ケガしてなかったか? 大丈夫か?』という言葉とともに、返してあげたいと思ったから。


「だから、ミケさんの所に持ってきたんだ」

「……そうだったんですね」


 静かに三人の言葉に耳を傾けていたミケが小さく呟く。その瞬間、ミケの目元が嬉しそうに緩んだのを、三輪は確かに見た。


 今度の笑みは、おきなが町の小さな子供を見つめるかのような、どこか切なさと愛おしさがないまぜになった笑みだ。


 外見におよそふさわしくないその笑みがどんな感情に端を発しているのか、三輪には何となく分かる。きっと今、自分だってミケと同じような笑みを浮かべているのだろうから。


 ミケはポンッとソファーから飛び降りると、テーブルに片手をついて身を乗り出した。ミケの行動の意図が読めずに目をしばたたかせている勇希達に向かって空いている片手を伸ばしたミケは、ワシャワシャワシャと三人の頭を順繰じゅんぐりに撫で回す。


「わっ!?」

「ミケさんっ!?」

「何すんだよっ!?」

「さぁて。修繕の前に、この皿の持ち主のことが気になりますねぇ」


 気が済むまで三人を撫でくり回した上で抗議の声をサラリと聞き流したミケは、再びポスンとソファーに座り直した。


 そのタイミングを見計らって、今度は三輪が口を開く。


「その子の後を追いかけることができた人は、本当に誰もいなかったんですか?」

「グランドの出入口に近い所にいたみんなは、何が起きたのかよく分かってなかったみたいで。俺達の『待って!』って言葉に反応して、訳が分からないなりに追いかけてくれたヤツもいたんだけど……」


 三輪の問いに答えたのは、直人だった。


「みんな、ことごとく、まかれたって言ってた」

「おや? 智也は50メートル走のタイムが学年一なんじゃなかったでしたっけ? 前に健太けんたが悔しがっていたような気がしたんですが」

「そうなんだけど……。あの時は、俺が本気で追いかけても、引き離されるばっかりだった」


 直人と智也の言葉を受けて、勇希はまるで自分が責められたかのようにうなだれてしまった。そんな勇希を元気づけるかのように、智也の手が勇希の肩にかかる。


「でも、見失ったくらいであきらめるわけにはいかないじゃんっ!? あいつがケガしてなかったかも知りたかったし、俺ら、友達みんなに協力してもらって、そいつの家、調べることにしたんだ。ほら、よく言うじゃんっ!? その時は大丈夫でも、時間がたつと気持ち悪くなることがあるって!」

「脳出血が起こっている場合に、そういうケースもあるらしいですね」

「そう! 三輪さん、それ! のーしゅっけつ!」


 三人は知り合いや家族に片っ端から声をかけて、そいつのことを探したらしい。捜索は友人の友人や家族にまで輪が広がり、隣町の中学や高校まで話が回ったという。


 だがそれでも、の素性に行き着くことはできなった。


「小学校のヤツなら、みんな、知り合いだから……同じ小学校では、ないと思うんだ。でも、夏休みに入る前から一緒に野球してたから、親戚の家に泊まりに来てる子ってわけでもない。転校生の話は聞かないし、中学生には見えないから、隣町から来てんのか、もしくはもっと先か……」


 冷静に分析する直人の言葉に、三輪はチラリとミケを見た。その視線に気付いたミケは三輪にだけ分かるように浅くあごを引く。


「オレも、その少年を探すのに協力しましょうか?」


 そんなミケの言葉に、三人組が弾かれたように顔を上げた。三人の顔には一様にすがるような表情が浮かんでいる。


九十九堂うちのメンバーなら、あるいは……」

「……ううん」


 だがその表情は三人組が顔を上げた次の瞬間には消えていた。三人が三人とも、決意が宿った強い瞳でミケのことを見つめ返す。


「俺達は、この破片を、元の形に戻してほくて、ミケさんの所に来たんだ。あいつを探すのは、俺達の仕事。そこまでミケさんに頼るつもりはないんだ」

「おや? その少年を探すことは、手伝わなくてもいいんですか?」


 思わぬ言葉にミケのみならず三輪も目をしばたたかせた。


 九十九堂の面々のを、この三人は知っている。正体を知っているということは、ミケがその気になれば簡単に探し人を見つけ出すことができるということも、三人は知っているということだ。


 それでも三人組はかたくなに首を横へ振る。


「だってミケさんは、修繕屋さんだろ? そこまで頼っちゃうと、なんか違うもん」

「俺らがやったことを、俺らが謝りたいんだ。俺らがあいつに、会いたいんだ!」

「だから、俺達が自分で頑張って探さないと、意味ないだろ?」


 まっすぐに顔を上げた三人は、各々おのおのに言い募るとニッと笑った。店に来てからずっと項垂れ続けていた三人の顔には力強さが戻っている。


 そんな三人組に、ミケはやわらかく瞳を細めた。


「俺達は、直したお皿を持って、そいつのところに、謝りに行きたい。それでまた、一緒に野球をやりたいんだ!」

「ミケさん、お願い! このお皿を直してください!」

「お願いします!!」


 強い意志が載った言葉に、ミケは大きく頷いた。小さな手がそっと大切そうに箱を抱え直す。


「……分かりました」


 答える声は、おごそかだった。柔らかいのに背筋が伸びる不思議な声に、ミケの隣に並んだ三輪も思わず威儀を正す。


「この修繕、修繕屋九十九堂が、確かに承ります」

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