事の始まりと素焼のお皿

いち



8月25日

(今日もよく晴れて暑かったです)


業務内容:修繕

分類  :解決済み



しかし今回の件には、驚きました。


色々とありましたが、何よりも驚いたのは

『河童の川流れ』

ならぬ

『水神の川流れ』ですかねぇ?


あまり声を大にして言うと三輪みわに怒られそうですから、

ひっそりと書き記しておきましょう。




  ※  ※  ※




 午後3時半を回ると、九十九堂つくもどうの店内はにわかに活気づく。


 そのサイクルは夏休み中でも変わることがない。学校のプールに泳ぎに来た子供達がそのまま店に流れてくるからだ。


 遠くに聞こえるセミの鳴き声と、木造のごちゃついた店内に響く子供の声。


 上がりかまちを利用したレジスペースに小さな文机ふづくえを置き、帳簿に目を通していた三輪みわはその音に目を細めた。


 三輪は決して、この午後のひと時が嫌いではない。


 嫌いでは、ないのだが……


「ミケさーん! ミケさんは相変わらずチビだよな! いつになったら背ぇ伸びんの?」

「む! なんですかチビとはっ!! 聞き捨てなりませんよ健太けんたっ!!」


 店に飛び込んできた途端に暴言を吐くガキ大将を相手に、三輪の正面に座っていた人物がピコーンッと耳としっぽを生やして反論する。


 ちなみにこれは比喩ではない。本当に、耳としっぽが生えている。狐の耳を思わせる三角形の耳も、狐に比べるとややしなやかなしっぽも、毛並みはツヤツヤのモフモフで抱きしめるとさぞかし気持ちが良さそうだ。


 そんな耳としっぽの主は、手にしていた湯呑を板間に叩きつけて身を乗り出した。上がり框のふちに置いた座布団の上から転がり落ちそうになりながらキバを剥くその姿はどう見ても小学生そのものだが、この御方がまごうことなくこの店の主である。


「だってチビなんだもんっ! 俺なんて今年に入ってから5センチも伸びたんだぜっ! やーい、ミケさんのチービチービッ!!」

「健太ぁっ!! 今っ!! 今チビって何回言いましたかっ!?」

「そんなの覚えてないしー」

「今日という今日は決闘ですよ健太っ!! 果たし状を叩きつけますっ!!」


 ──本当に、我が目を疑うことに、……店主、なんですよねぇ……


「……所長」


 このまま放置しておいても事態は終息しない。


 そのことを経験上知っている三輪は、座布団に正座してキバを剥いている目の前のちびっこの後ろ襟にスッと指を差し入れた。コンクリートの三和土たたきに転がり落ちそうになっていたちびっこ……もとい、店主は、その力を借りて体勢を整える。


「小学生を相手に本気の決闘を申し込むなんて、大人げないにもほどがありますよ。あなた、今年でいくつになったんですか」

「むっ!? 三輪までオレを子供扱いするんですかっ!? オレは立派な27歳ですよっ!」


『下二桁ですがね!』と、その人は胸を張る。


 だが残念なことに小さな肢体を着崩したスーツに包んだその姿は、どこからどう見ても七五三の現場から脱走してきた少年にしか見えない。少なくとも、下二桁の年齢が27歳であるとは到底思えなかった。


 だがその姿がどう見えようとも、この御方……九十九堂店主・ミケの言葉が事実であるということを、三輪はきちんと理解している。


 三輪は小さく溜め息をつくと、その人の耳へそっと唇を寄せた。


「それと所長、耳、出ていますよ」

「あ」


 その言葉にようやくミケは冷静になったようだった。


 三輪にささやかれたミケは、栗色のフワフワと揺れる髪の間からピョコッと飛び出した三角形の耳に慌てず騒がず両手を伸ばす。小さな手が被せられると、耳と髪はぺしょという情けない音とともに潰された。手が退けられた下ではフワフワと波打つ髪が揺れるだけで、先程まで確かにあった三角耳はどこにもない。


 三輪に怒られたことで、ミケは少しヘコんだのだろう。ウェーブがかって膨れた髪が、ミケの気分を表すかのようにしょぼんとしぼむ。


「やーい! 三輪さんに怒られてやんのー!」

「ムッ! 誰のせいですかっ!! 誰のっ!!」

「……所長」


 だがそれは一瞬のことだった。


 ブワッと髪が膨れ、ポニーテイルに結われた後ろ髪が跳ねる。思わず三輪は手を伸ばしたが、その時にはミケはすでに三和土たたきに降り立った後だった。ガキ大将と同レベルで喧嘩を繰り広げる様は、やはり七五三を迎えた少年にしか見えない。たとえスーツを着ていても、だ。


 三輪はさらに溜め息をこぼすと、健太が飛び込んでくるまで目を通していた帳簿に再び視線を落とした。


 背中でひとつにくくった黒髪が一筋ほどけて、帳簿をたぐる三輪の手元にかかる。その髪が店内ではしゃぐ子供達の声を受けてわずかに揺れた。


 店内にいる子供達は勝手気ままにのびのびと過ごしているが、ここは決して託児所ではない。立派に商いを行う、れっきとした商店だ。


 店の名前は『九十九堂』


 業種としては、修繕屋。


 持ち込まれた品物の修理を行い、壊れる前の状態になるべく近付けて、主の元へとお返しする。そこまでを生業なりわいとしている店である。


 客層は、子供から大人まで幅広い。この小さな町の住人の、そのほとんどが九十九堂の面々とは顔見知りだ。店が小学校の正門から見てはすかいにあるせいか、小学生が客層の中心であることは、同業の中では珍しいのかもしれない。


 依頼料は、応相談。手持ちが少ない小学生から不当に金を巻き上げることはしない。だからといって金持ちを相手に高額な料金をふっかけることもない。本当に良心的な経営をしている。


 ──まぁ、そんな生ぬるいことをしていても経営が成り立っているのには、実は秘密があるんですけどね……


 そのことに思いを馳せながら、三輪は静かに帳簿めくった。


 子供の声に交じって、上がりかまちと奥の工房を仕切るふすまの向こうから機材をあつかう音が聞こえてくる。もうそろそろ、先程持ち込まれたタンスの修理が終わるはずだ。


 ──あのタンスは、大切に扱われていたようですからね。


 今時珍しく、百年を待たずに付喪神ツクモガミになりかけていた。まだまだ持ち主のために頑張りたいと当物とうにんが言っていたから、きっと直し手も気合を入れて修繕に臨んでいることだろう。


 そろそろ配送のためにトラックを手配するべきか、と三輪は帳簿から顔を上げる。


「ごっ、ごめんくださいっ!!」


 その瞬間、震える声はスルリと三輪の耳に滑り込んできた。


 子供の喧騒にかき消されてしまいそうな声だったのに、想いがこもった声ははっきりと三輪の耳を叩く。それはガキ大将と取っ組み合いをしていたミケも同じだったらしい。三輪が視線を上げるのと同時に、ガキ大将のマウントを取っていたミケも弾かれたように顔を上げる。


 二人の視線の先……店の入口には、三人組の少年が立っていた。左右に控える少年は所在なさそうに、真ん中の少年だけが壊れてしまいそうな危うい緊張感をはらんだ顔で、まっすぐに三輪とミケを見つめている。真ん中の少年は、大切そうに小箱を手にしていた。


「おや、勇希ゆうき智也ともや直人なおとじゃないですか。いらっしゃい」


 ミケは立ち上がると、服のほこりをパタパタと払いながら三人に笑いかけた。


 三人とも、この店の常連客だ。入り浸り組、というよりも、客、としての常連。三人とも野球少年で、よく道具の修理を依頼してくる。


 だが今日は三人とも、野球道具は持っていない。そもそもこの三人が野球道具の修理を依頼してくる時に、こんなに緊張した面持ちを見せたことは一度もなかったはずだ。


「ミケさんに、直してもらいたいものがあるんだ」


 小箱を手にした少年、勇希が口を開いたが、発される声もどことなく硬い。三人が放つ緊張感が店の空気を伝染したのか、好き勝手に遊び回っていた子供達までシンと静まり返ってしまう。


「……分かりました。話を聞きましょう」


 ミケの視線が三輪へ送られる。その意図を察した三輪は、文机を奥へどけて上がり框を横切ると、反対側の端から三和土へ下りた。


 店の奥へ向かって上がり框に沿うように立てられたパーテーションの向こう側は、ソファーが置かれた商談スペースになっている。上がり框から直接その商談スペースへ降り立った三輪は、背の低いパーテーションの上から三人組を手招いた。


「さあ、三輪が入った仕切りの向こうへ入ってください。大丈夫、獲って食べたりしませんから」


 冗談めかして三人組を手招くミケは、変わることなく柔らかく微笑んでいる。


 その笑みに背中を押されたかのように、三人組の少年達はおずおずと九十九堂の中に足を踏み入れた。

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