EP5:〝凱風亭〟


 傭兵独立都市テュフォン中央区ハルベロ通り――傭兵ギルド本部。


  こういう場所に来た事がないヘンリエッタにはピンと来ない表現だが、そこは一見すると、ただの市役所のようだった。


 広いロビーの奥に受付カウンターがあり、その前に彼女とジルが並んで座っていた。


 カウンターの向こうで事務員達がデスクで何やら作業を行っていて、横の壁にあるモニターにはニュースの見出しやコマーシャルが流れている。


『東区画の防壁で壁破り!? 治安維持部隊はこれに対し調査中とコメント』

地下街ウインド・ブレイクにて、連続殺人事件が発生。非人道兵器を使用した犯行であると当局が発表』

『羅門重工、開発中の新型ゴーレムの試験演習公開を中止』

『テュフォン一優しい指導で話題! ゴーレム免許取得はクイズミ教習所で決まり!』


 しかし普通の市役所と違う点は――


「おい、俺のゴーレムが違法だから依頼が受けられないってどういうことだよ!」

「傭兵仲間との打ち上げは経費にできないの?」

「ゴーレム修理代の請求なんですが――」


 受付で相談している人も、ロビーで順番待ちしている者も、全員がゴーレム乗りの傭兵である点だ。


 そのせいかここはいつも、どこか物々しい空気に包まれている。


「はい、これで手続き完了です」


 ヘンリエッタの担当となっていた受付の女性事務員が、書類をまとめてファイルへと仕舞った。


 ジルの横に座るヘンリエッタは既に疲れたような顔をしている。慣れないことばかりで最初は面白がっていたが、途中からは面倒臭さが買ってしまっていた。


「追ってギルドよりギルド証が発行、送付します。そちらを受領した時点で、ギルドの依頼受注システムの利用が可能となりますのでご利用ください。他にも新人研修がありますが――」

「新人研修は必要ない。後見人がいれば、受けなくてもいいはずだろ?」


 ジルの言葉を聞いて、事務員が頷く。


「その通りです。では、貴方が後見人ということでよろしいでしょうか? ギルド証の提出をお願いします」

「ああ」


 ジルがポケットから、顔写真付きのカード――身分証明証にもなるギルド証を取り出し、事務員へと渡した。


 それを見た事務員が笑みを浮かべるも、


「コピー取らせていただきますね……って、え」


 そこに書かれていたジルの名前の横に記載されているGRランクを見て、表情を凍り付かせた。


「Sランク!?」


 事務員が思わずそう声を上げてしまい、周囲からの視線を浴びてすぐに自分の手で口で塞ぐ。


 しかし彼女が驚くのも仕方ないことであった。


 なんせこの街にはSランク傭兵はそれこそ数えるほどしかおらず、その誰もが英雄視されているからだ。街を歩けば、注目と賞賛を浴びるような者達。

 

 当然、傭兵ギルドの事務員としてその名前も顔も把握しているのだが――このジル・オーランドという名前は初耳だった。


 なぜ自分の知らないSランクの傭兵がいるのだ。そんな疑問を抱いてしまう。


 いずれにせよ、まだ入って三年目の自分では対処できないと、彼女はガタリと音を立てて、立ち上がった。


「あ、えっと、少々お待ちください! すぐにギルド長を呼ん――」


 言葉の途中で慌てて奥に行こうとする事務員の腕を、ジルが素早く掴んだ。


「――必要ない。君で十分だ」


 ジルの言葉と真剣な眼差しを受け、事務員は膝が抜けたかのようにストンと椅子へと座った。なぜかその頬は微かに赤く染まっている。


「……はい、オーランド様」

「ありがとう。この子については俺が面倒を見るつもりだから、心配しなくていい」


 ジルが微笑みを浮かべると事務員が何度も頷く。彼に対する視線に熱が籠もりつつあるのだが、それにジルもヘンリエッタも気付かない。


「かしこまりました! 他にも何かお困りごとがあればいつでもご相談ください! 私が誠意をもって担当しますから!」


 態度が急変した事務員を見て、ジルが笑顔のまま心の中で安堵していた。


 幸い相手は新人のようで、自分のことを知らなかったようだ。そっちの方が都合がいいし、あまり悪目立ちはしたくはない。


「ありがとう。よし、じゃあ行こうかヘンリエッタ」

「うん」


 ジルとヘンリエッタが立ち上がると、事務員も同じように立ち、ヘンリエッタへと視線を向ける。


 その視線には期待と同時に、どこか憐れみのような感情がこもっている気がした。


「……頑張ってくださいね。ご武運を」

「うん、頑張る」


 ヘンリエッタがそう返し、ジルと共にギルドの外へと出る。

 風の街とも呼ばれる、このテュフォン特有の乾いた風が通り過ぎた。


 ギルドのある大通り――このハルベロ通りは街の中心にあるためか、活気があり、たくさんの人が行き来している。


 人と目に飛び込んでくる情報量の多さに、ヘンリエッタは思わず眩暈を感じてしまった。


 そんなふらつく彼女の体を、ジルが手でそっと支える。


「大丈夫か?」

「うん……ちょっと疲れた」

「丁度、このあと行こうと思っていった店がある。そこで休憩しよう」


 ジルがヘンリエッタの手を取り、大通りから外れた路地へと入っていく。

 二人が路地を進むと、その奥には小さな店舗がひしめき合っていた。


 ごみごみとしているその雑多な雰囲気が、ジルは嫌いではない。


「お、よかった。まだやってたか」


 その中にある、古めかしい外観の店舗へとジルが入っていく。入口の上に吊られている看板には、〝凱風亭〟と書かれていた。


「いらっしゃいませ……おや、誰かと思えば」


 その喫茶店は外観と同様に、一昔前を意識したようなレトロな雰囲気に包まれていた。携帯デバイスがある今、もはや誰も使っていない赤い固定通信機がカウンターの上に置かれている。


 そのカウンターの奥に立っているのは、エプロン姿が妙に似合っている、眼鏡を掛けた金髪の青年だった。


 若く見えるが、同時にどこか老成している……そんな不思議な空気を纏っている。


「久しぶりだな、キリス」


 ジルが手を挙げて、この〝凱風亭〟の店主であるその男――キリスへと挨拶をする。それからヘンリエッタと共にカウンター席へと座った。流れるようにキリスが灰皿をジルの前へと置く。


 それはもう何年も同じことをしてきたような自然さがあった。


「おやおや……君が女性連れとは。しかもなんとも可愛らしい子じゃないか」


 キリスが大人しく座っているヘンリエッタを見て、笑みを浮かべる。どう見ても面白がっているその様子に、ジルが釘を刺した。


「……ただの後輩だ。色々わけあって、面倒を見ることになった」

「ふーん。ってことはゴーレム乗りなわけだ」

「そうだよ」


 ヘンリエッタが答えると、キリスが笑みを浮かべる。


「この喫茶店をやってるキリスだよ、よろしくね……えっと」

「ヘンリエッタだ」


 ジルがヘンリエッタに代わり、そう紹介すると、キリスが笑顔のまま手を差し出した。


「よろしくね、ヘンリエッタちゃん」

「ん、よろしく」


 無表情のままその手を握り返すヘンリエッタを見て、ジルが苦笑する。


 出会ってまだ二日だが、どうにもこの子は社交性というか社会性が欠落しているように感じた。


 あるいはその出自がそうさせているのかもしれない。

 しかしジルは彼女の詳しい出自や過去について、聞くことができなかった。


 怖いからだ。

 知ってしまうことが。


「さて、何にする?」


 そんなジルの心中をよそに、キリスが細長いメニュー表をヘンリエッタへと渡した。

 

「俺はコーヒー」

「……こーひーって何?」


 ジルがメニューも見ずに即答したのを聞いて、ヘンリエッタが首を傾げる。

 すると、キリスが待ってましたとばかりにそれに答えた。


「よくぞ聞いてくれた! ふふふ、こいつはね、ここでしか飲めない特別なものでね! 南のガガスラ共和国の遺跡から発掘された遺物に残っていた種子を元にテュフォン大の遺聖学研究チームとともに――」

「長いから聞かなくていいぞ。コーヒーは苦いから、そういうのが苦手あれば素直にジュースにしとくといい」

「ん、コーヒーにする。ジルと同じ」


 ヘンリエッタの言葉を聞いて、ジルの脳内で過去の思い出が蘇る。

 

〝私もジルと同じにしようかな〟

〝……苦い〟


 思い出すだけで口の中が甘く、そして苦くなっていく。


「キリス、彼女には別添えで牛乳も」

「……いや、僕の話も聞いてよ」


 悲しい顔をしながらも、キリスがサイフォンでコーヒーを淹れはじめた。

 

 それから二人の前に、取ってのついたずんぐりむっくりなマグが置かれる。その中は黒い液体で満たされていて、香ばしい匂いを湯気と共に立てている。


 ヘンリエッタのものにだけ、白い液体の入った小瓶が添えてあった。

 

 ジルがコーヒーに口をつけたのを見て、ヘンリエッタはふうふうと息を吹きかけ、恐る恐るそれを口へと運んだ。


「……苦い」


 無表情のままそう口にしたヘンリエッタを見て、ジルが苦笑してしまう。


 まったく……反応まで一緒じゃないか。


「だから言ったろ? その瓶に入っている牛乳で割ると少しはマシになるよ。そこにある砂糖も入れたらいい」


 ジルに言われた通り、ヘンリエッタが小瓶に入っていた牛乳とカウンターの上にあった砂糖をコーヒーへと入れていく。


 黒い液体が茶色へと変わっていき、それを彼女はジッと見つめ、もう一度それを口にした。


 先ほどまで苦かった液体が、甘く柔らかくなっている。


 苦みもほどよくなり、思わず目を丸くしてしまった。


「これ……美味しい」

「だろ? これなんて言うんだっけ」


 ジルがそう聞くと、キリスが嬉しそうにそれに答える。


「カフェオレさ!」

「変な名前だな」

「古い文献にそう書かれていたからね。でもどの国の古代語にもない単語なんだよ。響きが好きだから使っているけど」

「なるほど」


 そうしてジルとキリスが雑談していると、ヘンリエッタが立ち上がった。


「……トイレ」

「それならそこの奥の扉だ」

「わかった」


 そうしてヘンリエッタが席を離れたのを機に、キリスがスッと眼鏡の奥で目を細めた。先ほどとは態度も纏う雰囲気も、全く違う。


 ジルは知っている。

 キリスが決して、ただ気の良い喫茶店の店主ではないことを。


「というわけで、教えてくれキリス――何かはあるか」


 そう聞くと、キリスは笑みを浮かべたまま、こう答えたのだった。


「もちろんあるとも。でもその前に答えてよ――あの子は一体何者だい?」

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