EP4:〝東区画、対竜防壁上ル、使われていない第三倉庫〟


 淡い光をまぶたの向こうに感じ、僕は目を覚ました。


「んー……」


 掛けた覚えのない毛布を足で払って、僕はベッド代わりのソファから起き上がる。窓から差し込む光のせいで、少しだけ埃っぽい倉庫の空気がキラキラして見えた。


 ここは昨日、僕が着地したあの壁の上にある倉庫の中だ。その隅に休止モードにしてある僕のゴーレム――【ヴォーパルバニー】が静かに佇んでいる。


「おはよ、エッタ」


 ソファの横にあった、小さなテーブルの縁に腰掛けていたレムが起きた僕を見て、柔らかい声を出した。


「珍しくよく寝たわね」

「……疲れていたのかな」

「昨日は色々あったし、最近ろくに寝てなかったからじゃない?」


 レムの言葉で昨日のことを思い出す。


 ああ、そうだった。僕はついにあの壁を越えられたんだ。ついでになんか変なお爺さんと男の人に出会った。


 何も分からない僕は、彼らが言うがままにこの街で傭兵になる予定だ。


 正直言えば、傭兵でもなんでもよかった。

 お母さんを探すためなら、なんだってするつもりだった。


 だからどうすべきかをすぐに教えてくれた彼らに感謝はしている。

 でもそれを、どう表現すればいいかは分からなかった。


 僕は、僕達は……そういう風にできていないから。


「で、本当に傭兵になるつもり?」


 レムが背中に生えている羽のような形のスラスターから青白いエーテル光を放ちながら、僕の顔の前へと飛んでくる。


「ん? レムは反対?」

「そんなことはないよ。それが一番現実的だってことも、ジルとラバンの話を聞く限りはそうだと思ったし。少しこの街について調べたけども、嘘はなかったよ」


 どうやらレムは、僕が眠りこけている時にあれこれ動いてくれていたようだ。


「ありがとう、レム」

「ふふーん、感謝しなさい」

「ま、でもこうして住むところを用意してくれたし、ジルもラバンも悪い人じゃないよ」


 僕は改めてこの倉庫内を見渡した。そこまで広くはないけど、住むには十分だ。少なくとも、研究所にいた時に使っていた自室よりは広々している。


「まあね。でも勝手にこんなところに住んで大丈夫なのかなあ……」


 レムが心配そうな声を出すので、僕は欠伸をしながら答える。


「ふあああ……。ジルが〝内壁の上なんて俺ら以外誰も来ない〟、って言ってたし、大丈夫でしょ」

「だといいんだけどさ。まあ幸い、ゴーレムの整備と補修に使うパーツは事欠かないし、私は文句ないけど」


 レムが倉庫のあちこちにある、ゴーレムや対空設備の予備パーツへと視線を向けた。


 この内壁には、外壁と同じようにかつてゴーレムが配備されていたらしい。でも予算が勿体ないってことで廃止され、今はジル達のような者達しかいないそうだ。


 あの予備パーツはその時の名残で、そのまま放置されたものだ。


 少々規格が古いけども、その辺りはレムがなんとかしてくれるらしい。


「レム、今何時?」


 僕は立ち上がると、今日すべきことを思い出す。


 今日はジルと共に、この街の傭兵ギルドへと行くつもりだ。そこで、傭兵として登録する必要があるとかなんとか。

 具体的に何をどうすればいいかさっぱり分からないけども、ジルが全部やってくれるという話だ。


 ……なんであの人は、見ず知らずの僕をこんなに助けてくれるのだろうか。


 少なくとも、研究所にいた時は周りにいなかったタイプの不思議な人だ。


「午前十時五十二分三十五秒……三十六秒。そろそろジルが来るから、とりあえず着替えたら? あと寝ぐせ、直した方がいいと思う。一応、エッタは女の子なんだし」


 レムが僕の頭のてっぺんからつま先まで見て、なぜか意地悪そうな笑みを浮かべる。


 僕が生物学上では女であることは間違いないけど、それと寝ぐせを直すことに何の因果があるのだろうか?

 

 とはいえ流石に下着のままでいるのはマズいことぐらいは分かる。

 僕は脱ぎ捨てたはずの服が床にないことに気付きそれを探していると、レムがテーブルの上を指差した。


「服はそこ」


 なぜか畳んであった服を手に取ってそれを頭から被る。シンプルなワンピースだけども、着るのも脱ぐも楽だからという理由で選んだだけだ。どうせゴーレムに乗る時は専用スーツに着替えるんだし。


「レム、ありがとう。でも服を畳むなんてそんな器用なことできたっけ?」

「私じゃない。あの男、見た目は汚らしいけど結構マメよね~」


 なんてレムが言うので、どうやらジルがやってくれたらしい。わざわざ他人の服を畳むなんてやっぱりあいつ、変な奴だ。


 それから僕が倉庫の隅にある、蛇口の水(パーツ洗浄用らしいけど問題無く使えるし、飲める)を使って顔を洗っていると、背後で扉が開く音がする。


「起きていたか、ヘンリエッタ」


 そんな声が聞こえてきたので、僕は答える代わりに背中を向けたまま片手を挙げた。どうやら丁度ジルがやってきたようだ。


「随分と疲れていたから、まだ眠っているかもと思ったんだが。調子はどうだ?」

「ぼちぼちかな」

「そうか。本当はもう少しマシな住居を用意できたらよかったんだが……」


 なんて言いながら、ジルが近付いてくる。


「やっほー、ジル。ってあれ? あんた、そんな感じだったっけ」

「……まあな」


 なんてレムとジルの会話を聞きながら、僕はタオルで顔を拭きながら、二人の方へと視線を向けた。扉からの逆光を背に立つジルが、こちらへと優しい笑みを向けている。


「ヘンリエッタ、寝ぐせついてるぞ。ほら、こっち来てみろ」


 なんて手招きされたので、僕は言われるがままにソファへと座った。するとソファの後ろに回ったジルが、どこからか取り出したのか年期の入ったブラシで、僕の髪を梳かしはじめる。


 なんだか、くすぐったい感覚だ。


 でも僕はそれよりも、ジルの様子が昨日と違うことに戸惑っていた。


「……あ、あのさ。貴方はジルだよね?」

「あん? 何言ってるんだ。そうに決まってるだろ」


 手慣れた様子で髪を梳かすジルが、何を言っているとばかりに呆れた声を出した。


「だって……ひげないし。髪も短くなってるし。服もパリッとしてるし」

「それ! 昨日と印象が全然違う!」


 レムが僕の言葉に同意とばかりに声を上げた。


 昨日のジルは作業員みたいな服にボサボサの髪、それに無精ひげと、研究員によくいるタイプの見た目をしていた。


 でも今日は違う。


 研究所に時々やってくる怖い目付きの男の人達が着ていた、スーツのような服を少し着崩している。さらに無精ひげは綺麗に剃られていて、髪の毛も昨日よりも短くなっていた。


 なんというか随分と若返っているし、なにより昨日のジルにはなかった、何か圧というか迫力のようなものを感じる。


 本能が告げる。多分この人の本質は僕と同じ――たくさんの人を……殺してきた人だ。


 その眼差しは優しいけども、どこか冷めている。


「今日は久々に傭兵ギルドに行くからな。ただですら俺はギルドでの心証が悪いんだ、見た目ぐらいは気を遣わないと。ついでに日用品とか服とか買いに行くぞ」

「でも僕、お金ないけど」


 研究所にいた時は、許可が出ればなんでも支給してもらえたから不自由しなかったけど、今はそうはいかない。


「分かってるよ。とりあえず俺が出してやるさ。傭兵業で稼いだらそこから返してくれてたらいい。よし、こんなもんだろう。もう少し長けりゃ、結んでやれるんだが」


 ジルがブラシをテーブルの上に置いて、流れるような手付きで煙草を取り出し火を付けた。


 それからなぜか眩しそうに細めた目で僕を見つめてくる。

 

 なんとなく僕は目を逸らし、自分の髪に触れた。


 髪の手触りがすごくサラサラになっている。ブラシ使うと髪ってこうなるんだ。初めて知った。


「さ、行くぞ。ああ、そうだ。レム、例のやつは作っておいてくれたか」

「ゴーレムの機体データでしょ? はいこれ。言われた通りヤバそうな機密情報は抜いておいたわよ」


 レムが何やら小さい長方形のデバイスをジルへと手渡した。


「それ、なに?」


 僕がそう聞くと、ジルがそれに答えてくれた。


「君のゴーレムのデータだよ。傭兵登録する時にいるんだが。あのゴーレム、相当にヤバそうなアレコレが積んであるから、そこだけは意図的に消すように頼んだんだ。君の元いた場所について探られたくはないだろ?」


 僕は無言で頷いた。


 僕が所属していた組織。

 ――場所。


 正式名称は〝エステオン帝国陸軍兵器開発局第十三課所属秘匿技術研究所〟。

 僕達はただたんに研究所と呼んでいるそこは、決して表舞台に出していい組織ではないらしい。


 その名を僕が口にした時のジルの反応を見ればすぐに分かった。

 怒りと悲しみ。そんな感情が見えた。


「とにかく研究所にいたことは隠した方がいい。下手にバレると、追っ手が来るかもしれない」

「分かった」


 頷くと、ジルが僕の頭を優しく撫でた。


「よし。じゃあ行こう」

「うん。じゃあ、レム、お留守番頼んだよ」

「はいはい。いってらっしゃい」 


 それからジルについていって、僕は倉庫から出た。

 空は快晴、風は穏やか。


 扉を抜けた先、僕が今立っている壁の内側には、巨大な街があった。


 ビルが並び、車と人が道を行き交う。

 それは僕にとって、あまりにも新鮮な光景だった。


 ずっと地下にいて、外に出る時はいつもゴーレムに乗っていた。

 いつもそこにあったのは戦場だった。火が爆ぜ、砲弾と怒号が飛び交う。


 いくつものゴーレムの首を刎ねた。刎ねた首の数を数えながら、赤く燃えた空を何度見上げたか。でも別にそれが嫌いでもなかった。


 というより、それ以外を知らなかった。

 

 だからこうして改めて違う景色を眺めていると、なぜか心がざわついてしまう。


 一緒だ。

 母という存在を知った時と同じ、ざわつき。

 このざわつきが、僕をどうしても突き動かすんだ。


 妹達を置き去りにしてでも――お母さんを探したいと思わせるぐらいに。


「凄いだろ? エステオンの帝都であるレヴァナや、グランゼン連邦の首都ラゼリアには負けるかもしれないが、この辺りじゃ一番の街だ」


 ジルが紫煙を風でくゆらせながら、眼前の街へと視線を向けている。


「うん、凄い。大きい街なんだね」

「人口も多いが、他の街と違って傭兵あるいは軍事産業に携わっている者が多くてな。石を投げれば、ゴーレム乗りかゴーレム技師に当たると言われるぐらいだ」

「ジルも傭兵なの?」


 僕が聞くと、ジルは前を向いたまま肩をすくめた。


「――元、傭兵だよ。一応登録だけは残しているが」

「そうなんだ」

「今はただの内壁勤務の冴えない男さ」

「ジルもゴーレムに乗ればいいのに」

「もうゴーレムはいいよ。さ、行くぞ」


 人間用の昇降機へと向かうジルの背中を追い掛ける。

 それから僕は思わずこんな質問をその背に投げてしまう。


 それが弱音だとも気付かずに。


「こんな大きな街で、お母さんを見付けられるかな」

「……さてな」


 そう答えたジルの背中は――なぜか僕には泣いているように見えた。 

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