EP3:〝ゼロ百の加減速〟


 それからジルの目の前で行われた戦闘は――あまりにも一方的なものだった。


「レム、エーテルはもちそう?」

「少なくとも、瞬殺しないと無理! すぐにエーテル切れになるよ!」

「了解――さあ、跳ねよう」


 床を蹴る音と共に、ヘンリエッタがジルの前から消える。

 否、消えたんじゃない。あまりに加速が速すぎて、目が追い付かないんだ。


 すぐに移動先を予測して、そちらへと目を向ける。


「ちっ!」


 ヘンリエッタは前にいたカルスをスルーして、その背後にいた部下の<バフォメット23>を強襲。


「うわああああ!」


 突然眼前に現れたヘンリエッタに、<バフォメット23>が慌ててアサルトライフルのトリガーを引く。青い光弾が放たれるが、既にヘンリエッタの姿はない。


「へ?」

「バカ! 後ろだ!」


 カルスに言われ、振り向いた瞬間、<バフォメット23>の体が宙に浮いた。


「へ?」

「バイバイ」


 ヘンリエッタによって蹴り上げられたことに気付いた瞬間、<バフォメット23>は絶望する。


 目の前にスラスターで加速された逆関節の脚部が迫り、激突。


「ギャッ!」

 

 とんでもない速度で叩き込まれた蹴りによって、<バフォメット23>が吹っ飛び――そしてその先に、床はなかった。


「ああああああああ!」


 内壁の外まで蹴飛ばされた<バフォメット23>が、街へと落下していった。


「残敵、一」


 ヘンリエッタは蹴った体勢から、すぐにスラスターを噴かし、空中で姿勢を調整。


「貴様ああああああ!」


 そんなヘンリエッタへとカルスが迫る。それを見て、ジル思わず叫んだ。


「気を付けろ! そいつはGRランクAの猛者で、そっちの部下二人とは訳が違うぞ!」


 このテュフォンには、ゴーレム乗りの強さを示す分かりやすい指標があった。


 GRゴーレム・ライダーランク――それの算出方法は謎とされているが、一般的なゴーレム兵をDとした時に、それよりもどれだけ強いかを示し、最高ランクがSとなっている。


 その中で、Aランクというのはかなり高い評価であり、カルスがただ威張り散らすだけの無能ではないことを物語っていた。


 その証拠として――


「確かに速い。が、あまりに直線的すぎる!」


 カルスが迫るヘンリエッタに合わせて、光子ブレードを薙ぎ払う。それは動きを見切ったというよりも、長年の勘と経験による予測だった。


「おっと」


 しかし、ヒュンという甲高い音と共に、その青い光刃をヘンリエッタはすることで回避する。


「……は?」

「なんだそれは!」


 見ていたジルは思わず驚きの表情を浮かべてしまう。


 スラスターを噴かすことで推力を得て、空を走る。確かにそれは可能かもしれない。

 だが、その加速中に逆方向にスラスターを噴かせて、一瞬にして空中で停止するなんてことは、普通に考えて不可能だ。


 それに始動もそうだ。

 

 さっきから見ているとヘンリエッタのゴーレムはゼロから百…つまり最高速まで一瞬で加速し、かと思えば百からゼロへと一気に減速していた。


 当たり前だが、どちらの行為も機体と搭乗者に大きな負担を掛けてしまう。


 そんな無茶をすれば、乗った者は一瞬でブラックアウトし、下手したらそのまま死ぬかもしれない。

 

 だがあの機体とヘンリエッタは平然と加速と減速を繰り返し、時折地面を蹴って自由自在に空を――


「ふざけるなあああああ!」


 カルスが光子ブレードを振るうも、ヘンリエッタによるゼロ百の加減速と、空中での巧みな姿勢制御に、目も手も追い付いていない。


「遅すぎるね」


 そんな言葉と共に――ヘンリエッタはカルスの頭へと着地し、体を捻るように回転させながら、手に持っていた物理ブレードをここに来てはじめて振るった。


「俺の腕がああああああ!? ってあれ?」


 ヘンリエッタのブレードがギリギリ、カルスの腕を掠める形でゴーレムの腕部だけをあっけなく切断。


 青白いエーテルによる火花が散り、カルスのゴーレムの両腕の肘から先が床へと落ちる。


「じゃあね、黒ヤギさん」


 ヘンリエッタが呆然と立ち尽くすカルスへと、ブレードを再び構えた。


 ジルはそこで初めてヘンリエッタから殺気を感じた。


 無邪気な、殺意。


「――殺すな!」


 そう叫んでしまう。


 それがヘンリエッタへと届いたかどうかは分からない。


 しかし、結果として――放たれたヘンリエッタの凶刃がカルスに届くことはなかった。


「隊長! ここは撤退しましょう!」


 ようやくシステムが復帰して動けるようになったらしい<バフォメット21>が、カルスを後ろへと引っ張ったからだ。


「逃がさないけど? 首、置いていってよ」


 ヘンリエッタが追撃しようとするも、カルス達の徹底は素早かった。


「貴様……その声、その機体、覚えたからな! 絶対に……絶対に潰してやる!」


 そんな捨て台詞と共に、カルス達が昇降機へと消えていった。


「ちぇっ……どっちにしろ……エーテル切れだ」


 舌打ちをしながら、ヘンリエッタが再び顔を露わにした。ゴーレムからエーテル光が消え、動きが止まる。


 それから彼女は、胸部分が開いたゴーレムから出てくる。


 このゴーレム自体も他のゴーレムに比べて小型ではあるが、その搭乗者であるヘンリエッタもまた小さな体躯だった。


「ふう……やっぱりエーテルの消費が大きすぎるなあ」

「戦い方に無駄が多いからだってば」

「むー。これしか知らないんだもん」


 レムとそうやって言い合うヘンリエッタを見て、ジルとラバンは掛ける言葉が見付からなかった。


 <バフォメット>も、その四人いる隊長の一人であるカルスも、決して弱い存在ではない。


 だというのに、この少女とゴーレムはそれらをあっけなく撃退した。


 それがどれだけ凄いことかを、元ゴーレム乗りの傭兵である二人はよくわかっていた。ゆえに、言葉が見付からない。


「ヘンリエッタ……君は何者なんだ」


 ようやくジルが絞り出した言葉は、それだった。


 突然空から落ちて来た、少女とゴーレム。

 それをどう扱えばいいか、全くわからない。


「……ただのゴーレム乗りだよ。少し、強いだけ」

「……カカカ! それで少しと言うか! 見たところ、そのゴーレムはお前さんの専用機だな? エステオン産っぽいパーツだが、より洗練されておる」


 ラバンが笑いながら、ジルの背中を叩いた。まるで――飲み込まれるな、と激励するばかりに。


「うん。この【ヴォーパルバニー】は僕だけのゴーレムだよ」

「そうかそうか。お前さん、何しにテュフォンに来たんだ? まさか観光でもあるまいよ」


 ラバンがそう問うと、ヘンリエッタがやはり無表情のまま答えた。


 まっすぐに、ひたむきな言葉で。


「――お母さんを探しにきた。名前も顔も知らないけどね」


 ヘンリエッタの言葉を聞いて、ジルが目を閉じた。


 ……やはりか。


 再び脳内で、かつて愛していた人の声が蘇ってくる。


〝もし、困っていたら手伝ってあげてね〟


 ジルがゆっくりと目を開いた。


 思い出の彼女と、ヘンリエッタが重なって見える。


「ヘンリエッタ。理由はどうあれ、君はこのテュフォンに不法侵入し、しかも治安維持部隊を攻撃してしまった。はっきり言って重罪だ。そんな状態で、人を探すなんてまず無理だろう」

「そう言われても困る。僕はただ……貴方を助けたかっただけだから」


 ヘンリエッタがまっすぐにジルの目を見つめた。その眼差しは子供そのもので、おそらく悪意も何もない。


 良い意味で純粋で、悪く言えば空っぽだ。


 危ういな……そうジルは思ってしまう。


 専用のゴーレム持ちの少女なんて、間違いなく厄介事でしかない。


 それでも――


「そうだな……ありがとう、ヘンリエッタ。君には助けられた」


 ジルは微笑みを浮かべ、そう感謝を伝えた。


 まあ、どちらかというと余計に話を拗らせただけだが、それは言わない事とする。


 すると、ラバンがニヤニヤしながら、ジルへと視線を向けた。まるで、お前次第だと言わんばかりに。


「一つだけ、この状況をなんとか出来る方法があるが……はてさて」

「本当になんとかなるの?」

「カカカ! もちろんなるとも。この街で一番自由で、誰よりも誇り高い存在になれば、少なくとも今よりは自由に動ける。それに人探しをするなら、金も情報もいるだろう?」

「うん」


 頷くヘンリエッタを見て、あとは任せたとばかりにラバンがジルの肩を叩いた。


 分かっている。それしか方法がないことぐらい。


 それでもジルはため息をつく他なかった。


「はあ……まったく爺さんは人が悪い。だが、俺はお勧めしないぞ――傭兵になるなんてな。命がいくつあっても足りない」

「傭兵?」

「ああ。この街はな、傭兵都市って呼ばれるぐらいにゴーレム乗りの傭兵が多い。企業や組織に属している者から、フリーの独立傭兵まで様々だ。傭兵達を管理するギルドのおかげでこの街の中だけでは、それなりに良い待遇を得られる。多少の無茶も押し通せるし、<バフォメット>の連中も傭兵だと分かればそう簡単に手を出せない」

「傭兵……」


 ヘンリエッタが表情を変えずにその言葉を繰り返した。まるで、新しい言葉を覚えた子供のように。


「ふーん、傭兵ね。いいんじゃない? なんせヘンリエッタと【ヴォーパルバニー】は最強だからね! きっといっぱい稼げるわよ!」


 レムが暢気にそうはしゃぐが、ジルがそれに釘を刺す。


「だがその分、死地に出向くことが多い。当たり前だが、傭兵なんて捨て駒扱いだ。だから……お勧めはしない。それでも君は――傭兵になるのか、ヘンリエッタ」


 ジルがヘンリエッタへとその覚悟を問う。


 でも、答えは分かっていた。

 きっとこれは運命なのだ。


「――なる。それでお金を稼いで、お母さんを見付ける」

「そうか。なら仕方ない。手伝ってやるさ、なあラバン爺」

「カカカ、もちろんだとも……これでこの街もまた面白くなりそうだな!」


 年甲斐もなくはしゃぐラバンを放っておいて、ジルがヘンリエッタへと歩み寄った。


 小さく細い体躯。触れれば壊れそうな、まるでガラス細工のような彼女に、ジルが手を差し出した。


「改めて、俺はジルだ。ヘンリエッタ、君を歓迎するよ。ようこそ――独立傭兵都市テュフォンへ」

「ん。よろしくね、ジル」


 ヘンリエッタがその手を握り返す。


 白く柔らかい感触にジルは何かを思い出しそうになり、すぐにそれを封印する。


「カカカ……新たな傭兵、ヘンリエッタの誕生だ。今日は飲むか!」


 こうして――ジルは、ワケありなゴーレム乗りの少女、ヘンリエッタのサポートをすることとなった。


 この出会いが、この街の運命を変えることになるのだがーーそれはもう少し後の話となる。

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