第39話 挫折
「それは何!?」
パンサーが警戒して距離を取る。明らかにエルの雰囲気が先ほどまでとは異なっている。髪の灰色の部分がより広がり、瞳も灰色へと変じている。――何より段々と攻撃の手応えがなくなってきていた。あれほど押していたのに、今では疑念を抱くばかり。パンサーの頭に敗北の文字がちらつく。
「…世界さ。」
「世界? どういうこと?」
「…さぁ? 俺にもこれ以上の説明は出来ない。」
(…何かをしながら仙人になったことはないが、うまく入れたな。)
これ以上なく世界がクリアだ。今なら英雄でさえも倒せそうな気がしてくる。
(――良くない思考だ。万能感だけが唯一の欠点だな。)
エルはすぐに己を戒める。調子に乗っていい事なんて一つもない。この世界は気を抜いたときに裏切ってくる。世界を体現する己こそが最も気を付けなければならない。
(さぁ、終わらせよう。)
次の試合もある。仙人は肉体的疲労は少ないが、精神に過大な負荷がかかる。試合時間は短いほうが良い。
「スッ」
前触れもなく、いきなりエルの身体がブレる。
「!?」
「キン」
警戒していたおかげで、何とかパンサーは反応する。間違いなく先程よりも段違いに速い。だが、出力としてはそこまで出ていないような気がする。ただそうだとするならば、この速さは説明がつかない。
(もう腕が…。いったいエルグランドに何が起こっているんだ?)
エルがとうとうパンサーを捕らえ、その先の領域へと到達し始めていた。
「エルグランドがまたパンサーを突き放したぞ!」
「結構、パンサーも頑張ってたんだけどなぁ。」
「やっぱりエルグランドだぜ! いけーーー。」
「いいぞ、俺はお前に賭けてるんだ!」
「いやー、強いねえー。」
外野から眺める観客たちがエルグランドの逆転劇に湧く。パンサーも凄かったが、やはりこの男が強すぎる。見れば見るほどに魅了されていく。どれだけ貴族として取り繕ろうとも、人として興奮せざるを得ない。原始から続く究極的な闘争の結晶――暴力に。
「巻き返したぞ!」
「何かエルグランドの身体がブレてないか?」
「ほんとだ!!」
「あまりに速すぎてそう見えてるのかもしれない。」
「臨界点じゃないのに、そんなにスピードが出るのかよ!」
「…なぁ、エルグランドの髪を見てくれよ。灰色の部分が広がってないか?」
じっくり見ないと分からない変化。それに一人の生徒が気づく。だが――
「え? そうか? 元からじゃないか?」
「いや、絶対広がってる。さっきはあんなに灰色じゃなかった。」
「…うーん、分からないな。」
広まらない認識。一部の生徒は違和感を感じ取れども、大多数は単純に盛り上がっていた。それが普遍的な世界の構図なのだ。
(ふむ、どうやら今年の一年が桁外れに優秀なようだな。…それはそうか、ハインにイグニス、それにパンサー。これだけでも多い方なのかもな。)
エルは一瞬で観客の見定めを終える。上級生で
(…アイリス姉上も感じ取っているか。流石だ。)
ずっと前から己に向けられている視線。どんな思惑があるのかは分からないが、実害があれば反撃しようと思う。もう己は弱くない。大事なモノを切り捨て虚無を得た。全てを飲み込むほどの――巨大な空虚。
(だが、何となくだがアイリス姉上は敵に回らなそうな気がする。それよりも他国の奴らの方が問題だな。)
己の世界に馴染まない異分子たち。歓迎すれども腹も立つ。だから――
(負けられないな。)
己ごときに負ける者が世界を変えられるはずがない。むしろ、この世界の体現者である己を倒してこそが真の始まりだ。そう思うのは感傷的に過ぎるだろうか?
「トントントン」
「クッ!」
「トン」
エルはたった三歩でパンサーの背後へ回り込む。パンサーは一瞬で見失い、咄嗟に後ろを振り向く。――が、居ない。
(どこ!?)
「こっちだ。」
「ッッッ!?」
パンサーが息をのむ。ゆっくりと正面へ振り返ると、エルが槍を突き付けていた。ありえない、彼は正面にはいなかったはず。それは確かだ。
(…一度後ろへ回って、再度正面に回ったのか。でもいつの間に…。)
パンサーが戦慄する。恐ろしいのはその速さだけではない。普通どんなに速くて目で追えなくとも、動いた軌跡は風で感じ取れる。だが、今回は無風、エルの動いた痕跡を感じ取れない。どうすればそんなことが可能なのか? 一つ考えられるとすれば、辺りを漂う微風に自身の動きで起こる風をぶつけて相殺することによって無を作り出しているのかもしれない。ただそれは夢物語に近い。なぜなら空間全てを把握していなければ、そんな芸当は不可能だからだ。間違いなく黒獅子でもできない。
徐々に襲ってくる恐怖にパンサーは後ずさる。この仮説が正しいとするなら、目の前の人間は強さという次元から超越している。そして己の感性はそれを肯定している。――きっと彼には一生勝てない。パンサーの心が折れる音がする。
目の前で一人の若い少年が挫折する様子にエルは昏い歓喜と哀しみを覚える。彼は世界に屈した。もう二度と立てないだろう。目を見ればわかる、あれは完全に折れた目だ。自分と同じ、敗北者の目。
(ようこそこちら側へ。所詮、世界に屈するほどの大事なモノってか。)
どうやらパンサーの覚醒は一時の夢だったようだ。一度希望を持ってしまった。そのあとに絶望に突き落とされたのだ、その落差が止めを刺した。
「そこまで!! 勝者、エルグランド・フォン・ハーブルルクス。」
高らかに審判が宣言するが、エルの心は微動だにしなかった。昏い歓喜が過ぎ去った後は、虚しさだけが募る。これほどの才能を持っていても、世界には勝てないのだ。
エルの瞳が失意と共に灰色から海の色へと変化する。
エルは徐に膝を折っているパンサーに近づき、誰にも聞こえないように小声で話しかける。
「困ったときはうちにこい。俺に従うなら悪いようにはしない。」
エルはそれだけ言うと舞台から降りる。将来に向けて種蒔きはしておく。手駒は多ければ多いほど良い。
(同じ敗北者同士、仲良くやろうじゃないか。)
「「「「「オオオオオオーーーー」」」」
「つえぇ、もう優勝だろ、あんなの。」
「それはどうかな? うちにも優秀な人材はいる。」
「…緩急さをつけるのが巧みだ。あれでは目の前から急に消えたように見えるだろうな。」
「やっぱりパンサーは負けたか。」
「それはそうだろ、あれじゃ負け犬だ。恥ずかしいよ。」
「一度だけじゃなく二度も国に泥を塗りやがって。」
「ほんと最悪よ。」
「これで黒獅子の後継者候補から離脱かぁ。」
「当然だな。」
ニガレオス王国の面々が我が意を得たりとばかりに一斉にパンサーを批判する。それを周りで聞く他国籍の者たちは白い目を向ける。エルに負けたとはいえ、あの戦いぶりは称賛に値する。それを素直に認められないから七大国の中で最弱国だったのではないのかと思わざるを得ない。
ニガレオス王国が他国の者から顰蹙を買う中、この三人は通常通りだった。
「…何なんだろうな? あのエルの雰囲気は。こう迫ってくるものがあるよな。」
「分からん。そもそも臨界点でもないのにあんなスピードがどうして出る?」
「うーん…、テオ、お前はどう思う? …テオ? テオ?」
ノアが呼びかけるもテオは一切反応しない。エルの方向をぼんやりと見つめているだけだ。
(やっぱりエルグランドには敵わないや。あれで臨界点に至ったら…)
テオが身体をぶるりと震わせる。何度見ても素晴らしい力だ。どう頭の中でシミュレーションしても勝てない。こうして疑似的な敗北感を叩き込まれるたびに、興奮してくる。まさか己がどう足掻いても勝てない相手がいるとは。この世界は捨てたものではないのかもしれない。
(…彼の心、完全に折れちゃってるねぇ。気持ちは分かるけど、あれじゃもう再起不能かなぁ。)
「――テオ!」
「…ん? 何?」
「いや、全然反応しないからさ、どうしたのかなと思ったんだよ。」
「ごめんごめん、ちょっとボーっとしてた。」
「それならいいんだけどさ。」
「二人とも見ろ。そろそろ次の試合が始まるみたいだぞ。」
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