第38話 黒豹

「僕は…。」

言葉が続かない。脳裏に過去の記憶が蘇ってきてパンサーを縛る。ここまで来たらもはや呪いのようなものだ。変えるに変えられない幼少の頃から強固にすりこまれた信念。

『パンサー、お前が私の後を継げ。次はお前がこの国を導くんだ。』

『パンサー!! お前がパンテラ家の汚名をそそぐのだ! しっかりレオパルド様のご指導を受けてきなさい。』

偉大なる英雄の後を継がなければならない重圧。家族からの重い期待。もはや背負うにも背負えない。自分はそこまで強くはない。


黙り込んでしまったパンサーにエルは少し反省する。いきなり考えを変えろと言われて変えられる人間なんて極少数なのだ。もう少し言い方というものがあった。

(…答えは出ず、か。仕方ない。なら追い込むまでだ。)

「もういい、行くぞ。構えろ。」


「トンッ」


2.2倍の身体強化で襲い掛かる。ハインとイグニスにも使った出力。おそらくこのあたりがこの年齢の天井付近のはず。

(そう考えたらイグニスは優秀すぎるな。あいつ、俺の2.6倍までついてきたからな。)

あれが近い未来ソル王国を背負って立つ男。隣国ではないにしても動きには十分気を付ける必要があるだろう。

(でも今はこっちだ。こいつもなかなか面白い。)


「どうした? その程度か?」

空の型でパンサーを地面に縫い付ける。下から突き上げるよりも上から押さえつける方が良いと直感で感じたのだ。


「ッ!?」

パンサーは必死に剣を動かしてエルの槍を捌いていくが、一歩も動けない。まるで空から隕石が降ってきてるかのように感じられた。速く重く逆らえない。動いた瞬間死ぬ。

(逃げられないっ!? もう腕が。)

一秒ごとに蓄積していく衝撃。それに伴い、心まで折れそうになる。もう負けてもいいじゃないか? 勝ったところで誰も褒めてくれないし、喜んでくれない。――何より身体が重い。


「――捨てちまえよ。そうすりゃ軽くなる。こんな風にな。」

突如としてエルの槍のリズムが変わる。重さが軽くなった代わりにスピードが上がる。結果として、先程よりも消耗が激しくなった。ダメージが蓄積したところに、先程よりも剣を振るうのだ。コンビネーションが悪質すぎる。

(…捨てる? 何を捨てたらいいんだ? 分からないよ…。)

今の自分の存在意義は黒獅子の後継者ということ。それを捨てたら自分には何が残るというのか? 何もない自分が恐ろしい。


「どのみち負けたら全部失うんだ。なら、一番大事なモノだけ残して後は削れ。全部を抱えて飛べるほど世界は優しくない。黒獅子だって何かを捨てているはずだ。」

エルは自分で言ってて嗤いそうになる。この理屈で行けば、己は一番大事なモノさえも捨てたから最強だということになる。だが、その強さに何の意味があるというのだろうか?

(――ない。精々世界を守るぐらいしか使い道がない。)

何とも皮肉な話だ。望まない世界の秩序の維持のために君臨するというのだから。


ただ、エルの言はパンサーに気づきをもたらした。

(負けたら全部失う? それだけは駄目だ。勝たないと…、でもどうやって?)

エルの言うことに従うならば一番大事なモノだけを残して、後は捨てなければならない。

(一番大事なモノ?)

それだけははっきりしている。悩むことなく断言できる。それは――

『兄上、見てください! 二重の虹です!』

『パンサー兄上ぇー、オーレッド兄上がシンのおやつをとったぁ。』

こんな自分でも兄と慕ってくれる弟と妹。彼らがいたからこそ最後まで逃げださずに踏ん張ることができたし、彼らの未来のためにも自分が頑張るしかないと思っていた。

(あいつらだけは国が滅ぼうとも守ってみせる。誰にも奪わせない。)

そのためには――捨てよう。自分は黒獅子にはなれない。でも逆も然り。黒獅子は自分にはなれない。


エルはパンサーの雰囲気が変わったのを察する。先ほどとは打って変わって瞳に力が入っており、徐々に足も動き出している。

(何が琴線に触れたのかは分からないが、解が出たなら良し。――蹂躙してやろう。)

相手が本気を出したところで叩き潰す。それで格付けは済む。

――そう思っていた。


「ダンッ」


パンサーが一度エルから大きく距離を取る。今までの彼らしくない。彼はインファイトがお好みだったはず。

(…いや、これが本当の距離感ってか? …面白い。どこまでやれるかな?)


「トンッ」


エルが一気にパンサーに肉迫し、イカヅチを放つ。だが――


「それはもう見た。」


パンサーは身体を反らして躱すと、足をバネのようにしならせて急加速する。


「ハッ!」


「ギンッ」


エルに受けられるも、初めてパンサーが攻撃側へと回った。出力で劣れども、身体の柔軟さを生かし、速さ・手数で圧倒する。そして速くなればなるほど――威力も跳ね上がっていく。ここにきて、エルが押され始める。黒獅子へのこだわりを捨て、パンサーは自由を手に入れた。己こそが最速、誰にも追いつけやさせない。


(おいおい、才能はあると思っていたがここまでかよ。…これじゃあ黒獅子じゃなくて黒豹だな。この加速、身体のしなやかさ、まさに天から授けられた身体じゃないか。あとは魔力がどこまで伸びるかだな。)

万が一臨界点まで達するようなことがあれば、おそらく黒獅子さえも超える。そうなったとき、かの国はどこまで飛躍するだろうか?

(…いや、周りが足を引っ張るだろうな。誰もを黙らせるほどの実績が必要だ。)


エルの予想通り、観客席ではニガレオス王国の面々は苦々しい面持ちで黙り込んでいた。むしろ他国の生徒が応援しているという異常な状況。

「いけえぇーーー。」

「頑張れーーーー。」

「押し込んでる、押し込んでるぞ!」

「あのエルグランド相手になぁ、凄いよ。」

「キタキタキタッー、俺はお前に賭けてるんだ。負けるんじゃねぇ!」

「あの回転数はえぐいだろ。出力もそこそこなのに。」

「恵まれた身体なんだろうねぇ、きっと。」



「あれは確かに凄いな。あのエルが押されている。」

「でもまー、エルが勝つでしょ。全然本気じゃないし。よしんば勝っても次の試合は厳しいだろうしねぇ。」

「…テオ、お前と言うやつは。そういうことは思っていても言わないものだ。」

「流石に分かってるよ、ジム。それを踏まえて言ったんだよ。」

どこまでも太々しいテオ。理解しながらも言う姿勢が貴族らしい。ノアはそんな二人のやり取りに苦笑しつつ、試合に集中するように言う。

「どうやらエルが終わらせにかかるようだぞ?」



(正直、この後も試合があるからあまり消耗したくない。世界に入って終わらせようか。)

世界に入るにはそれなりの時間がいる。5秒は欲しいところだ。ただ、パンサーはそんな猶予はくれないだろう。

(…となると、徐々に入るしかないな。初めてだが、やる価値はある。)

思い出すは花畑に紙片が降る様子。あれが一番世界に入りやすい。この世で唯一の綺麗な場所が無くなった瞬間だから。


パンサーと打ち合う度、世界から色が失われていく――灰色に染まる。

(今日も絶好調、ってな。)

あれだけ速かったパンサーの動きが徐々に止まって見える。これが仙気の力。

(魔力の先にある力、か。臨界点とは異なる境地。たぶん世界と繋がることで魔力が変じているんだろう。出力は大して変わらないから、集中力の差だとは思うが、それで髪の色が変わるだろうか?)

こればっかりは何度考えても分からない。そもそも世界に繋がると言ってるが、自分でも意味不明だと思う。

(案外、仙人っていう別種になってたりしてな。)



















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る