第32話 臨界点

(…これは何だ? 何が起こってる?)

エルは無意識に後ずさりしようとしている身体に気づき、強引に固定させる。それと同時に己の感情を確認するが、恐れてはいない。だとすれば、驚きによるものだろうか。目の前のイグニスは明らかに最初のころと大きく雰囲気が異なっている。まさに太陽そのものが顕現しているかのようである。

(現実を見た? この一瞬で?)

彼に期待していたのは事実だが、ここまで急激に成長するとは思っていなかった。実に嬉しい誤算だが、気になるのはその強さだ。雰囲気だけでは詳しい実力は分からない。


「行くぜっ!」


エルが様子見をしていると、イグニスが物凄い勢いで斬りかかってくる。驚くべきことに、当初は彼を蹂躙した2.6倍もの出力を誇っている己と渡り合っている。これに少しエルは危惧を覚える。

(…こいつはちと不味いかもな。本当に世界を変えかねない。)

世界を変える人間を求めているとはいえ、いざ変えられそうな人物が現れたら、その人物を拒否してしまう。世界が変わるということは、これまで以上にひどい世界になる可能性もあるということ。それが何よりも恐ろしい。そうなるくらいなら秩序だった今の世界を己は守る。灰色であれど、灰色ゆえに痛みはないのだから。

(…新世界が常に望ましいものとは限らない。そもそも真の意味で世界が変わることなんてあるのだろうか?)

物理的に世界が変革されるのはまだ理解できる。だが人が人である以上、己の世界は変わらないのかもしれない。


「どうしたァ、エルグランド! 押されてんぞ!」

(良い感じだッ、これが2.6倍、エルグランドの見てた世界。だがな、それすらも俺は越える! 一番じゃないと安心できないんだよォッ。)

加速加速加速。イグニスが止まらない――否、止まれない。ここで攻撃の手を緩めると、しばらく動けなくなることを本能で理解していた。

それをエルも察知する。ここで適当にいなし続けば、己の勝ちは揺らがないだろう。本来の己なら、相手をせせら笑うという意味でもその手を取った。

(だがな、俺は蹂躙すると決めた。誰も世界は変えられないのだと示すために。)

肝心の示す相手は不明だが、エルは強迫観念にも似たそんな強い衝動で突き進む。


「あ? 誰が押されてるって? ちゃんと目ぇ開いてんのか?」

2.85倍。エルはここにきて最大出力を披露する。彼に対してはこの方が効くだろう。技で叩きのめされても彼はそこまで傷つかない。それよりも自分の得意な土俵で負ける方が傷つく。



エルが全力を出したことに周囲も気づく。エルの身体に纏う魔力が灰色に可視化されたからだ。

「お、おい、あれって臨界点…。」

「いや、ち、違うだろ。そう見えるだけだろ。」

「だ、だよな。」

「単に魔力が揺れてるだけじゃないか?」

「魔力の動きに埃が浮き上がってそう見えてんだろ。」

「なるほど。」

大多数の新入生の見解としては、あれは臨界点ではない。単なる魔力の揺らぎか、巻き上げられた埃だという結論になっていた。だが、それも仕方のない事だ。臨界点は個人の魔力による身体強化の限界を示す。その証明として魔力に色がつくのだ。エルの場合は灰色、少し分かりにくかった。

そしてこの大陸でも臨界点に達している者は三人しかない。そんな彼らは敬意を表してこう呼ばれる――英雄と。


一方で、臨界点に達していると見抜いた新入生もいた。どんなに受け入れがたくとも、受け入れなければ、それは現実逃避になってしまう。

「…間違いない、臨界点だ。あれは。」

「嘘だろ!? あり得ない!」

「否定してどうする。現に彼は達しているというのに。」

(…苦難の世代となる。現時点で彼がこの学院でもトップだろう。)



そして観客席にいる上級生たちも同じ結論へと達していた。

「…臨界点に到達しているな。」

「ああ、初めて見た。」

「それを言うなら私もだよ。いやはや、これは驚いた。信じられるかい? まだ一年生だよ、彼は。」

「末恐ろしいな。」

「確かに。」

大多数の生徒が冷静に分析している中、ソル王国の生徒たちは応援をやめない。エルグランドが臨界点に達している?、それがどうした、まだイグニスが負けたわけじゃない。

「イグニス、頑張れーーー。」

「そこだ、いけっ!」

「惜しいっ!」

「カウンターに気をつけろ!」

熱い声援。まさに国柄が出ていると言えるだろう。彼らは内に燃えたる炎を持っている。

そんな中、一人の生徒がボソッと呟く。

「灰人の座は確実だな。」

そのセリフにソル王国の面々を除いて周囲が静まる。続けて一人の女子に視線が集中する。だが、その少女はエルを見つめたまま一言も発さない。それが逆に怖い。



「お前!、まだ本気じゃなかったのか。」

「光栄に思え。お前が初めて本気を出す相手だ。」

(久しぶりに臨界点に達したけど、消耗が激しいな。身体全体が痛い。)

短期決戦だからこそ出せる全力。戦場では使い道がないだろう。精々2.75倍がいいところのはずだ。


「ここまでだ。よく頑張った。」

「ちくしょォォォォーーー」

イグニスは必死でエルの猛攻を防ぐが、再び覚醒前の再現が繰り広げられる。それにエルは安堵する。まだ、イグニスには灰色の世界に入らなくても勝てる。彼が臨界点に至った時からが、本当の勝負だろう。

(ただ至れるかは不明だがな。臨界点は生半可な努力じゃ届かない。)

だからこそ英雄は少ないと言える。この大陸に存在する三人はどのようにして至ったのか?、まさか仙人ではあるまい。

(師匠曰く、ずっと自分以外の仙人を探して旅していても、俺以外には会ったことが無いらしいからな。)

仙人の特徴として髪の一部が違う色に染まっていることが挙げられる。会えばすぐに分かるだろう。


「ここまでだ! イカヅチ!」

空から降り注ぐ雷のごとき鋭い突きがイグニスの首に突き刺さる――ところで寸止めされる。

「俺の勝ちだ。」

(さぁ、這い上がって来い。誰かのために頑張れるお前なら可能性はある。)

ただ、問題もある。イグニスが今のところ尽くすのはソル王国の同胞のみ。少なくともエルにとっては、それでは世界を変える資格には不十分。世界全体を変えようとしなければ反逆者足りえない。当面は今後の経過に期待といったところだろう。今はまだ己の世界のままだ。



「…こう、さんだ。」

イグニスはあまりの悔しさのあまり涙が零れそうになる。だが、必死で上を向いて堪える。日照になろうという男が泣いていては格好がつかないだろう。泣くならせめて誰もいないところで泣かなければならない。

(すまねぇ、ウル。負けちまった。)


「勝者、エルグランド・フォン・ハーブルルクス!」

審判が高らかにエルの勝利を宣告する。勝者にはそれなりの敬意を払わねばならない。若き英雄ともなれば当然だ。きっと彼は教師の間でも、いや世界各国にその存在が伝わるだろう。暗殺には注意せねばならない。彼にはそれだけの価値がある。


「「「「うぉぉぉーーーー」」」」

試合の決着と同時にドーム内が今日一番の盛り上がりを見せる。エルグランドとイグニス、予選の決勝にしては白熱しすぎた。本選の決勝だと言われても違和感はない。まだ本選すら始まっていないというのに。それがまた周囲の期待を煽る。

各予選ブロックから選出されるのは上位者3名。きっとイグニスも本戦に出場するだろう。この戦いを見ていた者全員が興奮し、手を握る。今回はエルグランドが勝った。でも次もエルグランドが勝つとは限らない。


他方、そのあまりの熱狂ぶりに他のブロックの選手さえ、Aブロックの方に注目する。

神のごとき少女が――

「勝ったのはエルですか。ふふふ、混迷の始まりですね。」

重厚な雰囲気と鋭い目を持つ少年が――

「何と凄まじく、素晴らしい戦いだ。」

静謐で厳かな雰囲気を漂わせ、仄かに血腥い少女が――

「ぬるいですわね。」

ゆるりと柳のように立つ存在感が薄い少女が――

「太陽墜つ。悲しい事です。」

速さに特化したしなやかな身体を持つ少年が――

「…僕じゃ勝てない。」


エルグランド・フォン・ハーブルルクスを見定める。我らの時代の旗手として。










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