第33話 夕食

「すいません。本戦の開始時刻は何の刻からですか?」

エルが審判役の教師に尋ねる。とりあえず全力を出したことで久々に疲労した身体を休めないといけない。休憩時間が分かれば、それに合わせて調整できるだろう。本戦ではきっと骨のある選手が多いはず。蹂躙し尽くして勝たねばならない。

「20の刻からだ。お前たちはすでに本戦への出場が確定してるから、それまで自由にしてていいぞ。」

「分かりました。」

(あと4の刻か。本当に今日でシードの順位まで決めるんだな。)

予選での疲労度によっては、十全に力を発揮できない選手もいるだろう。まさに先ほど戦ったイグニスなんかがそうだ。

(よくよく考えれば予選の決勝なんて手を抜いても問題なかったんだな。どうせ一位通過か、二位通過の違いでしかないし。)

それでもイグニスは全力を出してきた。その事実はエルの中で大きいものとなっていた。一番賢いのは本戦に向けて体力を温存すること。きっと取るに足らぬ凡人ならそうしただろう。

(オルトゥス学院に来てよかった。退屈しないで済みそうだ。)

何より程よい感じに彼らは優秀だ。軽く上位層とやり合ったが、今の所負けるようには感じられなかった。一番高いところから彼らを見下ろす余裕がある。

(ま、当然と言えば当然だ。大陸でも三人しかいない臨界点への到達者、俺もまたそこに加わる一人なのだから。)



エルは重たい身体に活を入れ、己に向けられる視線を無視してドームの外へと出ていく。早めに食事は済ませておくべきだろう。お腹が膨れすぎては動けない。

(とりあえず、外の店に食べに行こう。)

学院にはカフェテリアもあるらしいが、エルの選択肢には毛頭なかった。ご飯くらい美味しいものを食べたい。ご飯しか楽しみがないのだから。


「あっ、エル。」

「…テオか。どうした?」

エルが後ろを振り返ると、テオが上の観客席から降りてきていた。

「Aブロック一位通過おめでとう。」

「当然の結果だな。」

あくまで淡々と述べるエルにテオは苦笑を禁じ得ない。普通はイグニスに蹂躙されるのだ。だが、エルは彼を凌駕し、敗北を突き付けた。その時点で我が家の選択は間違ってなかったと確信したものだ。

「そう言えるのはエルだけだろうね。…それでどこへ行こうとしてたの?」

「飯を食いにな。」

「なるほど。でもカフェテリアはあっちだよ?」

「ちょっと来い。」

テオの腕をつかみ、道の端へ寄る。まだまだ遠くから視線を向けられている。他国の者に隙を見せるわけにはいかない。

「実はな、外に食いに行こうと思ってるんだ。」

「えっ? 外に。」

「ああ。カフェテリアなんてしけたところで飯なんか食いたくねぇよ。」

「…さすがエルだね、じゃあ、僕も行こうかなー。」

「バレたら大目玉だぞ?」

「エルもでしょ?」

「いや。俺は特別の伝手があるからな。」

(学院長、すべてはお前にかかっている。後始末は頼んだ。)

余談だが、学院長は後にあの取引を後悔する。エルが問題を引き起こしすぎて、揉み消すのに奔走しなければならないからだ。


「えっ、何それ。いいなぁ。」

「だろ? まあ、お前もついでに守ってもらえるよう頼むさ。」

「お願いします!」

「じゃあ、寮に金を取りに行ってから向かおうぜ。」


寮の受付で鍵を受け取り、財布を手にしたまでは良かった。問題はどうやってオルトゥス学院から抜け出すかである。正門は勿論、他の三方の門にも警備員が常駐している。ふつうに出ていこうとしても止められるだけだろう。シードにまだなっていない以上、無理はしたくなかった。

(賄賂を贈ったところで、逆に告発されそうだしな。ここは平穏に壁を乗り越えていこうか。)

オルトゥス学院の周囲は石垣で囲われているが、木を登れば乗り越えられそうな高さであった。

「よし、こっちだ。」

「エ、エル?」


まず手本としてエルが木を登り、壁の向こう側へとジャンプして消える。

「…ワーオ、意外とやんちゃなんだ。」

およそ大貴族の子供がやることではないが、テオとしては逆に親近感が湧いてくる。自分も実家にいる間はよく木登りをして怒られたものだ。


「おっ、来れたか、テオ。」

「うん。誰にも見つからなかったねー。」

「そういう場所を選んだからな。さぁ、行くぞ。」

「いいね。」


(さあて、何を食べよう。牛鍋に子豚の丸焼き、ジンギスカン、シチュー、カレー、ステーキ、よだれが止まらんな。)

学院が始まるまでの間、軽く食事処は回ったが、本当にここスペスは店が多すぎる。きっと貴族の横暴が少ないため、平民が流入してくるのだろう。

「…よし、決めた。あそこにしよう。」

「え、どこどこ?」

「着いてからのお楽しみだ。」


堂々と道の真ん中を歩いていると、チラチラと視線が向けられる。

「ねえ、エル。凄い見られてるね。」

「そりゃ、オルトゥス学院の制服を着てるからな。貴族の子供とでも思われてんじゃないの。」

「そういうこと?」

「たぶん。」

エルの予想は半分正解だった。ここスペスにおいても不敬罪は各国の規定よりも厳しいとはいえ、適用される。そのため、平民からすればオルトゥス学院の制服を着ている生徒は要注意対象だった。

もう半分はエルたちの襟につけられているバッジの色が見慣れないためであった。バッジの色は各学年ごとに違っており、それでその生徒の学年が分かる。今年の一年生は銀色だった。市民からすれば見慣れない色のバッジであるため、新入生だと分かる。ただ、きょうは入学式のはず。どうしてこんなところにいるかが分からない。そのため余計に注目を浴びていた。


「さあ、着いたぞ。」

歩くこと十数分、エルの食べたいものがある店へと到着した。

「ここがそうなんだ。」


「ガララ」


「いらっしゃいませ~、何名様でしょうか?」

オルトゥス学院の制服を着ているエルたちを見て一瞬店員が凍りかける。だが、そこはプロフェッショナル。すぐに持ち直す。

「二人だ。」

「二名様ですか。お部屋はどうされますか?」

「個室で。」

「かしこまりました。二名様、ご来店でーす。」


少し店内は暗いが、それが逆にお洒落さを醸し出している。

(あ~、やっぱ運動したらお腹は減るもんだなぁ。まだ、16の刻だっていうのに。)

「ご注文がお決まりでしたら、ベルを鳴らしてお呼びください。」

そう言って店員が去っていこうとするが、すでにエルは食べたいものが決まっていた。

「あっ、待ってくれ。すでに注文は決まっている。子豚の丸焼きを一つ頼む。」

「かしこまりました。他にご注文はございますか?」

「いや、とりあえずそれで頼む。追加の品は後から注文する。」

「かしこまりました。失礼いたします。」


今度こそ店員が去り、個室で二人きりとなる。思えば、テオと二人になるのはこれが初めてかもしれない。最初出会った時、テオの家は敵対派閥に属していたから。

「ここって豚の丸焼きが食べられるんですか?」

「ああ、そうだ。特に子豚がうまいんだよ。若いからかな、肉が柔らかいんだ。テオもそれにしたらどうだ? もちろん強制じゃないけどな。好きなものを食べるのが一番だから。」

(豚の丸焼きなんて実家でも食べたことが無かったからな。やはりスペスは偉大だった。)

ハーブルルクス領には無い料理がある。それだけでここに来た甲斐があった。美味しい料理を食べている間は全てを忘れることができる。

「じゃあ、僕もそれにしようかな。」


ベルを鳴らし、テオの注文が済んだところでようやく一段落する。ただ、二人の間には独特の緊張感が漂っていた。

(何か俺に聞きたそうな雰囲気だな。けど、素直に聞けないといったところか。)

「テオ、何か俺に聞きたそうだな。飯が来るまでの間なら聞いてやるぞ?」

「…ほんとうに? …じゃあ、お言葉に甘えて聞かせてもらうけど――エルって灰人の座を狙ってる?」









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