第20話 買い物

「はぁ~、もう一生ここに住んじゃおっかなぁ。」

スペスに来て四日、エルはこれ以上ないくらい堕落していた。

(本当にスペスに来てよかった。あっちには敵性国家の本はないけど、こっちには置いてあるんだもんなぁ。)

相手国の英雄の話なんぞ、好き好んで自国には置かないだろう。ただ、ここスペスではその縛りはない。

そして一番うれしかったのは本屋のサイズが桁違いだったこと。そのため、本の寮も桁違いだった。上流階級が多いから需要も多いのだろう。


「次はこれにしよ…」


「コンコン」


エルの動きが止まる。第六感が面倒事を察知したのだ。


「イニでございます。エルグランド様、ご客人が参られました。すぐに応対お願いいたします。」


ああ、当たってしまった。現実は非情だ。

エルは顔をしかめて項垂れる。


「…一応聞くけど拒否権は?」

「ございません!」

哀しいかな、即答だった。おかしい、自分がこの屋敷の主のはずなのに。


(ッチ、誰だよ。何でうちに来る。)

エルは渋々立ち上がり、部屋の外に出る。

「すでにお待ちされています。こちらです。」

イニの態度に嫌な予感を覚える。客の方が上であるかのように振舞っているのだ。そんな人物、一人しか心当たりがない。


「コンコン」


「はい。どうぞお入りください。」


「ガチャ」


(やっぱりお前かい! 何でうちに来るんだ。)

エルの予想通り、客というのはゴッドステラだった。護衛には女性の騎士がついている。見ただけで強さが伝わってくる見事な筋肉だ。


「お久しぶりです、ゴッドステラ様。して今日は何用で参られたのでしょうか?」

さっさと要望を聞いてさっさと帰ってもらう。エルの方針が決まった。

「実はですね、私、スペスには初めて来たのです。色々と見て回りたいのですが、一人で回っても面白くないでしょう? ですから、あなたを誘いに来たのです。」


エルの顔が引きつりかける。

この女、こっちが断れないのを分かってて誘って来てやがる。

「わー、それは光栄です。」

思わず棒読みになってしまうのは仕方がないだろう。何が悲しくて貴重な休日を潰さないといけないのか。


「ふふ、でしょう? では参りましょう。」

ゴッドステラの笑みが少し深まる。


(こいつ! いい性格してやがる。)

もはやここまで来たら行くしかないだろう。だが、すんなり行くのは気に入らない。


「いえ、少しお待ちください。すぐ用意をしてまいります。」

「分かりました。外で待っていますね。」


一旦、ゴッドステラと別れ、自室にこもる。

あとは時間との勝負である。

(さてどれくらい粘れるかな。一応用意したふうに見せよう。)

一番分かりやすいのは服装だろう。動きやすい服に着替える。


「ハァ~、どこに行くかな。やっぱり劇場とか? …でも面白くないんだよなぁ。」

エルがベッドに寝転んでいると、ノックされる。


「エルグランド様、準備はまだでしょうか?」

焦っているようなエクスの声が聞こえてくる。彼がおそらく場を繋いでいるのだろうか? 

気の毒に思うも、まだ動かない。もう少し粘れるはずだ。

「あと少しだ。待て!」

「できるだけ早くお願いします。」

切羽詰まった声に笑いそうになってしまう。王都で己に従わなかった罰だ。これぐらいは甘んじて受け入れるべきだろう。


しばらくそのままでいると再びノックされる。

「エルグランド様、準備はいかがでしょうか? 女性を待たせるのは紳士の行いとは言えませんよ。」

とうとうイニが出てきてしまった。彼女にはどうしても勝てないのだ。


(…潮時か。)


「ガチャ」


「すまんな。服選びで迷ってたんだ。」

シレっと嘘をつくエル。その様子を見てイニはため息をつきそうになる。相手は王族なのだ、ぎりぎりを攻めて良い相手ではない。


「では次からは私が服を選びましょう。」

「いっ?」


やはりイニの方が一枚上手だった。


屋敷の外に出ると、少し怖い雰囲気のゴッドステラが待っていた。

「お待たせいたしました。ゴッドステラ様。」

「…随分準備に時間がかかっていたようですね。」

「はい。身だしなみに気を遣うのは紳士のマナーですから。」

その返答に一瞬ゴッドステラは青筋を立てる。


(おー、怒ってる。ゴッドステラも怒るんだな、いいもん見れた。)

これで気分よく散策に出かけられそうだ。エルはご機嫌な様子でそんなことを思っていたが、女の買い物の恐怖を知るのはすぐである。


「ではエスコートしてくださいね。」

ゴッドステラは笑っているが、目が笑っていない。

「お任せください。」

(ちょっと怒らせすぎたか? でもあのくらいやらないと俺の精神上宜しくないからなぁ。)


するとゴッドステラが腕を組んでくる。

「あの~、ゴッドステラ様? どうして腕を組んでるんです?」

「エスコートしてくれるのでしょう?」

「パーティでもないのに腕を組むのはどうなんでしょうか?」

(マジで離してほしい。これじゃあ襲われたときに対応できないじゃないか。)

いくら護衛がいるとはいえ、心から信頼できるわけではない。護衛が自分と同じくらいの能力を持っていれば安心できるのだが。


「では前例を作りましょう。私たちが先駆けとなるのです。」

「婚約者などはいらっしゃらないのですか?」

まだ若いと言えど王族なら婚約者候補ぐらいいてもおかしくはない。そしてこの美貌なら引く手あまたのはず。

「いませんよ。父が全て弾くので。」

ああ、それなら納得である。よっぽど娘を溺愛しているのだろう。

「それに――私の人生は私が決めます。」

ゴッドステラの雰囲気に少し圧される。それだけの覚悟が伝わってきた。この少女はおそらく強い――心が。


(その意見には同意だ。俺も父の駒として生きるつもりはないし。)

エルは少しだけゴッドステラにシンパシーを覚える。自分と彼女、生き方が似ている。

「…もうお好きになさってください。」

「はい。好きにします。では、どこに案内していただけるのでしょうか。」

「そうですね、じゃあ――」



スペスを歩き回ること数刻、エルは疲労困憊となっていた。

(もう足が。…まだ買物するのか? もう帰ろうよ。)

「ふふ、楽しいですね、エル殿。」

対照的にゴッドステラはまだまだ元気だった。同じ時間歩いてるはずなのにこの差は何なのだろうか? 世の不条理に泣きそうになる。

「…そうですね。」

それにいつのまにか呼び名がエルグランドからエルへと変わっている。もはやこの少女は何でもありだ。


「…名残惜しいですが、そろそろ帰りましょうか。」

すでに17の刻である。そろそろ夕食の時間であった。

「はい!」

やっと終わりが来た。思わず、嬉しそうに返事してしまう。

それを見たゴッドステラは少し傷つく。

「…エル殿、元気そうですね。夕食でも行きますか?」

「…え?」

(やっちまった。俺のバカ!)

「冗談です。また学院で会いましょう。またいろいろと見て回りましょうね。」

「了解です。」



こうしてエルの一日が終わった。

(…護衛の奴らが可哀相だ。荷物持ちまでさせられて。…服もいっぱい買わされたし。)

絶対にこれだけの服もいらなかった。女性の買い物のおそろしさをまざまざと見せつけられた。

(挙句の果てには、『アイン様が、スペスではエルグランド殿に頼りなさいと言ってました』だと? 質の悪い殺し文句だ。恨むぞ、父上。そもそも俺の役割は鈴を着けさせることだろうが。)

次から次へと文句が出てくるが、実はどうでもよかったりする。だって、彼女のお陰で一日は潰れた。また一歩救済へと近づけたのだ。

(あと何回繰り返せば終わるかな。)

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