第19話 中立都市スペス
「さて準備はいいか?」
「ハッ、すべて完璧であります。」
「なら出発だ。」
「御意」
エルの乗った馬車がついに中立都市スペスへ出発する。これから約一週間の旅である。思えば長いようで短…いや、長かった。
(あー、ようやくスペスに行けるのか。疲れたー。…ほんと王都によく住もうと思えるな。俺には無理だ。)
本屋が大きいのはとてつもなく羨ましい。ただそれを抜きにしてもデメリットの方がでかい。貴族であることが逆に枷になるとは思わなかった。いっそ平民であったならば楽しいのだろう。
エルは王都の町並みを馬車の中から眺める。
これから数年は帰ってこない。一応己の祖国でもある。しっかり目に焼き付けておこうと思う。
(さらばラーウス王国、また会う日まで。…なーんてな、柄でもない。)
エルは小説で読んだ一節を心の中で復唱する。何となくそういった気分だったのだ。だが己はキラキラと輝く英雄などではない。むしろその逆、生きる意味を見出せない生ける屍。誰でもいいから答えを教えてほしい、納得できる答えを。
王都を出発してからは特にトラブルらしいトラブルもない順調な旅だった。ようやく待ちに待ったスペスに到着したのだ。
(ここにアイリス姉上とランデス兄上が居るのか。…できれば会いたくないな。)
彼らはコークスほどは直接虐めてこなかったが、それでも邪魔者のような空気感は出していた。だからこそ会いたくないという気持ちは大きかった。
だが、アイリス姉上とは会いそうな気がする。同じ学院に在学するのだ、すれ違うこともあるだろう。
スペスに到着したエルの目にまず入ってきたのは巨大な建造物――ウィンクルム。ありとあらゆる技術が結集されてできた建物である。
(でっか。授業では習ったけど、こんなにでかいのか。)
エルはものすごい衝撃を受けていた。王都で王城を見たが、それに負けず劣らず大きい。そして各国が協力して作ったというのも信じられない。
(あそこに評議員どもが居るのか。確か大使館も入ってるんだっけ?)
馬車が門で止まり、エクスが衛兵とやり取りをしているのが見える。
(スペスは貴族の特権が効きにくいからなぁ。もしかしたら馬車の中を見せろとか言われてるのかもな。)
中立都市は七大国が協力して作りあげた。そのためどの国も強い力を持ちすぎないように抑制された。その結果、貴族の権力も相対的に弱まったのだ。
(あっ、通された。許されたのか?)
エルを乗せた馬車が高級住宅街へと向かっていく。明らかにそこらの家とはレベルが違う。きっと貴族の家で間違いないだろう。彼らは見栄を張るのが生きがいのようなものだから。
(これは同じ国で固まってるのか?)
エルが疑問を抱くも、馬車がひときわ大きな屋敷の前で止まる。
「コンコン」
「エルグランド様、屋敷に到着いたしました。」
「ガチャ」
「ご苦労。」
久々の空気が身体に染みわたる。長時間馬車に居ると空気がこもってしんどい。
「こちらが当家の屋敷です。それと本屋敷を管理している…」
「イニと申します。よろしくお願いいたします。」
かなり年配のお婆さんがお辞儀してくる。その後ろにもたくさんの使用人がいるのが見える。
(…スペスはちゃんと使用人が居るのか。どうして王都は居なかったんだ?)
若干の疑問を抱きつつも、微塵もその様子を見せない。
「ああ、よろしく。」
相手が年上でも関係ない。あくまでも傲岸不遜に振舞う。大貴族の子供として舐められるわけにはいかない。
「ではエルグランド様、我々は先に学院の方に荷物を運びこんできます。」
「大丈夫か? 入学式はまだだろ?」
「すでに卒業式は済んでるので、部屋は空いてるんですよ。個室ではありませんが、エルグランド様はおそらく当家と親しい人物で固められてますので、問題ありません。」
(固められてるんだ。父上か? いや、ありがたいけど。)
個室でないのは残念だが、碌に知らない人間と同じ部屋にされるよりはマシだ。
「そうなのか、じゃ、頼む。…さっき卒業式は済んでいると言ったな? ならランデス兄上はどこにいるんだ?」
ランデスは今年卒業のはず。
「世界各国を回らせるとご当主様は仰ってましたね。」
「ふーん。」
「では行ってまいります。」
エクスが深々と礼をしてから騎士に指示を出し荷物を運んでいく。
(…父上も本気だな。…気持ちは分かるけど。)
ただランデスが同じモチベーションを受け継げるかと言われたら疑問だ。あそこまで人は強くない。
(ま、俺には関係ない。どうせ入学式まで七の日もあるしな。のんびりスペスを見て回るかな。)
とりあえず本屋へ行くのは決定事項だ。もしかしたら、いや間違いなく他国の本も置いてあるだろう。
(楽しみだ。)
屋敷に入り、エルの部屋へ案内される。
「こちらがエルグランド様のお部屋でございます。」
わざわざイニが案内してくれる。こちらとしても気を遣うので若い人に案内してもらいたい。
(大丈夫か? この婆さん。)
「それとそちらの部屋はアイリスお嬢様のお部屋です。無断で入られることのないようお願いいたします。」
「ああ、分かった。」
(アイリス姉上の部屋ねぇ。触らぬ神に祟りなしだな。)
「では失礼いたします。」
「…。」
「バフッ」
無言でベッドに飛び込む。このフカフカ加減が何とも言えないのだ。
(まだ始まってすらいないのにこの疲労度はやばいな。俺の身体は持つのだろうか?)
この先、激動の日々が待っていることをまだエルは知らない。
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