閑話1:妹、兄を見て懸念する
「比影くんのことが好きです! 付き合ってください!」
そう言って知らない女子生徒が凄まじい勢いで頭を下げた。目の前にはわたし、じゃなくて、我がお兄ちゃんである比影壮一が立ち尽くしている。妹であるわたしには分かる。アレはかなり困っているご様子だ。お兄ちゃんは何処の馬の骨とも知らない女と付き合うことはしない、けど中途半端に優しいから扱いに困ってるんだろうなあと溜息が出そうになった。音でバレるので急いで堪える。
えーと。
裏ではついに始まってたかあ。嫌だなー。もうとっちめたいなー。
わたしは後頭部が痒くなって、それがお兄ちゃんの癖であることを思い出してすぐに自分の頭から手を引っ込めた。
そもそもの話をしよう。
お兄ちゃんは結構学内で人気な方だ。
同年代の他の男の子は女嫌いだったり、或いは女子をぞんざいに扱うような言動を取りがちだ。この学校がそんなに頭が良くなくて精神年齢が低い男の子が多いというのもあるけど、それ以上に社会がそうだから仕方ない。だって20:1だよ? 世間的に結婚できる割合は10%を切っていて、世の大半は彼氏を作ることなくその人生を終える。諦めて人生のパートナーを女と見定めた人だって少なくない。
そんな中でお兄ちゃんはインドアオタクさんで、故に人とあまり関わりが無いのだ。それはマイナスに聞こえるかもしれないけど、女の子からするとプラスだったりする。だってそれは男女平等に扱ってくれると言うこと。女相手でも対等に見てくれているということ。論理が飛躍しているなあとわたしも分かってる。でも男相手でも女相手でも言動を変えないお兄ちゃんはそのへんで偏見がないんじゃないかと学内で密かに人気があったのだ。非常にムカつくけど。非常にムカつくけど!
でもお兄ちゃんは前述の通りインドアぼっちで、ある種の結界を持っていた。誰にも話しかけないし、話しかけられない。バリアーを張っていた。だから容姿端麗で頭脳明晰とかではなく、見た目はそこそこ頭脳は残念無念だとしても、校内での扱いとしては高嶺の花みたいな感じで、お兄ちゃんは充実のぼっちライフを謳歌していたわけだけども。
わたし分析によればそれが変化したのは2週間前だと思う。
お兄ちゃんが徒凪先輩と仲良くなった。きっかけはあのお兄ちゃんが。わたし以外と誰とも話そうとしなかったあのお兄ちゃんが!
そこから周囲の空気感が変わった気がする。具体的には、あれ案外行けるんじゃね? みたいな風向きに。わたしのクラスでも一時期話題になったものだ。友達とかいないから盗み聞きしただけだけど。
そんな矢先にあの事件が起きる。わたしとお兄ちゃんが襲われて、そしてお兄ちゃんが解決を手伝った事件だ。
わたしは何もしなかったのがちょっと心残りだ。
解決後、ニュースでは匿名の男子高校生が協力をしたって言っていたけど、校内ではそれはお兄ちゃんではないかという噂が流れている。勿論確証は誰も持っていない。でも普段教室から動かないお兄ちゃんがこの1週間で校内を歩き回っていたという多数の目撃情報があって、噂が噂を呼んで怪人を探していたんじゃないか? という風に変容していたらしい。そこからお兄ちゃんの人気が爆発した。
で、なんかお兄ちゃんが人気の少ない四階にある社会科準備室の廊下に足を運ぶのが見えたから着いてきてみればこれだ。目を離す隙もないったらありゃしない。
「ごめん、ええと、僕は君の思いに応えられない」
「別に私は何番でも大丈夫です!」
「そういう問題じゃないんだ」
何番でも、というのはお兄ちゃんが複数人妻を娶る前提の発言だ。実際やろうと思えばできるから困る。妹的に困ったことに出来る。はあー。掠れた溜息が出た。いけないいけない。
「僕はいま特定の相手を作る気が……って違うか。忘れてくれ」
回答になってないなと思ったけどお兄ちゃんもそれに気付いたらしい。特定の相手ってなんだろう。ちょっと引っかかったけど深く考えるほどでもないかなと思って忘れることにした。
「今は勉強が大変だから彼女だとか恋人だとか考えられないんだ。ごめん」
「そうなんだ……」
「だからその、告白自体は嬉しかったよ。ありがとう」
多分嘘だな〜と考えながらわたしは頷いた。解釈一致。体の良い方便に違いない。
それから数言交わしてお兄ちゃんはその場を離れた。わたしがこの場で観察する理由も失くしたため離れる。
それにしてもお兄ちゃんは不用心だ。不用心にすぎる。不用心大明神に違いない。
逆上されたり、或いは囲まれたりした時のことを何も考えていない。男子生徒はそれを恐れて告白やら何やら、見知らぬ異性とやりとりするときは人目があるところで完結させたがる性質があるけど、それは一種の自衛策で、社会的にも正解だ。比べてお兄ちゃんは甘すぎる、甘々の甘だよ。わたしがいない時にそうなったら貧弱虚弱なお兄ちゃんは間違いなく降参するしかない。降参したあとは想像もしたくない。
嫌な未来が浮かんで、頭を思わず振った。わたしは嫌だよそれは。
帰宅後、わたしは直談判することにした。
「お兄ちゃん、ちょっとお話があります!」
「そんな力んでどうしたの?」
「うるさい!」
「ええ……いや理不尽だろ……」
肩を竦めて、次にはやれやれと手でも振りそうな表情をするお兄ちゃんにピキりそうになったけど堪えた。
「理不尽でもなんでもないよ! お兄ちゃんは身持ちが緩すぎる!」
「身持ち?」
「異性に対して無警戒すぎってこと!」
そう言うと不思議そうな顔をした。ボルテージが上がりそうになったけど、わたしが熱くなっちゃダメだよね。お兄ちゃんは論理的に説かれなければ納得はしてくれない。感情で押すとその場では分かった顔で頷いて乗り切るタイプだ。わたしが興奮するのは違う。うん。落ち着けわたし。
「そんなことないと思うけどなあ。僕はこれでも結構気を付けてるよ。ほら、最近はこんなものも身に着けてるんだ」
お兄ちゃんはごそごそと尻ポケットから取り出した。小さなスプレー缶で、ラベルに唐辛子スプレーと印刷されている。自衛用のアイテムとしては悪くないけど……お兄ちゃんがこれを自分から買うかな。うーむ。疑問である。
「それ徒凪先輩からもらったやつでしょ」
「え、何で分かるのさ」
やっぱりだよ。ちょっとカマを掛ければすぐ真実が明るみに出た。徒凪先輩もわたしと同じくお兄ちゃんを心配して、態々渡してくれたんだろう。それはありがたいし後でお礼言っとかなきゃと思うけど、今回の直談判はお兄ちゃん自身の認識の過ちを正すのが目的だ。自衛アイテムを持ってたらハイ解決ですとはならないのだ。
「たぶん徒凪先輩が心配でくれたんだよね。それくらいお兄ちゃんは無防備無警戒、飴に釣られて路地裏に行くお子様に見えてるってことなの!」
「確かに日々四方八方を警戒してるわけじゃないけど、人並みには注意してると思うよこれでも」
「あのさ、お兄ちゃんの人並みはチワワレベルって自覚ある?」
「チワワなの僕?」
ちょっぴり、ほんのり、すこーしだけムカついたので軽く足を踏んだ。飛来した抗議の目を無視する。自己評価が低いお兄ちゃんが悪い。わたしは悪くない。自己正当化完了。
「例えばそのスプレーだって多人数に囲まれたら意味ないんだからね」
「あの、僕なんで足踏まれたの」
軽く睨んでやった。お兄ちゃんは口を噤んで、諦めるように視線を落とした。
「囲まれないように立ち回ればいいだけでしょ」
「分かってない! 何も分かってない! 立ち回るとか言って、今日だって一人であんな人気が少ない場所に行ってたじゃん!」
「見てたのか……」
意外そうに眼を見開いた。何を驚くことがあったのやら。
「ああいうの危険なの! 危ない! 十人くらい物陰から出てきたらどうするつもりなの!」
「だからと言って告白を無碍にするのも違わない?」
「手紙で断るんだよポンコツお兄!」
「ポンコツってあのね……」
何か言いたげだったけど、二秒悩んでお兄ちゃんは口を閉ざした。わたしの正論に思うところがあったのか、自制心が芽生えているといいんだけど。
溜飲を下げそうになって、わたしはふるふると頭を振って考え直す。まだ矛を収める場面じゃない。ここが攻め時だ。心を鬼にしろわたし。
「それにそのスプレーだって本当にいざって時に使えるの?」
懐から取り出された時より抱いていた疑問をわたしは呈した。お兄ちゃんは困ったように曖昧な笑みを浮かべる。ほらほらほら。やっぱりまだわたしは甘かった! これは追及して正解だ。
「あのねお兄ちゃん、それじゃ意味ないんだって! そういうシチュエーションに陥るのも駄目だけど、いざって時にちゃんと使えるアイテムじゃないと持ってても意味が無いからね!」
「抑止力には……」
「ならない! 唐辛子程度で止まると思うな乙女の心!」
「んん……? 知らない諺だ……いやないだろ絶対に」
何故か頭を捻るお兄ちゃんにわたしは頭痛が痛い。重複表現で二倍ダメージを受けている気分。
どうやらお兄ちゃんの思考回路はシュークリームの中身を砂糖と練乳に擦り替えたかの如く甘く柔いようだった。いやはや、危機感知センサーとかそういうのはないんだろうかこの兄は。幾らぼっちを極めていたとはいえこのくらいの自己防衛くらいは出来ると思っていたよわたし。これじゃ社会で生きていけない。今まで無問題で生きて来れたのが奇跡だ。生態がほぼ赤ちゃんじゃん。
呆れた目で見ているとお兄ちゃんは口を尖らせる。
「待ってくれ。僕だって実際の場面で躊躇うほど馬鹿じゃない」
「ホントー?」
「ああ。そういや最近、腹を括れば大抵のことは出来るって気付いたんだ」
と、少し自信を持った声でお兄ちゃんが言う。言ってる意味が分からない。ただ本当かどうか怪しいのだけは分かる。口先だけで誤魔化そうとしてるんじゃないかなこれ。お兄ちゃんは結構、面倒と思うと煙に巻こうとすることがある。
問い詰めても腹を割る可能性は低いだろう。普段から兄という自覚からか、わたしに弱みを見せようとすることは少ない。ただしオタク趣味や家事は除く。特に家事はわたしの領分だ。寧ろ家事炊事は一生弱みのままであってほしい。
ともかく。ここらで一度、試してみるのもありだと思う。そう考えてソファーから立ち上がる。
「そんなに言うのならテストをしてあげようじゃないか」
「テスト?」
「今から私がお兄ちゃんを襲う不審者役をします。お兄ちゃんは上手いこと躱してみてください」
「ええなに。今度はシチュエーション漫才?」
「いいから!」
強く言えば、お兄ちゃんはすんと諦めたように立ち上がった。
……それにしても不審者ってどうやるんだろう? 想像力を働かせてみる。脳裏に浮かぶのはテレビで見たナンパ師の言動だった。不審者とは違う気はしたけど、危険という意味合いでは同類項で囲えるかもしれない。まあそれでもいっか。
「もしもしそこのお兄さん。わたしと一緒にこれからお茶しませんか?」
「あ、そういう古典的な感じなんだ」
「茶化さない!」
「はい……」
真面目にやる気はあるんだろうか。睨んでみる。身長差のせいで見上げる形になるのが悔しい。
気を取り直して、お兄ちゃんは口を開く。
「ごめんなさい、僕はこれから用事があるんでそれじゃ」
「まあまあ待って。良い店知ってるんですよわたし」
「いえ本当に大丈夫なので」
「わたしがお金持つので!」
「金銭じゃなくて本当に結構なんで」
そっと腕を掴んでみた。特に振り解こうとも離れようともしない。ガッカリ。減点10だよ。基本的な自衛すらできてないじゃん。
こういう人に身体的接触を許してはいけない。ボディータッチが行けると思われたら一気に攻勢を仕掛けてくるのがオチだ。でもちょっと、これってわたしもそうしなきゃダメってことだよね?
悩む時間は1秒以下だった。わたしはお兄ちゃんの今後を憂いて仕方なく指を絡ませる。身体も当てる。温もりが伝わる。でも反応したらナンパ師とは言えない。無視無視……。
「そう言わずに行きましょうよお兄さん」
「ちょっとそれはやりすぎてるんじゃ……」
「えー?」
血行が速まって胸がじんわり熱を帯びる。顔も熱い。努めてスルーしたいと考えて、でもそれは難しいみたいで。顔に出てないよねこれ。あんまり自信がないから顔を背ける。
不意に頭上に優しい感覚。撫でられたのだと気付いたのはお兄ちゃんがわたしから少し距離を取った後だった。
「無理しなくていいって。僕なら大丈夫。いざって時は逃げるさ」
「むぅ……」
心地良いと思う反面、誤魔化された気がする。たった一歳しか変わらない癖に兄貴面が激しい。近頃のお兄ちゃんはずっとこんな感じだ。それまでは能力相応にもうちょっと頼りなかった。
「でも逃げられなかったじゃん。今のナンパ」
我ながら拗ねるように言ってしまったなと思いつつ、前髪に隠れるように様子を窺う。お兄ちゃんは猫でも撫でるように手を動かしながら、滔々とした口ぶりで言った。
「そうやって沙矢から誘われたら逃げられないからね」
「……そ、そんなんじゃわたしは騙せないよ! 同じことを徒凪先輩にも言うんでしょ!」
真面目な顔をしてなんて事を言うんだろうかこの
こっちは色々耐えている部分はあるのに……ああもう、足元本気で踏んでやろうかな、なんて考えているとお兄ちゃんは難しい顔をして私を撫でる手を止め、悩むようにその手を顎に当てた。
「確かに徒凪さんに対してなら僕は言えるな、うん」
「ほらやっぱり!」
「でもこれは沙矢にしか出来ない」
そう言ってお兄ちゃんに抱きしめられる。香ってくるお兄ちゃんの匂いと、優しいポカポカが伝播してきて、クラクラしそうになった。思わず抱きしめ返そうになって、慌てて自重する。強い意志を保てわたし。この程度でへし折れる精神性ならもうわたしはお兄ちゃんを襲った挙句犯罪者としてピーポーピーポーのお世話になっているはずで、身近に血縁関係の無い異性がいるにもかかわらずプラトニックに兄妹で暮らしている忍耐心はわたしの少ない自慢である。胸を張って誇ってやる。でも仮に告白されたらすぐに頷きそうな自分に怖さもある。わたしってちょろいかも。
とかとか、思考が煮沸されてグズグズと融けかけたわたしにお兄ちゃんはそっと頭を一撫でして、そのまま離れるとソファーに座った。
「まあまあそういうことだから話は戻すけど僕なら大丈夫だよ沙矢に心配されるほど弱くないってこと」
何故か早口だった。お兄ちゃんも緊張していたんだろうかと顔色を伺うけど、朴訥とした口ぶりと連動して特に表情に揺るぎはない。ムカつく。なんか分からないけどムカつく。腸が煮えたぎってごおごお言ってる。
ストレスは溜めると身体に悪いらしい。そんな生活の知恵を思い出したわたしは心行くままお兄ちゃんの足を踏み抜いた。
兎にも角にも。
お兄ちゃんへ意識改革を促すことが想像以上にかなり難しいことをよくよく理解した。するしかなかったね。うん。お兄ちゃんは正しく優弱系男子と言った草タイプの人種で、普段は性別を盾に横暴を翳すことはない。なのに非常時は頼もしく見えるのがこれまた狡い一面なんだけど……いやいやそれだとまるでわたしがお兄ちゃんに惚れてるみたいじゃん。その話は地面に投げ捨てよう今すぐに。
軌道修正。
こうなるとわたしが一人でどうこうという領域でもない。仲間が必要だ。お兄ちゃんを守る仲間。でも背後から刺されるのは勘弁なので、信頼できる仲間がほしい。
でもわたしはぼっちだ。お兄ちゃんを揶揄できないくらいに孤独を貫いている。その理由は複数ある。人間関係を絶ってお兄ちゃんがわたしを出汁に口説かれる可能性を消したり、それでもわたし経由でお兄ちゃんにアプローチを仕掛けようとした同級生は衆人環境で悉く木端微塵に捻ったり、クラスメイトからの誘いを家事やその他お兄ちゃん関連の用事で確実に欠席したりとエトセトラ。後悔は無いけどやってしまったなあという感情はある。
悩んでもイマイチ解決策は出てこない。遮二無二悩んでも意味が無いと思ったわたしは、自身が持つ唯一無二の人脈である徒凪先輩に電話で相談してみることにした。
『比影くんですか……』
夕方という時間帯は魔法少女に勉強にと徒凪先輩は忙しいらしいけど、この日ばかりは運良く暇だったみたいだ。愛用のガラケーの発信ボタンを押せば、徒凪先輩は3コールで出てくれた。
「はい。お兄ちゃんの危機意識の低さは著しく問題です! いつか物陰で食べられちゃってもおかしくありません!」
『た、食べられ……!?』
電話越しの酷く狼狽した声を意図的に無視した。徒凪先輩は強いけど、純粋培養の天然ピュアだ。
「徒凪先輩はお兄ちゃんに自衛用に唐辛子スプレーを上げたんですよね。ありがとうございます」
『は、はい……』
「ならお兄ちゃんの貞操の脆さも知っているはずです!」
『私はその、別に比影くんがその、自分から危ない目に肩入れしそうで買ってあげちゃったと言いますか……』
モゴモゴと言いづらそうに徒凪先輩は口にする。こういうところが可愛くてずるいという考えは笑顔で隠す。電話越しだから顔見られてないけど。
重要なのはわたしと同じ気持ちを徒凪先輩も持っているということ。ウンウンと頷く。
「ほんと鈍臭くて心配ですよね!」
『ま、まあ、はい……』
「でなんですけど、それに先立ってわたし、妙案を思い付きました!」
『妙案ですか?』
「ファンクラブを作ろうと思うんです!」
『ファンクラブ……?』
徒凪先輩は斜め上から鳶に突かれたみたいな腑抜けた声で復唱した。
「お兄ちゃんを守るには沢山仲間が必要と思いまして。そこで最も都合がいいのはファンクラブなんじゃないかなと」
『なるほど……』
想像よりも乗り気じゃない気がする。まあ、ファンクラブという言葉がよくなかったかな?
「確かにお兄ちゃんが今以上に注目を浴びるのは徒凪先輩的にも不服かもしれませんが」
『不服だなんてそんな……!』
「でも身の安全の為です。仕方がないんです」
そう説明すると間が空いた。電話越しにスーッと息を静謐に吐き出す音。何を考えているのだろうと邪推を始めかけた瞬間、徒凪先輩は口を開く。
『確かに私も比影くんの側にずっといるわけにはいきませんから……それで。その話をするということは、私に何かしてほしいことがあるんでしょうか……?』
「ありがとうございます! 二つお願いがあります! まずファンクラブとして会員になってほしいんですよ」
『会員でしょうか……?』
「まあ特典とか費用とかは何一つ考えてないんですけどねー。有名無実、いえ、無名無実の肩書きですねはい」
『……分かりました。所属するだけなら構わないです』
ファンクラブを設立するとなるとブロマイドとかブロマガとか、わたしもあまり詳しくないけどそういう会員特典が必要になってくると思う。その辺は妹という立場を利用して幾らでも生産できるからわたしはかなり甘く考えている。多分どうにでもなるだろう。まあ、徒凪先輩は別に特典が欲しいわけでもないので、加入自体に特に抵抗は無いようだ。おけおけ。
「それでもう一つなんですが、じつはわたし友達がいなくて……徒凪先輩のご友人にも紹介いただけないでしょうか? 勿論入っていただく必要はなくて、宣伝だけしてもらえないかな~という下心なんですけど」
『友人……』
下手に出るように丁寧に頼んでみると、返って来たのは気まずそうな暗い返事だった。
『すみません……その観点から私が手助けできることはできません。私も比影くんと沙矢さん以外に友人はいません……』
「あっ、ええと、ごめんさい……」
そうだったんだ。完全に悪いことをしてしまったよ……。
『代わりと言ってはなんですが職場で一緒に働いている方々ならいるので、もしよければ彼女たちを紹介することならできます……けど』
「けど?」
『偏見とかではないのですが……30代、40代の方も多いので少し不安かもしれません……』
「う~~~ん、確かに」
徒凪先輩は、良い方ばかりなんですよ、とフォローするけどちょっと遅いと思う。先に懸念点を伝えられると足踏みしちゃうよ。
でも考えてみればファンクラブに年齢制限を設けるのはおかしな話だよね。それに年上の人たちの方がいざという時お兄ちゃんを守る手段が多いかもしれない。目的は見誤らない。あくまでファンクラブは手段でしかないのだ。
「わ、分かりました……お願いします」
『いいんですか……?』
「ただし! あの近巳さんとかいう人には絶対内緒でお願いします!」
『わ、分かりました……』
徒凪先輩は気圧されるように言葉を紡いだ。ちょっと失礼だったかも。しかしあの人は警戒をして、し過ぎるということない。なんたってお兄ちゃんに初対面で告白まがいな行動を取った人だ。金輪際絶対に近付けてはならないとは全わたしの総意だった。
それから二言三言交わして、徒凪先輩とは電話を切った。
取りあえず頭数は揃う見込みが出来た。でも結局、わたしや他の人では限度があるのも事実。一番はやっぱりお兄ちゃん自身にもっとちゃんとしてもらわなきゃならない。
どうすればお兄ちゃんがもっと警戒心を強めることが出来るか。悩みながらわたしはお風呂に入ることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます