エピローグ:微睡みの中で
■■■後始末2■■■
それから暫くして、今回の事態について対怪人魔法少女事務局の本局が記者会見を開いた。怪人名、ノーフェイスは活動期間6カ月の間で総計34名を殺害、33の分裂体がその人間に成り代わり通常通りの生活を演じていたらしい。
犠牲者の名前が一面に張り出される。本来ならこんなことはしなんだろうが、今回ばかりは特例なんだろうな。つい先日まで普通に生きていた人間が実は数カ月前に死んでいたとあれば、混乱は避けられない。
幸いというべきか、当然というべきか、僕が名前を知っている人間はいなかった。僕がこの世界で知っている人は徒凪さんと沙矢、あとはまあ坪河さんもその中に入るか。そのくらいだ。これでも人生最大級に人脈が広いんだけどな。
僕の通う高校に潜んでいた影響か、そのうちの12名の犠牲者は学内から出た。30%程度だ。それを受けて一週間、学校も閉鎖された。教員の気持ちを考えると、僕も心が痛い。今頃ブラック労働に勤しんでいるんだろうなとか考えて、それ以上は考えないようにする。被害者や、被害者と親しかった人の方が大変な思いをしている。
ともあれ、学級閉鎖を受けて僕と沙矢も自宅学習となった。教員からおざなりに出された大量の宿題をリビングに積んで、程々に熟している。
「お兄ちゃん~全然終わらないんだけど! 学級閉鎖でラッキー……なんて喜べるような事情じゃないけど、だからって宿題多すぎだよ!」
沙矢は両手を上げてソファーに倒れ込んだ。そのまま隣で同じように宿題を進める僕の方へ凭れ掛かってくる。
「そうだね」
「お兄ちゃん代わりにやってよ」
「いいけど内申点下がるよ?」
「お兄ちゃん学力ゴミだもんね……やっぱ自分でやる」
沙矢は態勢を持ち直してシャープペンシルを握った。その状態で止まると、僕の方を見た。
「それにしてもこれだけニュースで報じられてるなんて、本当に大変な事件だったんだよね。徒凪先輩が来てくれなければ私たちも危なかった……今でも思い出したら心臓縮みそう」
リビングのテレビは付けっぱなしで、ここ連日のニュース番組ではずっと一連の事件の記者会見や被害状況、知った顔をした専門家による事務局への批判が流れている。事務局への批判はしても魔法少女への批判が無い辺りは最低限の倫理観があるようで、僕としては少し安心した。だからと言って未成年の少女を戦場に連れ出すのを肯定する口実には決してならないが。
まあ日本という国は新しい物好きだ。既に解決されている以上はあと数日もすれば別の事件が起きて、この事件の話題は下火になり徐々に忘れ去られていくだろう。匿名民間協力者の男子高校生としてテレビで報じられ、顔も名前も出ていないのにネットでは何故か注目を浴びる僕としては早く情報の波に埋もれて欲しいと思った。
「ところでさ、お兄ちゃん。この協力者ってお兄ちゃんのことだよね?」
スマホを徐に見ていた沙矢から唐突に画面を見せられた。SNSのトレンドだ。『男子高校生が事件解決に協力とかそれなんてアニメw』『平成の男子高校生ってすごいんだなああ』みたいな毒にも薬にもならない投稿が関連して表示されている。
そういや、沙矢には僕が協力したことはあまり話していない。或る程度は近巳さんから現場の事情聴取をされたとは言ったけど、それ以上に関しては告げなかった。沙矢自身も事務局へ行った時、徒凪さんから事件について口外しないようにとしか言われていないみたいで、ならば僕がカミングアウトして不安がらせるのも違う気がする。沙矢は徒凪さんが家に泊ったことも、一度狙われたら再度狙われる可能性があるからその護衛として、くらいにしか思ってなかったらしいし。
「僕の腕見てよ。これで協力できると思う?」
力こぶを作ってみる。全く盛り上がらない。二日前から筋トレや有酸素運動を始めたばかりの僕の身体は依然として軟弱だった。
「ちょっと……! お兄ちゃんそういうの恥ずかしいから止めてよね……! ビッチじゃないんだから!」
沙矢はそわそわしながら僕から距離を取った。ヤバい。分からないぞ。沙矢のことが理解できない。もしかしてこの程度のことでセクシャルアピールになってしまうんだろうか。でもビッチ呼ばわりは普通に嫌だ。些細なことまで気を付けないといけないなんて、相変わらず僕にとっては生きづらい世界である。
「ごめんごめん」
「もう……そうやって誤魔化しても妹の私には分かるんだからね! やっぱり協力者ってお兄ちゃんでしょ!」
「まあ……そうだけども」
仕方なく肯定した。妹だし、僕と同じく巻き込まれてるし、これだけしつこく聞かれるくらいなら伝えていいかという判断だった。諦めともいう。
沙矢はやっぱりという顔をして、溜息を吐いた。
「最近のお兄ちゃんを見てるとやりかねないと思ったけどね……危ないことは止めてよ?」
「それ徒凪さんにも言われたんだけど、女子で流行ってるの?」
「お兄ちゃんってこうでも言わないと知らないところで野垂れ死にしんでそうだから」
酷い偏見だ。僕はそんなに世渡り下手じゃない。上手くも無いが、20歳を超えても普通に一人で生きてきた実績はあるんだぞ。フリーターだけどさ。
「大丈夫だよ。僕は基本的に奥手でインドアだ。家からあんまり出ないし、友達だって徒凪さん以外にいないし、あんなことが無い限りはもう首を突っ込まないよ」
「それはそれで問題というか、ああでも、男だから大丈夫かな……寧ろそういう人が好きな女の子多いし……でもそれはそれで新たな問題の始まりと言うか……」
小さい声で呟くとなんか悩み始めた。僕の恋愛事情を慮っているらしい。歴一週間の妹に相手の心配をされるなんて、何とも言えない気持ちになる。
宿題そっちのけで何か物凄い勢いでスマホで検索してる沙矢を微妙な感情で眺めていると、インターホンが鳴った。僕に心当たりがあったので、駆け出そうとする沙矢を落ち着かせた後、インターホンの画面を見て、徒凪さんだった。土日をこの家で泊まり込んでいた徒凪さんは事件が解決した翌日に荷物を纏めて自分の家に帰っていた。
玄関のドアを開けると私服の徒凪さんが紙袋を持って立っている。
「あ、こんにちわ比影くん……三日ぶりですね」
「徒凪さん、どうぞどうぞ上がってよ」
「その前にこれ、詰まらないものですが」
さっと紙袋を渡される。持った感じ結構重い。かなり量があるみたいだ。
やっぱり徒凪さんは道義的にしっかりしてる。でも徒凪さんは命の恩人だ。こういう手土産は渡されるだけ心苦しい。
「徒凪さん、次からはこういうのは要らないからね」
そう言うと徒凪さんは言い忘れたという顔をして自分の後頭部に手を当てた。
「いえ……私じゃないんです」
「え?」
「私が比影くんの家に行くと聞いた所長や事務局の職員の方々が持っていけと……」
なるほど。徒凪さんはまたお使いを頼まれているらしい。それならまあ、ありがたく受け取っておこうと思う。
「因みに中身って知ってたり?」
「燻製のお肉とか、お菓子とか、ジュースとか……その他にも色々ありましたよ。男子高校生の好物が分からないから取りあえず色んなものを入れてみようとかで」
「雑だなぁ……いや有難いんだけどね」
「因みに所長はタバコを入れようとしていました。その、他の職員が検品した時に発覚して取り除かれましたので、今は無いですけど……」
「なにやってるんだあの人」
突拍子の無いことが頭に浮かぶ。未成年にタバコの味を覚えさせて、光源氏計画でもやろうとか考えてないよな。いや流石に考え過ぎか。多分近巳さんからすれば善意だったんだろう。でも法律は守って欲しい。公人としても一社会人としても。
■■■この世界で夢に浸る■■■
取りあえずお土産は台所に放置した。色んな物が入っているらしいから、後で服袋気分で取り出してみようと思いながら、僕は徒凪さんを自分の部屋に招いた。
数分を置いて徒凪さんは僕の部屋へとやってきた。ベッドに座るように案内する。
「比影くん。忙しい中時間作ってくれて、今日はありがとうございます……」
「いや全然、むしろ僕の方こそ来てくれてありがとうね」
「そんなこと、そんなことないですよ……」
なんでか謙遜する徒凪さんへとお茶の入ったコップを渡す。徒凪さんは受け取って口を尖らせてずずずと啜った。
「あの……昨日なんですけど、坪河さんと話し合いました」
「うん」
「和解はなんとか出来ました」
「そっか。それは良かった」
穏やかな表情を零しながら戦慄かせる徒凪さんに、僕の顔も綻ぶ。
結局坪河さんと徒凪さんとの対立は怪人のせいということになった。なったというか、9割方は事実なのだが、残りの1割も怪人へと責任転嫁した形だ。
「坪河さんからは謝られました……操られていたとはいえ、良くないことをしたと言われて」
徒凪さんは少し声音を落とした。相槌をすると話を続ける。
「坪河さんは事件が起きた当初、その、私のことをは恨んでいたそうです。私があんなことを言った後でも我慢をしていた、と言っていました。でも今回の騒動でタガが外れて、私のことを憎らしく感じるようになったみたいです」
「なんというか……難しいね。改めて聞くようで悪いけど部外者の僕に話して良い内容なの?」
「はい……比影くんにはお世話になりましたし、それに……」
一回言葉を区切るように息を吸った。
「比影くんのことは信頼していますから」
「……ありがとう」
僕は徒凪さんの顔が見れなくなった。顔が熱い。純度100%の好意、もちろん友情的な意味合い、をぶつけられるとアラサーに踏み出した僕からすれば非常に眩しいもので。青春って実在するんだな。年甲斐もなくそう思った。
「それで徒凪さんは許したんだ」
「一発頬に入れた後に……はい、水に流しました」
「意外とやるね」
「比影くんほどじゃないですよ」
少し不満げに目を細める。僕を咎めるような視線に頭が痒くなった。
「ま、まあ万事解決っていうならよかったよ」
「比影くんのおかげです」
「徒凪さんの自助努力のおかげだよ」
今度は深いため息を吐かれた。とんでもない失言をした気になる。何も言ってないよな僕。うん、何も言ってない。
ともかくこれで徒凪さんのいじめ問題も解決。一挙両得だ。肩の荷が少し降りた。
そう思っていると、ふと心の中で残っていた疑問が溢れてきた。
「そうだ、聞きたい事があるんだけどいいかな。話したくなければ無理には聞かないんだけど」
「比影くんならその、何でも聞いてくれて……大丈夫ですよ?」
小首を傾げる徒凪さんに僕は頷く。少し言いづらいけど、何でもということなら聞いてみるだけ聞いてみよう。
「坪河さんの一件で、徒凪さんはどうして母親を庇ったの?」
徒凪さんの母親は父親を刺した。その事実だけは知っているが、顛末を僕は知らない。
徒凪さん一瞬、少し残念そうな表情を見せたのちに、慎重な素振りで口を開く。
「私の父は一年に一回も家にいないような人でした。そんな父を母は愛していました……でも父は母に対して何も愛情を与えなかった。その母の愛情を間近で見ていた私からは、凶行に及んだとは言え、母が全て悪いとは思えなかったんです……」
僕が思うよりも重い事情だった。考えてみれば当然だ。徒凪さんの父親が何人もの妻を持つ、いわゆるハーレムを形成していたのは知っている。しかし現実として全員と平等に家族の時間を作れるかと言えばそうでもなかっただろう。最初はそういう気概があったとしても、いずれは一緒に居て過ごしやすいお気に入りの妻と共にする時間が増えて、徒凪さんの母親は選ばれなかった。そうして愛情が拗れて愛憎相半ばになって、殺意に転じた。
軽い気持ちで聞いてしまった自分が恥ずかしくなった。こういう感性のズレは嫌になる。対人経験が欠如しているせいで僕は人を慮ることが得意じゃない。2013年に来て、私生活で人との関わりが増えたから他人に気を遣うことも慣れて居た気分になっていた。初心に戻ろう。僕はコミュニケーション能力を部分的に欠如している。
「そうだったんだ……。ごめん、嫌なことを聞いちゃったね」
「もう数カ月前に自分の中で整理が付いたことなので……それに、比影くんに話すのは苦しくないです」
綺麗な顔で笑う。青みを帯びた銀色の長い髪が揺れた。
「それは嬉しいね」
「……その代わりに一つだけ、良ければお願いしてもいいでしょうか」
「うん。なんでも言ってみて」
脊髄反射で僕は返答した。この世界で男がこういう事を言うのは良くないらしいけど、徒凪さんなら変なことにならないという信頼がある。
「膝枕、してくれませんか?」
「いいけど硬いよ?」
「それでいいんです」
思わず聞き返すと真面目ぶった声で頷いた。普通膝枕って女の子がやるイメージがあるんだけど……この世界ではそれも反対なんだろうか。それとも徒凪さんは少し天然なだけの可能性もある。僕としてはこれ以上この世界に失望したくないので後者を支持したい。
僕としては膝枕をするくらい訳はない。
自分の座る横をぽんぽんと叩いた。僕はそこに座ると、自分の服を整えた後に失礼しますと凭れ掛かって、膝の上に頭を置いた。
「重く……ないですか?」
「軽い軽い」
「よかった……です」
僕はここで重いと反芻するほど女心が分からない朴念仁ではなかった。まあ教材はギャルゲー、ラノベ、その他各種サブカルコンテンツなのだが。
安心しきった猫みたいに徒凪さんは目を閉じた。本気で膝の上で寝ようとしているらしい。
徒凪さんの顔を見ながら考える。
今の時間は僕にとって掛け替えのない記憶になるだろう。でも、これはいつまで続くだろうか。畢竟、どれだけこの世界で人間関係を深めたとしても僕自身は別の世界の人間だ。未来の人間でもある。だからいつか、沙矢とも徒凪さんとも別れがくるだろう。そう思うと身が裂けるほど口惜しく感じる。こんな短期間で、もう僕はこの世界に大事なものを抱えてしまった。一方で元の世界には大事なものは存在しない。でも僕の矜持は当初から変わらず、元の世界に戻る術を探して恋人も学歴も資格も職歴も何も無い27歳独身男性の人生の続きを歩めと言い続けている。それが世界の道理だと、お前の人生はそこだと、そう言っている。
気持ちよさそうにすーすーと鼻息を漏らす徒凪さんの寝顔を覗いて、まあ今は考えなくていいか、そう思った。こんな顔してるけど徒凪さんは魔法少女で滅茶苦茶強い。考えると面白い。本当にアニメみたいな話だ。
今はこの夢の中で微睡んでいても罰は当たらないはずだと思う。当たってほしくないという願望が10割だけど。
ヘンテコな世界だからこそ全てが新鮮で、なにより僕の人生に無かったものがある。居るか分からない神様に出て行けと言われて、それから初めて考えるくらいでも丁度いいかもしれない。今のところは帰る気概が急激に薄れつつある。ずっといるかはともかくとして、暫くはここで暮らしてみたい。虚偽も欺瞞もない僕の正直な心情だ。
友達の寝息をBGMに、僕はポケットに突っ込んでいた英単語帳を捲り始めた。
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