20:決着と後始末
■■■呼び出し、そして■■■
僕は坪河さんに知り得る限りのことを説明した。この町で起こっている事態だ。秘密裏に人が死んでいること、その原因が怪人であること。そして坪河さん自身も怪人に精神を操作されていることを言うと、坪河さんは難しい顔をして徒凪さんを見た。今にも声を荒げて手を出そうという風に見えたが、僕の存在が重しになっているからか何とか堪えている。
坪河さんは徒凪さんを睨みながら何度か問答を繰り返し、頷いて了承してくれた。徒凪さんが絡まなければそう悪い子ではないのかもしれない。つまり怪人が全部悪い。ファンタジーが悪い。元の世界が手放しで良いわけじゃないけど、この世界よりはマシだろうと思った。
五限目と六限目は気が気じゃなかった。教科書の内容が一切脳味噌に入ってこない。学生時代の僕も毎日こんな感じで何かに気をられながら授業を受けていた気がする。ただし考えていることはもっと下らない、アニメとかゲームのことだったけど。時間と授業料をドブに投下するだけの学生時代だった。
放課後になって、僕と徒凪さんはすぐさま離席する。手筈は既に整えている。坪河さんがまず、今日は徒凪さんが図書室に居るから〆よう、という適当な嘘で二人を呼び出す。その間に僕は先行して旧体育館裏の人気が一切ない場所へ移動。特に何も出来ない役立たずな僕は大人しくスマホで現場を撮影する予定だ。傍らで徒凪さんは先日も見たゴスロリ姿の魔法少女へと事前に変身して、本棟側から姿を現す。あまりにも突貫過ぎて計画とも呼べるものではないが、現状これが最善策だろう。
本当ならもっとマシな可能性に賭けるべきだし、人命がかかるなら猶更のこと。後悔が募る。状況証拠を積み重ねた上での作戦なので強度もあまりない。でもここまで進めてしまった以上やる他ないのも事実だ。腹を決めるしかない。
僕は旧体育館裏にある茂みに先んじて足を運び、中に入ってしゃがむ。茂みから出ている身体の部位を確認しつつ、もじもじと姿勢を調整しつつ外から見えないよう隠れる。この年齢になって小学生のかくれんぼみたいなことを真面目にやると思わなかった。最後にやったのは幼稚園の頃だったような気がするけど、その割には自分でも上手く隠れられた気がする。
更に目の前の茂みを少々掻き分ける。スマホのカメラレンズ程度の穴を作って、カメラアプリを起動する。上手く穴に合わせてスマホを持つのは疲れるが、大きな支障はない。
「比影くん……なんて格好してるんですか」
声がして振り向くと徒凪さんがいた。既に魔法少女姿で、度し難いものを見るかのようにジトリと目線を送る。自分の姿を見返して、言われても当然だなと納得。茂みに隠れることを最優先にした今の僕はとても間抜けな姿勢を維持していた。海外のパパラッチでもここまでしないだろうという自信がある。何に張り合ってるんだ僕は。
「気にしないでほしい」
「分かりました……私もこの辺りで待機しますね」
そういうと僕の横にしゃがみ込む。本当に気にしないことにしたらしい。ありがたいけど納得するんだ。
夏のさざめきが耳朶を打つ。妙に神経が尖るのはこの後を考えてのことだった。失敗すればどうなるか。多分どうにもならないだろう。今この場で失敗して何か直接的に被害が出る可能性は薄い。でも長期的に見れば非常に厄介なことになる予測は容易に立てることが出来る。失敗はしたくない。
そうだと思い僕は電話を掛ける。相手は近巳さんだ。とても今更過ぎるがあの人にも状況を連携した方がいいだろうと思う。
1コール目。2コールで出た。
開口一番に僕は言う。
「これから怪人を罠にかけて引きずり出そうと思います」
『ちょ、ちょっと待ってくれない? 何の話よ?』
困ったように近巳さんは話の流れを修正する。そう言えば坪河さんの件も含めて僕は何も近巳さんに連絡をしていない。
時計をチラリと確認する。あと5分もしない内に坪河さんは取り巻きを連れてここへ来るだろう。しまったな。僕の仕事の出来ない面が、久しぶりに顔を出してきては挨拶してきた。もっと早くに専門家を頼るべきだったし、独断専行してしまったなと一抹の後悔。でも後悔する時間も惜しいので3秒で済ませる。頭を整理して3秒が過ぎた。ここから僕はいつも通りだ。
「僕の同級生が怪人の本体である可能性があります」
『そのためにその、坪河さんでしたっけ。その子を確認するって言うのはユメノちゃんから聞いたわよ』
ふと僕は視線を横にやる。徒凪さんも会話を聞いているみたいで、左目でウインクした。やはり僕と違い徒凪さんは優秀みたいだ。
「はい。結果的に彼女は人間でしたが、感情を操られていた可能性があります。彼女の取り巻きが怪しいので、これから確認します」
『そう、分かったわ。本体がそこにいる可能性もあるということね。一応他エリアにいる魔法少女も向かわせるわ』
そう言って通話が途切れる。今の一瞬でそこまで文脈を読み取れるとは、近巳さんも優秀らしい。沙矢も地味に勉強は出来る。
僕だけが凡庸である劣等感に苛まれそうだ、なんて冗談交じりで考え始めた時、坪河さんが二人を連れてやってくるのが見えた。
徒凪さんの名前を小声で呼ぶと、小さく頷く。ここからは秒以下の判断が問われる戦いだ。徒凪さんは僕から離れ、旧体育館裏でも本棟側へとゆっくり足を進めた。坪河さんと他二人は僕のいる場所を通り過ぎて校門側へと行く。
「遅くないアイツ、いつくるんだよ」
「呼び出しはしたわ、図書室で寝てんじゃないの?」
「ふーん」
坪河さんは大した度胸で、恐らく普段通りの会話をスワンプマンと続けている。いや、実際スワンプマンとはそういうもんだ。話しても接しても本人と何ら変わらない、だからこそ坪河さんも自然体でいられるのだろう。とはいえ危険なことには間違いない。
僕は予定通りカメラを起動して証跡を残そうと考えたが、怪人が逃げる可能性を考えて坪河さんが今いる位置より更に校門寄りに陣取ることにした。ずりずりと不格好な動き方だが、幸い夏場であることや旧体育館付近はあまり管理されていないことから茂みが高い。僕は二人に気付かれることなく移動に成功した。
移動してから単眼望遠鏡を構える。スワンプマン発見器。ドン・キホーテで売ってそうな安っぽいネーミングにガッカリしつつ二人のマナを確認。片方は茶色がかった赤、片方は薄いピンク。人間である可能性は少々減ったが確証とは言えない。全く使えないアイテムだ。僕は懐にしまった。
「ごめん、私ちょっとトイレ行ってくるわ」
「おけー」
「来たら取っちめといて」
計画通り坪河さんが適当な理由を付けてその場を後にしようとしている。これは合図だ。坪河さんが旧体育館の曲がり角を後にして、姿が確認できなくなった瞬間徒凪さんが姿を現す。ついでに、あの二人が例え人間だったとしてもちょっとした擦り傷にしかならない程度の加減した軽い攻撃を放つ予定だ。攻撃されて無反応ということはないだろう。特にそれが天敵からのものであれば。
二人が特に会話することもなく佇む中、坪河さんが角を曲がる。見えなくなった。10秒ほどして、徒凪さんが茂みから姿を現す。僕は目を細めた。瞬きをするな。変化を見逃すな。自分に圧を掛けた。
「徒凪……! お前ずっとそこにいたの……!?」
一人は激昂するように反応を見せた。勘だがこいつは違う。スワンプマンか人間かは分からないが。
もう一方は怪しい。何も反応を見せていない。能面だ。完全な無表情。怪しいな。怪しいぞ。だがまだ判断には早い気がする。
「なんとか言ったらどうなんだよ!」
仕事モードに入った徒凪さんは荒い言動に動じず、懐から出したステッキのようなものを振りかざす。星が線上に走り、完成した刹那、その中央から細長く白い光線が弾け出された。これも魔法か。凄いな魔法。
2つの線が伸びる。そのまま二人の制服、胸辺りを貫こうとする。本当に怪我で収まる程度の攻撃なんだよな、と一瞬勘繰りかけるが気を取り直した。僕は徒凪さんのことを信じている。
片方が貫かれて、片方がステップして避けた。避けたのは無表情の方だ。これはもう黒でいいだろう。
貫かれた方は光線を受けた場所から黒い光の粒子を垂れ流して輪郭がどろりと歪む。こっちはスワンプマンか。人間に化けているものを始めて見たけど、原始的な恐怖感がある。SAN値が削れそうだ。
僕はスマホで撮影しつつ、唯一出来ることとしてせめて思考だけでも働かせる。僕がこの怪人であったならば次に打つ手はなんだ。真正面から戦うだろうか。いやそんなことは決してしないだろう。この怪人はどちらかというと搦め手を好む気がする。徒凪さんを精神的に追い込もうだなんてまるで人間の気持ちが分かるような選択をしている時点で、賢いのは明確だ。臆病で慎重という印象は薄れつつあるが、それでも合理的行動を取りたがる怪人に違いない。
そうなると戦わないのがこの怪人の最善手となる。つまり逃げる。どちらに。多分徒凪さんがいる場所と反対方向、校門方面へだ。宙に浮いて逃げるとか虚空にワームホールを作るとか、そういう超自然的な可能性も脳裏を過ったが思考が鈍るので無視した。もしそうされても僕は対策を取れないから考えるだけ時間の無駄だ。
怪人と確定した女子高生は命の危機を感じたのか、自身の身体から彩度をみるみる落とし、黒く泥のように全身を崩落させる。そのままスーッと水が地面を這うように校舎方面へと逃げ出す。昔見たターミネーターに出てくる敵役の流体金属みたいだ。馬鹿らしくなる。本当に嫌な世界だ。
徒凪さんが今度は太い光線を放ったのを横目で確認する。家の柱程度の直径を持った光線は地面を這う怪人の一部を消し飛ばすが、残りの泥は止まらず進む。
不味いな。あと10秒もしない内に徒凪さんの攻撃範囲から逃れるペースだ。まさか流体になるとは思いもしなかった僕の想像力不足だ。
僕はスマホを投げ捨てて茂みから出る。泥の先頭集団が僕の真横を通ろうとする。
考えろ。考えるんだ僕。この生命体は何処を突けば殺すことが出来る。まさか生命エネルギーが全体に宿っているから全てを同時に消滅させない限り死なない、なんてことはないと信じたいが。
ハッと僕は弾かれたように懐から役立たずの単眼望遠鏡を手にした。目の前に迫る泥の集合体を視る。
「比影くん……!」
「最後尾から1メートルくらいの箇所、そこを中心に撃ってくれ!」
何故名前を呼ばれたのか分からないまま、反射的に大声で叫んだ。マナがその辺りに集中している。コア、というものがRPGゲームみたいに存在するかは分からないが、きっとここが怪人の心臓だ。理屈も後付けだが思いついた。怪人はマナで構成されている。ならマナが集中している部分は重要器官であるはずだ。予想と願望が重なった考察だったが、今はこの仮説に全賭けする他ない。先頭集団の泥が足元を蠢く姿を瞼に焼き付け、僕は目を瞑り後は徒凪さんへ任せる。
徒凪さんの返事は砲撃だった。先程までと違い鋭く早い砲撃は、正確無比に僕が言及した怪人の一部分を消し飛ばした。それで終わりだった。黒い粒子が空気中へ発散し、怪人は最初からいなかったかの如く消え去った。
■■■後始末1■■■
終わってみて気付いたが、僕の心臓の鼓動が鳴り止まない。バクバクと鼓動を刻み、全身に物凄い勢いで血液を循環させようとしている。さっきまではアドレナリンが分泌されていたから分からなかった。僕は緊張と興奮で地面に手を突いた。
「比影くん……! 大丈夫ですか……!?」
徒凪さんが魔法少女の装いのまま僕へと駆け付ける。その光景を目にしたときにもう一方の怒りを露わにしていたスワンプマンがいなくなっていることを知った。逃げた訳じゃないなと思う。多分本体がやられたから分裂体も消えたのだ。考えて頭痛がしそうになった。これから一悶着どころか、とんでもない騒ぎになる。
「うん、何とかね」
「怪我は……何か変なところは!」
「問題無いよ問題ない、僕は何もされてないからね」
そう言うとほっとした表情を浮かべて、すぐに般若の如く顔を歪ませる。徒凪さんでもこういう顔をするんだ。漠然と僕は思った。
「危ないことはしない約束です……!」
「そんな約束したっけ?」
「危険なことは私がやりますと言いました!」
力強く言い切った。確かにそんなことを言われた気もする。
「じゃあ次からお願いするよ」
「……段々比影くんのことを分かってきた気がします。そうやってはぐらかすんですね」
「そんなことはないって」
「そんなことはない、ですか」
半開きの目でオウム返しをされる。僕は顔を逸らした。徒凪さんが僕の顔を両手で掴んで、視線を無理矢理合わせようとする。
「あの……不安だったんです」
「それはなんというか……ごめん」
「2度としないでください……!」
怒っていたかと思えば哀しそうに目尻を下げている。本気で僕を心配しているらしく、何だか僕自身は普通に冷静だからか罪悪感すら覚えそうだ。ここまで心配されたのは何十年ぶりだろう。多分凄い小さい頃じゃないかと思う。まさか成人して数年経ってから、泣かれる一歩手前まで心配を掛けるなんて。
「ありがとう」
「なにが……ですか!」
「いや、何となくだよ」
僕は立ち上がると、徒凪さんの手を取った。とにかくこれで物騒な事件は解決。めでたしめでたし。これで僕たちは日常に戻れた訳である。
と、綺麗に物事を畳めることが出来れば良かったものの、そうは問屋が卸さない。
まず僕はその後二駅隣にある事務局に呼ばれて赴いた。魔法少女の拠点とされている施設だ。
そこにはこの前行った時と違って、職員と見られる人間が何人もいた。全員がスーツやオフィスカジュアルな姿で、皆が皆、僕をよくやったと声を掛けて背中を叩かれた。何が何やら、訳が分からない。
僕を呼び出した近巳さんは所長室に居た。煙草を手に持ち、灰皿にトントンと落としている最中だった。高そうな机の上にはタバコの箱が1カートン置かれている。
僕の顔を見ると、一度息を付いて口を開く。
「……あのね、独断で行動しすぎです」
「すみませんでした」
何も言い返せる言葉が無い。社会人の経験はある癖して、緊急事態だからとすっぱり報連相を忘れてしまったのだから。
軽い自己嫌悪をしていると、ふう、と近巳さんが胸を下ろすような声。
「でも事態の早期終息が出来たのは比影くん、紛れもなく貴方のお陰でもある。本当にありがとうございました」
近巳さんは立ち上がると頭を下げた。こんなちゃんとした人にお礼を言われた経験は無いな。慌てそうになる心を諫める。
「僕は大したことをやっていません。徒凪さんの力によるものです。全て片付いたら徒凪さんの評価を上げていただければ、僕からは何も言うことは無いです」
「人格者の管理職みたいなことを言うのね」
ちょっとだけギクリとして、いやいやギクリとする要素は無かっただろと自分に突っ込む。僕は社会人経験はあれど管理職になったことはなければ人格者でもない。
「心配しなくてもユメノちゃんの評価は高いわ。元々日本全体でもエース級の魔法少女だもの、この活躍で知名度的にもトップに躍り出るんじゃないかしら」
「そんなに凄いんですか?」
聞き返すと不思議そうな目をされる。
「本人から聞いてなかったの? まあユメノちゃんは言わないか。そうよ、以前から実力が抜きんでている子で事務局としても非常に助かってるのよ。今回ばかりは毛色が違い過ぎて苦戦どころの騒ぎじゃなかったけどね」
近巳さんは優しい顔でタバコを灰皿に押し付ける。エース級魔法少女かあ。意外に凄い肩書きを持っていたのか。しかも頭も良い。顔も良い。全く、僕の友人は誇らしい逸材だな。
「貴方にも報奨金が出るわ。100万程度と微々たる額なのが心苦しいけど、学生からすれば大金かしら?」
「はい。失業した後も7ヶ月くらいは無職で食い繋げますね」
「……本当に学生よね?」
汗顔になりそうなところを誤魔化すように大いに頷いた。27歳の僕からしても100万円は大金だ。ヒント、非正規雇用はボーナスが出ない。後はお察しの通りである
「ところで話は変わるんですが、タバコ、解禁したんですね」
焦燥感に塗れた僕は話を変えるように目線を近巳さんの手先に向ける。近巳さんはひらひらと反対の手に持ったタバコの箱を僕に見せた。ピースだった。タール量的に随分重いタバコということだけは知っている。味は欠片も知らないが。
「美味いわよ」
「身体に障りますよ」
「吸ってなかった期間の方が障ってたわよ」
そう言ってタバコを咥えた。心無しかこの前より生き生きしている気がするのはタバコのせいか。
「私ね、あの怪人、ノーフェイスが現れた時からずっとここに缶詰めだったのよ。被害が発生してる当該地域の所長がスワンプマンになったとなれば指揮系統が終わりだったから、私だけは絶対にスワンプマンになっちゃいけなかったわけ。食糧も全部ユメノちゃんに任せきりでね」
「未成年だからタバコのお使いが頼めなかったんですね」
「ついでにお酒もね。まあまだ全然仕事が終わってないから飲めないんだけど、明日にでも浴びるように飲んでやるわ」
外に出る自由を得るって最高よ、と近巳さんは声を弾ませながら口にした。初対面からそう言った香りはあったが、随分俗的な性格のようだ。
それにあの時職員がいなかった理由も分かった。きっと事件が発覚した時点で誰がスワンプマンに成り代わられているか判断が付かなかったのだろう。職員も既に被害に遭っている可能性があったため、この事務局は半閉鎖状態になった。極端な情報統制だなあと思うと同時に、日本の公的機関がここまで大胆に組織的な行動が取れるとは驚きだ。保守的な性質がある公的機関が迅速に対応をできるのなんて自然災害時くらいなのに。でも怪人も自然災害と考えればまあ、納得か。
「ともかく、本当に助かったわ。感謝してもしきれないくらいには。当然メディアには貴方の名前は伏せて発表するから、ニュースを楽しみにしてなさい」
あんまりニュースとかそういう場所で話題にされたくないんだけどな……ただでさえ男ってだけで注目を集める世界みたいだし。
僕は、はははは、と空笑いを浮かべるに留めた。
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