19:判明して
■■■確認作業■■■
月曜日になって、僕と徒凪さんは実際に行動に移すことにした。
昼休みに坪河さんを呼び出し、スワンプマンかどうか、怪人本体じゃないか、それを確かめる。ただし方法が問題だ。
徒凪さんによれば怪我をさせれば分かるらしい。ここで言う怪我とは流血する程度のものだ。切り傷、擦り傷、刺し傷。その辺りであれば何でもいい。怪人やスワンプマンはマナで身体が構成されているため、例えば皮膚を深く切られてもその部分が削がれただけになるらしい。血が通っていないからだ。出血しないので一目で分かるとか。
他に方法も無いようで、非常に心が進まないが最終的にそういう方針になった。昼休みに坪河さんを呼び出して、僕がカッターか何か適当な鋭利なもので切り付ける。二の腕辺りが狙い目だろう。九月中旬はまだまだ夏なので誰もが半袖のYシャツを着用して過ごしている。坪河さんも例外じゃない。
坪河さんを切り付ける役に関してだが、徒凪さんは僕がやることに難色を示した。危ないことは私がやりますと言って反対したのだ。でも僕が折れずに一時間ほど話し合って、何とか丸め込んだ。
一応僕なりに二つ理由がある。
まず僕は徒凪さんを通り魔にしたくなかった。僕の願望でしかないけど、徒凪さんは純粋だから変に汚れて欲しくないと僕は思ったのだ。いずれは社会人になって汚く非倫理的な現実を知るにせよ、いつか枯れるからと言って綺麗な花を摘んでゴミ箱に捨てるような人間に僕はなりたくなかった。汚れ役は僕が被る。大人の義務だ。
二つ目は現実的な立ち位置を鑑みた時に、徒凪さんは単純に警戒されている可能性があるからだ。スワンプマンであろうが無かろうが、坪河さんは徒凪さんのことを注視しているのは間違いない。それが懐からカッターでも取り出して襲い掛かれば普通に逃げられてしまう可能性がある。徒凪さんが適任ではないのは明確だった。
僕としては一つ目の理由の方が重要だったけど、徒凪さんを説得する際に使ったのは二つ目の理由だった。恩着せがましく聞こえるのも嫌だったし、徒凪さんは僕を守るつもりでいる。それ自体は嬉しいと同時に情けなさが込み上げてくるのだが、ともあれ、感情面で説得しようとすれば徒凪さんは梃子でも実行犯役を譲らない気がした。この世界の価値観的に男は女に守られるのが当然と言うのもある。なのであくまで前提と推測に基づいて論理を以て話して、渋々了承を得たのだ。
昼休みになり、すぐさま僕は坪河さんに話しかけることにした。
「坪河さん、少し時間良いかな」
「なによ」
「ちょっと話したいことがあるんだ。着いてきてくれないかな」
教室のざわめきが増した気がする。小声だから内容は聞き取れないけど想像は付く。その実は全然違う血生臭い話題なんだけどなあ。女子高生はどの世界でもそういった話題を勘繰るのが好きらしい。
「……まあいいけど」
坪河さんは疑懼の眼差しで僕を捉えた後、間を空けて了承すると席から立った。
自分でも不器用な切り口だと思ったが、意外とすんなりと着いてきてくれるみたいだ。疑念からもう数回会話のキャッチボールを繰り返すことを想定していたのだが、準備していた言い訳は無駄になったみたいだ。
僕はこの前同様に階段を上っていく。その後ろに坪河さんも着いてくる。因みに徒凪さんもさらに離れて、僕や坪河さんが見えない場所に位置取りしながら着いてきているはずだ。
二分して階段を上がり切ると、学校の屋上手前の扉の入り口までたどり着く。何かと縁がある場所だ。僕は高校に二年程度通って一度も来なかった場所なのに、過去に戻ってからはもう三回は来ている。
僕は屋上手前のドアを目の前にして振り返ると、丁度坪河さんが階段を完全に登り切っていた。ついでに徒凪さんが階下の手すりからひょっこり顔を出していて、僕がさりげなく目配せすればコクリと頷く。バレずに着いてくるのに成功したようだ。
「それで話って何なの。私も忙しいから手早く済ませてよ」
本日の外気温は31度。クーラーの効いた室内と違い、真夏の直射日光が差し込んでいて、坪河さんも熱そうにパタパタと手で顔を仰いでいる。恐らく思考も鈍くなっていることだろう。これも多少狙っていたことである。
ふと徒凪さんを確認。徒凪さんは単眼望遠鏡の形をしたスワンプマン発見機を片目に坪河さんをねめつけていて、人差し指を一本立てた。事前に決めていたハンドサインで、坪河さんにはマナが存在することを意味する。よってスワンプマンの可能性が高い。やらない理由が消える。仕方がない。僕は覚悟を決めた。
「うん、わざわざごめんね」
「そういうのはいいから。私とアンタの関係性にそんなのはないでしょ」
気取られないよう僕は一歩ずつ坪河さんに近づいた。普段はしないような爽やかな表情を心掛ける。
「僕と坪河さんの関係って?」
「アイツを介しただけの……ちょっと近いって……!」
「介しただけの?」
話すことも特段ない僕は、オウム返しを繰り返しながら徐々に距離を詰めた。若干出来の悪いホストみたいなトークになっている気がしたが、改善する余裕は僕には無い。油断が増す分には好都合だ。不器用な自然さを醸し出しつつ坪河さんのパーソナルスペースに入る。
傍らで自分のズボンのポケットを弄った。カッターがある。カチカチとしていたらバレるかもと思い、既に中の刃は出ている状況だ。実行直前になって、本当なら採血を装って血が通っているか確認するのが最も自然なんじゃないだろうかと考えた。でもそれは出来ない。注射器は無いし、僕に大動脈を針を通す技術もない。なにより採血をするシチュエーションが無い。
坪河さんが気圧されたように後ろに下がって、このままだと階下に落ちそうなので、身体を入れ替えて横の壁に押し付けることにした。壁ドンは人生初めてだ。ごくりと音が聞こえる。犯罪的な光景だが、本当に僕は何をやってるんだろうと自己嫌悪が灯る。こんな嫌なことはさっさと終わらせるに限る。
「ごめんね」
「なにを……痛ッ! なにすんのよ!?」
僕はカッターの刃で坪河さんの皮膚、二の腕を切りつけた。あまりに唐突な痛覚に坪河さんは切られた部分を抑え、僕を盛大に睨んだ。ビビりそうな弱い気持ちを抑えて僕はカッターの刃を確認した。一思いに強めに押し敢えて刃を引いたおかげか、少し深めに入ったようだ。
肝心な結果だが、血痕は付いていた。血が流れている。つまり坪河さんは人間だ。僕はまた無意味に人を疑ってしまったのか。
でも違和感がやはり残る。坪河さんがスワンプマンじゃないと言うのは分かった。でも何かが引っかかる。この引っ掛かりが大事な気がする。何か重要なことを忘れているような、前提条件を一つ見過ごしているような感覚。
「比影くん……坪河さんは違ったんですね」
「アンタ……なに、仕返しのつもり!?」
「いえ、そんなつもりは」
遠目からスワンプマンじゃないと知った徒凪さんが姿を現す。それを見て坪河さんはより激昂するが、一方で漸く僕は引っ掛かりの元凶を思い出した。
坪河さんの取り巻き、彼女たちは誰なんだ。
「坪河さん、本当にごめん。後でちゃんと謝る。これガーゼと絆創膏と消毒液」
「な、なによ」
「急ぎで申し訳ないけど聞きたいことがあるんだ。君の取り巻き……この前はもう二人いたよね。彼女たちはどこにいるんだ?」
念のため用意していた応急手当セットを渡しつつ矢継ぎ早に詰め寄ると、坪河さんがたじろいだ。怒るに怒れない、そんな様相だ。
「比影くん、あの人たちは隣のクラスの人です……でもそれがどうかしたんですか」
「怪人は恐怖、感情を揺さぶる能力を持つって言っていたよね」
「ええ、そうですが……まさか」
「うん。坪河さんは操られていたのかもしれない。感情を媒介にして。徒凪さんへの怒りや不快感を強めて、徒凪さんへの当たりを強くした。そうだとすれば、少なくともその場面に近くにいた彼女たちはスワンプマンだ」
「いえ、成り代わりをした後の分裂体のスワンプマンは能力を2度と使えません。観測の上での今のところの傾向らしいですが……」
そうなのか。その情報は近巳さんから聞いてないぞ。あの人、まだ僕に情報を隠していたのか。或いはそれが開示できない情報だったのか。でも今は置いておこう。大事なのはこれからだ。
「じゃあどちらかがスワンプマン、つまり怪人の分裂体じゃなくて怪人本体ってことになるね」
「そうですね……でも片方は人間かもしれません」
「怪人とスワンプマンの組み合わせだと思うけど、坪河さんの例がある以上そうだね。否定ができない、現状人質を捕られたようなもんだ。可能性がある限り、例えば同時に徒凪さんの魔法で消し飛ばすとかは出来ない」
人が一人死ぬのと、解決できないことによってこれからこの怪人によって死ぬ多数の人々を天秤に乗せる。ギリギリのところで倫理的な方へと傾いた。しかし天秤に沙矢や徒凪さんが乗ったら逆転してしまう気がする。だからその未来は敢えて考えないようにした。考えてしまえば僕は人殺しを厭わないだろう。
「他に怪人を判別できる方法は?」
「無いです……でも一つだけ思い付きました」
「それは?」
「魔法少女になった私の姿を見せれば動揺するかと」
道理だ。怪人は徒凪さんをこの上なく警戒しているらしい。魔法少女の姿として対峙すれば反応の一つはあるだろう。
「でも危険だ」
「このくらい日常茶飯事です……人が死ぬのに比べれば」
途中で言葉が溶けた。思い出したくないことを思い出したのかもしれない。
「それにもし動揺をするとして、きっと一瞬だ。1秒、いや、それ以下だと思う。次の瞬間には平静を装うだろう」
「分かってます」
「間違えれば人が死ぬ。慎重に動いてもいいんじゃないかな」
「坪河さんに知られてしまった以上、それを知ってしまえば怪人は逃げるでしょう。灯台下暗しは一度見破られれば二度と出来ません。二度と本体が明るみに出ることはなくなる前に……ここで始末するしかない」
徒凪さんは冷たい目をして坪河さんを見て言った。すっと表情が抜ける。坪河さんの方を向いているが、瞳には何も映ってないように見える。きっと徒凪さんは魔法少女として怪人と相対する時、いつもこういう目をしているのだろうと考える。その結果憂鬱になった。夢も魔法も血腥いこの世界はろくでもない。
「そうだね、徒凪さんが言う通りだ。手筈はどうしようか。教室であの魔法を放つわけにもいかないし」
ごもっともと徒凪さんは首を縦に振る。
「出来る限り周囲への被害を減らしたいので……旧体育館裏に呼び出して始末するのが良いと思います」
この学校には昔使われていた旧体育館が存在する。現在は崩落の危険があるため立ち入りが禁止されているものの、付近に行くこと自体は問題ない。何よりこの学内で最も人気が少ない場所はそこだろう。
「旧体育館裏ね。ロケーションとしては悪くないと思う、問題は誰が呼ぶかだ。僕が呼んでも徒凪さんが呼んでも来ないだろう。敵は僕が思っていたより大胆だけど慎重だ」
「恋文はどうでしょう。比影くんの名前を使ってしまいますが、告白とか」
「来ないと思うよ。不審感を与えるだけじゃないかな」
そう返せばすぐにですよねと徒凪さんはため息を吐いた。言ってみただけらしい。論外な方法だけど、こういう場においては何も無いより意見が沢山出る方が望ましい。偉そうに身不相応のビジネスの話を垂れ流すコールセンター時代の同僚が言っていた。ブレインストーミングとか言ったかな。
ちらりと坪河さんを見る。僕と徒凪さんがそっちのけで話し始めたからか、怒りは霧散しているようだ。二の腕も自分で消毒して手当てしたのか、絆創膏が一枚貼られている。
「坪河さんにやってもらうのが一番だ」
「……そうかもしれません」
不承不承という声音だった。驚きが無いのは元々考えていたからだろう。ただ提案するのは嫌だった。そんなところか。なにせ徒凪さんは坪河さんのことを好ましく感じていない、まあ当然だろうけど。
坪河さんがやれば全てスマートに行く。あの二人、名前は知らないが、彼女たちを呼び出すのに最も自然な人材は彼女だけだ。場所も問題ない。徒凪さんを痛めつける目的なら、怪人としても好都合だから勇み足で来ることだろう。実際に僕が初めて遭遇した時も彼女たちはいた。今思えば徒凪さんと因縁があるのは坪河さんだけなのに、彼女たちがいるのは不自然だった。
僕と徒凪さんは、坪河さんに視線を集めた。被害者の目で睨まれる。睨まれたのは僕だけだった。
「……なによ」
「お願いしたいことがあるんだ」
「私がやると思う? この犯罪者」
案外心に来た。顧みずとも、僕の行いは傷害罪に当たる。立件することも可能だろう。27年間の人生クリーンがモットーだったからか、自分で考えるよりも傷付いた。同時にこんな思いを徒凪さんにさせなくて良かったと心底思う。
徒凪さんが一歩前へ踏み出した。
「坪河さん、比影くんはこの事態を収めるために」
「いいんだ徒凪さん」
「ですが……」
「徒凪さん」
僕を庇おうとしたんだろうけど、今そういう言動は坪河さんからすれば不快だろう。それに坪河さんが言っていることは間違いでもない。男女平等という信念を振りかざして平手打ちをしたい気持ちはあったけど、獲物で傷つけるのはやはり別の話だ。やりすぎている。具体的には内々で済むレベルを踏み越している。
不服そうな面持ちで徒凪さんは一歩下がる。
「坪河さん、僕は大義を翳すつもりはない」
「はあ?」
「今この近辺は怪人が出没していて、何人も死んでいる。それをどうにかする対策の一環で君を傷つけた。本当に申し訳ない」
「……んで、それで許されると思ってるの? キモイんだけど」
「別に許されたいわけじゃないんだよ。ただこの事態を解決するためにお願いがあります」
坪河さんは奇妙なものを見る目つきで僕を観察した。僕は一拍置いて言う。
「今この地域全員が危機に晒されている。いつどこで、誰が死んでもおかしくない状況が続いてる。だから、お願いします。僕のためでも徒凪さんのためでもなく、坪河さんの大事な人のために協力してくれませんか?」
地べたに手を付いて、僕は頭を下げる。土下座だ。
27年生きてきて、初めて土下座をして知った。思っていたよりも僕の土下座は安い。人の命のためなら土下座くらい幾らでも安くなるかと考えたが、違う気がする。僕は世のため人のために動ける人間じゃない。もしそうだったならばもっとマシな人生を歩んでいたはずで、ああ、多分大人だからだろうなと思った。周りが子供ばかりで僕だけ大人だから、僕が何とかしないといけないというどうしようもない使命感が生じた。きっと僕を地面へと突き動かした根幹はそれだ。それに逆らえば後悔する。後悔はもう沢山だ。
ここで沙矢のためだとか徒凪さんのためだとか言えれば随分と恰好が付いたんだろうけど、等身大の僕はこんなもんだった。聖人君主じゃない。でも自分をフラットに見れるのは良いことだとも考える。何故なら自分を過剰に評価して良かったことが社会に出る前も出た後も一度も無いからだ。
「顔、上げなさいよ」
一分程度して、そんな言葉を投げかけられる。僕が見上げると、坪河さんは気まずそうに僕を見ていた。
「ホントムカつく。こんな光景見られたら私がアンタを虐めてるって言われて退学させられるんだけど」
そう言われてからこの世界が男に対して社会的に手厚いことを思い出した。印象操作なんて僕は狙ってなかったのだが、意図せずそうなってしまったのならそれは良くないことだ。
「ごめん。自分のことしか考えずに坪河さんの事情を全く鑑みてなかった、反省するよ」
「アンタ変だよね。そんなことで謝る必要ないのに」
「普通だよ。だから坪河さんに土下座することでしかお願いをできない」
「普通、そこで土下座なんて出来ないししない。ましてや男なら」
そうは言われても、僕はこの世界の男じゃないからしょうがない。価値観が違うのは至極当然だ。
坪河さんは茶色に染めた長い前髪をクルクルと回しながら目を閉じた。五秒くらいして、目を見開く。
「良く分からないから……話を聞かせてよ」
徒凪さんに目配せをした。徒凪さんは頷く。僕の持つ情報程度ならご自由に、という意味合いだろう。
「勿論話すさ。僕の知る全てを」
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