17:泊まり込み


■■■ショッピング■■■


 ビルを出た僕たちは、沙矢の強い意志により近くにあるショッピング施設で服を見ていた。

 相変わらず沙矢は僕の手を握っている。あれから数時間経ったとはいえ恐怖は未だに身体に纏わりついているようで、左見右見と頻繁に辺りの様子を窺っている。沙矢にはスワンプマンのことは話していないとのことだったが、まるで警戒心の強い子猫の仕草だ。事情が事情だから微笑ましくはならない。


 徒凪さんも着いてきた。護衛ということらしい。勿論怪人の反応があれば現場へ直行するからずっと一緒という訳でもないけど、出来る限り僕と一緒に居ることを近巳さんから申し付けられているらしい。それも僕と沙矢がスワンプマンにならないためとあれば拒否する理由もない。


 近巳さんの依頼に首を縦に振った僕だが、その後も色々と聞かされた。協力者という立場ならばある程度情報規制を緩くできるそうだ。ただし深い内情は知ることは出来なかった。それこそ徒凪さんが怪人の出現を察知している手段がその一つだ。僕の想像だけど近巳さんが度々口にしていたマナという概念が関係している気がする。マナを利用したファンタジー的な広域警戒網とかあるんだろうなと思った。よもや僕の知っている2013年の日本よりもテクノロジーが進んでいる可能性すらある。まあ、それが外敵への対抗策による技術的ブレイクスルーを経たものだとしたら手放しで喜べるものじゃないな。戦争で科学技術が発展した虚しさに近い。でもまだ相手が人間じゃない分マシではあるか。


「お兄ちゃん、これとかどうかな?」


 カシャンと音を立てて女性服を手に取る。ロング丈の深緑のサロペットを見て、少し大人っぽいなと思った。あとここが女性向けの服屋であることも再度思い出した。思考に潜って忘れようとしていたのに思い出してしまった。服屋というだけで僕からすれば立ち入りづらいのだが、女性用ともなれば非常に居心地が悪い。少なくともこの場所は僕の知ってる世界のそれと同じ空気が流れていた。とはいえノスタルジーは無い。


 僕の手を放して沙矢は服を自分の身体に当てた。感想を求められているらしい。よりにもよってファッションにはこの上なく疎い僕にだ。

 結局こういう時、僕の参考資料はアニメとギャルゲと漫画とラノベくらいしかない。自分の年齢を顧みて情けなくなる。


「清楚感があって可愛いんじゃないかな、うん、似合うと思うよ。瞳の色と同じだ」


 沙矢の瞳はもっと明るい、ライトグリーンだけど。

 そう思って円らな目を見ていると羞恥を隠すみたいに顔を伏せて、サッと買い物籠へと入れた。そんなに上手い感想を言えた自信はないんだが。


「あの……普段からそういうことされるんですか?」


 今の言葉に気になる点でもあるのか、僕の耳に顔を近づけると徒凪さんが小声で言う。息が掛かって耳元が擽ったいけど、僕がそれを言ったらセクハラに該当するような気がするので可能な限り意識を外に逸らすことにした。

 それにしても、僕の発言におかしな点があっただろうか?


「ええと、そうだなあ。なんというか。別に意識的に言ってる訳ではないんだけどね」


 極めて曖昧な返事に終始した自覚があったのだが、何故か徒凪さんは動きを止めて口を半開きにした。本当に何だって言うんだ。


 それから二時間近く僕は沙矢のショッピングに付き合わされた。女子の買い物は長いと言うけど、世界が違えどそれは変わらないらしい。時折僕に服の感想を求めては気になったものをカゴに入れていった。


 しかし試着する時にちょっとした一悶着が起きた。沙矢が試着室に僕を連れ込もうとしたのだ。しかも理由が僕から目を離したくないと言うから、なんだかなあ、そう思ってしまった。僕ってそんな脆弱に見えるだろうか。いや見えるか。今日死ぬほど走って思い知ったけど僕は沙矢より体力が遥かに無い。運動神経は悪くないつもりなんだけど、沙矢からすれば不安にもなるだろう。それはそれとして納得はいかない。妹に守るべき対象として認識されるのは欠片程残っている矜持的に大変厳しい。やはり今後は筋トレとか走り込みとかするべきだな、うん。目指せ細マッチョ。


 最終的には徒凪さんが説得した。私が守るから大丈夫だと沙矢を宥めたのだ。魔法少女である徒凪さんの言うことに沙矢も渋々納得の表情を見せて、カーテンを閉めて着替え始めた。当然のように僕がか弱い存在と捉えられている点に一つ抗議でもしようかと思いつつも、徒凪さんの沙矢への対応がスマート過ぎて思わず口が開く。


「徒凪さんって姉妹いるんだっけ?」

「いえ……一人っ子ですが」

「僕と同じか」

「妹さんがいるのでは?」

「あー、言い間違えた。僕と同じで面倒見がいいね」


 つい失言をしてしまって怪訝な表情をされた。無理矢理なリカバリーに僕も冷や汗が滲む。流石に違和感があるよね、そりゃそうだ。

 奇妙な空気が漂い始めたところで試着室のカーテン開いた。正直言って助かった。


 ファッションショーの幕が閉じ、自分の買い物を終えると、沙矢は次は僕の服を買おうなどと末恐ろしいことを言い始めた。待て待て、確かに明日は土曜とは言え何時間買い物をする気なんだ。

 ここでも徒凪さんが口を挟んだ。


「沙矢さん。もうすぐ陽が落ちます、そうすれば怪人がまた出るかもしれません。比影くんの安全のためにも帰りましょう」


 やはり僕のことを出されると弱いのか、沙矢は仕方ないと言いたげに駅へと僕の右手を引っ張った。

 その傍らで徒凪さんは僕に向けて横目で得意げにウインクをした。意外とそういうことをするんだね君って。思い返せば僕は学校の徒凪さんしか知らない。こんなに沙矢の扱いが上手なのも知らなかった。思うより徒凪さんは愉快な性格をしているのかもしれない。何だか付き合い甲斐がありそうで、僕の中で徒凪さんを死なせたくない理由が一つ増えた。






■■■来客と宿泊■■■


 買い物を終えると帰路に就いた。曰く、人通りが無くなる前に帰らないと襲われる危険性が高くなるとのことで、夕暮れの前に何とか家に着く。


「徒凪さん、態々ここまでありがとう」

「いえ……これが仕事ですから。それに私もその、比影くんのことは気がかりで」

「優しいんだね」


 そう言うと徒凪さんは視線を僕から外した。夕焼けも相まってとんでもなく顔が赤く見える。

 徒凪さんの家はこの近くじゃない。再度駅まで戻って電車で数駅だったはずだ。仕事かもしれないが手間だろうに、嫌な素振り一つしなかった。魔法少女はともかく、事情があれどこんな子が虐められているのが信じられない。

 どうにかしたいなと再確認していると徒凪さんは僕を見る。何かを覚悟したような真剣な眼差し。


「あの、比影くんに妹さん、物は相談なんですが」

「うん」

「比影くんの家に泊っても良いですか……?」

「うん?」


 耳まで真っ赤にして徒凪さんは唇を戦慄かせる。唐突だなあと思う反面、何となく理由を察することは出来る。護衛の為だろう。

 僕が何かを言う前に沙矢が反応した。


「徒凪先輩……ううん。わたしはいいですよ! 歓迎歓迎大歓迎です!」


 何かを言いかけて、それを誤魔化すような大きな声だった。

 正直、沙矢がここまで言うとは思わなかった。割と沙矢は人見知りだ。たった数日でもそれは何となく察する場面はあったが、しかし、徒凪さんについては助けてもらった感謝の念も入り混じって違うと言うことか。呼び名も先輩と口にしていてどこか砕けた感じだし。僕の知らない場所で仲良くなる切っ掛けでもあったのかもしれない。兄としては良い傾向だと思う。


「ありがとうございます沙矢さん」

「いえ! どうか今後もか弱いお兄ちゃんを宜しくお願いします!」


 沙矢は頭を下げた。微妙な気持ちだ。幾ら事実と言え、面と向かって妹にか弱いと言われると僕でも傷付く。大人である分そのダメージは十倍だ。

 けど、沙矢の心配が徒凪さんの存在によって少しでも和らぐのであれば僕としても断る理由はない。大人は社会で詰められ慣れていて、子供よりもHPが高くて打たれ強いのだ。


「徒凪さんが大変じゃなければ僕も歓迎するよ。どうせ親も帰ってこないしね」

「ありがとうございます……短い間かもしれませんがお世話になります。それでは一旦着替えを取りに家へ戻ります」

「うん。来たらもう一回ピンポン鳴らせばいいから」


 小さく会釈すると徒凪さんは踵を返した。一瞬、魔法少女に変身して飛んでいくのかと思ったがそんなことは無かった。普通に駅方面へと歩いて行くのが見えた。まあ徒凪さんはあの服装が嫌いみたいだし、それに濫りに魔法少女に変身するのはきっと組織的な決まりとかで制限されている気がする。


「お、お兄ちゃん。お兄ちゃんお兄ちゃん」


 ドアを施錠すると、沙矢がワナワナと震え始めた。また見知らぬ妹の姿だ。バイブレーション機能でも搭載しているかの如く、その声音は震えている。

 意図が分からず首を傾げていると、沙矢は僕の袖を引っ張った。


「お客さんだよお客さん。我が家にお客さん!」


 どうしようどうしようとテンションを高く繰り返す沙矢を見て、言われてみれば確かにと思った。そうかもしれない。学生時代に誰か同級生を呼んだことなんてなかった。でもこの世界でもそうなのかとも考えてしまう。僕はともかく沙矢は学校に友達とかいないんだろうか。あの性格なら友達100人とか言わずとも、10人くらいは簡単に出来そうな気がするのに。


 忙しなく片付けを始める沙矢を傍目に、僕は普通に部屋着に着替えてリビングで参考書を読んでいた。外がファンタジーでも勉強が必要なのは変わらない。魔法少女に心躍らせるアラサー諸君もSNSには沢山いるが、生憎と僕はその一員でなかった。


 徒凪さんが再度家に来たのはその一時間後のことだった。呼び鈴が鳴ると沙矢がタッタッタッと小走りで玄関へ。参考書をテーブルに置く。


『大きいですねっ!?』


 なんかそんな沙矢の驚いた声が廊下を抜けて響いてきた。反射的に若き時代に培った煩悩が邪な想像を生み出す。すぐに自身の幼稚さに萎えて死にたくなった。アラサーだぞ僕は。

 自己嫌悪に浸っているとリビングのドアが開く音。すぐに沙矢が大きいと言った理由が分かった。


「あの……さっきぶりです、比影くん」

「うん。それはいいけどその荷物は?」


 徒凪さんの手元に、というかキャリーケースに目を遣る。気を遣っているようでキャリーケースの下部についたキャスターは使わず、細腕一本で持っている。余裕そうな面持ちなのは流石魔法少女と言うべきなのか。

 しかしそのキャリーケースが本当に大きい。二週間程度は旅行できそうなサイズだ。


「あの……何日程度泊まるか分からないと思って……駄目だったでしょうか」

「いや良いんだけどね。ちょっとびっくりしただけ」


 気合いの入れ方が僕と違うなと思った。数日で解決すると思ってたわけじゃないけど、現実的に考えれば何週間も、下手したら数か月かかる可能性だってあるわけだ。

 でもそんな長期間泊って徒凪さんの家は大丈夫だろうかとも考えた。しかしすぐに思い出した。徒凪さんの両親は色々あって今家にいない。兄妹もいないらしいから一人なんだろう。合間を縫って帰ることはするだろうけど、家族を気にする必要はない。せめてここにいる間は徒凪さんに不便はさせたくないなと考える。


「一先ず、ええと、ようこそ。部屋なら空いてるしベッドも滅多に帰ってこない親のを使ってくれて構わないからさ、適当に楽にしてて」

「ふふ……分かりました」


 僕の慣れていない口文句がおかしかったのか、徒凪さんは控え目に破顔しながら笑みを浮かべた。今気付いたけど徒凪さん、制服から着替えて来たんだ。

 徒凪さんの服装はシンプルで、白いシャツに踝まで伸びた黒スカートという清楚感が漂う出で立ちだった。シャツの襟元のフリルがワンポイントなのだろう、とても魅力的に見える。僕の知ってる男子高校生であれば絶対に放っておかない逸材だと思うけど、この世界の男子高校生は違うんだろうか。違うんだろうな。

 こういう時はやっぱり素直に褒めるべきだろう。そう思って僕は徒凪さんの目を見た。


「あとその服、凄い似合ってて可愛いね」


 言ってしまったなという思いがある。相変わらず僕の対人経験値は高くない。

 ともあれ、キョトンと動きを止めた徒凪さんを見ながら、この世界は男女比やら一夫多妻制やら僕には分からない点は多いけど、徒凪さんには幸せになってもらいたいと思った。親戚の一回り以上年下の娘に向ける感情がこんな感じなんだろうなと思う。残念ながら両親があんな感じなので僕は会ったことどころかいるのかどうかも知らないけど。

 沙矢に向ける想いも若干それに近いが、でも沙矢については積極的に選別したいな。一夫多妻はしょうがない。そういう社会だ。でも変な男であれば兄として断固反対したい。

 

「その、荷物を置いてきます……!」

「あ、私案内しますね! 徒凪先輩こっちこっち!」


 機敏な動きで身を翻した徒凪さんに、ひょこりと廊下から顔を覗かせた沙矢が案内する。

 二階から話し声がするのを聞いて、一気に家が賑やかになったなと感傷深くなる。一週間前の僕なら絶対に考えられないな。この世界が当然になって、僕は元の場所に戻れるだろうか。

 参考書を開き直しながら僕は少し不安になった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る