16:スワンプマン
■■■協力依頼■■■
「タバコ、吸われるんですか?」
「いえごめんなさい、癖なのよ。今は禁煙中だけど本能的に指が、ね」
ジッポライターを持ちながらポケットを軽く叩く素振りを見せた。シガレットケースを所持していないアピールだろう。僕は目の前で吸われても気にしないタイプの人間なのでどちらでも良いが、副流煙は吸わないに限る。
というか、そんなことはどうでも良かった。
「沙矢と別にして説明をする理由をご教授いただけますか?」
分からないなら聞けばいい。単純だ。
ジッポライターを仕舞う近巳さんに問いを投げかける。すると答えはすぐ出てきた。
「貴方が聡明そうで、責任能力がありそうに見えたから。真実を話して協力をしてもらうと思ったの」
「僕がですか……。正気とは思えませんけどね。僕は取り柄のない一般人だ」
「ユメノちゃんから聞いたわよ。妹ちゃんを助けるためにあの怪人を引き付けていたって。それが常人の行動って言える?」
徒凪さんから聞いたか。まるでヒーローとでも言いたげだ。何処となく鼻に付く。
「少しの蛮勇があれば出来ますよ」
「そんな訳……度々ごめんなさい。まだこれからの話だったわね」
少し申し訳なさげに首を下げた。一方で僕は疑問符を浮かぶ。
「そもそもの話、もう怪人は倒されました。徒凪さんによって。仮に僕に能力があるとして、僕が協力する必要性はあるんですか」
徒凪さんの名前を僕は強調しながら言った。近巳さんも一瞬、目を見張るがすぐに怜悧な大人の顔を取り戻す。
「あるわ。あの怪人はアレが本体じゃない」
「理由を教えてください」
「異常なほど臆病なの。誰かが襲われている現場でどれだけ倒しても現れ続ける。本体はきっと別の場所がいると考えられるわ」
「なるほど」
真っ黒い怪人が分裂していたのを思い出す。身の毛もよだつ光景だったが、あの二体とも言わば分裂体であって本体じゃなかったのか。
わざとらしく咳払いをした近巳さんはしななやかな細指を一本立てた。
「最初から説明するわ。怪人についてどれくらい知ってるかしら?」
「全くといって分かりません」
「了解、じゃあ分類から説明しましょうか。私達事務局では怪人を基本的に二つに分類しているわ。これをIIC国際基準とも言うけど、そこはどうでも良くて、具体的に動植物型怪人と概念型怪人の二つよ。前者は地球上に存在する動植物、つまるところ生命体をモデルにして身体を構成しているわ」
「例えばこの前の鮭の怪人とかでしょうか」
少し前にテレビで見た姿を思い出す。鮭の頭が人型の身体に乗ったような、非常にアンバランスな姿をしていた。
近巳さんは肯定するように頷く。
「ええそうよ。アレも被害無く倒せたのだけど、動植物型って基本弱いのよ。まあ変な能力も無ければ、スペックも元の個体をベースになっていることも多くて苦戦しないからね。勿論それでも刃物も重火器も効かないから魔法少女にしか倒せないけど」
「でも鮭の怪人は一回逃がしたと報道されたことを記憶しています」
「北海道の魔法少女の子ね。実戦経験が浅い新人だったらしいわ。勿論ベテランも付いてたらしいけど、隙を見て逃げられたらしいのよ……比影くんを見込んで話したけど本来これも機密事項だから、外では話さないでね?」
「はい。別に流布する趣味はないですし」
ただ、それ以上にこの人のコンプライアンス大丈夫だろうかと思ってしまった。そういう事をペラペラ部外者に話すのは良くないはずだ。社会人として。所長という立場なら猶更。ほんのりこの人の人間性が疑わしく感じてくるぞ。
「もう一方の概念型怪人。これはちょっとだけ説明しづらいわ、本当に概念という共通項で十把一絡げに纏めるしかないの。例えば暑さや寒さ、距離、果ては生物の感情。そういったものをマナを介して操る特性を持った怪人の総称よ。こっちは厄介ね。能力が明るみに出ないと初見殺しになって、後手を踏む。その代償は子供の命よ」
マナという言葉は大層ファンタジーだったが、あまり感慨は沸かない。子供が死ぬ。そっちの方がより僕の心に影を落としたからだ。
「それは、最悪ですね」
「ええ。憎たらしいほどね。だからより慎重を期して当たる必要がある」
苦虫を嚙み潰したように近巳さんは顔を歪ませる。経験があるのかもしれない。自分が面倒を見る魔法少女が亡くなった経験が。
目を伏せつつ、近巳さんの言う区分に当てはめてみる。僕と沙矢を襲った怪人は分身というか、増殖をしていた。なるほど。
「分かりました。話を戻しますが、つまり僕を先程襲ってきた怪人も概念型に分類されるわけですか」
「それが違うのよ……今回の怪人は特異型に区分されるわ」
「特異型?」
「二分類以上の特徴を併せ持った怪人のことをそう呼んでいるのよ。3つのパターンがあるわ。動植物型と動植物型、動植物型と概念型、概念型と概念型。圧倒的に厄介なのは概念型同士の掛け合わせね。怪人には脅威度毎にランク付けをされることもあるけど、もしこのタイプなら確実に上から二番目のA以上は確定よ」
「それはつまり、そういった怪人は使ってくる能力が二つあるからと。そして僕を襲った怪人も2つ能力があると、そう仰りたいわけですね」
「その通り。頭が冴えてるのね」
おべっかは脳裏に退けて、なるほどと思った。あの怪人、増殖以外にも能力を持っていたのか。でも僕を襲った時はそんな雰囲気は無かった。
近巳さんは険しい顔をした。
「ここからが貴方にお願いしたい頼みと関係してくるわ。あの怪人の持つ能力の一つは感情を揺さぶる能力よ。マナで人体の脳に強く刺激を与えて、感情を増幅させる。恐怖、怒り、悲しみ、苦しみ。特に恐怖ね。被害者は耐えきれない恐怖に身動きが取れなくなって、抵抗すら出来ずにやられているわ。貴方も対峙した時に感じたりしなかった?」
「感情……」
増殖じゃなくてか? と考えたが、言われてみて心当たりはあった。
確かにあの時、僕は慄いていた。自分でもあり得ない程の恐怖を感じていて、それは未知の生物に相対した際の死の恐怖だと思っていた。しかし思い出せばおかしい点もある。時間と共に、麻痺毒みたいにじわじわと種が芽生えるような錯覚があった。説明が難しいが、近いもので言えば畏怖だ。僕は恐怖と同時に畏怖を覚えていた。それがそうだったのかもしれない。
僕が顔を上げたのを見た近巳さんは口を開いた。
「心当たりがあるようね」
「まあ、そうですね……個人的な見解付きですが。でも逃げれる程度でした。あまり脅威と言えないのでは?」
「ユメノちゃんから聞いてるわ。貴方と妹ちゃんが逃げ出すことが出来たと。あの怪人相手に前例がないことよ。唯一の生存者も恐怖に支配されて精神をおかしくしてしまったわ。単刀直入に言うとありえない」
「はあ」
そう言われても、と考えていたら近巳さんが僕の目を覗き込んだ。
「あり得ないのよ。でも貴方と妹ちゃんは違った。原因は多分貴方の方ね、勘だけど。恐らく怪人のマナをレジストしてる。それが後天的な能力か、体質か、それは分からない。それで妹ちゃんもその影響を受けた。理屈は投げ捨てて、一旦はそうとしか考えられないわ」
「なるほど」
良く分からなかったが頷いておく。ニュアンス的に僕は特別な体質を持ってると思えばいいのか。自分が特別だなんて思い込みは中高時代に捨てたつもりだったんだけどな。そう考えて頭が痒くなった。
「それが貴方にお願いしたい理由の一つ。でもこっちは理由としては大きくない」
そう喋ると溜息と共に言葉を吐き出した。何も持っていない右手でジッポライターをカチカチさせるような仕草をする。
「吸っても良いですよ?」
「禁煙中なのよ。言ったでしょ。この怪人を倒すまで吸わないようにしてるの」
「因みにどのくらい?」
「四月から……思えば五カ月間経ったのね。口寂しいわ……」
五カ月間禁煙してれば少しは喫煙への欲求も和らぐと思うが、近巳さんは中々にへビースモーカーのようだ。どうでもいいな。
同じことを近巳さんも考えたのだろう。んん、と喉を鳴らした。
「関係無い話をしてしまったわね。あの怪人の二つ目の能力、それは成り代わりよ」
「成り代わり……?」
増殖ではなくて、成り代わり?
全くの予想外に僕は思わず首を傾げる。僕の行動は近巳さんからすれば予想通りのようで、そのまま話を続ける。
「もっと言えばスワンプマンは知ってる?」
「思考実験ですか。沼男で知られている」
「そう。ある男が落雷で死んで、あるところで沼からその男と寸分違わぬ容姿、死ぬ直前までの記憶、全く同じ価値観や思考回路を有した沼男が生まれた。沼男は男の日常に戻る、簡単に言えばそんな内容ね。今回の怪人はまさしくそれなの」
「あの真っ黒いやつがスワンプマンだと?」
「そうよ。貴方が見たのは取り込む前の姿ね」
その言葉に先程の光景がフラッシュバックした。
僕はあの時、捕食されかけていたと思っていた。しかし違ったのか。栄養摂取が目的ではない、本当は僕の情報を取り込もうとしていたのか。
そこまで考えて僕はハッと顔を上げる。
「……ちょっと待ってください。その事実が判明しているということは」
「想像の通りよ。既に成り代わられている被害者はいるわ。総数は分からないけど、こちらで把握している数は四人ね」
「そんなにですか。なら市民に警戒を促すよう、何かしらの警報を出すべきでは……それも駄目なんですね」
言いかけて途中で悟った。言っていて気付いたがそれは悪手だ。素人の頭でも社会が致命的に混乱するのが分かる。治安も悪化するだろう。それは望ましくないな。
近巳さんも嫌そうな顔で頷く。
「ええ。秩序が消えるだけよ。秘密裏に処理するしかない。幸いスワンプマンが人を襲ったケースはないわ」
「それでニュースにもなっていないと。でも事件が解決した後、世間は大騒ぎになりますね」
「かもしれないわね」
「スケープゴートにされるかもしれない」
「覚悟の上よ」
サラリと言う。何度も考えて出した結論なのだろうと思った。職業意識が空を貫いている。中身的には恐らく同い年のはずなのに。僕には真似できないなと両手を上げたくなった。
「分かりました。外部の立場で下らないことをお聞きしすみません」
「本当に学生と話している気分にならないわね……比影さんって呼んでいいかしら」
「呼ばれ方に拘りはありません。如何様にでもどうぞ」
「冗談よ」
近巳さんは揶揄いが成功したような小さな笑みを見せた。初対面から思ってはいたが妙にこの人は子供っぽい。
すぐに口元を引き締められるのを見て、僕は思考を整理した。
「勘づいていると思うけど、もうこの地域で明確にスワンプマンじゃないと断定できる人間は存在しない。その中であの怪人に襲われていた貴方と妹ちゃんは、貴重な潔白なのよ」
「ファンタジーを通り超してSFですね」
つい思ったことが口から零れた。もう何が何やらというのが僕の正直な本音だ。昔のアメリカのSF映画を思い出す。魔法少女の敵といえばもっとライトな感じじゃないのか。こんなエグイ戦略を取ってくる相手と子供を戦わせるなんて、シナリオライターはさぞ性格が悪いに違いない。
近巳さんは不思議そうに「ん?」と小さく反応する。
「ファンタジー? 変わった言い方をするのね」
「いえ、お気になさらず」
この世界ではきっとファンタジーじゃないのだろう。何故なら最初からファンタジーだから、この程度のことはファンタジーにカウントされない。改めて考えて頭痛がしそうになった。過去に戻ったり、妹がいたり、男女比が狂っていたりと、この一週間で様々な衝撃はあったが今日が一番かもしれない。
「開示できる情報はこのくらいね。何卒、ご協力をお願いいたします」
呆気にとられる僕を無視して、近巳さんは頭を下げた。頭を下げることはあれど、下げられたことは人生で数えるくらいしかないなとか、どうしようもなく関係無い考えが脳裏を過る。
少し落ち着きたいな。
そう考えて、大きく息を吸って吐いた。ふと視線を向けてみたが、近巳さんは何も言わない。ただ僕の答えを待っている。何分でも、何時間でも待とうという意思が伝ってきた。職業人としてはプロのようだ。見た目上は高校生に対して、無茶なことを言っているのは一旦置いておき。
時間をくれるなら遠慮なくたっぷり考えようじゃないか。
そう僕は思って、いつも通り思考を働かせる。
前提としてこの世界は僕の知っている世界じゃない。この事件を解決するには僕自身にもリスクがある。生死にすら関わってくるリスクだ。重要なのはどの程度僕がそのリスクを受容できるか。そして僕にとってどの程度動く理由が存在するか。
動く理由はなんだろうか。そう考えてまず沙矢の顔が出てきた。僕の新しい妹だ。血の繋がりは無いけど僕の妹だ。死んでほしくはない。でも僕がこの事件に足を突っ込めば、より危険になるかもしれない。寧ろ関わらない方が平穏かもしれない。沙矢は動く理由にはならない気がする。
ならやはり、徒凪さんだ。僕が初めて学校という環境で仲良くなった女の子。一回り、いや、二回りは年が開いているのが罪悪感を擽るけど、だからこそこんな理不尽な痛い目にはあってほしくない。魔法少女も出来れば引退してもらいたい。自分でも意外なくらい、僕は徒凪さんの身を案じている。経験は無いけど友人以上の感情を抱いている気がした。ただまあ決して恋愛感情が起因しているわけじゃないのは確かだと思う、そう自分に対して言い訳をしておく。ロリコンの称号は勘弁願いたい。
ただし、徒凪さんはきっと僕の思うより弱くはないだろうとも同時に考える。魔法少女だからだ。空を飛んでいたしレーザーみたいなもので怪人を消し飛ばしていた。徒凪さんからすれば大きなお世話かもしれない。
それを理解した上で、それでも死んでしまったらと思うと気が沈んだ。近巳さんも言っている。魔法少女は死んでもおかしくない。もし徒凪さんが死んだら僕は後悔する。何であの時に手を貸さなかったのか、沙矢の安全を理由に逃げただけじゃないのか。そうやって僕は後悔する。
つまり僕の動く理由は人のためでもなければ、ましてや世のためでもない。
エゴだ。僕自身の。
僕の言葉に近巳さんは表情を弛緩させた。
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