12:Distorted Sisters


■■■徒凪夢乃の家庭事情■■■


 虐めの主犯格と呼ぶのも疲れたので、今後は坪河さんと呼ぶことにする。名前はさっき授業中に当てられていたから覚えた。当然だが高校時代の僕の記憶には存在しない人物だ。


 呼ばれたのは僕だけということは頭を捻ったけど、虐めっ子に話を聞くのは徒凪さんの問題を解決させる為には割と良い手段だと思っていたし、今後機会を見計らって事情聴取くらいはしてやろうと考えていた。だから良い機会だと思った僕は何も言わずに坪河さんを追いかけることにした。


 特に会話も無く坪河さんの後を歩き、階段を上がる。そして昨日の虐め現場へと着いた。


「ホントに知らないの?」


 着くなり坪河さんは僕の目を見ると鬱陶しそうに言った。長い茶髪が揺らめく。

 知らないのとはそれこそ何の話だ。不機嫌そうに聞かれる謂れはないはずだろ。寧ろ僕は怒っている。ただの良い人である徒凪さんを何で殴ったのかを。

 僕はその問いを無視して言い切ってやった。


「何のことだろう。いや、まずはそれより徒凪さんをなんで虐めてるのか、そこを聞かせてくれないか」

「その前に答えてよ」

「僕の方が先だ」


 互いに無言になった。

 睨み合いだった。坪河さんは如何にもといったギャルの出で立ちで、虐めっ子なだけあってか迫力はある。でも学生だ。大人ならここにペンとかバインダー、労働環境が酷いと灰皿に受話器が飛んでくる。全て経験済みだ。それと比べれば怪我しない分遥かにマシなわけで。嫌な割り切り方もあったもんだと真剣に子供に戻りたくなった。


 一分くらいそうして、根負けしたのは坪河さんの方だった。


「あーもう! ホントにアンタ知らないのね!?」

「だから何を?」

「アイツの事情よ!」


 念を押すように坪河さんは僕をねめつける。

 アイツ、とは多分徒凪さんのことを指しているのだろう。改めて聞かれて思ったけどこの世界の僕なら事情を知っているかもしれない。僕は知らないが。だから坪河さんへどれだけ違和感を与えようとも答えはいいえである。


「本当に知らない。徒凪さんに聞くのも躊躇っていたんだ、教えてくれ」


 そう言うと怒りを呑み込むような表情で口元を絞り、大きな溜息を一回。それから面倒な説明をさせやがってと言いたげに再度睨んだ。


「分かったわ。分かったわよ、ああもう。ホントに人に興味が無かったのね、アンタ」

「それについては申し開きがないな。謝る必要があるなら謝るよ」

「……本当に何なのアンタは」


 坪河さんは不気味な妖怪でも見るかのように細目で僕を観察する。まあこんな反応をされるだろうなとは想像が付いていたけど、これまでの僕なら誰が視ても透けて見えるくらいには本当に人に興味が無かっただろうから、そこは認めざるを得ない。


 それにしても不思議だ。坪河さんは虐めっ子だが、今の云為を見ているとあまりそうは見えない。思春期だからか、或いは徒凪さんがいないからか。

 坪河さんはため息をまたついた。


「謝るとかアホじゃない。別に良いわよもう」

「ああ。それで、何で徒凪さんにあんな仕打ちをしているのかは教えてくれるのか」

「あのね、ちょっと待ちなさい。考えてる。物事には順序ってのがあんの」

「虐めに順序も何もないだろう」

「うっさいわね。他所の他人が出しゃばって勝手なことを言ってるんじゃないわよ」

「君も他所の他人だろ」


 そこで苦虫を嚙み潰したように押し黙った。思わず僕は坪河さんを見返す。

 少しの間を置いて、静かに坪河さんは言葉を紡いだ。


「私とあいつは血が繋がっているの」


 なんだって。

 坪河さんと徒凪さんが姉妹?

 いや待て待て。


「……苗字が違うのは?」


 外れかけていた思考を元に戻す。衝撃的だった。聞き返すことが出来たのは奇跡でしかない。

 対して、しょうもないことを言わせるなと坪河さんは呆れた様子。


「異母家族だからに決まってるじゃない。そんな在り来たりなこと聞いてどうすんの」


 在り来たりなのか。いや、まさか、想像通りハーレム社会ってやつなのか。真面目な話の最中なのにアッパーカットを食らったみたいに脳が一瞬ふらついた。

 重要な部分じゃないのは分かっている。でも無視するには情報量が多すぎた。だってつまりだ、ここは男性によるハーレムが合法化された社会ってことになる。この世界の流儀的には逆ハーレムか。どうでもいいな。ともかく、仮説として考えていたし、まだその部分は調べてなかったけど、そうか。そうか……。


 いや、今は関係ない話だ。後でまた考えよう。愕然とする思いを意識的に押さえつけて、一旦思考を戻そうかと考える。


 坪河さんは異母家庭と言った。非常に複雑な家庭らしい。なにせ坪河さんと徒凪さんは要するに姉妹ってことになる。んー複雑というか状況的には滅茶苦茶な泥沼じゃないか。昼ドラみたいな展開になっている。父親の不倫……いやハーレムがセーフだから不倫ではないのか……。


 常識が氾濫して脳味噌がフリーズし、唖然としたままピクリともしない僕を見た坪河さんは、更に目を吊り上げて言った。


「キモ」


 そう見えたらしい。だが困ったことに自分でも自覚はある。混乱しっぱなしだしな僕は。


「あ、いや、ごめん。話を続けて」


 僕は自分の右頬をパチンと叩いて、気を引き締める。導入からしてこれはとても重い話な気だ。ちょっと引かれた気がしたが気持ちを入れ替えるには必要経費である。

 再度溜息を零すと、坪河さんは気にせず続きを話し始める。


「私とあいつのパパはとても忙しい人でね、とにかく常に全国各地を回っていたわ」

「全国転勤とかそういうこと?」

「んなもん男がするか。日本中に奥さんを抱え込んでいたからに決まってるじゃない。にしても多すぎるとは思うけど」


 お、おう。

 一々衝撃的な言葉が出てくるが努めて流す。


「それで私のママとあいつの母親はパパの奥さんだったってわけ。私のパパは良い人だった。確かに奥さんが多いせいで会ってくれる時間は少なかったけど、愛情を注いでくれていたのは分かる。ママもそんなパパのことが好きだったから、私も幸せだった」


 空の彼方の星でも見つけようとしているかのような目で坪河さんは言った。その話が徒凪さんとどう関わるのか想像しながら頷いて続きを促す。


「でも、それは長く続かなかった。1年前、あいつの母親はパパを殺した」


 平らな声だった。恨みや悲しみや憎しみ、全てを均した後を思わせた。


「馬鹿なことにあいつの母親は自分が一番に愛されないことに葛藤を覚えていたとか、それが反転して憎しみとなって刺したとか。犯行後の取り調べで言っていたそうよ。本当にメンヘラでどうしようもない。腐ってるわ」

「それで……徒凪さんのことを?」

「馬鹿にすんのも大概にして。昭和なら知らないけど今は平成よ。私がそのくらいの分別すらついてないと思ったわけ?」


 腹立たしそうに声音に怒気を滲ませる。僕は小さくごめんと謝った。だから謝んなキしょい、と坪河さんは自分の手首を抑えるように掴む。


「あいつはあいつ、あいつの母親はあいつの母親。それくらいは理解してるから」

「ならどうして」

「どうしても何もないわよ。次あいつが学校に来て謝られた時、私は言いたいことを全部堪えて受け入れた……でもその次にあいつなんて言ったと思う!? 私の母は悪くないですって言ったのよ!? 謝ったその口で!?」


 衝動を堪えられずに吐き出すかの如く、坪河さんは言い放つ。大声で酸欠になって、息を整えるように酸素を求めて呼吸を荒く繰り返している。

 正直、徒凪さんがそんなことを言うとは思えなかった。だって徒凪さんだ。成績優秀で、論理的な思考力もある。冷静に考えれば母親に瑕疵が100%あるのは理解が出来るはずだ。何故そこを無視してまで徒凪さんは自分の母を全面擁護する発言をしたのか。


 それとも家族だから庇っているのだろうか。いや、その理屈は間違っている。父親だって家族だ。家族が家族を殺して、情だけで子供が親を庇えるとは思えない。ならその情が成立する何かがあったとか?


 僕の思考回路は呼吸が整った坪河さんの声で打ち切られる。


「ねえ比影。知らなかったのなら教えてあげる。あいつの母親は私のパパを殺したの。これは虐めじゃない。あいつが仕掛けてきた喧嘩よ」


 冷え切った口ぶりからは悪意がじりじりと溢れている。徒凪さんがまた殴られる。止めなくては。

 でも事情を聞いてしまった僕は坪河さんの言葉を否定できなくなっていた。身体を縛ったのは激しい自己嫌悪だ。何も知らない僕は愚劣でしかなかった。無知の知を気取っているだけで、その実は無知蒙昧でしかなかった。そんな僕に何か言う権利などあるだろうか。


「別にアンタがあいつとどれだけ親しくなろうが構わないけど、分かったら中途半端な気持ちでこの事に口出さないでくれる? これは私たちの問題だから」


 話は終わりだというふうに坪河さんは階段を下って行く。その背中が見えなくなった後に、僕の口が言葉を発そうとして半開きのままだと気付いた。


 そうだな……坪河さんの言う通りだ。とても凹む。僕は中途半端には関わらないつもりで本気でこの件に関わって、徒凪さんと仲良くなろうとしたけど、それ自体が中途半端だったのだ。

 自信があったのかもしれない。僕は高校時代の自分とは違う。それなりに歳を重ねたし、社会経験も積んだから僕は大人になったと思い込んでいた。学生程度の悩みなら簡単にとは言わずとも、僕でも解決できるんじゃないかと思っていた。


 だけどそんなものは本当は無かったんだ。等身大の自分を見誤っていたみたいだ。本当の僕はもっと矮小で、嘘ばかりで、人の気持ちが分からなくて、ニートだ。


 情けなさから泣くかもしれないと思ったが、不思議と悔し涙は流れなかった。そこで社会で身に着けたストレス耐性を発揮しなくていいのに。純粋さを失ったような気がして嫌な気分になる。


「それでも、暴力は駄目だよ」


 完全に坪河さんの姿が消えてから、自然とそんな言葉が口から零れ落ちる。本心だ。陰口を言っている気がして情けなくなったが、でもしっくり来た。そうだ。どんなことがあろうと、僕たちは人間で、理性的な生き物だ。暴言も暴力も最も効率的に相手を従順にさせる手段で、最も相手を傷つける。最低な手段だ。今は良くても何れその歪みが跳ね返ってくる。例え坪河さんにどんな事情があろうとも、徒凪さんが何を考えて居ようとも、僕は大人としてそこを肯定してはいけない。


 そうと決まれば少し凹んだけど、やることは殆ど変わらない。

 徒凪さんと坪河さんの歪を取り払う。それが今後の僕の方針になりそうだ。

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