11:学生生活

■■■体育について■■■


 過去に戻りほぼ一週間が経過した金曜日。僕の二度目の高校生活は割と順風満帆な部類のスタートを切っていた。何せ一度目は友達も知り合いもおらず、人間関係が希薄なまま退学を選んだ僕だ。一人話せるクラスメイトがいるだけでも心持ちが180度変わる。学校に行くのが億劫に感じないのは僕にとっては革命的だった。女性生徒ばかりの環境だけはまだ慣れないが、それも時間の問題だろう。


 そういえば、そんな学校生活にも鬼門が存在した。体育だ。そんな科目もあったなぁと懐かしむのも早々に、僕の中でそのノスタルジーが嫌な予感へと変貌する。

 案の定というべきか、その予感は的中した。

 まず体育の授業の直前で教室内から刺さるような視線に見舞われた。なんだろうと思って徒凪さんへと視線を向けると徒凪さんも同じ目をしていた。警戒心と、恥じらいと、不安をごちゃ混ぜにして加水したような目だった。


「あの……早く出て行ってもらえると」

「えっと。あ、そういうことか」


 間を置いて気付いた。この世界では女子が教室内で着替えるのが普通なんだ。で、男子生徒は全員男子更衣室で着替える。僕の高校時代は逆だったから気づかなかった。こんなところでも逆転現象が起きているとか、頭が痛い問題だ。僕のこれまで培ってきた常識が一つ一つ丁寧に潰されている感覚すらある。梱包材のプチプチみたいに。


 男子更衣室の場所は1階で、職員室の横だった。何かあっても大人が介入できるようにその位置に設置されているのかもしれない。

 部屋自体の広さも男子生徒の少なさを鑑みれば大きい方だと感じた。男なんてクラスに1人が関の山な世界事情の割に、僕の知ってる更衣室と同等の面積があって、ロッカーは前後の壁に30個ほど並んで鎮座している。これ、男子生徒全員分のロッカーがあるんじゃないか。そう思ってよく見るとロッカーのドアに名前が書かれている。僕のもあった。ロッカーはほぼ個人専用の私物置き場となっているみたいだ。多分女子には無い設備だろう、優遇されているなと素直に感じた。


 期待はしていなかったが僕のロッカーには大したものは入っていなかった。まあ僕は高校に入り浸るような人間じゃないし、妥当なところだろう。持って帰るのが面倒だったのか一年生の時に使っていた教科書と、置かれっぱなしの替えのジャージ、それから大量のプリントが乱雑に突っ込まれていた。そうだそうそう。学生時代の僕ならこうしている。何だか自室は沙矢を意識しているからか小奇麗だったし、身の回りは全て沙矢が4S活動(整理整頓清掃清潔、製造現場で働いた頃に口酸っぱく言われたワードだ)をしていてくれたから汚部屋とは真反対だし。この世界の僕の本性をやっと見れた気がした。


 妙な納得感に満足した後は、着替えて体育館へ行った。

 体育館には既に体操着姿のクラスメイト達が集まっている。内気なグループは校庭と繋がるドア付近で涼みながら屯していた。逆に活発なグループは真正面の壇上に座って駄弁っていたり、勝手に倉庫からバスケットボールを持ってきてはゴールに向けて投げ入れていた。


 ただ、感性で歳を食ってしまっているせいか、女子高生の体操着は目に毒だ。まだ残暑も厳しい9月ということで女子の多くが半袖半ズボンで、露出の多い恰好となっている。アラサーに足を踏み入れた僕が直視できるような服装じゃない。不用意に視線を向けないことを決意する。


 同時に大げさにならない程度に徒凪さんの姿を探す。いた。体育館の入口手前の隅っこでつまらなそうな顔をして壁に凭れ掛かっている。僕が近寄ると表情を緩めて小さく手を挙げた。何だかあまり懐かない動物が自分にだけ懐いたような優越感を覚えて、慌てて僕は自制心を取り戻す。女子高生相手にそれは不味い。不味過ぎる。


 軽い挨拶を交わして、あぶれ者同士で取り留めのない話をしていると授業が始まった。やはりと言うべきか、男女で授業を別にするみたいな仕組みはないようで、当然のように僕は女子グループの一角に割り当てられた。


 その日の内容はバスケットボールだった。僕はとてもとても嫌で、心の中で溜息を吐いた。10回は繰り返し溜息を吐いた。

 スポーツが嫌いなわけでもバスケが苦手なわけでもない。そりゃバスケなんて授業で齧ったくらいの実力しかない僕だけども、そんなことよりも問題は、激しいファールとかで相手の身体に触れてしまう可能性を危惧している。それでセクハラとか言われたら嫌だなぁと思ったのだ。


 早々に真面目にプレイするのを選択肢から除外した僕は、準備運動もそこそこに徒凪さんとパス交換を始める。徒凪さんと同じグループだったのは本当に幸いだった。おかげで心が多少軽くなった。

 徒凪さんは意外にも運動神経が良いみたいだった。久しぶりの球技に僕があらぬ方向へと投擲しても、特に労した様子もなくキャッチして片手で投げ返してきた。フォームも素人目ながらかなり慣れた感じだ。


「バスケ、経験者だったりするの?」

「……え? いえ、そんなことはないです」


 気になって聞けばそんな謙遜が返ってくる。それでもミニゲームとなれば徒凪さんはフェイントと力押しのドリブルを多用しては独力で突破してはゴールネットを揺し、MVP級の活躍だった。1人で30点くらい取ったんじゃないだろうか。

 僕はカリーと化した徒凪さんをずっとフォローする役割に自然となった。徒凪さんは相変わらず僕以外のクラスメイトとあまり関わらない方針みたいで、それは徒凪さん以外の同じグループの女子生徒も同じようだった。だから僕が徒凪さんへワンツーでボールを配給したりして、徒凪さんをサポートすることにした。身体的接触とか嫌だったからそこに文句はないし、なんなら感謝している。


 授業を終えた徒凪さんは普段の澄ました顔をしつつも気分が晴れたような雰囲気を纏っていた。身体を思いきり動かすのが好きなタイプみたいだ。人は見かけに寄らないな。この歳になって今更ながらそんなことを思う。


「比影さん……ありがとうございます。私の補助ばかりで」

「いや、こちらこそありがとう」

「え……どうも?」


 僕の言葉が理解できないといった様子で首を小さく傾げる。

 今後の体育の授業では全て徒凪さんの影に隠れることを僕は決意した。






■■■秋の文化祭■■■


 4限目が総合とかいう、これまた懐かしい名前の授業だった。学生時代はこの授業は休憩時間みたいな扱いをされていたのを覚えている。教師はクラスの学級委員長に全てを丸投げして、学級委員長はその時々の行事に向けて授業を取りまとめる。それはここでも同じみたいだ。例えば今の時期なら文化祭が10月下旬にあるみたいで、その準備として何を催すかを決めていた。


 当然ながら僕は何も意見を出さないつもりでいる。前を見れば、徒凪さんは最早興味の外なのか前の授業で使っていた教科書をそのまま机に広げて何やら問題を解いている。いたいた、こういうクラスメイト。本人的には問題ないつもりでも意外と周りは気にしていて、だからクラスに馴染めていないんだなとか僕は過去の経験から知っている。この辺りもいつかもっと仲良くなったら徒凪さんに言ってみようか。どうでもいいですとか言われそうな気もするけど。


 学級委員長はクラスメイトからの意見で次々と黒板に文化祭でやることを書き連ねている。喫茶店、焼きそば店、お化け屋敷、スポッチャ、画廊。


「比影くんは何かある? 唯一の男子の意見も聞きたいな」


 へーこんなことするのか、とか他人事のように関心しながら見ていると唐突に話を振られて身が固まった。僕へと視線が集まる。徒凪さんもこの時ばかりは教科書から目を話して背後の僕を興味深そうに見ていた。いや助けてよ。


 意見と言われても……、とか思う。中高とそういうクラスのイベントの全てで僕は流されつつ裏方に徹してきたわけで、意見なんて持ったことはない。自主性の欠片も無かった。そういうところが社会に出た後に苦労した理由の一端を担っていたのだが、そこに気付いた頃には僕は良い歳をした大人だった。改めようと考えたこともない。


「ごめんね? 無理して意見を出す必要は無いけど……私たちと違う視点がありそうだなーって思ったからついね」


 中々言葉を出さない僕に学級委員長の、茶髪なおさげが特徴的な女の子はフォローするように言った。思えばこの子は見たことがあるな。名前は出てないけど僕の学生時代にもいた。高校を中退して以降は関わりがないから、本当に見覚えがある程度の認識だ。


 話を戻して、文化祭の出し物か。やる気もあんまり出ない僕は適当に黒板を見る。喫茶店に焼きそば店、お化け屋敷、スポッチャ、画廊。学生らしい発想だなぁと思うと同時に現実みに欠けているのもある。


「ごめん、新しいものは咄嗟には思い浮かばないんだけど……喫茶店と画廊は難しいんじゃないかな。喫茶店はやれても現実的に提供できるメニューが1、2品くらいが限界だと思う。仕入れコストもそうだし、料理を調理スタッフが覚える時間も有限だからね。画廊はそもそも生徒会とか教師会とかの許可が下りないんじゃないかな。相当良い絵を飾るならいいけど、クラスの子の絵を展覧するのちょっと手抜き過ぎると思われるかもしれないから」

「そ、そうなんだ。確かにその意見は的を射てるかも」


 学級委員長は気後れしながらそう返した。分かっていたけど、望んでいる返事じゃなかったようだ。

 あ、そうだ。一つ思いついた。


「今閃いたんだけどタピオカなんてどうかな。タピオカミルクティー。原価も安いし手軽に作れるし、文化祭向きだと思う」


 僕の頭の中で、女子高生といえばイコールでタピオカミルクティーだ。ちょっと時代遅れかもしれない。思い出してみれば流行ったのは数年前で、タピオカブームで乱立したタピオカ屋は今や廃業が相次いでいるとニュースで話題になったのすら2年前くらいの話。僕に女子高生の流行りを感知するアンテナはネット以外に無いからしょがない。

 ただ実際、凄い手軽な商品だ。タピオカは安いし、作る手間もあまりかからない。利益率も高いだろう。かなり文化祭向きな商品だと思う。


 寧ろこの提案が今まで出なかったことが不思議だ。

 そう思って見ていれば、学級委員長はタピオカという単語が脳内で像が結ばれないみたいに目をパチパチさせている。タピオカを知らない女子高生なんて珍しい、なんて考えて周囲を見れば、なんと他のクラスメイトも同様の反応だ。タピオカってなに、いや知らないけど、と不思議がる会話も聞こえてきた。あ、そうか。タピオカミルクティーって2013年はまだ流行ってないのか。


「タピオカってあれだよねー。台湾で流行ってる奴っしょ」


 一番前に座る金髪のギャルっぽい女子生徒がそう言った。なるほど。そういやタピオカミルクティーは台湾から輸入されてきたんだっけ。一昔前の話だからか完全に忘れてた。


 学級委員長は僕から興味を無くしたのか、その生徒に質問を繰り返している。僕はお役御免と言うことでフェードアウトできそうだ。非常に安心した。僕は年の離れた異性から注目されて平常心でいられるほど心臓に毛は生えていない。


 女子高の教師とか一生無理だなぁとどうでもいい感想を抱いていると、まだ後ろを向いていた徒凪さんが口を開く。


「比影さんって台湾へ渡航したことがあるんですか……?」

「え。いや、ないけど。テレビでやってて、それで知ったんだ」


 半分くらい嘘だった。テレビでやっていたのは本当だけど、それを見たのは多分2018年とか2019年くらいの話。噓を吐くのはこれきりにしたい。でもそれはなかなか難しいことだったりする。一度嘘を吐けば今度は嘘を本当にするための嘘を吐くようになる。嘘は癖になるのだ。


「なるほど……いや他意は無いんですよ? ただ適当に濁して終わると思っていたのでつい……」


 自己嫌悪を隠しつつ聞いていると、徒凪さんからしても僕の言動に違和感があったようだった。まあそうかもしれない。学生時代の僕は小さな声で無難な同意をするだけだっただろうし、その疑いは最もだ。

 大人になると自分の意見を求められる機会もあって、その感覚のまま答えてしまった感は否めない。今後を考えればもっと目立たないようにしないと。強く僕はそう思った。



 

 



■■■呼び出し■■■


 昼休みになると僕と徒凪さんは机を合わせた。たった5日だったけど、もう徒凪さんは僕とこうして昼ご飯を食べることに何ら疑問も思わないほど自然に動いていた。


 徒凪さんのお弁当はその日も鮮やかだった。というか、3日目以降からより気合が入っている気がする。見てるだけで手間暇がかかりそうなおかずが彩りを放っていて、今日はエビチリがインしている。聞けば味付けから手作りだそうだ。恐るるべきは徒凪さんの料理レパートリーか。和食のみならず中華もいけるとは。将来はシェフかもしれない。


 一方で僕はおかずパンにサラダだった。どれもコンビニで買っている。この点は沙矢も同じだ。不満は無いけど、今後は弁当箱を買ったらお弁当でも作ろうかなと思っている。勿論沙矢の分も。

 沙矢にこの事を伝えたらわたしが作るからいいよとか言われる気がするので、取りあえず黙って食材を買い込もうかと思索にふけっていると、徒凪さんは僕に視線を振った。


「あの……私といて楽しいですか?」

「楽しいとは違うかな。でも安心する」

「そう、ですか」


 徒凪さんはゆっくりと言葉を紡ぐ。

 突然言われてびっくりはしたけど、これは本当のことだ。確かに徒凪さんはその場を盛り上げたりジョークを言うような人柄じゃないけど、僕としてはそちらの方が好ましかったりする。僕自身下ネタが苦手で、酔えばバンバンそういう言葉を口に出す所謂陽キャラと呼ばれる部類の人が苦手だったのもある。比べて徒凪さんみたいなお淑やかな女の子と僕は水が合っている気がしていた。

 なんだか非常に恥ずかしいことを考えている気がしたのでこの辺で思考を打ち切ることにする。


「徒凪さんみたいな人となら僕は何人でも仲良くなれると思うよ」

「それって褒められてますか……?」

「褒めてるよ。でもそうじゃないってことは、もしかしたら徒凪さんだけが持ってる固有の落ち着いた雰囲気が好きなのかも」


 そう言うと徒凪さんは視線を反らした。反らしながらも僕を目で追う。言ってから気付く。これ口説いてないよな。いや多分大丈夫だと思う。最近の子は結構進んでるって聞くし、このくらい平気で言うはずだ。でも僕にとっての最近って令和だからやっぱり微妙な発言だったかもしれない。


「折角だから徒凪さんが僕のことを、どう思っているか聞いても良い?」


 変な雰囲気になる前に僕は話のベクトルを変える。それに正直興味もある。人からどう思われているかなんてこれまで気にしたことはなかったけど、こうして一回りは歳の違う女の子がどう考えているかは少し興味がある。

 息をつくようにコホンと咳をすると、ゆっくりと徒凪さんは話し始める。


「緊張……してますよ。常に。最初に話しかけられたときは何だと思いましたけど……今ではなんというか……良い人だと思ってます」

「そっか」


 良い人かあ、そう思った。あまり好きじゃない表現だけど、徒凪さんから言われるとそうでもない。僕が大人だからだろうか。異性として見られることを除けば、割と高評価を得られているような気がして嬉しくなる。

 なんだろう。もしかしたらこれが友人ってものなのかもしれない。これまでリアルで一度も作れた試しはなかった。相手が女子高生って言うのは犯罪感があるけど、悪くない。寧ろおっさん同士で友人を語るよりも良いだろう、とか思ってしまう思考回路がもうおっさん臭いけど、それはさておき。


「それよりも勉強会、次はいつにしましょう。私なら今日とか、土曜とか空いてるんですが……」

「うーん」


 火照った頬を誤魔化すみたいに徒凪さんは話を変えた。思春期にはセンシティブな話だったかもしれない。

 僕は頷いて、明日以降の予定を思い出していると、横から声がかかる。初日に聞いた声。


「ちょっと面貸してくれない。アンタはいい、比影だけ」


 顔を上げる。僕の真横に立っていたのは虐めの主犯格だった。

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