5:Boy in Girl’s School



■■■登校■■■


 午前8時になると全ての準備を終えて僕と沙矢は外に出た。


 高校なんていつぶりに行くだろうか。高校時代の記憶が僕にはあまりない。何せ高校2年で中退している時点で、実際に通った期間など1年と数カ月程度でしかない。友達もいなかったし、それどころか僕は教室内で浮いていたような気がする。だから少し緊張する。


 東三葉高校。それが僕が通っていた高校の名前だ。

 普通の県立高校で学力的にも中の上といったところだった。選んだ理由は家から近くて程良い偏差値だったからという身も蓋もないもので、思い入れがないのも至極それはそうとしか言いようがない。今思えばもうちょっと高校選びの時点で卒業生の進学先とか授業のカリキュラムとか学校の風土とかを基準にして選定すべきだった気もする。まあそんな冷静な判断を愚かで無鉄砲だった中学時代の僕に期待しても無駄だろうけど。


 隣を見れば沙矢がご機嫌そうに歩いていた。沙矢は僕と同じ高校に通っていて、さっき知ったけど高校一年生らしい。当然のように一緒に家を出た訳もそれだった。陽気な鼻歌を口ずさみながら夏服のスカートを揺らしている様子は絵画になりそうなほど目が惹かれ、そして僕は思った。やっぱり僕にこんな妹が居るのは現実的じゃない。非現実的だ。

 僕が未だに妹の存在に否定的というか、存在の認識や許容はしても沙矢を認めることができていないのは偏に気まずいからだ。流石に心臓がバクバクするとかはないが、唐突にプライベートスペースに無遠慮に「えいやっ!」と踏み込んでくる存在が増えたら良い気分ではないだろう。別にそれが嫌いと言っている訳でもないけど、多分、僕は不安だった。僕がこの世界の僕じゃないことがバレないか。この謎の妹に僕自身が暴かれてどういう反応をするか。諸々の不安が重なって、僕は沙矢に心を完全には許せずにいる。まるで子供みたいだ。


 東三葉高校までは徒歩で15分ほどである。高校の敷地は大通りに面していて、周囲にはファストフード店やゲームセンター、あとイオンなんかもあって、放課後は学生で盛況となる。僕は人混みが得意じゃないからその周辺の商業施設へ足を運んだことは一度しかない。たった一度で二度と来ないと腹を決めたのは10年経っても記憶に新しい。


 残暑にじりじりと照らされて肌から汗が滲む。思考が眩む。

 この頃の9月はもうちょっと涼しかったと思っていたけど、実際には今と変わらないらしい。


 学校の敷居を跨いで、学年別となっている下駄箱で分かれた。

 下駄箱は出席番号でもって識別されているのは覚えている。昨日のうちに使っている授業用ノートを見て、クラスや出席番号をインプットしておいてよかったと心底思う。そうでなければ今頃僕は上履きを履かずに靴下のまま上がって徘徊者として学校中を歩き回っていたことだろう。


 僕の母校は単純で、2年生の教室は2階に位置する。1年生なら1階、3年生なら3階だ。


 階段を一つ上がり、在籍しているだろうクラスまでは想像よりも楽に辿り着いた。思わずゴクリと唾が喉を伝う音。自分のクラスに入るくらいでこんなに心臓が暴れるなんて。小心者だな僕は。


 意を決して入る。教室内はまだ疎らにしか生徒が入っていないみたいだ。そしてその登校済みの生徒は全員女学生。予想も覚悟もしていたけども、考えていた以上にとてもアウェイだ。敵地過ぎる。男子生徒は僕以外いないのだろうか。だとしたら勘弁してくれ。

 入室してからは僅かな間、纏わりつくように視線が僕へと集まった。すぐに散って行ったが、さながらクラスの人気者が現れたような反応だった。頭の中でのみ存在する27歳の僕は訝しげに眉を顰めた。学生時代の僕は注目を集めるような人種じゃなかったし、きっとそれはこの世界の僕もそうだろうと思ったからだ。でもこれは男女人口の偏りによる弊害かもしれない。その仮説が最も正しそうだ。


 教室内を移動しながら僕は一つ障害があることを思い出した。幾ら事前に自分の情報を下調べしても、教室内での自席の位置だけは判明しなかったのだ。流石に二学期の時点で席替えをしていないはずもないだろうから出席番号順という訳でもないはずだ。

 このまま彷徨っていてもそれこそ視線が集まりそうなので、手っ取り早くクラスメイトに聞くことに決める。聞く相手を選ぶ上で派手系の女の子は避けることにした。いい歳して何を言ってるんだと思うが、ギャルとまともなコミュニケーションを交わせる自信が僕には無かった。


 選んだのは教室の隅っこで大人しく座っている女の子だ。具体的には最後尾一つ手前の窓際の席。制服をきっちりと着込んでいて、髪はほんのり冷たさを帯びるかのように青みがかった銀色。このくらいの年齢の女の子にしても小柄な身体で、腕が短いのか制服が大きいのか、Yシャツの袖が余って手先で布がダボついている。小動物みたいだ。

 自信は無いけど元の世界では僕のクラスメイトにこんな子はいなかったはず。机の上に出ているノートをちらりと盗み見した限りだと徒凪夢乃あだなぎゆめのさんというらしい。苗字を見て確信した。僕の同級生にはこんな子はいなかった。


「おはよう。ちょっと聞きたいんだけどいいかな」

「お、おはようございます。なんでしょうか……?」


 徒凪さんは強張った笑みを浮かべる。警戒させてしまったかもしれない。普段教室で一言も喋らなかった男から声を掛けられれば何事かと思うのは無理もないか。

 出来る範囲で緊張を解くような笑顔を意識して、僕は横髪を触った。


「僕の席ってどこだか分かる? 夏休みボケがまだ直ってなくてね」

「ええと、後ろです……私の後ろ」

「そうだったっけ。僕ももう歳か」


 何言ってんだこいつ。なんて言われはしなかったものの、徒凪さんの目はそう告げていた。色が無い視線だ。高校生の頃の僕だったならばその無機質さに気圧されて100%自分から話しかけようとはしなかったタイプだろう。大人になってから漸くこういう子は案外引っ込み思案なだけで話してみれば中身は普通だと知った。我ながら精神的成長が遅いなと思うけど、こればかりは人間性と対人経験の問題だからしょうがないと納得してる。


「ありがとう徒凪さん」

「あ……私の名前を知ってたの?」

「クラスメイトだからね」


 僕のことを徒凪さんはじっと見てきた。ジトリと深い海の底みたいな目が僕を射抜く。そこには疑懼の色合いが含まれていた。流石に僕の前の席の住人というべきか、クラスメイトの名前など知らないと思われているようだった。より厳密には、クラスメイトだから、という動機部分に疑いが掛かってるようにも思えた。

 この世界の僕も人間関係が破滅的だったのは間違いない。きっと友達を一人作れば人間強度が下がると思っていたのだろう。過去の僕がそうだった。強大な黒歴史を前に身が竦むというか、背筋に氷山を叩き込まれたような気持ちだ。死にたい。


 気を取り直して。

 正直にノートを盗み見て知りましたでも良いが、でもご近所付き合いは大事だ。落胆されてこれっ切りの付き合いになるのは今後を見据えて良くないと思う。僕は10年前と同じ轍を踏むつもりは一切ない。

 ここは方便を使うところだろうという確信を得た僕は、ああいや、と前言撤回の枕詞を並べると。


「名前が特徴的だったし……後ろ髪が綺麗だったから覚えたんだ、徒凪さんの名前」


 言っていて恥ずかしくなった僕は目を反らした。名前が特徴的というだけだと少し印象悪いかと思って咄嗟にリカバリーしたのはいいが、果たしてなんで僕はこんな言葉ばかり並べてしまうのだろうか。自分で自分が恥ずかしい。口説き文句か。爆ぜろ。


「そうですか、そうですか……」


 下を向いたままささっとゴキブリみたいな俊敏性で僕は自席に着いた。

 冷凍スプレーみたく涼やかでのっぺりとした徒凪さんの声が恐ろしい。何で二度言ったのだろう。全然分からない。分からないけど、喜怒哀楽で表したら多分怒だと思ったので後ろの席から僕は祈ることにした。どうかご近所問題が起こりませんように。

 チャイムが鳴って次に顔を上げた時、徒凪さんの後ろ髪は太陽に照らされた南国の海みたいに煌めていて、ホントに綺麗に映えていた。そこだけは嘘にならなかったことにホッとする自分に少し嫌気が差した。






■■■二度目の学内での生活■■■


 授業は端的に言って魔法の呪文みたいに僕の耳をすり抜けていった。


 1限目(もうこの単語すら懐かしい)の数学の時点で、漸化式の概念が僕の右脳と左脳を通り過ぎた。直通快速、黒板発ゴミ箱行きである。


 2限目以降も僕の理解力が乏しいのか高校での単元を完璧に忘れてしまっているのか脳年齢だけ引き継いでしまっているのか、何はともあれ歯が立たない。唯一真面目に勉強していた時期である高認試験時代の知識はほぼ風化してしまっていて、授業中は教師から何を言われても、そんな用語あったな、とのうのうと相槌を打つことに終始した。


 極めつけは日本史だ。アレはもう僕の知る史実ではない。歴史上の偉人は大抵は僕にとっては無名の誰かさんに置き換わっていて、性別は当然のように女性ばかりだった。加えて現代日本を形成する布石となったマイルストーンも大きく違っていて、僕の知る事件や政治運動もあれば知らない戦争や革命があった。そんな無茶苦茶な軌跡を描いている癖して最終的にはなぜか僕の知る世界と似たような世界情勢に落ち着いている。現時点から逆算して歴史を作ったようだと感じてしまうほどだ。到底あり得ることではないが。


 朧げな記憶ではまだ試験は少し先だったと思う。それまで僕がこの世界にいるかどうかは不明だが、そうだった時のために少しは勉強しなければ必然的に未来で僕は大変苦しむことになる。しかしここで、じゃあ将来の栄光のため勉学に励もうじゃないか、と前向きになれるようなら僕は過去にあんな大学へ行っていない。もし大学受験をするなら旧帝大とか早慶とか、そういう上位の大学を目指すんじゃなくて家から近い程々の私立大学に入れるくらいにはやろう。そうでないにせよ経済学部経済学科みたいなマトモな学科名の学校に入学しよう。そうしよう。


 授業中に脳味噌がオーバフローを通り越して雑念で洪水してしまっているのに対して、授業間の10分休憩は非常に有意義に使っていた。即ち校内の探索だ。プレパラートよりも薄い学生時代の記憶はあれど、どの階に何があったかなんて僕は完全に忘れてしまった。移動教室があった時に1人でも移動できるように或る程度は校内の地図を頭に入れておいた方がいい。幸い、高校敷地内の構図は僕の世界のそれとあまり変わっていないようだった。


 その間クラスメイトから話しかけられることはなかった。それもそうだろう。結局このクラスの男子は僕一人で、聞くところによれば他クラスにも一人ずつしかいないらしい。せめて男子生徒を一クラスに纏めて欲しいと思うけど、この教室が社会の縮図だと考えれば納得はいった。社会に出ればこの状況がデフォルトになる。男一人が乗った天秤のもう片方に女性22人を乗せてやっとつり合いが取れるくらいに歪な人口比だ。子供の内から将来に向けて慣れて欲しいという大人の思いやりなのかもしれない。ちょっとショック療法が過ぎるとは思うけど合理性はある。

 

 徒凪さんに話しかけられることもなかった。まあ目の前の彼女は積極的に人と繋がろうというタイプに見えない。前の席に座っているために授業中は自ずと彼女の様子が目に入ってくるのだが、徒凪さんは真面目に授業を受けていた。逆説的に僕は理解を諦めた為に教室内を度々観察していたとも言える。読書をしているところは見たことないけど風貌だけなら文学少女そのものなので、多分成績優秀なんだろう。


 無為な授業と有意義な10分休憩を4回くらい繰り返すと昼休みになった。昼休みは50分だ。

 ほぼ女子高ともいえる僕のクラスは授業から解き放たれた開放感によってか、あちこちで大きな声で会話が始まる。その空気感は僕に回顧の念を催させた。学生の休み時間と違って社会人の昼休みは基本無言で常に静寂さを保っている。静寂、といってもただ全員が各々でスマホを弄っているだけだ。その様子は学生が見れば少し異様な光景に見えるかもしれないが、あれはあれで話しかけられる可能性も低く脳も休まり、存外悪くなかったりもする。でも学生時代の昼休みのこの空気感は唯一無二だ。あの輪に入った瞬間はついぞ無かったものの、不思議と懐かしさばかり感じてしまう。


 さて、と思って身体を持ち上げる。昼ごはんが無いから学食か購買にいかなきゃならないな。昼食については学生時代、僕は適当な菓子パンを持っていくだけの人間だった。それは多分この世界でも同じだ。弁当箱も家には無かったし。

 学食に行くのも良いけど人混みが面倒だなと思う。古今東西どこの世界でも昼時の学食が混み合うのは変わらないはずだ。


 大して悩まずに購買に行くことにした。購買も混んでいるけど、買ってしまえば後は適当に落ち着ける場所で食べればいい。


 学内を事前に探索していたおかげで購買の場所は完全に把握していた。正確には思い出していた。学食や購買がある棟は教室のある本棟とは別にあって、校舎から出て2分ほど歩いた体育棟の一階と二階に位置する。一階に広めの学食、二階に購買。三階は体育館と言った造りだ。


 教室を出るとあちこちで緩やかに女子生徒が購買の方向へ歩く流れが出来ていた。少し動きずらい。視線が飛んでくるわけではないが、それでも男の少なさから酷く場違い感を覚える。

 女子高に入学するライトノベルの主人公はきっとこんな気分を抱くのだろう、とか栓無きことを考えつつも無心で購買へ行くと、学食こそ混み合っているが購買は大して人気が無い。数人いるくらいだ。


 僕は適当な菓子パンと野菜ジュースを購入して、予め見繕っていたスポットへ移動する。

 屋上手前の階段。それが僕の目指すスポットだ。自分より一回り以上は若い異性オンリーの教室はやはりあまり居て心地の良い場所ではないし、どこでも良いから僕は一人に慣れる場所が欲しかった。そこで最上階の階段踊り場は最も適切な食事場所のように僕には思えたのだ。屋上が解放されていないことはさっき歩き回ったことで確認したし、男が沢山いるならば何かしらゲーム機とか持ち込んで隠れてやっているかもしれないが、この環境下なら誰も近寄らないんじゃないかという下心があった。


 袋を握り締めて再度校舎へと戻って階段を上る。ふんわりとした空気とすれ違いながら教室のある三階、移動教室が軒並み揃った四階を過ぎると何だか上が騒がしいことに気付いた。残念なことに先客がいるらしい。


「調子に乗ってんじゃねえよ。何とか言わないの? 悔しくないの?」


 何かを叩くような音が響いた。一気に僕の気分は宜しくないものになる。

 僕の暫定リフレッシュスポットは、人気の無いのを良いことに虐めの現場になっていた。


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