4:ファンタジーの足跡
■■■変わらぬ世界■■■
目が醒めて、最初にしたことは自身の身体を鏡に写すことだった。常識的にタイムリープだのパラレルワールドだのはあり得ない、昨日のことは夢だと薄々感じていたからである。
だがその疑いはすぐに晴れた。何度目を擦っても、頬を抓ってみても、そこにある僕の身体は若々しい高校生そのものだった。現実だ。嘘みたいな現実だ。
身体を伸ばしたり腕を回してみても関節が一度も鳴らない、デキた身体に驚きつつも僕は身支度を整えていく。朝5時とまだ早い時間だったけど身体を確かめるうちに目は完全に冴えてしまった。
まあ、という訳でだ。
世界が元に戻っていないので、今日は高校に行かなくてはならない。
気分的には初登校日だけどもカレンダーを見れば授業自体は先週から始まっている。因みにその前の週は夏休みだったらしい。夏休みと言えば僕もフリーターになって以降は度々夏休みが訪れた。世間的には離職期間と言われる日々の事である。離職期間は求人票を薄目で見ては求人に応募しつつも、大抵の時間はアニメゲームに費やされた。振り返れば生産性は欠片も無く、僕はただ生きているだけの二十代を過ごしていた。僕は駄目な社会人の見本だったと思うけど、一般的に比較して学生の長期休暇というのは社会人よりもやれることが多い。何せ生活のために就職活動をしたり、将来の不安感から深酒をする必要が無いからだ。課外活動し放題だ。人生の先立ちとして夏休みは学生の特権だぞと同級生に説教しないか、今から自分自身が心配だったりする。
学生服に手を掛けて身に着けてみる。
精神的にはコスプレ感があってやりづらいが、見た目はどこのゲーセンにもメロンブックスにも出没する普通の男子高校生だ。実際に高校時代はそういう場所への出入りもしていた。退学してその後からは高認試験で忙しくなって、大学へ入った後は興味を失って行くことはなくなったけど。
そう言えばこの世界の僕の部屋には全然漫画が無いなと思った。今はサブスクで電子書籍は使っているけど、当時は普通に漫画やラノベを買っては読み耽っていた。当然僕の本棚にはそれなりの冊数があったと記憶している。でもこの世界の僕は二次元に入れ込んでないのか、本棚に収納されている殆どは普通の小説や文芸書、あと中二病の臭いがプンプン漂う哲学書ばかりだった。ラノベや漫画は合わせて20冊程度。パラレルワールドだからだろうか。少し気になる点だ。
最後にネクタイを締めようとしたところで、ネクタイなんて学生は普段着用しないことを思い出して、僕はそっとネクタイを衣装ケースに戻す。
僕の心は学生ではなく、社会人だった。
■■■朝のニュース■■■
歯を磨いたり髪を整えたりと、洗面所で軽い身支度を整えた僕はキッチンへと足を運んだ。まだ電気が点いてない。恐らくこの家の家事を一手に担っているだろう沙矢も、育ち盛りな年頃とあってかまだ起きてない。閉じられたカーテンから透けて漏れ出した朝日の光だけがこの部屋を薄明と照らしている。
朝飯の準備だ。僕には朝からハニトーを作ろうだなんて奇抜なアイデアは無いので、作るのは普通の朝食。平時なら食パンをトースターで焼いて、冷蔵庫から取り出したヨーグルトを適当な皿に盛って終わりだ。でもそれだと少し味気ないだろう。それに昨日は僕の好みかどうかはさておき、ハニトーなんて手間のかかる物を作ったんだから僕からも多少はお返しをしないといけないな、などという多少の人情も感じていた。
まあそう言っても僕は料理が得意という訳でもない。必然的に何か簡単なものを作る方向性で考えて、プラス一品としてベーコンスクランブルエッグを作ることに決めた。
沙矢が起きたのは時計の針が6時を指し示した頃合いだった。リビングのドアが開く音がして、僕は一瞬ドクっと心臓が鳴る。理屈では分かっていても他人が同じ家に住んでいる感覚にまだ僕は適応できていなかった。
「おはよー……。ってお兄ちゃんが朝食作ってる!?」
「おーおはよ。そんな変かな」
「だって作ったこと一度だって無かったよね!?」
おっと、この世界の僕はどうやら日常的に妹のヒモをやっていたみたいだ。確かに学生時代の僕は割と怠惰だったし、やる必要がないなら家事もやらなかっただろう。少し自分が情けなくなってきた。
言い訳を考えなくちゃならないなと考えて、後頭部辺りが痒くなる。目を丸くして驚きながらも次の瞬間には疑いの目を向けた沙矢に対して、どう説明しようかと一瞬だけ悩んで、思いつく気配が欠片も無かったから諦めて今日から本気出したと言い張ることにした。
「早起きしたからね。朝活ってやつだよ。それに沙矢に全部やらせるのは兄としてどうかと思ったからさ」
「そんな……お兄ちゃんが真人間になっちゃった……」
良いことのはずなのに沙矢は哀しそうに言った。僕は内心で首を傾げる。沙矢の感情が分からないが、まあいいか。この話に突っ込んだらより深い疑念を沙矢に植え付けてしまいそうだ。そうなると僕は困る。大いに困る。
「それよりも沙矢、朝ごはんの準備を手伝ってくれないかな。僕じゃ皿が何処にあるか分からなくてさ」
「お、いいよー。するする」
話を逸らすことにした。皿の場所は本当は分かるけど、この世界の僕は知らない。それを知っている沙矢は途端に0から100へ笑顔を花開かせ、タタタと僕の横に並んで食器棚を探り始めた。何で嬉しそうなんだろうか。僕には沙矢の気持ちが全然分からない。対話がまだ足りていないのかもしれない。
朝食の支度を終えると、いただきますと手を合わせて食べ始める。この時間になれば朝の陽射しが床を照らして、その実家の景色は再び僕の心に懐かしさを思い出させる。
「お兄ちゃん、テレビつけていい?」
「うん」
沙矢は腕を一杯伸ばすとリモコンを手繰り寄せてテレビの画面を点けた。
テレビのチャンネルは昨日から変えてなかったらしく情報番組がやっていた。女性アナウンサーが話している構図は僕の感覚と差異がなくて、精神的に素晴らしい。
しかし、僕の頭は次のニュースの見出し写真が写った瞬間、電源を抜いたみたいにフリーズした。
『次のニュースです。またもや悪の怪人が都内に出没しました』
暗い街中に、鮭の頭を据えた人型の何かが立つ写真だった。
えっと……えっと? 悪の怪人?
何も理解できていない。思考が空転している感覚はつい昨日ぶりだった。常識がまた一つ壊れる音がする。もしかしたら頭の血管の一本くらいはプチっと切れたかもしれない。それくらい衝撃というか、現実に置いて行かれている。現実がまたもや唸りを上げてアクセルをベタ踏みにして僕を追い越した。
『悪の怪人は前回二年前の冬に北海道に出没し、逃亡した鮭の怪人と同一と見られています。鮭の怪人は30分ほど暴れたのちに現地に駆け付けた魔法少女によって退治されました。この怪人騒動による死傷者は出ませんでした』
魔法少女……魔法少女?
それは僕が知っているようなアレだろうか。僕の頭の一方では日曜朝8時にやっている典型的な魔法少女作品が思い浮かぶ。ラブ&パワーみたいなやつだ。もう一方では深夜2時くらいにやっている、魔法少女が過酷な運命と戦って死んでしまう作品が思い浮かぶ。こんなのってないよ。
どっちだろうか。何となく後者な気がする。特に根拠はない。でも現実はクソゲーで残酷だから、類似性を鑑みたら魔法少女も大変な労働環境で働いている気がする。魔法少女が労働者かどうかは一考の余地がありそうだが、世間的に認知されているくらいだ、魔法少女の組織とかはあるんだろう。組織があるなら立場もある。魔法少女係長とか魔法少女事業部長とか存在するんだろうか。何か下手なコメディー作品みたいで失笑しそうになるから止めて欲しい。そうか、これもこの世界では現実なのか……。
「お兄ちゃんどうしたの?」
「え……いや。何でもないんだ」
「そうなの? なんかビックリしているっていうか、変だよ?」
現実に打ちひしがれて蘊奥していれば、沙矢から心配するように声が掛かった。
僕は誰からでも見抜かれるくらい新たな現実に震撼しているようだ。いやでもそれは当たり前だ。男女比が偏るのはまだ分かる。今も適応はしていないとは言え、慣れてしまえば女性が多いだけだ。でも魔法少女は違うだろう。それはただのファンタジーだ。それも子供向けのファンタジーだ。
……冗談だったりしないよな。
「沙矢は魔法少女になりたいと思う?」
「ホントに突然どうしたの。魔法少女って……」
「いやね、こういうの見て女の子って憧れるのかなってつい思って」
敢えて真面目ぶって話す。ジョークニュースなら半笑いされながら僕が変な事を言ったと思われて終わるだけだ。失うものは貴重な沙矢からの信用くらいで、うん、考えてみればちょっと惜しいな。でもそれ以上にこの非現実的な魔法少女の存在を僕は否定してほしかったのかもしれない。
だが沙矢が魔法少女という職業について、そりゃ憧れはあるけどねー、と口をモゴモゴさせながら話し始めた時点で僕はこの現実がファンタジーであることを悟った。
「衣装は可愛いし人を助ける仕事はカッコいいなぁーとは思うけどね。わたしはいいかなー。それに誰でもなれる訳じゃないらしいから、わたしじゃ無理だよ」
「そっか」
沙矢は食パンを食べながら割とどうでもよさそうに話した。特段そういう願望はないらしい、少しホッとした。社会は浸食されているけど、少なくとも我が家はまだ魔法少女に侵されていない。その事実だけが今の僕にとって救いだった。
そう思って心の整理をつけていると、沙矢は恐る恐るといった形相で唇を戦慄かせる。
「お、お兄ちゃんこそ魔法少女がいいの?」
「え?」
「魔法少女ってほら、可愛いし強いし社会的地位もあるし。お兄ちゃんもそういう子が好きなのかなって思ったりみたりして……」
「いや、いやいや。ないよ」
質問の内容があんまりに思えて即答してしまった。中身の年齢アラサーが魔法少女(推定年齢は小学生~中学生くらいだろうか)をタイプと答えるのはあまりにも社会倫理的に良くない。道徳に反する。精神を守るべく良心が烈火の如く反発して口から突いて出てしまった否定の言葉について、言ってからまた考えたけどやっぱり結論は否だった。
「ただ魔法少女ってどうなんだろうって気になっただけで、深い意図は無いんだ」
「そっか、そうなんだ。それならいいけど……そっか」
何度も僕の言葉を反芻するように沙矢は頷いた。何かを考えているようだった。だけどそれが何かは見当もつかない。沙矢の事を僕は知らないからだ。僕の両親なら分かるだろうかと考えて、無いなとすぐに切り捨てる。僕は両親と過ごした期間が多くない、それはこの世界の僕と沙矢も同じだろう。一番沙矢の事を理解していたのはこの世界の僕に違いない。溜息が出そうになる。
見方によっては挙動不審な沙矢の様子について僕は結局、年頃の異性の心は特に分からないなと、ある種の諦観を抱きながらコーヒーを啜ることにして理解を放棄した。
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