1:2013年のアナザーシスター


■■■タイムリープの目覚め■■■


 僕が2013年9月へ、過去へ戻ってしまったと気付いたのはついさっきのことだった。


 普段通り起床して、あれ、なんだか身体が軽いな。なんて思ったのが最初の違和感だった。もう身体能力も健康も定期的にメンテナンスしない限りは落ちる一方だった僕は肩とか既に凝りまくっていたし、大抵の時は何もなくとも身体が重くなっていた。


 その後、スマホを見る。無くて焦る。そもそも部屋が今まで一人暮らししてきた部屋とは違ってさらに焦った。どことなく見覚えのある子ども部屋だ。そう思っていれば段々と靄が晴れるように、少年期を過ごした部屋であることに僕は気付いた。


 次に日付を見た。そう言えば当時はスマホじゃなくてまだ僕はガラケーを使っていた。ガラパゴス携帯だ。今でこそ時代の潮流に呑まれてほぼ絶滅してしまったが、2010年代前半ならまだ使っている人も多かったのだ。僕もその一人だった。当然、過去の話である。随分と前にスマホの多機能性だとかソシャゲへの憧れだとかに惹かれて買い替えて、今は安い中華製を使っている。


 しかしそんなガラケーは何故か手元に存在した。ベッドの横に据え付けられたサイドテーブルの上に。

 何も考えずに懐かしいガラケーをぱかっと開く。ディスプレイにカレンダーが表示される。2013年。おかしいと思った。バグってしまったのか、それとも長らく使ってないから電池がイカれて時間が止まってしまったのかと思った。

 でも、それもどうも違うらしい。そう思った根拠は明確に、そのガラケーを僕が頻繁に使っている形跡があったからだ。

 開いた瞬間に画面が点くということは充電されているということだ。僕はこの数年間、このガラケーに触れもしていない。それに放置していた割には機械自体が新しい。新品とまではいかないが、機械の外見的な損傷も傷も無い。小さな傷はあるが、それだけしかないのは奇妙な事だった。


 僕は寝ぼけ眼のまま混乱しながら自分の姿を見ようと立ち上がる。

 部屋に鏡がある。実家の自室に入ったのはもう何年も前のことなのに、10代の記憶はとても強固な物のようで、どこに何があるかくらいはあまり冷静じゃない僕の頭でも一瞬で判断できていた。おかげで鏡はすぐに見つかった。


 そこで驚いた。

 僕は全くもって冴えない20代後半の男だったのに、少し陰気な印象はあれど10代の若々しい学生の頃の外見になっていたのだから当然だ。そこで漸く僕は過去へ戻ってしまっていると、自分がアニメみたいな体験をしてしまっていると、遂に理解したのだ。





■■■知らない家族■■■


 僕の親は家にはあまり居ない。別居中というのもある。父と母は中学生の頃に喧嘩して、激情に身を任せたまま母が家を出ていった。つまり僕の実家は父と僕しか住んでいない、ということになるのだが。

 父も家にいる機会が少ないのは、非常にエリートな仕事に就いている為に出張が多いからだった。職業については良くは知らない。小学校の宿題で親の仕事についてインタビューするというものがあって、その時に初めて地球の裏側に住む顧客と商談を行うようなサラリーマンであるらしいと知った。ただ父は僕に興味が無かったのか、職務上の理由からか、自分の仕事について僕に多くを話すことはしなかった。


 要するに僕は学生時代、殆どの時間で一人暮らしに近い生活を送っていた。父は年に一度帰ってくるかどうかで、当時僕が高校中退を簡単に選べてしまったのはそういう親の無関心も原因だっただろう。中退した理由も、高校の人間関係が面倒になった、なんて非常にしょうもないものだっただし。


 過去に戻ったことを半信半疑ながら受け入れた僕は自室を出て、色々と考える時間を整えようとリビングへと赴くことにした。

 時間的にまだ朝で、カレンダーは日曜日を示していた。中退したのは高校二年の冬だったからまだ僕は高校生だろう、多分。だから学生の義務として高校には行くべきだと考えていた。それにあの頃は何も実感が無かったが、学歴は大事だ。就活をすると面接の度に何で中退したのか聞かれることになって、それが普通に嫌だった。話すほどのエピソードも無かった僕はほとほと困ったし、なら中退はしない方が良い。言っていて当然な気はしたけど僕からすれば大事なことだ。


 二階の一角が僕の部屋だ。

 実家は一軒家で、二階には部屋が四つある。他二つは両親の部屋、別居が始まってからは片方は空き部屋と化した。それから物置きとなっている空き部屋が一つ。一階はリビングとか浴室やトイレとか、まあ普通の家じゃないかと思う。


 少し懐かしい実家の階段を下りて、リビングの扉を開く。


「あ、お兄ちゃんおはよ~」


 朝の挨拶だ。でも僕の思考回路は急停止した。

 目の前の人物が認識できなかったからだ。


 女の子だった。多分中学生か高校生。黒髪をセミロングに伸ばしていて、ミントみたいに爽やかな緑色の双眸。目尻は下がっていて、口元は微笑むように弧を描いている。ラフなパーカーを着て、下はピンクのスカート。

 とにかく知らない人物だった。

 全くもって僕の知らない人物だった。


 お兄ちゃん? いや僕は一人っ子だったはずだ、いや実際にそうだった。高校時代は両親が帰らないからここで一人暮らししていたのだし、そうだった。

 じゃあ目の前にいる我が家に入り浸った様子のこの女の子は不審者か? そう問われれば論理的に間違いなく不審者なのだが、そう考えるよりも先に過去の自分の素行を思い出す。

 僕は人生で一度も異性を家に上げたことが無い。どれだけ他人から揶揄されても、それが悲しいことだと思ったことは人生において無かった。僕の恋愛観は錆びれていて、正直、一人で生きていく方が気楽だと考えているからだ。そんな僕が広い家で一人暮らしという好条件があるとはいえ異性を家に上げるなんてしないだろう。

 そもそも彼女は何て言ったと思う? お兄さんだぞ? そういうデリヘルでも呼んだのか過去の僕よ。


「何固まってるの? 朝ごはん作ったから早く食べようよ~。わたしお腹ペコペコティウス」


 訳が分からないまま僕はお兄ちゃん呼びする謎の存在に背中を押されて、テーブルの前の椅子につく。テーブルにも椅子にも見覚えがある、学生時代に使っていた実家のそれだ。一瞬落ち着く。でも目の前でニコニコと愛嬌良く笑う目の前の存在だけ分からずすぐに身が強張る。ただでさえタイムリープとかいう超自然的な現象が起きているのに誰だ。誰なんだ。


「あの……」

「なに? あ、もしかしてハニトーが気になっちゃった? 食べてみたかったんだよねこれ……あ、でもわたしは太りたくないからお兄ちゃん多めに食べてね」

「ハニトー?」


 言われて皿の上を見る。ハニトーだ。ハニートースト。しかも結構本格的で、立方体のパンの上から蜂蜜が垂れている。皿の脇にはアイスクリームがちょこんと盛られ、ミントが添えられている。目の前の妹を名乗る人物はかなり凝り性なのかもしれない。いやそんなことはどうでもよくて。


「知らない? 確かにあんまりメジャーな食べ物じゃないか……でも可愛いくないこれ?」

「いや知ってるが……知ってるけども……秋葉原のカラオケとかで偶に売ってるし」

「秋葉原のカラオケ? それは知らないけど」


 言われてから、そう言えばあのカラオケでハニトーが売られ始めるのはもうちょっと後のことだったかもな、とか思い出す。


「お兄ちゃんはオタクさんだからねぇ」

「オタクと言われても反論は出来ないけど、今の秋葉原がオタクの街という偏見があるのなら捨てた方がいいぞ。あそこは既に闇鍋と化してる」

「そうなのかな? 前やっていたテレビだと結構オタクさんっぽい人多かったよ?」


 へぇ、そうなのか。思い出してみれば2013年ならそんなものなのかもしれない。

 いやちょっと待て。僕はなにアホみたいに冷静に受け答えをしてるんだ。違うだろ、今すべきことは現状把握と次に何をすべきか考案することだ。


「アキバのことはいいんだ。それより今って2013年だよね、2013年9月10日」

「うん、そうだよ。どうしたの? タイムリープでもしてきた?」

「そう言いたいところだけどね……どう思う?」

「なにそれー。変な冗談覚えちゃって、またアニメ?」


 そう言って微かに首を傾げた。

 すぐにタイムリープの話が出てくる辺り、アニメとか映画には結構通じているみたいだ。ここでうんと頷きたいのは山々だが、普通に考えて令和時代からやってきましたと言われて納得する人間は存在しない。その上で、すまないが君には覚えがない誰だろうか、とか重ねて失言を漏らしてしまえば役満クラスの不信感を与えそうだ。どうやら今までの僕とは非常に仲良かったみたいだし、その関係性は利用すべきだろう。


「そこまで拗らせてないからね」

「そうかなぁ……お兄ちゃんって結構影響されるほうじゃん。中学2年の頃、コートの裏にナイフを忍ばせてたのわたし忘れてないよ?」

「は?」


 意識外から隕石を落とされた。呆気にとられる。

 同時に凄い勢いで思い出してきた。確かに遥か昔、若気の至りでそんなこともした記憶がある。でも何でそれを知ってるんだそれを。僕の思春期の黒歴史を。

 呆れたように目を細めながら眼前の人物は口を開く。


「ちゃんと刃渡り6㎝未満のものを選んで携帯してたよね。法律に触れない長さなのがお兄ちゃんの保身を感じてわたし的には感心だったかも」

「それは感心なのか?」

「身内から前科者を出したくないじゃん」


 とても納得できる理由だった。

 いやじゃなくて。


「そのことは忘れてほしい。じゃあ明日は学校か……面倒だなぁ……」

「だめだよお兄ちゃん。ただでさえ引きこもりがちなのに社会に出たらより加速しちゃうじゃん。お兄ちゃん男なんだし」


 男なんだし、という言葉が今の言葉の流れにそぐわない一文だった気がしたけど無視することにした。今はそこまで気が回らない。

 ともあれ簡単な鎌掛けだったがやはり僕は高校に通っているらしい。時期的には間違いなくそうだとは思っていたとはいえ、確証を得れたのはよかった。


「別に行かない訳じゃないよ。行きたくないだけで。僕だって学歴の重要性については分かってるつもりだからね」

「またそんな女の子みたいなこと言って……」


 何故か不安そうに翠色の瞳が揺れた。僕の事を心配して言ってるように思える。

 でも学歴の重要性を説くならばそれこそ男女ともに当てはまる。今の時代は頭の回転速度、教養、知性で将来が決まる。そこに男女の差異は無い……寧ろ歴史学上では男の方が大事だろう。


 ハニトーを切り分けて口に含む。直接的な甘さが広がった。

 難しいことは後に回して、とにかく僕はこの一日を観察に回すことにした。


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