冴えない27歳ニートがタイムリープしたと思ったら男女比狂ってる上にそこはかとなくファンタジーだった話

金木桂

プロローグ:目覚めのニート


■■■現状の確認■■■


 どうやら今は夏らしい。蝉時雨が耳を突き刺し、頭をガンガンと揺さぶられる感覚に少し懐かしさを覚える。


 今日は2013年9月10日だそうだ。


 2013年って何が起きた年だったろうか。

 東日本大震災が起きたのが2011年だから、その2年後だ。震災自粛ムードは少し前に消え去り、徐々に企業は平時の経済活動を取り戻しつつある真っ只中。

 アベノミクスなんてものあったかもしれない。3本の矢とか言って、具体的にそれが何を意味するのかは人生でついぞ関心を抱かなかったけど、確か政策の柱となる達成目標だったような気がする。マニュフェストと言うんだっけ。政治はさっぱりだ。


 そういやアニメなんかこの頃が丁度黄金世代だったな。

 などと、贔屓交じりにそう感じるのは僕が丁度世代だからというのもあるだろう。ただ、今でも語り継がれるような名作の密度が濃かったのは2010年前後だったのは間違いない話だ。コメントが流れる動画サイトだって黄金期だったわけだし。こっちはもっと間違いない。


 そんな栓の無いことを思い出しつつ、特に意味もなく夏空を見上げた。空は変わってなかった。記憶と違わぬ薄青とした色合いが広がっている。


「お兄ちゃん、そっちは行き止まりだよ?」

「あれ、そうだったかな。忘れてたよ」

「もー方向音痴になっちゃったの?」


 妹に言われて僕は当てもなく後頭部を掻いた。この周辺は地元だから子供のころから良く歩いていたし、感覚的にも道が繋がっているはずだった。しかし違うと言われればそうかもしれない。

 なにせ2013年だった。

 そして僕は2023年に生きていた。生きているはずだった。


「なんで突然散歩しようだなんて言い出したの?」

「ただの気分転換だよ」

「えー。お兄ちゃん、気分転換はネットサーフィンでいけるから外出とか合理的じゃないとか言ってたよね?」


 過去の僕なら言いそうなことを妹が得意げに言った。黒歴史とご対面している気分になって思わず上を見上げる。空は青いのに過去はこんなにも真っ暗だった。


「考え方が変わったからね。沙矢もその内大人になれば分かるよ」

「何それ意味が分からないって。まったくやれやれですなーお兄ちゃんには」


 芝居みたいに大げさに肩を竦めて妹は立ち止まる。

 因みにだが僕に妹はいない。いや、今まではいなかったというのが正しい。


 比影壮一ひかげそういち。1996年生まれの今年27歳。ついでに一人っ子。

 僕は現在進行形でタイムリープというものを経験しているみたいだ。






■■■2023年までの僕■■■


 青年期も後半へと行き着いた僕の正体はただのニートだった。


 大学を中退したのがその第一歩だったのだろう。

 その前に高校を中退していた僕は程々に回る頭を生かして高認試験を受け合格、モラトリアムを享受するためだけに年齢的には一浪で大学に入学した。

 大学は僕の思っていた通りの世界で、目新しいのも最初だけだった。

 入学したのは経済学部ネイチャーエコノミー学科という、どこか胡散臭さを感じる学科名だった。学部名はちゃんと経済と日本語なのに学科名はエコノミーと英語、これが非常にまどろっこしいことこの上なく、当時の僕は嫌いだったと記憶している。今は何とも思わない。就活で何度もこの学科名を連呼して慣れたからだ。そして面接官から送られる、新設大学特有のキラキラ学科名ってことはボーダーフリー出身か、といった露骨な態度にも。でもこの大学しか受からなかったからしょうがない。


 最初の数週間は真面目に勉強した。すると5月になる。つまりゴールデンウイーク到来というわけだ。

 ゴールデンウィークを挟んで学生の出席率が著しく低くなると、その直前の講義でぼやくように教授が言うところを聞いていた。ちらりと既に出席率が5割も怪しい教室内を見て、そういうもんかと僕は聞き流したが、僕がまさしくその手の人種に該当していたことに気付いたのはゴールデンウィークが終わって1カ月後のことである。


 ゴールデンウィーク中はバイトをした。特にこれといって理由は無かったが、敢えて言うなら金があれば何かしら便利だろうと思ったからだ。これが意外なことに悪くない。楽しいとまでは行かずとも、預金通帳の数字の桁が増えるのを眺めるのは割と達成感がある。無趣味だった僕の唯一の趣味がそれだった。

 反対に大学は面白くなかった。勉強自体は専門的だが、やってることは結局高校と同じだからだ。うつらうつらと聞いていればIS-LMモデルではうんぬん、均衡利子率の求め方はかんぬん。何も分からないし興味もない。僕にアダムスミスの遺伝子は1ミクロンも存在していなかったらしい。


 当然のように僕は大学へ行かなくなった。バイトに精を出すようになったからだ。

 別に大学が嫌いなわけじゃなかった。流石の僕も大学くらいは卒業しとかないと将来困るだろうなと確信していたし、選んで行ってないだけだと自己肯定していた気がする。だから自分の事を落伍者と認識しなかった。実際、選択して行ってない人間の方がマズイのに。


 1年経ち、冬休みになって程なくすれば当然のように僕は大学を退学した。親曰く学費の無駄らしい。仰る通りである。

 またその頃にはバイトも辞めていた。単純に飽きたからだ。それ以上に高尚な理由も、最低な理由も存在しなかった。


 そうして当時下宿先としてた安アパートでニート生活が始まると、親からの仕送りを頼りにぐうたら生活を僕始めることになる。

 ゲーム、ネット、食事睡眠。その繰り返し。

 面白かったかといえば面白くは無かった。退屈でさえあった。でも楽だったから、こんなことをしてていいのだろうかという一抹の冷たさを覚えつつも両足を沼に取られた僕はずるずると1年間その暮らしを続けた。


 ある日、仕送りが来なくなった。親が僕を見限ったのだ。そりゃ当然だよなと思う。寧ろ1年もよく我慢していた気がする。

 仕送りが無くなったと言っても貯金が全く無かったわけでは無かった。一応大学1年生の頃にバイトをしていたからその貯金が70万円くらい残っていたのだ。だから危機感は無かったし、両親への怒りも特には湧かなった。代わりに脳裏にあったのは就職という二文字だった。


 少し苦戦はしたものの、二か月後には僕は契約社員として就職をした。今度の理由は明白で、生きるためだった。


 就職先は通信会社のコールセンターだった。決め手は時給で、普通にアルバイトするよりかは実入りが幾何かよかった。社会保険もある。それから座り仕事というのも魅力的に映った。学生時代、体育の授業で受けた僕の体力テストはD評価だったからだ。今でも全体から見てどのくらいの水準かは分からないけど、相当低位だろうと思う。


 数日OJTと称した先輩オペレーターの業務を観察するだけの放置プレイを経験し、多少の知識を即席麵すら作れるか怪しい短時間で叩き込まれた僕はすぐさま玄界灘から飛び降りる気持ちで現場入りした。


 仕事は案外楽だった。

 断じて言うが、僕は仕事が出来たわけじゃなかった。初期の頃は覚えていない知識もあれば、クレーマーへの対処なんて僕はかなり適当であった。それでも僕は僕の考える以上に弁が立つ、というよりも、人に興味が無かった。だから人からどう思われようが構わないと考えていた。

 基本はマニュアル対応だったから苦労をした覚えはない。もしクレームが来ても虚偽と詭弁を織り交ぜつつ一番角が立たない着地点に最短距離で話を持ち運ぶ、言わば電話対応RTA紛いなことを続け、気付いてみれば顧客評価で現場一番のオペレーターとしてスーパバイザーから表彰されていた。そこで僕は思った。社会ってクソゲーだなと。


 真面目な人間も当然僕の職場にはいた。それも沢山。でもそういうタイプは中々長続きせず、短期で辞めていくケースが多かった。リンゴが上から下に落ちて土に埋まるのと同じことだ。オペレーターにとってお客様は絶対的上位存在で逆らえない。そんな神にも等しい輩から、或ること無いこと理不尽なクレームを連日浴びせられた日にはそれはまあ病む。どれだけ自分の対応が上手くなろうとも、受け答えを改善しようとも、次に掛かってくる電話がまたクレームかもしれないのだ。そりゃ仕事が嫌になるだろうなと思った。ここで生き残るのは僕みたいな利己主義な人間か、その点を上手く折り合いをつけた器用な人間だった。正直、後者についてはもっと上の会社でより良い給料をもらいながら仕事が出来ると思うが、ベテランとして幅を利かせられるのが良いのか、はたまたまさか仕事が好きなのか、全然辞める気配などなかったことを覚えている。


 僕も辞めない人間の一人だった。この仕事以外に適性を感じなかったし、探す気力も無かった。生活にも困らなったから新たに正社員を目指す気概も無かった。そうして派遣オペレーターを纏めるリーダーにはなったけど、それが意味するのは年数を無為に重ねたという事実だけで特に感慨はなかった。ただただ虚しい。


 ずるずると五年くらい続けて、唐突に会社が潰れた。倒産だった。


 原因は明白としていた。

 まず最初に通信障害が起きた。何でもコアルーターの夜間設定変更作業をする際、誤って双方向通信が出来ないような設定にしてしまったらしい。つまりユーザーは通信会社内のネットワークへパケットは送れるが、会社内から外部への通信がドロップしてしまう、みたい状況だったそうだ。

 僕は技術者じゃないからその辺は10%も理解してないが、ともあれ倒産直前数カ月の間はクレームは酷い件数で、あと解約の申し込みもとんでもない件数だった。日に100件や200件じゃ効かない数だ。倒産するのも納得だった。


 因みに障害はこれで終わらなかった。技術者たちは障害が起きたと分かった途端、慌ててコアルーターの設定を切り戻したのだが、それがまた良くなかったみたいだ。ニュースではなんだかったか。STPだったか、RSTPだったか。多分そんな文字列がしきりに取り上げられていた気がするけど、それが何なのかは僕にはさっぱり分からない。理解する必要も感じないなと思う。大事なのは最終的に僕の働いていた会社は顧客からの信頼を完璧に失墜させて、潰れてしまった。それだけだ。


 そんなわけで僕は再びニートへと華やかな転身を遂げて、少しの時間穏やかに過ごした後、やっぱり就職した。今度は酒屋のアルバイトだ。

 問題は生活費じゃなかった。無趣味の僕は貯金だけは無駄にあったし、何だかんだと節制気味だったために150万以上は貯金はあったのだ。数カ月はニートが出来る計算だ。それを蹴ってまで就職を選んだのは、結局のところ退屈だったからだ。ニート時代を思い返してみれば本当に何も無かった。喜怒哀楽はなければ、一方で漠然とした不安は常に付き纏った。我ながら意外なことにニートの才能は無いことに驚いたのもこの時だ。


 次の職場も適正があるコールセンターを選ばなかったのは、実のところ自分でも理由が明確ではない。コールセンターが無意識に嫌になったのかもしれないし、大学時代と同じように飽きたのかもしれない。だが最もありえそうな動機は人と話したいと思った、これかもしれない。コールセンターでは常にスタンドプレイで僕は同僚とは仕事以外であまり話さなかったし、話し相手は顧客かクレーマーだ。なんというか、人情を求めていたのかもしれないと今なら思える。


 しかし僕には能力が無かった。接客のである。

 5年間のコールセンター勤務は僕から可愛らしさというものを奪い去ったようで、僕の理屈屁理屈が混じり切った言葉に店長は呆れを切らして半年でクビになった。特に客への対応がダメダメだったらしい。確かに僕は客から喧嘩を売られると、どうしようかと思いながら後ろ髪を擦りながら、適当に言い分を理解するふりをしつつ言いくるめようとした。勿論冷静に、理性的に。

 だがそんな云為は居酒屋では、引いては接客では求められていなかったようだ。それを僕は理解できていなかった。接客で必要なのはとにかく客に寄り添い、絶え間ない気遣いを欠かさないことだと気付いたのは辞めた後だった。まあ気付いたところで解決しなかっただろうけど。僕はあまり他人に興味が無いからどうせ気遣いなんて出来なかったはずだ。


 3年は照明のスイッチを切り替えるみたいに頻繁にニートとアルバイトを繰り返した。

 飲食に見切りをつけてまたコールセンターで働いてみることもあった。でも半年で辞めた。そこのコールセンターは前と違い、注文受注業務だった。いわゆるテレビショッピングというやつだ。

 前は業務内容が通信回線や端末に関するヘルプデスク業務や契約業務くらいなもので、波風立てず問題を解決する(或いはしたかのように見せかける)能力が重宝された。対してここは顧客により物を売りつけられるオペレーターが優秀だった。即ち僕のような機械的な口八丁手八丁の人間には向かない職場だ。なにより営業するような明るい声音を出すのは得意じゃない。終いには「ちゃんと数字に取り組んでるのは分かるが商材購入への誘導が筋道立ちすぎてて詐欺してるみたいな雰囲気になっているぞお前」とスーパバイザーから苦言を呈されるほどには僕は向いてなかった。だから辞めた。


 あとは引っ越し屋だったり工場だったり、拘りはなく職をとっかえひっかえで働いた。

 気付けば27歳フリーター。いや、正確に言うなら現在失職中の僕は何処にでても恥ずかしいニートである。


 そんな感じで、碌な職歴一つないアラサー完全体が一体お上がりよってな訳だ。


 ────まあ、僕の来歴はそんな感じだ。


 滔々と僕の直近の人生を並べてみたが、実のところ、重要なのはそこじゃない。

 薄く伸びて膜を張った牛乳みたいな絶望感に浸りながら「過去に戻れたら多分楽だろうになぁ」と雑につぶやいて、一睡したら2013年だったことも別に重要じゃない。驚愕はしたし意味も分からなかったけどまだギリ重要じゃないの領域だ。


 僕がいま最も緊要だと認識している、どうにか受け入れないといけないと思っている現実はすぐ身近に存在した。


「ちょっとお兄ちゃん! こら置いてくな! わたしから離れちゃだめだよ!」


 それは無から生えてきたこの謎の生物いもうとだった。

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