2:不均衡な社会

■■■僕の妹■■■


 予想通りというか同じ屋根の下で暮らす彼女は妹であるらしい。そうは言っても僕の中では見知らぬ人物であるのは変わりないわけで。だからこそらしいと称するしかないわけだが。


 僕の性格上、携帯の連絡帳は家族でもフルネームで登録しているはずだ。多分そこに名前があるだろうと思って見ればビンゴ、僕と同じ比影姓で見覚えが無い名前。『比影沙矢』と言ういうらしい。


 少し話してみて、かなり明るく人懐っこい性格だと分かった。割と根暗だった自覚がある学生時代の僕と過ごした割には真反対の人柄だ。よく悪い影響を受けなかったもんだ。


 ともかく、僕はこの沙矢を新しい妹として扱うことにした。違和感は未だに強くあるしどう扱えばいいかも分からない。救いなのは僕は沙矢が知っている僕とあまり変わりがないみたいで、何かを演じる必要がないのはとてもありがたかった。


 沙矢が妹であると認識したとはいえ、僕はこの新しい妹について殆どを知らない。知っているのは僕の黒歴史に何故か精通してしまっているという悲しき真実だけである。あと甘いものが多分好き。ハニトーは朝食では決してない。

 兎にも角にも。だからこそ必要なのは対話だ。僕の事情を悟られることなく対話が必要だ。直接事情を話すのもいいが、もし僕が10年後から来て、その僕には妹なんて居なかったと話せば虚言を通り越して今の関係性が壊れるかもしれない。壊れないかもしれないけど。そこを判断する情報が僕には無い。だからこその対話である。対話かぁ。


 何だか言ってて可笑しくなってきた。


 うん。だって現職ニートにそんなシリアスな状況を求めないでほしいと思う。

 しかも僕の対人能力はお世辞にも高いとは言えず、人間関係なんてボロボロだ。友達なんて学生時代もフリーターになってからもいない。コールセンターとか居酒屋バイトみたいな単純労働は出来るけど、いやあまり出来てなかったけど、そう言うのは僕に求めないでほしい。

 とか考えたりしているうちに自然と眉間にシワが寄る。

 つらつらと文句を言って状況が好転するなら僕はあと十時間は文句を言えるけど、そうはならない以上はやっぱり重い腰をクレーンで吊り上げて行動をしなくてはならない。結局は行動しなければ何も変わらないのだ。


 目的は一先ず元の時代に戻ることになるだろうか。別に未練は無ければ、高校時代をやり直すのも悪くないし惜しいとも思えるけど、やっぱり違う。感覚的な話だ。しょうもない人生だけど27年間生き続けた。この年数には大した価値は無い。

 それにも関わらず十年分の人生が無かったことになるのは、上手く説明は出来ないけど、不思議と嫌だった。

 なぜなら。2023年がいまの僕の時代だ。






■■■この世界についての違和感■■■


「お兄ちゃん外出るの?」


 久しぶりに故郷でも歩こうかと思って上着を羽織っていると、後ろから沙矢が僕の袖を摘まんだ。誰もいない実家がデフォルトだったために思わず僕の背筋がびくりと震える。


「あーたまには気分転換に散歩でもしようかと」


 驚いたところを誤魔化しながら、どうにか僕は返答した。幸い沙矢は違和感を持たなかったが、代わりに目を見開いた後、僕の背中をぽかぽかと叩く。


「めずらし……じゃなくて言ってよわたしに! なんで黙って行こうとするかないつも!」

「えーと、ごめん」

「え?」


 勢いよく来られたもんだからつい謝罪の言葉が出てきた。沙矢は困ったように目を丸くする。


「随分と素直だね……なんか企んでるの?」

「そんなことないけど」

「嘘っぽいー」


 沙矢はぶー垂れた顔をした。少し失敗したかもしれない。沙矢の兄としての僕はあんまりどうも謝ることをしなかったらしい。


「ちょっと待ってて、わたしも行くから!」

「あ、ああ」


 駆け出すように沙矢は二階へと上がっていった。今更だけど沙矢の部屋は二階にあるようだった。唯一の空き部屋となっているところが沙矢の部屋として割り当てられているのだろう。


 考えてみると変だなと思う。

 この世界は過去だと思っていた。10年前の世界だと。

 しかし、そう判断するには沙矢の存在が邪魔をする。何度記憶を穿り返しても僕には妹はいない。僕の青春時代は常に一人きりで、インターネット上なら在り来たりな灰色の青春だった。


 少しの間考えてみて、パラレルワールドという言葉がしっくりきた。

 この世界は僕が過ごした過去ではない。確かに今いる実家の殆どは僕が知っている内装で、懐かしさは止め処なく溢れる。それでも厳密な定義では僕の知らない世界だ。これはパラレルワールドなのだ。僕はそう思った。


 思考の海に浸っているとラフな服から着替えて、外行きの格好をした沙矢がやってきた。ベージュ色の小さなバッグを持っている。


「荷物なんていらないって。ただその辺を散歩するだけだよ」

「お兄ちゃんが間抜けなのが悪いんだからね」


 会話になっていないような気がする。何か言い返そうかと思ったけど、沙矢の満足そうな顔を見て止めた。自分が世話していないと駄目なんだからとライトグリーンの瞳は雄弁に語っていた。ブラコンなのかもしれない。


 そういうのはギャルゲーの中だけでいいんだけどな、と困りながら自分の後ろ髪を触りつつもドアを開く。


 外の世界は僕が住んでいた過去の世界そのものだった。

 見覚えのある並木道。学生時代毎日渡った橋梁。線路を走る電車は一代古い車両で、僕が過去に来たことを実感させるには十分な証拠だった。


 でも明らかに違うこともあった。

 すれ違う人すれ違う人、全員が女性だ。偶に男もいるけど数えるくらいで、脳内で数えてみると大体20人に19人が女性であると判明した。正直言ってあり得ない。男女比率1:19はないだろう。

 確率の偏りだろうかと考えて、すぐに否定する。流石に無い。気づいてから出歩いている人物の性別を気にしてみているものの、比率に多少の誤差はありつつずっとそんな感じだ。つまり女性が明らかに多い。女性都市とかあればきっとこのくらいの比率になるんだろうなと下らない考えが浮かんだ。


 周囲を観察していると、ふと視界に入った沙矢が四方八方に視線を巡らせて注意深く窺い、時折野良猫みたいに鋭い視線を送っていた。


「沙矢?」

「なにお兄ちゃん」


 初めて僕は新しい妹の名前を声に出して呼んだけどこれで正解らしい。ここもハードルと思っていたから少し一安心だ。

 続けて僕は口を開いた。


「うろちょろされると一緒に歩く僕まで恥ずかしいんだけど……ここってそんなに治安悪い?」

「そんなことないけど? 寧ろ良いと思う……なんでそんなこと聞くの?」

「まるで夜半の林道を歩くみたいに不安げだったから」

「そんなの当たり前じゃん!」


 はぁー、と大きめの溜息がひとつ。沙矢へと顔を向けると形容のしようがないほど呆れた顔をしながら僕のことをちょんちょんと指差した。


「お兄ちゃんは男なんだよ? 何があってもおかしくないんだからそりゃ警戒するし何処だって一緒に行くよ……その癖本屋行くとか言って勝手に外出しようとするし」

「さながら子供扱いされているみたいだなあ」

「まんま子供だよ! 一人で外出なんて日本でも危ないのに!」


 どうも会話が噛み合わない。こんなことがさっきもあったような気がする。

 男子高校生が一人で外出するのが危ないなんて、どこの世界の日本だというのか。歌舞伎町だって真っ昼間なら危険地帯とはいえない。アメリカなら子供を一人で出歩かせたら育児放棄として捕まるらしいから分かるけど、ここはパラレルワールドでも日本だ。


 ……いや、パラレルワールド?

 もしかして結構、この考え方は的を射てるのでは?


 違和感はずっとあった。沙矢は僕の事を一貫して庇護するような姿勢を取ったり、朝食中にはまるで社会で働くのは女の役目と受け取れるような発言もしていた。

 僕は自身に存在しない妹がいるという意味合いでパラレルワールドと認識していた。でも僕のその認識は誤っていて、もっと大きな変化の潮流を内包している。そんな可能性を僕は感じていた。


 これは推論だ。あくまで推論だが、確実性はとても高い。

 この世界の男女比率は一方に傾いている。つまり女性優位社会。ここはそういうパラレルワールドなのかもしれない。


 僕は眩暈がした。

 






■■■社会における男女の役割■■■


 この世界の女性比率がとんでもないという前提で少し考えてみようと思う。

 沙矢の様子からも、この世界では女性が社会の主人公となっているだろう。それとなく交番の近くを歩いて、チラリと中を窺がえば中で勤務していたのは女性警官だった。時々僕を追い越す有名宅配ピザのバイクの運転手も女性だった。トラックも運転手も女性で、中型トラックからコンビニに荷を下ろしているのも女性。肉体労働者が女性へ置き換わっているのだから、恐らく政治家や軍人やサラリーマンも女性だろう。


 一方で男の扱いはどうなっているのか。

 これは調べてみないことには分からないが、この極端な男女比率下においてかなり希少価値があることは確からしい。少なくとも守られるべき存在として見られている点は相違が無いはずだ。だから沙矢も僕の事を異常なほどに守ろうとする。いや、この世界において沙矢は正常なのか。異常なのは僕らしい。


 流石にパラレルワールドとはいえ人類が単性生殖しているとかES細胞とかIPS細胞によって女性同士の妊娠が成功しているとは思えない。ベースとなる世界は僕が27年過ごした世界と同じはずだからだ。よって合理的に考えて、子を成すという意味で男の価値はかなり高いだろう。重婚とかも認められていてもおかしくない。つまるところハーレムである。目的は将来の繁栄のため、きっと男はそういう子種的な意味合いで重宝されているとかありそうな話だ。だから男は一般的な社会的な職業に就かず、街中で男性労働者を見かけないと。なんというか、創作の中でなら面白おかしく次のページを捲るがこれが現実となれば頭を抱えるしかない。頭の悪いライトノベルみたいだ。本当に頭を抱えたくなる。


 そういやその中でも僕は学生みたいだ。学歴を重視するなんて女っぽいとか沙矢はそう言っていたけど、というかそんなことを僕の世界で言えば絶対に炎上するなとか思ったけど、それは置いておいて順接的に男に学歴は必要にないようだ。これだけ男性人口が少なければ必然的に学歴は要らない、或いは社会的にそういう職では必要とされてないと言うのが正しいのか。社会は女性が支えてるようだし。まさかと思うしこれは邪推でしかないが、僕は種の存続のためだけの子種を撒くだけの存在として生きるのだけは勘弁だ。


 分からない点もまだまだ多い。

 この点については帰ってから調べてみようと思う。

 

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