第2話:クラーケン

 廃都ガルガディア。

 この地一体を不気味な青い霧が包んでいたが、ここに足を踏み入れたリヒトは、それが何なのかを肌で理解した。凝縮されたマナが廃都全体をドーム状に包み込んでいるのだ。

 それ故、植物でさえも禍々しい異様な形態を表し、魔物はマナに満ちたこの地を離れようとしないのだろう。



「やれやれ、早速洗礼を受けちまったな」


 魔都に足を踏み入れた途端、狼のような異形の魔物に襲われたのだ。持ち前の反射神経と投げナイフの腕で難を逃れたものの馬を失ってしまった。

 ここからは徒歩で城を目指さなくてはいけないが、それは平坦な道のりではない。青い霧が立ち込め、視界が悪い悪路に強力な魔物が徘徊しているのだから。


 ガルガディアの入口付近は、爆風の影響なのかガラス等が飛散しているものの、それほど荒廃はしてはいなかった。ここが選ばれた貴族の街であったため、頑丈な石造りの建物が多いからだろう。

 ただ、住人や小動物がいないのだ。魔物の街。人がいるとすればそれはリヒトのような冒険者だけだ。

 倒壊した家畜小屋の瓦礫を前に、黒いローブを着た人影が見える。リヒトからは背を向けた格好だ。


「人? あのローブは魔道士か?」


「ふうむ、このあたりだと思うのじゃがのぉ」


 背丈は小柄で声質も高い。女性の魔道士であろうか?

 リヒトは気配を殺して慎重に近寄り、3メートルほどの間合いを取ったところで声をかける。


「おい、あんたは魔道士かい? そこで何を?」

「ほう、久しぶりに人間に出会ったか。何しろ足を踏み入れた者は大抵、魔物の餌食じゃからのぉ」


 振り返った魔道士は口調に似合わない少女のような顔つきをしていた。見立て通りの小柄な体つき。だが、手足の部分からは、それぞれ2本づつの触手が生えていた。


「クラーケン!?」


 リヒトは咄嗟に飛び退きつつ、懐の投げナイフに手をかける。


「ええい、待て! 待て! わしは人間じゃ!」


 一方、魔道士も腕の代わりの4本の触手を前に伸ばして構えを取る。するとその触手を中心に、圧縮されて強度を持った水の盾が瞬時に形成される。


「人間……には見えないが。それにその水魔法も人間業じゃない」

「元人間と言ったほうが良いかのう?タコの怪物の魂と融合して生き残ったが、精神は人間じゃ。我が名は天才魔学者エレシナ。マナの研究のため廃都ガルガディアを訪れておる」


 お互い、警戒を解かずに睨み合う。

 数分の沈黙の後、互いに敵意がないことを確認すると二人はゆっくりと戦闘態勢を解く。

 そしてエレシナはクラーケンとなった境遇を話し始めた。


「デンゼ王国の繁栄にはマナの飛躍的な研究が関係しているとの噂がわしの国にも届いての。10歳で魔法学術院の研究員となり、15歳で博士号を取得した天才のわしにも想像もつかぬような研究。それに引かれて一人で廃都を訪れたのじゃ。まさにここはマナの宝庫」


 大げさに触手で天を仰ぐようなポーズを取り、話を続ける。


「じゃが、研究に没頭しているうちにタコの魔物に襲われての。致命傷を負うも、最後の気力を振り絞って魔法の火柱を上げて相打ち。ここで死ぬのかと思っておったら魂が融合したのだ」

「魂の融合? どういうことだ?」

「そのままの意味じゃ。わしと魔物の魂が混ざり合い一つになった。結果的に精神が上回っておったわしが吸収した形になったがの。傷もみるみる回復し、触手のおまけ付きじゃ」


(二つの個体が融合した?)想像を絶する告白にリヒトはたじろぐ。


「だが、そんな身体になったのに悲壮感がまるで感じられないな」

「この身体はよいぞ。人間の時は杖を使って火の玉を作るのにも一苦労だったのに、今はマナ使い放題じゃ。瞬時に水魔法も行えるし、自分自身が研究材料になって一石二鳥じゃ」

「……変わっているな。ところでエレシナ。さっきは何を探していたんだ?」

「おお、トカゲの化け物じゃ。追い払おうと思ったのじゃが、この辺に隠れてのぉ」

「それを早く言え!」


 ガサガサと背後から草をかき分ける音が聞こえる。そして闇に潜むものの気配も。

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