6日目

テーマ:「走り続ける」

モチーフ:「スーツ」「てへぺろ」「月」


 消灯されたオフィスの中にキーボードを叩く音が響く。今日の分の仕事はもう終えた。だが明日の仕事を少しでも多く片付けておきたい。

 画面の眩しさに目を細めながら客向けの資料を書き進めていく。


「また残業ですか?」


 不意に、背後から声が掛けられた。

 その拍子に集中力がプツリと途切れて、俺は息を細く吐き出しながら椅子の背もたれに体重を預けた。


「荻原、まだ残ってたのか?」

「いえ、ちょっとスマホ忘れちゃって」


 ぺろっと舌を出しながら、荻原は照れた様子を見せた。


「まぁ私のことはいいんですよ。先輩こそ何やってるんですか? 繁忙期でもないですし、直近で急ぎの仕事もないですよね?」

「……部署全体だとそうだな」

「ですよね。じゃあ何で?」

「それは……」


 どうやってごまかそうかと、少しだけ頭を回す。だが疲労の溜まった脳はうまく機能してくれず、なかなか妙案が思い浮かばない。

 仕方がないので本当のことを言うことにする。


「……明日の朝、映画を観に行こうと思っててな」

「…………は?」


 荻原の口から間の抜けた声が漏れた。


「……え、それチーフは許してくれたんですか?」

「いや? 寝坊した体で出社するつもりだ」

「マジかこの人」

「誰にも言わないでくれよ」

「いや、言いませんけど。それで明日の仕事を先に進めてたんですね……」


 俺の社会人らしからぬ計画を聞いて、荻原はドン引きしていた。


「……でも意外ですね。先輩ってもっと真面目な人かと思ってました」

「まぁ会社ではな」


 実際、俺は職場では仕事人間と評されることが多い。自分の担当する案件には責任をもって当たるし、期日に余裕を持たせて動くことを徹底している。


「でも、ずっと真面目だと疲れちゃうから。あくまでマイペースに頑張ればいいんだよ」

「……そういうもんですかね」


 荻原はわかったようなわかってないような、そんな微妙な返事を返してきた。

 ……まぁ、伝わらなくてもいいか。要は無理をしすぎないようにしようという話だ。その点について、荻原に心配すべきことはないだろう。


「つーわけだから、俺はもうちょっとやってから帰るわ」


 デスクに向き直り、作りかけの資料を開く。

 

「じゃ、私も」


 すると、何故か荻原が隣に座ってパソコンを起動し始めた。


「え、何で?」

「私も映画観たくなってきました。明日何時にどこですか?」

「……いや、二人寝坊はマズいだろ」

「大丈夫ですよ。なんとかなりますって」


 悪戯好きの子供のような表情で笑う荻原。もしかしたら、俺は後輩に余計なことを教えてしまったのかもしれない。


「ほら、先輩手が止まってる。明日に備えて、ちゃっちゃと終わらせますよ」

「……はいはい」


 窓から差す月明かりが俺たちの背を照らす。

 後でチーフへの新しい言い訳を考えようと心に決めて、俺は再びキーボードを叩き始めた。

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