4日目

テーマ:「雨上がりの空」

モチーフ:「神話」「黒髪」「格子」



「雨、止まないね」


 西原の言葉を聞いて、読んでいた小説から視線を上げて窓の外を見る。空は薄灰色の雲に覆われ、パラパラと小粒の雨が地面を濡らしていた。

 少し肌寒さを感じて鼻をすする。古い教室特有のカビ臭さが鼻につき、不快感に顔をしかめる。


「すぐに止むと思ったんだけどな」


 今朝の天気予報では降水確率は20%とされていた。普段なら折り畳み傘を持って行くところだが、今日は家庭科の授業で調理実習があった関係で荷物が多く、使う可能性の低い物は家に置いてきてしまったのだ。その結果、既に教室内で30分ほど、雨が上がるのを待つハメになっている。


「あたしも本とか持ってくればよかったなー」


 西原は湿気で跳ねた髪を手櫛で梳かしながら、手持無沙汰そうにしていた。

 詳しくは聞いていないが、どうやら彼女も僕と似たような状況にあるらしい。


「宿題でもやったらどうだ?」

「もう終わったよ。やることなさ過ぎてやっちゃったわ。過去一早く終わったかもしれない」

「そいつはすごいな」

「それね。横にスマホがないとこんなに早く終わるんだね」


 うちの学校では他の多くの公立中学校と同様にスマホの持ち込みが禁じられている。先生達の見張りの目も結構厳しいので、校則違反をする生徒はほとんどいない。


「逆に遠藤は宿題やらなくていいの? ずっと本読んでるけど」

「僕は授業中に終わらせちゃったから」

「おう……優等生は言うことが違ぇ……」


 西原は顔を引きつらせた。


「優等生だから、置き傘もしないってわけか」

「別にそれは関係ないよ。置き傘は校則で禁止されてるわけでもないし」

「そうなの?」

「うん。ただ、前に傘を盗まれたことがあってね。それ以来置き傘はしないようにしてるんだ」

「あーね。それは確かに、あたしでも置き傘しなくなるわ」


 その言い方に、少し違和感を覚える。あたしでもってことは……


「西原は普段は置き傘してるのか?」

「普段はていうか、前まではしてたんだけど、この前使った後もう一度学校に持ってくるのをずっと忘れちゃってて」

「ああ、それで今困ってるわけか」

「そうです……」


 西原は机の上にぐでっと伏せてうなだれた。


「……遠藤ってすごくしっかりしてるよね。同い年じゃないみたい」

「そうかな?」

「そうだよ。あたしみたいにマヌケなことやらないしさ」

「マヌケは言い過ぎだと思うけど」

「だとしても、さ」


 落ち込んだ声。


「やっぱり周りの人があたしよりしっかりしてると、慌てちゃうんだよね。何か、置いて行かれてるみたいで」


 そう言って、西原は自嘲気味に笑った。

 降りしきる雨の音だけが、教室の中に響き渡る。


「君の方がよほどしっかりしてると思うけどな」


 思ったことを、そのまま口に出す。

 たいして大きな声でもなかったけど、静かな教室の中では思いのほか声が響いた。


「嘘だぁ。あたし普段は宿題とか全然手つけないよ。いつも動画ばかり見てるし」

「嘘じゃないよ」


 僕は首を横に振った。


「僕はしっかりしてるんじゃなくて、大人の言うことを聞いてるだけなんだ。勉強しろとか宿題をやれとか、他にも色々とね」

「……やっぱり真面目じゃない?」

「真面目じゃないよ。自分で考えることを放棄してるんだから」


 ふつふつと、内から湧いてくる感情を言葉にする。


「うちは親が厳しくてね、昔から親の言うことだけを聞いて育ってきた。小さい時から一貫して、僕の行動方針は親を怒らせないことだった。幼稚園の時も小学校の時も、今も。ずっとだ。だからもう、大人の言うことを聞くっていうのが身体に染みついていて、どうしても、逆らう気になれない。たまに腹が立つこともあるけど、いつも反抗する前に感情の沸点が下がるんだ。……もう、そういう人間にされてしまっている」


 言いながら、自分の中で煮えくり返っていたものの温度が急激に冷めていくのを感じる。

 大人の言うことに不満を漏らすのは大人が望むことじゃないから、こういうことを口にするのは良くない。

 そういう考えが僕の中に深く根付き、怒りを吸い取って消してしまう。

 本当に嫌になる。でも、逆らうことはできない。どうしてもできない。

 こういう生き方しか知らないから、逆らうのが怖いのだ。


「……だから、決してしっかりしているわけじゃないんだよ……」


 最後の方は、声が小さくなって、もうほとんどまともに発音できていなかった。

 西原は驚いた様子で僕のことを見ていたが。しばらくの沈黙の後「そうなんだ」と言って、窓の方を向いた。


「雨、止まないね」


 西原の言葉を聞いて、僕も窓の方を見る。


「ごめん、変なこと言って」

「ううん、あたしの方もごめん。……誰にも言わないから、安心して」

「……助かる」


 空は薄灰色の雲に覆われ、パラパラと小粒の雨が地面を濡らし続けている。


「……早く、晴れるといいね」


 未だ見えない太陽を見上げ、西原が呟いた言葉が、小さく教室にこだました。

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