3日目
テーマ:「転生」
モチーフ:「ブレスレット」「なびく髪」「蓮華」
OK、整理しよう。
俺の名前は山田サブロウ。33歳独身。血液型はA型。警備会社勤務、副業でブレスレット作りの内職。好きな食べ物はスープ春雨。
今日は休日だったはずが、朝に上司から電話がかかってきて、無断欠勤した同僚の代役で急遽出勤することに。まぁそれ自体はいつものことだ。猛暑日も極寒の朝も立ちっぱなしの仕事だから、嫌になって蒸発するヤツは少なくない。特に今日はひどい豪雨が一日中降り続けるらしい。サボりたくなる気持ちはよくわかる。
とはいえ、幸か不幸か俺は上司の命令を無視するような蛮勇さを持ち合わせていない。だから抵抗らしい抵抗は舌打ち一つ打つだけに止め、嫌々ながらも荷物を纏めて、傘をさして家を出たんだ。
問題はここから。
思っていたよりも雨と風が強かった。天気予報を見た限りでは台風などではなかったはずなのだが、これも温暖化の影響なのだろうか、家を出て数分歩いたところで猛烈な突風に襲われた。
立っていられないほどの強い風。慌てて傘を押さえつけようとするも、自分の身体が浮き上がりそうになったので、傘を手放して地面に伏せる。全身がずぶ濡れになり、大粒の雨が顔面を襲ってくる。まともに目も開けられないような状況に陥り、これは無理だと思い一度家に引き返すことを決断。踵を返したその瞬間——
——風に煽られたトラックが、俺の目の前に横転してきた。
そして、気づいたら俺はここにいた。
水の透き通った泉の上に浮かぶ、大きな蓮の葉の上。周囲からは桃の香りが漂ってきて、暖かな日差しも相まってなんだかとても心地が良い。今気づいたが、濡れていたはずの髪も服も乾いており、そよ風を受けて小さくなびいている。
水面の下を覗いてみれば、綺麗な模様の錦鯉が2匹、優雅に水底を通り過ぎて行った。
周囲に他に人影はない。俺にはトラックに潰されると思った以降の記憶はなく、状況的に誰かにこの場所へ運ばれたとも考えづらい。
となれば、だ。つまり、この状況を一言で纏めると。
「ここは天国ってわけか……」
そう、俺は恐らく、トラックに轢かれて死んだのだ。
案外あっけないもんだな。人生の終わりって。というか天国って実際にあるのか。蓮の花とか、なんとなく仏教ぽいから浄土と呼ぶべきなのかもしれないが、まぁそれはいいか。
俺は善行らしい善行はしていないが、悪行らしい悪行にも手を染めていない。特に目的もなくただだらだらと生きていただけの人生だったが、とりあえず無事に天国に来れたという事実に、ほっと胸を撫でおろした。
「案外、落ち着いていらっしゃるのですね」
不意に、頭上から声が掛けられた。見上げると、眩い光と共に人がこちらへゆっくりと降りて来ていた。
いや、人じゃない。
螺髪と呼ばれる特徴的な巻き髪に、額には白毫相と呼ばれる長い白毛、橙色の法衣を肩に掛けるように着た人物。俺はその人物を何と呼ぶか知っている。そう、仏だ。
「前世に未練など御座いませんでしたか?」
仏は蓮の葉の上に降り立つと、俺にそう尋ねてきた。
「ええ、まぁ。未練なんてできるほど立派な人生でもなかったもので」
「そうですか。諸行は無常と言いますが、ここまで弁えていらっしゃる方も珍しい」
「いえ、本当に。むしろ死ねてほっとしているくらいです」
「ふむ……?」
俺の言葉を聞いて、仏は首をひねった。
「貴方は自死を望んでいたのですか?」
「いえ、そんな蛮勇は俺にはありません。ただ生きる理由を持てていなかっただけですよ」
「そうですか。しかしそれでは困りますね」
仏の言葉を受けて、今度は俺が首をひねる。
「困る、とは?」
「輪廻転生の原則に従い、貴方には六道のうちいずれかの世界へと生まれ変わって頂きます。その際、前世の記憶はなくなりますが、前世の魂の形は来世へと受け継がれるのです」
「はぁ」
仏の説明に生返事を返してしまう。いや、だって何言ってるのかよくわからないし。
「要するに、今の貴方に生きる気力がないということは、来世の貴方も生きる気力を持てなくなるということです。これは非常に困ります」
「なるほど……?」
今の説明でなんとなく理解した。要は生まれ変わっても生きることに貪欲でなく、すぐに死んでしまう可能性があるということか。
「本来であれば自死の罪を犯した者には相応の転生先を選ぶのですが、貴方は自死を選んだわけではない。罪なき者を地獄へ落とすわけにも行きませんし、かといってこのまま転生させるわけにもいかない」
「はぁ」
なんだかややこしい話になってきたな。つまり俺は輪廻転生ができないという話らしいが、その場合は一体どうなるのだろうか?
仏は数秒ほど考え込んだ後、意を決したように前を向いた。
「仕方がありません。例外措置を取りましょう」
「例外措置?」
「ええ」
俺が聞き返すと、仏は力強い表情でこう言った。
「貴方には、六道から外れた別の世界に記憶を持ったまま生まれ変わって頂きます」
「………………………………は?」
「そしてその世界で新しい人生を歩み、そこで生きる理由を見つけなさい」
「そういうのってかわいい女神様とかがやるものじゃないんですか?」
「そもそも転生は東洋的、仏教的な概念です。私がやってもいいでしょう」
それは……そうかもしれない。
「とにかく、こちらの事情で今の貴方を普通に転生させるわけにはいかないのです。ですので普通になってからもう一度
「あ、はい」
それでいいのだろうか。と思いつつ、逆らう理由もなければそんな勇気もない。ので、俺は仏の言うことに二つ返事で了承した。
「話が早いのはいいことですが、やはり貴方は人らしくありませんね」
そんな俺の様子を見て、仏は深く溜息を吐いた。
「要はその"人らしさ"とやらを身に付けて来いってわけですね?」
「そういうことです。次の人生では教えを胸に精進……いえ」
「?」
仏は言いかけた言葉を飲み込んで、代わりに俺に微笑みかけた。
「人生を、楽しんできてください」
「…………はぁ」
言わんとしていることはわからないでもないが、そういうことはどうしても他人事のように聞こえてしまう。
そんな俺の生返事を聞いて、仏は呆れたように笑っていた。
――不意に、俺の心臓の辺りが淡く輝き出す。
「時間のようですね」
仏がそう呟いた瞬間、急に緊張が押し寄せてきた。
え、マジで転生するのか? いや、そういう話だったけど。話を聞いているのといざ身体が輝き出すのとではさすがに実感が違う。
来世はどんな家に生まれるのか。人生を楽しめるのか。そもそも男か、女か?
期待。不安。焦燥。様々な感情が心の内から湧き出てくる。久しくなかった感覚に戸惑い、心臓が大きく高鳴っている。
「誰しもが最初は希望を持っています。生まれ変わるとは、そういうことです」
仏が呟いた一言が、俺の全身に深く溶け込んでいく。
そうか、俺は、新しい人生が"楽しみ"なのか……?
「では、行ってらっしゃい。どうか良い人生を」
「……い、行ってきます」
光が段々と大きく膨らみ、遂には俺の身体全体を覆いつくす。そして――
――俺の新しい小さな身体は、産声を上げた。
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