第20話 三人の幸福を彩るは

 晴榎の前に姿を現した僕は、それはそれは大層驚かれた。想定していたリアクションを大きく上回り漫画のように、口から魂が飛び出ないか心配になった。

 東高までの道のりは僕と晴榎とザラキエルのいつもの三人で登校する。晴榎からザラキエルが転校して来た時みたいな質問攻めを食らったが、寝ていたので分からないの一点で僕は質問の回答をごり押した。

「そうそう、聞いて。お母さんったら——」

 晴榎やザラキエルの付け足しにより、新波家と幸河家の仲は元に戻ったようだ。

 晴榎がまだ入院していた頃は、本当に毛嫌っていたらしく、関係性は最悪だったらしい。だが、目を覚ました晴榎の長い説得の元、両家とも仲直りをして無事和解とのことだ。

 それに僕が寝ている間も晴榎や一田君、橋里先生や担任の先生、クラスメイトなど、様々な人が見舞いに来てくれたようだ。そのことに関してのお礼も言わないといけない。

「そういえばコンクールの絵はどうなったの?」

「あ、それ? 六咲市大体育館で見れなかったのは残念だったけど……」

「けど?」

「ううん、これは私が言うより実際に見た方がいいかも。放課後、美術室来て!」

「うん……分かった」

 この晴榎の様子を見ている限り、賞は取れなかったのだろう。

 六枷の美術店まで行って特注の筆まで買ったのに。

 でも、賞というのは天使と同じように作品を公平かつ平等に見ているものだ。何故これが賞を取れなかったといちゃもんを付けるのは藪だろう。

 信号機が青に変わり、曲がろうとする車が止まって横断歩道を渡る。

 本当に僕の救世が終わったからか、不幸な出来事が一切起きていない。

 ザラキエルの方を不安がりながら見ると「本当に起きないでしょ」と言っているようなウィンクを送ってきた。

 こうして車や自転車に轢かれること無く、無事に東高に辿り着いた。

 同タイミングで校門を潜っていたクラスメイトからは、無事を心配され、僕は何も無いよと安心させる。

「何だかんだ樹生って周りから好かれてるよね。ちょっと羨ましいなぁ」

「そうなの……かな?」

「そうだよ。ね? エルちゃん」

「そうね。君がいない間のクラスは少し寂しそうだったから」

「そこまで!?」

 流石に僕も、クラスの中での重要人物という自覚は無い。僕はただ隅に座って一人物静かに過ごしているだけの一学生なのだから。

 晴榎とザラキエルに先にクラスの方に行くよう言って、僕は保健室へ。

 保健室の扉を開けると、怪我した生徒の応急処置をしていた橋里先生と目が合った。

「えっ!? い、樹生君……?」

 手に持っていた包帯を落として、僕の元に駆け寄ってきた。

「怪我の方は大丈夫? どこか擦りむいてない?」

「だ、大丈夫です……」

 僕は苦笑しつつ橋里先生を制止させる。

「よかった。君の両親から昏睡状態って聞いた時は焦ったわよ。もう学校来てもいいのね」

「はい、心配をおかけしました……」

「全くよ、もう……」

 はぁ……と橋里先生は大きく溜め息を吐く。

 その時、後ろで応急処置を受けていた生徒が橋里先生を呼んだ。

「橋里せんせー、包帯いいっすか?」

「あ、ごめんね」

 橋里先生は少し慌てて、落ちていた包帯を拾って巻いていく。

 よく見ると応急処置を受けている生徒は、野球のユニフォームを着た一田君だった。

「よー、幸河。元気そうじゃんか」

「一田君もね。その怪我朝練?」

「ま、まぁ……ふざけて前からいったらやっちゃってよ……お前の怪我が俺に移ったかもしれねぇ」

「あ、あはは……」

「あ、そうそう。今日の数学、小テストするとか言ってたから、後でノート見せてやるよ。いつも写させて貰ってる礼にさ」

「うん。ありがとう。それじゃあ、失礼します」

「何かあったら来なさいよ」

 保健室の扉を閉めて教室へ。

 校門を潜っていたクラスメイトから聞いたのか、晴榎が言いふらしたのか分からないが、教室内は僕が学校に来ている話題で持ちきりだった。

 だからか僕が教室に入ると、みんな一斉(主に男子)に僕の元に寄ってきて無事を確かめる。

「幸河、大丈夫かよ」

「昏睡状態だって? よく戻って来れたな」

「お、お前がいない間、俺は真面目にノート取ってたんだぞ」

「いつもそうしておけって。幸河ばっか頼るんじゃねぇよ」

「新波さんもすっごい心配してたんだぞ。ちゃんと言ったのか?」

「お前と冴良木さんと新波さんがいない時、教室内静かだったんだからな」

「み、みんな……」

 温かく迎えてくれる教室とクラスメイトに、僕は感激して目頭が熱くなってくる。涙を見せると笑われそうなので、なるべく見せないよう堪えた。

 久しぶりの自分の席について、クラスメイトたちからの質問攻めに答える。

 流石にエレボスの侵蝕やザラキエルの正体、自分が本当に死んだことは話せなかったが、それでも十分楽しくみんなと会話することができた。

 担任の先生が入ってきて、僕を一瞥すると職員室で簡単な二者懇談が開催された。内容はほぼみんなから攻められた質問ばかりだった。ガチガチとした懇談ではなく、ゆるっとした感じで進み、授業の予鈴が鳴ると職員室は慌ただしく動き出す。

 予鈴と同時に懇談は終わり、教室に戻って一限から六限までの授業を受けた。

 全ての授業において担当の先生に心配されたが、何ともないことを伝えて授業を受ける。

 一田君が言っていた通り、数学の授業は小テストがあった。一〇分くらいの復習時間を設けてからテストを行った。

 正直に言うとできたかどうかは分からない。手応えはあまり感じられなかった。

 そうして六限までの授業が終了し、放課後となる。

 久しぶりの学校生活だからか、変な緊張が入って少し疲れた。首を回すとボキポキと鳴る。

「うーんっ……」

 両手を大きく伸ばして、ストンと下ろす。

 このまま帰って寝たい気分でもあるのだが、そうはいかない。朝の約束を忘れては、晴榎に何をされるか。

「いっつきー。行こ」

「分かった」

 机に掛けてある鞄を持って、美術室へ。

 晴榎に連れてかれて美術室に入ると、油絵の匂いが立ち込めていた。窓を開けて扇風機を回しているとはいえ、独特の匂いが漂っている。

「こっちこっち。あ、エルちゃん。ここ土足厳禁だからね」

「そうなの? 絵の具使うのに土足厳禁なのね……」

 靴を汚したくないからなのだろう。美術室専用の靴に履き替え、晴榎がどさっと荷物を置いた所に添えるように僕とザラキエルも荷物を置いた。

「君が晴榎の絵の……ふーん……なるほど」

「あの……?」

 親指と人差し指で長方形を作り、その中から僕に向かって視線を飛ばしている女子生徒がとても気になった。

「ああ、ごめん。私、美術部の部長。多分晴榎から散々愚痴を聞いたから、大体は分かるでしょ?」

「え、ええ……」

 晴榎が愚痴を零しているのがバレバレということに、僕は苦笑いを隠せなかった。

「コンクールを見に行けなかったのは残念だっただろうけど、晴榎の絵はとても素晴らしいものに仕上がってる。あんな素晴らしい絵のモデルに抜擢されたなんて、これはもう誇ってもいいだろうね」

「絵のモデル……?」

「おろ? 晴榎から聞いてないのかい?」

「ええ……」

 というか、晴榎は絵の内容自体何一つ話してくれなかったので知るわけが無いのだ。

「あっちゃー、こりゃあ盛大なネタバレをしちゃったようだ。今の話は忘れて晴榎の絵を見てやるといい。きっと驚くよ」

「は、はい」

 僕は軽く美術部部長に頭を下げて、晴榎の後を追いかける。

 美術室の奥にはもう一つ別の部屋があり、晴榎はその部屋の扉の前で待っていた。

「ここ?」

「そう。いつもは倉庫なんだけど、コンクールが終わってからはちょっとしたギャラリーになるの。私の絵は、あの暗幕で覆ってるやつね」

 扉の硝子越しから、一つだけ暗幕がかかっているキャンバスがあった。

「部長に何吹き込まれたのか分かんないけど、きっと驚くよ。エルちゃんも」

「わ、私も?」

「うんうん。じゃあごあんなーい」

 晴榎は別室の扉をガチャッと開けて僕たちを中に通す。

 別室は塗料の匂いが美術室以上に濃く、鼻がツンとする。

 多少の息苦しさを覚えつつ、暗幕がかかっているキャンバスの前に立つ。

「じゃあしっかりと見てね。私の傑作! ワン、ツー、スリー!」

 手品師のような掛け声をして、スリーの時に暗幕を勢いよく取る。

 キャンバスが微妙にガタッと揺れ、晴榎の絵が露わになった。


『六咲東高等学校   二年 新波晴榎

  題名:幸福な日々   最優秀賞』


 最優秀賞、それは六咲市民美術コンクールにおける全ての作品で優秀、つまり一位だったことを示す表現だ。

 絵はシンプルに三人の少年少女が描かれている。背景には余計なものは何も無く、ただその少年少女だけを映しているようだ。

 左側にいる少女は純真で無垢そうな笑顔を振りまき、中央にいる少年に抱きついている。今の瞬間がとても楽しい、幸せだということがとても伝わってくる。

 右側にいる少女は銀髪の少女だ。左側の少女が抱きついているシーンを見て、くすっと口元に手を当てて小さく笑っている様子のようだ。可笑しい、バカバカしいという気持ちで笑っているのではなく、今の瞬間が楽しい、二人はとても仲がいいねと言ってそうだ。

 そして中央にいる少年は、抱きついてきた少女を嫌がらず、その腕でしっかりと抱えていた。もう片方の手は左側の少女の頭を撫でており、優しく朗らかそうな表情で少女を受け入れていた。

「これ……」

 先ほどの美術部部長の話が蘇る。

『あんな素晴らしい絵のモデルに抜擢されたなんて、これはもう誇ってもいいだろうね』

 絵の中の少年少女が途端に身近にいる人物に置き換わった。

 左側の中央の少年に抱きついている少女、これは新波晴榎。

 右側の銀髪でくすっと笑っている少女、これはザラキエル。

 中央の抱きついてきた少女を抱えて撫でている少年、これは幸河樹生。

 つまりこの絵は僕たち三人がモデルとして、何気ない一つの日常をくり抜いた作品なのだ。題名通り、まさに幸福な日々である。

「どう? 凄いでしょ」

「凄い! 凄いよ晴榎!」

「凄いね晴榎ちゃん。私まで描いてくれるなんて……」

「えっへへ、エルちゃんと仲良くなってからどうしても描きたいなって思って。部長に無理言って描かせて貰ったの」

「そうだったんだ。私、人間界……じゃなくてこの学校に来てまだそんなに時間経ってないのに」

「私も頑張ればここまで描けるんだって実感しちゃった」

 この絵からは晴榎の努力がひしひしと伝わってくる。きっと毎日の時間、僕の知らないところで必死に努力を続けてきた結果が実を結んだのだろう。

 だけどこの絵は流石にコンクールで見たかった。

 あのことがあったせいで仕方が無いとは言え、晴榎には非常に申し訳無い気持ちで一杯だ。

「あー、樹生。今絶対『この絵、コンクールで見たかったなー』って思ってるでしょ」

「…………」

 綺麗に晴榎に見透かされて、僕は何も言えなかった。

「ほら正解じゃん。あのね、樹生が謝る必要なんか無いの。あれはあれでもう終わったこと、だから水に流すの。いい?」

「……分かった」

「分かったならよろしい。来年の卒業制作にはめっちゃ力入れるから、その時は絶対に三人でコンクール見に行こうね! 約束だよ!」

「うん、約束」

「そうね、約束」

 僕と晴榎とザラキエルはそれぞれで指切りをし、来年の六咲市民美術コンクールの約束を定めた。

 この約束を定めた以上、僕は不幸な出来事に遭わないようにしないといけない。

 晴榎が描いてくれたこの絵のように、来年もその先もずっと、幸福な日々が続くようにと僕は密かにお祈りをした。

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