第18話 この救世は本当に

 樹生を光で貫き、救世を果たしたザラキエル。

 救世を執行するために出した、厳格な性格を内にしまう。

 ザラキエルは死を司る天使としての力を本格的に使うには、関わった人との記憶をなるべく無くす必要がある。自分まで救世者に対する未練が残らないようにするため、別の性格に変わって、救世を執行する。あの厳格な性格は、樹生と関わった記憶を無くして、救世を執行するための手段なのだ。

 翼と光輪は出したまま地上に降り立ち、安らかそうに目を閉じてベンチに背を預けている樹生の頭をさすった。

 樹生からは生の気力が感じられない。

 本当に——

「いけないいけない。早く終わらせないと」

 安らかに目を閉じている樹生を見るのは後。今は樹生から今にも溢れ出そうなエレボスの侵蝕をどうにかする必要がある。

 この公園の目の前は団地。たくさんの人々が生活をしている。

 幸い、この公園に誰もいないが、いつ人が出てきてエレボスの侵蝕に寄生されてもおかしくない。

 ザラキエルは樹生の頭に手を置き、自分の力を樹生に流し込む。水色の奔流が樹生を包んだ。

 生命活動を停止させられたことと、ザラキエルの力によって、エレボスの侵蝕はこれ以上この場には居られないと言わんばかりに次々と樹生の体内から出てきた。

「出てきたね。さーて、救世後の後始末といこっかな」

 うじゃうじゃと湧き出てきてクチャギュチャ……と気持ち悪い水音のようなものを鳴らすエレボスの侵蝕。悶え苦しむような素振りを見せているものもあった。

「あーもう気色悪いったらありゃしない。ほんっとに冥府神には呆れたものよ。冥界神様にでも告げ口してやろっかな」

 ベンチに背を預けている樹生を中心に、公園全体を包むような五重の魔法陣を展開する。その魔法陣はぐるぐると周り、模様が揃って五芒星を映し出した。

「エレボスの侵蝕、もう二度と人間界には来ないで」

 五芒星と魔法陣の輝きが増し、公園全体を水色の光で包み込む。魔法陣の五芒星の模様が宙に昇りだし、公園の木と同じくらいの高さまで上昇して止まる。

 魔法陣に囚われたエレボスの侵蝕はのたうち回り、あちらこちらへ跳ねるように苦しんでいた。魔法陣から逃げ出すもの、地下へ潜ろうとするものもいたが、それらは全て逃げることが出来ずにいた。

 魔法陣の周りや地下は見えない壁のような結界が張られており、何人たりとも侵入、脱出することが出来なくなっている。

 上空に浮かんだ五芒星が回転し、地上の五芒星もそれに倣うように回転し始めた。


「死の天使の力導きて、空星の世界から須く消滅せよっ!」


 ザラキエルの詠唱がトリガーとなり、上空の五芒星から大量の光が地上に向かって降り注ぐ。

 その光に逃げ場は無い。

 シュウゥゥ——。

 その光を浴びたエレボスの侵蝕は忽ち浄化され、断末魔すら上げることなく消滅する。

 黒い物体が一瞬で消え失せる。

 消滅した際に生じる黒い粒子のようなものすらも、光に飲み込まれて消えていく。

 エレボスの侵蝕が消滅していく様を、ザラキエルは何食わぬ表情で眺めていた。

 まるで当然の報いだと言わんばかりに。

 やがてザラキエルは魔法陣を解除し、上空に浮かんでいた五芒星も、五芒星から出ていた光も、徐々に消えていく。

 後に残ったのは水色の光の玉だった。

 シャボン玉のように弾けて、公園が幻想的な雰囲気に包まれる。

 樹生に寄生していたエレボスの侵蝕は、もう姿形すら人間界に残されていない。

 公園の地面には黒い物体は何一つ見当たらない。

「ふぅー……終わったよ。樹生様」

 ザラキエルは大きく息を吸って吐くと、ベンチに背を預けている樹生の隣に座った。

 その時、樹生の頭がザラキエルに寄りかかるように倒れた。

「あっ……」

 寄りかかった樹生からは力も感じられなかった。本当にぐったりとしているように見えた。

 生も感じられず力も感じられない。同時に樹生の体は少し冷たく感じ、胸も息をしているような動きが見られなかった。

「終わったんだよ樹生様、救世が……終わったの」

 樹生からは何の反応も無い。

 ザラキエルが一人物悲しく呟いているようにしか聞こえない。

「…………」

 ザラキエルの胸の内に熱いものが込み上げてくる。

 それは後悔という感情だった。

 ザラキエルは立派に使命を果たした。

 『人間を救世に導く』という使命を。

 エレボスの侵蝕が人間界に蔓延る前に救世を果たした。

 つまりザラキエルは一人の人間の犠牲と引き替えに、人間界全てを守ったことになる。

 それは誇れるものだ。大天使長からもお褒めの言葉を授かるだろう。

 だけど……何だろう。この気持ちは。

 本当にこの人を犠牲してよかったのか。

 何故この人が犠牲にならなければならなかったのか。

 私は、本当に救世してよかったのか。

 という疑問が次から次に流れてくる。

「私は……」

 私は天使ザラキエル。死を司る天使。

 古の盟約によって、天使は人間を平等かつ公平に見守らなければならない。

 誰かだけ特別視することは出来ない。

 それは分かっている。分かっていても——

 目の前で生を失っている樹生は見ていられない。

 なら、今ザラキエルがやるべきことはただ一つ。

 古の盟約を破れ。

 人間界においてルールは破るもの。ならば、天界だってそれが通じるはずだ。

 ザラキエルは幾度となく古の盟約を破ってきた。今更もう一つ破ったとしても天主神様の怒りには触れないだろう。

「ごめんなさい、天主神様、大天使長様」

 天に向けて、手を合わせて指を組んで懺悔の祈りを捧げた。

 例えこれから行うことが禁忌であれど、その責任は全て私が持つ。

 その覚悟なら、既に出来ている。

 ザラキエルは自分の肩に寄りかかっている樹生の頭を、自分の太ももに置いた。

 まるで樹生を膝枕しているように。

 自分の前髪や横髪を後ろへファサッと巻き上げ、背を倒す。

 自分の顔と樹生の顔が近くなる。

 目を閉じて寝ているような姿の樹生は、いつも見ていた表情とそっくりだった。

「死を司る天使の盟約において——」

 ザラキエルの顔と樹生の顔を近づけたまま、何かを言う。

 ザラキエルの口元に水色の光の玉が集まりだした。

 そして——

「…………」


 ——ザラキエルは、自分の唇を樹生の唇に合わせた。


 公園内に残っていた水色の光の残滓が、ポンッと音を出して弾けた。

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