第16話 理解した最大の不幸

 橋里先生が言ったとおり、僕は学校に向かわずにまっすぐ家に帰った。

 夜勤の父さんと母さんは既に橋里先生から連絡済みだったらしく、僕が帰ってきても「お帰り」とだけ言って驚く素振りは無かった。

 母さんは「晴榎ちゃんの様子はどうだった?」と訊いてきたので「まだ目を覚ましてない」と答えた。流石に晴榎の母親が言ったことは伝えない方がいいだろうと思い、そのことについては母さんに話さなかった。

「そうなの……今度お見舞いに行こうかしら」

「……目を覚ましてからでいいんじゃないか? 向こうだって晴榎ちゃんが目を覚ますの心配してるだろうし」

「うーん……それもそうね」

 父さんの助言のお陰で母さんは考えを改めた。

 お見舞いに行ったとしても追い返される未来が想像出来る。そうならない未来が望ましいが。

「それで樹生、もう昼だけどどうするの?」

「少し散歩して、帰ってきてから食べるよ」

「そう。怪我しないようにね」

「分かった」

 僕は制服のまま「いってきます」と玄関を開けて外に出た。

 部屋にいても何もすることが無い。ただ眠って終わりなだけだ。

 それなら散歩でもして気分をリラックスした方がいいだろう。橋里先生の押しつけじゃないが、今日だけはそうさせて貰う。

 いつも通り車に気を付けながら左右前後方確認しつつ、団地前の公園へ向かう。

 平日の昼時だからか、人気は無かった。小さな子供が遊んでいるかと思ったが、違ったらしい。

 ベンチに座り、空を見上げる。

 綿飴みたいな雲が徐々に移動しているのが見えた。雲が移動している方向と同じ向きの風がサアァと流れていく。

「今頃みんな授業……もう昼休みかな」

 公園の時計を見ると時刻は、四時間目が終わって昼休みに入った時間を示していた。

 今日の購買のパンは何だったのだろうと思いつつ、公園のベンチに座ってこんなことしてていいのかな考えてしまう。

 ほぼ強制的に休まされてしまったが、今日に関しては休んだ方が正解だったのかもしれない。きっと授業に出ていたとしても、晴榎の母親のあの言葉が胸を刺して授業どころでは無かったかもしれない。

『金輪際、晴榎と関わらないで』

 人の感情は変わりやすいと本で読んだことがある。

 人間は思ったこと感じたことを、そのまま行動や言動として実行する生物だ。

 晴榎の母親も内に秘めていた僕への恨みが爆発して、あのように言ったのだろう。少し前に晴榎の家で夕飯をご馳走になったことがあったが、あの時も内のどこかでは僕に恨みを抱いていたのかもしれない。

 これも不幸な出来事の一つに入るのだろうか。橋里先生から貰った強制的なこの欠席も。

 こればかりは僕にも分からない。ザラキエルに聞いた方が早いのだが、肝心の彼女は学校にも家にもいない。本当にどこにいるのだろうか。

 ティリリリリリ——。

 と突然にポケットに入れていた携帯電話から着信音が鳴り響く。

「誰だろう……」

 携帯電話を操作すると、着信相手は「一田和昭」とあった。

 僕は通話ボタンをタップして、携帯電話を耳に当てる。

『よぉ! 幸河。元気か』

「うん、元気だけど……」

 一田君の明るく活発な声が鼓膜を震わせる。

 昼休みだからか、一田君の声以外にもわいわいとした声が混じっている。

『んだよー、元気そうじゃんか。精神が不安定だから欠席って盗み聞きした時はどうしたんだって思ったぜ』

「ぬ、盗み聞きって……」

『まーそれはそれとしてよ、お前今日も新波の様子見に行ったんだろ?』

「うん。まだ目は覚ましてないけど……」

『そっか……心配だよな。冴良木さんも休みだし、お前周りで何かあったんじゃねーのって変な噂流れそうな勢いだぞ?』

「はは……そう思われてもおかしくないよね」

 僕と晴榎とザラキエルが欠席、確かに僕の関係者が軒並み休みというのも不信感を募らせる原因だ。晴榎が事故に遭って入院しているというのはクラス内でももう知れ渡っている。

『明日は来れそうか?』

「多分、行けると思う」

『そっか。きっとお前の精神が不安定になったのって何か抱え込んだからなんだろ? 新波の事故、目の前で見ちゃった目撃者だもんな』

「…………」

『俺だって先生から叱られたり、部活でいい成績出なくてレギュラーから外されたり、婆ちゃんが死んだ時はかなりショックだったけどよ。俺も一種の不安定? 状態だったのかもな』

 一田君の精神の不安定と僕の不安定とでは何かが違う。

 橋里先生なら恐らく「一田君の不安定は状況、現実的な精神による不安定で、樹生君の不安定は樹生君自身が現実を重く受け止めて、自己の中に押し止めてしまった不安定」と言うだろうか。

『だけどよ、やっぱそん時は現実を冷静に受け止めるしかねぇんだよな』

「現実を……受け止める?」

『そ。どうしてこうなったんだーって考えて、これからどうすればいいかってさらに考える。嫌なこと起きてもよ、それ見て「はいおしまい」じゃなくて「こうしてこうするんだ」って前向きに考えることだ大事だって、中学の時の先生に教えて貰ったんだ』

 これからどうすればいいか……前向きに考えること……。

『レギュラーから外された時は、もっと練習を重ねるよう考えた。試合に出させてくれるほど俺は能力を身につけてないって、先生から言われてないけど言われてる気がしたんだよ。だから頑張った。ボールの取り方、バットの振り方、順応に動ける判断力……普段の練習でこれら意識付けたら、ほんと練習がバカみたいにキツくなってな。ああ、俺って今までの練習、真面目にやってなかったんだなってバカらしくなったんだよ。で、それら続けてたらレギュラーに戻れたんだ。やっぱ現実受け止めて前向きに考えることって大事なんだなって思い知らされたよ』

「それが、一田君のやり方なんだ……」

『もし出来たらやってみ? 俺はこの方法で立ち直った』

「分かった。やってみる」

『ただ、現実受け止めなきゃいけないから、結構精神が強い状態の時にやらないと崩壊を起こすって言ってたような記憶あっから、十分注意しろよ?』

「うん」

『んじゃ、また明日な。新波に俺たちが心配してたぞって言っといてくれよ』

「うん、また明日」

 通話終了のボタンをタップして一田君との通話を切断する。

 僕はベンチに深くもたれかかり「はぁー」と息を吐いて流れていく雲を再び見つめた。

 一田君と話していて、何かが僕の中で芽生えたような気がした。

「……やってみよ」

 一田君の言っていた「現実を受け止めて前向きに考える方法」を実際にやってみようと思った。今の精神ならいける気がすると直感的に思ったからだ。

 目を瞑って事故発生時のこと、晴榎が倒れた時のこと、病室で晴榎を見たこと、自分にとって苦痛を味わう光景を脳が拒否しても思い出し、それを受け止める。受け止めなければ先には進めないから。

「——っ」

 体が拒絶反応を起こした。

 小さな吐き気を催す。

 ごくっと酸味が残るものを飲み込んでさらに思い出しを続けた。

 本当は晴榎に見せる顔なんて無い。

 事故を起こした張本人が病室に出向く権利なんて無い。

 晴榎の母親のように恨まれるのが筋なんだ。

 罪人はただ悔やむだけ。見舞いも看護も出来ない。

『本当にそう?』

 脳裏に響いてくる誰かの声。声の主は分からない。

「だってそうじゃないか。いつだって恨まれるのは事故を起こした張本人なんだから」

『でも君は毎日見舞いに行ってた。あれは違うの?』

「違う。あれは……僕への罰なんだ」

『罰……ね。罰なら何で手を握ったの? 罪人の手は穢れてる。それでも君は握った。何で? 罪滅ぼし? 戒め?』

「そ、それは……」

『そんなことのために君は手を握ってなんかないでしょ。君はもうとっくにやってた。君にしか出来ないことを』

「僕にしか出来ない……こと」

『そ。手を握りながら心の片隅のどこかではこう思ってたんでしょ? 『早く良くなりますように』って』

 そうか。僕が今できること。

 それは晴榎を僕の不幸体質で怪我させたことを悔やむのではなく——

 ——怪我した晴榎の無事を常に祈り続け、看護をすることだったんだ。

 ザラキエルから晴榎の無事を聞いてほっとして以降、僕は自分の不幸体質で晴榎を怪我させてしまったことばかり考えてしまっていた。否、それしか考えていなかった。

 晴榎の病室にほぼ無意識に行っていたのはただ悔やむだけだった。だけど僕の体は晴榎の無事を常に祈っていたんだ。

 身近な人、最愛の人の心配をするのは人間の思想において当たり前のこと。心配をすること無くそれを喜ぶ人は狂人だろう。悔やむ人も別種の狂人かもしれない。

 自分のせいで相手を傷付けた反省をするにしても、それを引きずって傷付けた相手が自分を心配させるような行動は少し狂っているのではないか。自分のことばかり考えてしまっている「後悔の自己中」ではないか。

 僕はそんな「後悔の自己中」で晴榎から心配されていたのかもしれない。

「……はは……」

 乾いた薄ら笑いが零れ出る。

 いつの間にか握っていた手を優しく離した。

 単純なことだったんだ。

 そんなことまで分かっていなかったなんて僕はなんて愚かなんだ。

 これは僕にとって最大の不幸だろう。

 自分自身を分かっていない不幸。

 だけど同時に幸福でもある。

 自分自身が分かった幸福。

 胸と脳に支えていたもやもやと心痛い何かが、風に吹かれたかように、すうぅと消えていった。

 ヒュオォ……。

 だけどその風は僕の胸中だけでなく、肌や髪の毛を揺らし、制服を靡かせる。

「ったく、ようやく分かった?」

 風と共に現れたのは純白の翼を羽ばたかせ、白く輝く光輪を浮かばせ、神々しい羽衣を纏っている銀髪の少女——ザラキエルだった。


 ♢   ♢   ♢


 優雅に現れたザラキエルは地上に着地すると、座っている僕を見下すような視線を見せる。

「晴榎ちゃんのお父さんも、橋里先生も言ってたでしょ。君が責任を負う必要は無いって。だけど君は自分の不幸体質を理由に、責任を勝手に負った。今まで悩んでたのは単なる自業自得よ」

「…………」

 反論が出来なかった。

 それよりも——

「ザラキエル、何で今まで姿を見せなかったの?」

 突如として出てきたザラキエルの方が気になっていた。

「ああ、それ? 別にいいでしょ。まぁここのところ学校サボったのはマズいかなーって思うけどさ」

「よくないよ。晴榎のこと聞いてからずっと姿現さなかったんだから」

「……はぁ。分かった。正直に言うと、ずっと君の傍にいた」

「え?」

 あまりにも簡単に言われたので、僕の脳はすぐにそれを理解することが出来なかった。

「聞こえなかった? ずっと君の傍にいたの。君の守護天使な訳だし」

「でも、ずっと傍にいたんなら何で家の中でも姿見せなかったの?」

「家の中はあんまり不幸な出来事起こらないでしょ? だから私が傍にいる必要も無いかなーって思ったから、別のところ行ってたの」

「別のところ……?」

「原初の冥界——エレボス。そこの管理者である冥府神と話してたの」

「え、エレボス……? 冥府神?」

 急にファンタジー要素が強い言葉が並び、僕の脳はさらに混乱する。

「って言っても分かる訳無いよね」

「当たり前だよ!」

 ザラキエルが天使な時点でファンタジー要素は強いのだが、天使が冥界という場所に行ってもいいのだろうか。

「じゃあ私が冥界に行ってた理由を話すけど、一つだけ忠告。これだけは何があっても絶対に受け入れること」

 ザラキエルは人差し指で一を示す。

 一体何を受け入れろというのか。だけどザラキエルという存在に関わっている以上、もう後戻りは出来ない。

「分かった」

「はい、言質取ったからね。後で撤回しようとしても無駄だから」

 ビシッと指先を向けて鋭い眼差しで僕を見つめる。

 僕はこれから起こることを覚悟するため、生唾をごくっと飲んだ。

「これから君に見せるのは君に不幸体質の原因、及びその過去と対処方法。あと、私の使命。心して聞くこと」

「僕の不幸体質の原因!?」

 ザラキエルに問い返す間も無く、ザラキエルは純白の翼を大きく広げ、両手を僕の方に重ねて目を瞑った。

「出てきなさい。冥界に巣くう邪悪なる根源の劣等種よ」

 ザラキエルの両手から水色の魔法陣のようなものが段階を組んで展開され、五重にも渡る大きなものへ変化する。魔法陣が水色に輝き出すと、僕の体も水色に光り出した。

「おお……」

 水色に光っている僕は特にこれといって変化は無い。体が熱くなったりとか、毛が伸びたりとかそういった体内、体外のものには影響しないようだ。

 僕自身が水色に光っている幻想に浸っていると、僕の指先や腕から黒い点々みたいなものが見え始めた。

 それはみるみるうちに数を増し、やがて——

 クチャキチャケチャ……。

 ——という水音のような奇怪な音を出しながら何かが蠢いて飛び出てくる。

「う、うわああっ!!」

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