第11話 幸福か不幸かの男子禁制店
五限、六限が終了し放課後。
晴榎は「じゃあね樹生」と少し名残惜しそうに美術室へ向かって行った。
ザラキエルは他クラスの女子からも囲まれている。放課後に付き合ってくれと言われているのだが、これは僕が助け船を呼べるようなものではない。
しかし僕は、いつの間にか僕の机の中に入っていたザラキエルからの手紙通りに動く。いつ僕の机の中に入れたのだろうか、と授業中に見つけてからずっと考えていた。
手紙の内容はこうである。
『学校が終わったら私に付き合ってくれるってこと、忘れてないよね? 多分私は暫く囲まれて動けないはずだから先に
と書かれていた。まるで予知でもしていたかのように当てはまっている。
ザラキエルの手紙に書いてある通り、僕は六咲公園と呼ばれる、六咲市の中で最も大きな公園のベンチに腰掛けていた。東高前のバスに乗って少し揺られた先にある緑豊かな公園だ。広い芝生と簡易的な遊具、三十分置きに吹き出す噴水など、六咲市民の憩いの場所だ。柳区団地前公園の閑散さとは打って変わって、平日の夕方でも家族連れが遊んでいる。
手紙の効力なのか、この公園に来るまでに不幸な出来事は一切無かった。この手紙が無ければ不幸な出来事に巻き込まれていたかもしれない出来事が二件くらいあったが、特に僕と関わることなく解決していった。
巻き込まれていたかもしれない不幸な出来事は『座席の取り合い』と『ひったくり』だ。
前者は僕が座っていた席の近くで、他の高校の男子生徒とサラリーマンが座席のことで口論を始めてしまった。変な同意を僕に求めて巻き込まれそうになった時に、杖をついているお婆さんが乗ってきたことから二人は席を譲り、口論は終了した。
後者は公園に着く直前、僕の鞄が見知らぬ男に奪われてしまった。黒い服とズボン、サングラスとマスクという如何にも怪しい男は、まるでひったくりに手慣れているのか、僕からするりと鞄を抜き取った。幸いにもひったくり犯は前を見ておらず、前を歩いていた人にぶつかって転倒させてしまったが、その歩いていた人は警官だったため速攻で取り押さえられた。
「これが……天使の力か……」
僕は何の変哲も無い手紙を太陽に掲げて呟いた。
朝の記憶改竄や不幸な出来事も相まって、ザラキエルへの不信感はこれで完全に消滅する。疑っていた訳ではないが、ザラキエルが来てから僕が被害を受けることが無くなったように感じる。
「私の手紙翳して、どーしたの?」
とそこに制服姿のザラキエルが現れた。
ザラキエルの制服姿を間近で見ることが出来なかったので、少しだけ僕はたじろいだ。似合っているの一言に尽きるのだが、ザラキエルの美しさや綺麗さが制服と溶け合っていて、男子や女子から囲まれるのも頷ける。天使の羽のマークが入った紺色の鞄は、何と言うか無骨だ。
「い、いや……何でも無いよ」
僕はあたふたしながらザラキエルの手紙を鞄にしまった。
「そう。でも効力は凄かったでしょ?」
「……うん。お陰で助かった」
「どーいたしまして。まぁコレが私の仕事だしね。あ、そうそう。その手紙の効力なんだけど、今日一日で切れて明日まで持ってても意味ないから適当に捨てといて」
「え……そうなんだ……」
少し残念に思った。この手紙があればザラキエルの手助けを借りることなく、暫くの間過ごせると思っていたのだ。
「そーなの。ずっと効力が残ってたら私も仕事しなくていいんだけど、それだと天界から怒られかねないしね。それに毎日同じ効力を浴びてたら、次第に薄まるって前の救世の因果が開いた時に気付いたの」
「救世はそう簡単にはいかないんだね……」
「全く。君の不幸は私の……あ、いいや。今のは聞かなかったことにして?」
「え? う、うん……」
何だろう。ザラキエルは僕の不幸体質の原因について知っているのだろうか。
「さってと! じゃあ帳が落ちる前に済ませるよ。前の救世の因果が開いた時と今の人間界は違うからね。私は今の人間界の生活はあんまり知らないからエスコートして頂戴よ? その代わり、君の不幸は私が対処してあげるから。人間界で言うところの利害一致? ウィンウィンの関係? そんな感じかな?」
「分かった」
僕はベンチから立ち上がり、目と鼻の先にある大型ショッピングモールへと足を運ぶ。
六咲公園から歩いてすぐの場所にあるこのショッピングモールは六咲市民の買い物の場だ。人気店が連なり、東高の生徒は勿論、西高や北高といった他の高校の生徒も放課後や休日によく訪れる。店舗数は約二百。敷地面積もかなり広い。
自動ドアからショッピングモールに入る。スーパーから近い場所の自動ドアから入ったからか、すれ違う人は主婦や家族連れの買い物客が多かった。
「えっと……まずは……」
ザラキエルの生活用品と服の購入が主な目的だ。来客用のものを常に使うわけにはいかないので、ザラキエル用のコップや食器を買う必要がある。まずは雑貨店に行こうと決めた。
「そういえばザラキエルってお金持ってるの?」
人間界の生活に疎いとはいえ、お金が無いとこのショッピングは意味が無い。僕も多少なりともお小遣いは貰っているが、ザラキエルの生活用品を全て買えるほどの金額は無い。服まで僕のお金で賄おうとしたら、とても払えない。
前に救世の因果が開いたとしてもそれは数百年前の話だ。江戸時代や明治時代頃に救世の因果が開いていたとしても、貨幣の存在は知っているだろう。
「お金? ああ、金属か紙で出来た等価交換の代替え品のこと? うーん……今の時代の人間界に合った貨幣は生憎だけど持ってないよ」
「だと思ったよ……」
ザラキエルは単純に僕を救世するという目的で人間界に降りてきているのだ。生活用品やお金なんて持ってくることは無いだろうし、そもそも天界にお金という概念があるのかどうかすら分からない。
「じゃあ僕のお金をザラキエルの力で……ってこれは偽造工作になっちゃうな……」
「それと、私から離れちゃったら消えるってのもね」
「あ……そうだったね」
朝の出来事が思い返される。お金はあるのにレジで店員に渡った途端にお金が消えたら、きっとただ事では無くなるだろう。
「……しょうがないか……」
これはもう腹を括るしかあるまい。幸いにも今時点で欲しいものはそんなにない。財布に入っているお金だって、最近は購買でパンを買うためにしか使ってない。
……うん? そういえば……。
「ねぇザラキエル、今日の昼休みのパンってどうやって買ったの? お金持ってないんだよね?」
「あのパンのこと? あのパンはあのクラスの女子たちが買ってくれたの。私がこれがいいって言ったら喜んで買ってくれたよ」
「そ、そう……」
それならザラキエルが昼休みにパンを食べていた理由に納得がいく。だけどそれ以外にももう一つだけお金関係で聞きたいことがあった。
「じ、じゃあ六咲公園まではどうやって来たの? 流石にバス内でお金を出してくれる人はいないと思うんだけど……」
「あの公園までは飛んできたんだー」
「え?」
「飛んできたの。翼出してね」
「ええ……」
まさかの移動費ゼロ円の翼を使って飛んで来るとは予想外すぎた。飛んできたのならお金関係は問題無いのだが、別の方で問題が生まれる。
「と、飛んできたってことは周りから見られない?」
「大丈夫。飛んでる最中は誰も私のこと気に留めないから。雀が飛んでるなーって感じに見た人は思ってるはずだよ。これも私の力」
「それなら……いいかな」
本当にいいのかな……と思っている自分がいるが、天使という空想上の存在と関わっていることを考えると気にしない方がいいかもしれない。
「それで、君は何を買ってくれるの?」
奢って貰うこと前提で聞いてくるザラキエル。少しむっとしたが、こんな些細なことで怒っても仕方ない。
「えっと……まずはザラキエル用の食器類、あとはちょっと安めのTシャツとかかな? これ以上は僕のお金が無くなっちゃう」
「分かったわ。ま、私も君にあんまりお金を使わせるのは本意じゃないからね。じゃ、買うもの決まったし、さっさと済ませて帰りましょ」
「そうだね」
ここから近いところだと雑貨品店なので、最初に向かうのはそこにしようと決めた。
雑貨品店に入った僕たちは、買い物籠を手に持って食器等が並べられている場所に向かった。
ショッピングモールの雑貨品店は品揃えが少ないと思っていたが、それは杞憂だったらしい。案外悩めそうなくらいの品が揃っていた。
深緑や橙といったお洒落なもの、無地なものから、有名企業やアニメとコラボしたものまで売っている。値段も……少しする。これなら百均の食器の方がよかっただろうか。だが、暫く一緒に過ごすため、脆いものよりは丈夫なものの方がいい。
「うーん……」
ザラキエルは顎に手を当てて、考えている人のように食器類を眺めていた。
少し悩んで——
「これにする」
と言って天使の翼のようなデザインのコップと皿二枚を籠に入れた。
「こんなデザインのものあるんだ……」
でも翼マークの食器ならザラキエルのものだっていうことが分かりやすい。僕の食器は無地のものばかりなので、父さんのものと見分けが付きにくいのだ。
値段も確認し、買える範囲の金額なので良しとする。
「茶碗とか、お椀とかはどうする?」
「そんなものいる? 皿とコップあれば十分じゃない?」
「一応はね。母さんも父さんも僕も自分のもの使ってるから」
「ふーん。個人所有のものね……悪くないかも。ちょっと探してくる」
まるでお菓子を探しに行く子供みたいに、ザラキエルは隣の通路の茶碗売り場へ歩いて行った。僕もその後についていく。
数分間悩んだザラキエルは企業のワンポイントが入った茶碗とお椀を籠に入れた。流石に翼マークのものは無かったらしい。
ひとまずこれで会計を済ませる。二千円程で済んだ。
食器類は丁寧に包んで貰い、嵩張ることも、ぶつかって欠けることもない。
「じゃあ次は服かな?」
七百円くらいのTシャツならいけるが、もう少し高いものは僕のお年玉貯金から下ろすことになるだろう。
「ねぇ、服より前に大事なものあるんだけど」
「え? 何かあったっけ?」
「これ」
そう言ってザラキエルは制服の胸元を少しずらして水色のブラジャーを見せようと——
「す、ストップ! ストップ!」
——してきたので、僕は慌ててザラキエルの行動を阻止した。
「何?」
「何じゃないよ? ここデパートだし店の前だから! 他の人もいっぱいいるから!」
「でも、朝はよかったじゃん」
「あれは僕の部屋だからだよ……」
いきなり目の前でブラジャーを見せられそうになるとは思ってもいなかった。ザラキエルの人間界での無知が痛い。
でもそれのお陰なのかザラキエルが言っていた「服より大事なもの」の意味が分かった。
「……じゃあ下着売り場にでも行けばいいの?」
「うん」
表には出さずに心の中で大きな溜め息を吐く。
僕は当たり前だが男で、ザラキエルは女だ。つまり女性の下着売り場、所謂ランジェリーショップという場所はどう考えても男子禁制の花園である。だが、今のザラキエルは所持金無し。支払うのは僕なので必然的に僕もランジェリーショップに入ることになる。
憂鬱だ……。
せめて東高生の誰にも見られませんように。
僕は重い足取りでザラキエルと一緒にランジェリーショップに向かった。
ランジェリーショップは雑貨品店からすぐの場所にある。
(うぐっ…………)
やはりキラキラとしたピンクや水色、薄緑色といった輝きが目に見えるようで、とても思春期中の男子が入れる場所じゃない。それに店内にいる人たちは全員女性だ。こんな中、僕が中に入ったら変質者と思われる可能性が高い。
ザラキエルと一緒に入れば、彼氏なのかヒモなのかというように店員や客は察してくれるだろうが、今の僕とザラキエルの服装は東高の制服。カップルっぽく見えるだろうが、カップルがランジェリーショップにいたら十中八九、周りの人は別方向の考えが過ぎるだろう。
「ザ、ザラキエル……僕、店の外で待ってるから選んだら呼んで?」
「どうして?」
「いや……その……男はこういった店には近づかないんだよ……」
興味がある人は一定数いるだろうが。
「ふーん。人間の男は複雑だねー。ま、選んだら呼ぶから私の見えるところにいてよ?」
「了解です……」
これで会計以外でランジェリーショップに入ることは無いだろう。財布持って入れば会計しに来た客なんだなって分かるはずだ。
その前にブラジャーやショーツとかって何円くらいするのだろうか。母さんに聞く気にはならないし、値段を見ようと近づくのは気が引ける。ザラキエルが持ってきたものの値段で考えるしかないようだ。
ザラキエルが下着を選ぶまで僕は近くにあったソファにもたれながら携帯を操作する。ニュースサイトを見てもどこもよく見るニュースの内容しか更新されていなかった。
そうして数分後。
(選んだから来て)
不意に頭の中で響くザラキエルの声。周りをキョロキョロするが、ザラキエルは見当たらない。まだランジェリーショップにいるのだろうか。
多分来てもいいということだと思うので、財布を手に持ち、意を決して男子禁制のランジェリーショップに突入する。
「あ、来た来た」
店内に入って一直線のところにレジがあり、そこにザラキエルがいた。周りは極力見ず、ザラキエルのみに焦点を当てて店内を進む。
「それ?」
「そう。この二つ」
ザラキエルの手にあったのは薄いクリーム色と水色の二種類のブラジャーとショーツのセットだった。値札を見てみると税込みで一〇八〇円。これなら買える範囲だ。
きっと僕の財布事情を考えてくれたのだろう。
「これお願いしまーす」
「はい。合計で二一六〇円です」
僕は千円札二枚と百円玉硬貨二枚の合計二二〇〇円をトレーに乗せる。レジの店員はザラキエルが選んだ下着を袋に入れ、慣れた手つきでレジを操作し、
「四〇円とレシートです。ありがとうございました」
と言って四〇円とレシートを渡してくる。僕は小声で「どうも……」と言い、硬貨とレシートを財布にしまってランジェリーショップから出た。
ザラキエルは袋に入った下着を無造作に鞄の中に入れた。
「まさか僕がこれらを買うことになるとは……」
「私と出会ったのが運の尽きだね」
「ザラキエルが来たこと自体が幸福なのか不幸なのか分からないよ……」
「でも、私のお陰で不幸な出来事から救われてる、って考えると幸福でしょ?」
「そうかもね……」
人生、何があるのか分からないとは本当によく言ったものだ。
さて、食器類とザラキエル用の下着も買ったので、後は服を買うだけだ。手持ちの所持金は大体二〇〇〇円くらいになってしまったので、Tシャツは良くて三枚くらいだろう。
その他にも靴下や靴といった生活必需品が残っている。今日一日でそれらを揃えるのはとてもじゃないけど無理だ。それに家からお年玉貯金を崩さねばなるまい。
「と、とりあえず服屋見て回ろっか……」
「ん」
ぶっきらぼうに反応したザラキエルは、僕の後を付けるようについてくる。雑貨品店やランジェリーショップは一階にあり、服屋は二階にある。近場にあったエスカレーターに乗って二階へ。
エスカレーターに乗ったザラキエルは、何やら周りを見ていた。
「何してるの?」
「いや、人間は便利なものを作ったなーって」
「そうだね。ザラキエルが前人間界に降りてきた時は、こんなもの無かったでしょ?」
「無かった。やはり人間の叡智というものは不思議だよ。叡智を司る天使が少し羨ましい……」
「そんな天使いるんだ……」
あっという間に二階へ。エスカレーターから降りると、目の前は大きな服屋が広がっている。流行のファッションを着飾ったマネキンや、引き締まったスーツを着たマネキンが変な印象を植え付けてくる。
「えっと……Tシャツ売り場はどこだっけ……」
僕もこの服屋には母さんと何度か訪れているが、自分から入ったことは全然無い。そのため、服屋のどこに何があるのか把握出来ていないのだ。
「こっちだっけ……」
とりあえず僕の記憶を遡りつつ、服屋の中を見て回る。
大きな通路の左隣はカジュアルな服が、右隣のコーナーにはホップな雰囲気の服が売られている。だが、ここではない。もう少し進むとバッグ売り場……下着売り場……スーツ売り場……Tシャツ売り場。
「ここかな?」
少し大回りしてしまった気がするが、目的地に着いただけ良しとしよう。Tシャツ売り場には『この商品棚の商品全額五〇〇円!』や『四五%OFF!』というような売り文句の張り紙があちらこちらに貼られていた。
適当に一着取り出してみると、よく分からないフォントで英語がデザインされていた。紺色と黄色で目立ってはいる。携帯で英語の意味を調べてみると『山羊』という意味だった。僕は何とも言えない気持ちでTシャツを元の場所に戻した。
「で? これらのを好きに選んでいいの?」
「う、うん……いいよ」
ザラキエルのデザインセンスがどんなものか分からないが、翼マークの食器類を持ってきたのもあるので、何が来ても動じないようにしよう。
それに合わせて僕も自分に合うものが無いか探す。長袖のTシャツはあるのだが、紐が出てきたり解れたりしてきたものが幾つかあるため、そろそろ新しいのが欲しいなと思っていたところなのだ。
自分のサイズに合ったものを取り出してはイマイチだったので戻す。別の商品棚に行っても同じことの繰り返し。次の商品棚に移動したその時——
「あれ? 樹生?」
と聞き覚えのある女子の声が聞こえてきたので、声のする方向に振り返る。
するとそこには美術部の方に行ったはずの晴榎の姿があった。
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