第3話 六枷商店街への寄り道

 そうして何だかんだ六時間の授業が終了し、放課後になる。

 僕はどこの部活にも所属していない無所属なので、鞄を持ったらすぐに学校から去る。一年生時は必ず部活に所属しないといけない校則だったため、ちょっと裁縫が得意だったので手芸部に入部した。しかし、先輩との付き合い方で馬が合わなくて結局辞めた。晴榎に「美術部に来たら?」と勧誘を受けているが、その返事はいつも保留にしている。

 校門を抜け、怪我しないよう周りに注意しながら歩いていると、後ろから僕を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえてくる。

「いっつきぃ!」

 晴榎の声だ。他に下校している生徒のことなんかお構いなしに、手を振りながら駆けてくる。同時に揺れる二つの丘が、男子生徒の目を釘付けにしていることを晴榎は知らない。

 やがて晴榎が僕の隣に来て呼吸を整える。歩く足を止めて晴榎の呼吸が整うのを待った。周りの男子生徒から向けられる嫉妬の視線が痛い。

「一緒に帰ろって約束したじゃん」

「てっきり美術部あるのかって思って……」

「今日はお休み。コンクールの絵ももうちょっとで完成間近だし、今日はいっかなーって勝手に休んで来ちゃった」

「それ部長にちゃんと報告したの?」

「いいっていいってー。これくらい部長なら大目に見てくれるよ」

「だといいけど……」

 美術部の状勢がどうなっているのか無所属の僕には一切分からない。ただ、晴榎から聞いた話によると、美術部の部長は合理主義者らしく、細かなスケジュールを練ってコンクールまでの作品完成を指示しているとか。

「あ、そうだ。ねぇ樹生。ちょっと寄り道していい?」

「……ちょっとだけなら」

 不幸事件に巻き込まれない対策は「寄り道をしない」の一言に尽きるので、できることならどこにも行かずに帰りたいのが本望である。

 ただ、ここで断ると腕を引っ張ってまで連れ回すのが晴榎なので、遠出しないのを祈るしかない。

「どこ行くの?」

「美術品店。もうちょっとで完成だけど、筆先が交換時期だから」

「いつものあの店?」

「そう」

 晴榎が御用達にしている美術品店は、東高前のバス停からバスに乗って十分くらい経った場所にある。老舗の商店が軒を連ねる商店街の一角にあり、昔ながらの製法で絵筆やキャンバスを作っているらしいのだ。

 デパートとかに売っている絵筆では出せない塗り方とかがあるらしく、この絵筆を使ってからは他の絵筆では満足に塗れないらしい。美術関係に関しては全く知らない素人のため、これら全ては晴榎から聞いた話になるのだが。

「早く行こ?」

「ち、ちょっと晴榎!」

 晴榎は僕の腕を無造作に掴んで引っ張る。転びそうになりながらも、どうにかして体を支えて晴榎について行った。

 東高前のバス停に着くと、タイミング良くバスが到着した。一般の方々や他の東高の生徒も乗っており、座席が全て埋まっていた。時間的にも満員電車ほど人は多くない。吊革に掴まってバスに揺られながら十分間の短い旅をする。

「そういやコンクールの絵って何描いてるの?」

「えー? それは……内緒」

 小悪魔っぽいような笑みを浮かべて、唇に立てた人差し指を持っていく。

「だっていつもの六咲市民美術ろくさきしみんびじゅつコンクールだよ? どうせ樹生も見るじゃん」

 どうせと言っているが、好きで見に行くのではなく、晴榎に連れ回されて見るだけだ。

 六咲市民美術コンクールとはその名の通り、六咲市主催の美術コンクールである。六咲市の小中高の生徒が描いた絵を一挙に飾って、銀賞、金賞、最優秀賞を決めるものだ。僕が小学生の頃に描いた銀河鉄道の絵で金賞を貰ったのは、今でも嬉しい思い出である。

「それは……そうかもだけど」

「だから、その時までのお楽しみ。間違いなくね、今世紀最大の傑作だから!」

「去年も言ってなかった? それ」

「えー? そうだっけ?」

 などと話ながらバスに揺られること十分。

『次は六枷商店街前ろくかせしょうてんがいまえ。六枷商店街前』

 とバス内の音声アナウンスが流れたので——

『ピンポーン。次、降ります』

 降りるボタンを押して降車することを伝える。

 暫くするとバスが減速し始め、道路脇に止まった。

「行こっか」

 晴榎にそう言い、バスの出口へ歩みを進める。鞄から財布を取り出して小銭入れを開けた。ICカードという便利なものは持っていないので、細かな硬貨をチャラチャラと入れていく。

 六咲東高等学校前から六枷商店街前までの運賃は二百四十円である。

 二百円を運賃箱に入れ、四十円分の十円玉を取り出そうとする。

「えっと……」

 僕の財布には百円玉や五十円玉の小銭が多く、十円玉は数が少ない。ちょうど四十円分の十円玉があったが、百円玉や五十円玉の間に埋もれてしまっている。

 バスの運賃箱は両替が出来るがお釣りは出ないので、五十円玉を入れると十円分損してしまい、ちょっと勿体ない。十円くらいの損失は別にいいだろうという考えが頭を過ぎるが、一銭を笑う者は一銭に泣くとも言うので、無駄な損失は避けたい。

 少し伸びた爪で十円玉をまさぐり出し、ようやく四十円分の十円玉を運賃箱に入れることができた。少し時間を取ってしまったので、運転手に「お時間取ってごめんなさい」と謝ってバスを降りる。

 地面に足が着くと、後ろから降りてきた男性の肩と僕の背中がぶつかってしまい、前に倒れそうになる。晴榎が支えてくれたお陰で僕は倒れなくて済んだ。

「チッ。おっせぇんだよ!」

 威圧するようにそれだけ吐き捨てると、「ペッ」と歩道に設けられている柵に唾を吐き、ポケットに手を突っ込んで足早に去っていった。

 どういった男性だったのか顔までは見えなかったが、吐き捨てられた言葉に心臓が怯えるように脈打つ。

 ブウゥンとバスが発車し、バス停には僕と晴榎だけが残された。

「樹生、大丈夫だった?」

「うん……」

「何なの? あの人!?」

 晴榎が去っていった男性の方向を見て、頬を膨らませる。

「いいよ晴榎。僕が小銭出すの遅かったのが原因だと思うし」

「そう……? 樹生がそう言うなら……」

「僕のことは気にしないで。さ、遅くなる前に美術品店行こっか」

「あ……うん……」

 妙に浮かない表情をしていた晴榎だったが、商店街に入るとその表情はどこかへ消え去った。

 六枷商店街は老舗の店舗が並んでいる商店街である。人通りはそれほど多くは無いが、レトロな雰囲気が好きな人やレトロマニアの人にとっては良い場所だろう。骨董品店では窓際に目を引くような蓄音機が飾られていたり、古本屋では太宰治の『晩年』がアンカット版で飾られていたりしている。

 僕はそこまで古い物には興味が無いが、テレビや本で見たり読んだりしたことのあるものが実際にあると思うだけで感慨深いものがあると感じる。

 六枷商店街を五分ほど歩くと、真っ白いキャンバスが店前に飾られている場所がある。ここが晴榎のお得意店「骨橋美術店ほねばしびじゅつてん」だ。

 引き戸の扉をガララと開けると、ガラガラとした声の老躯の男性が「いらっしゃい」と入店した僕と晴榎に言った。カウンターで本を読んでいたらしく、眼鏡を外して僕と晴榎の傍に来る。

「おお、お前さん方か」

「こんにちは」

「はい、こんにちは」

 晴榎が丁寧に挨拶をし、僕はぼそっとした声で倣い、小さく頭を下げる。

 店内は蛍光灯二つで照らされており、静寂に包まれていた。物言わぬ美術品や絵画が少し不気味な雰囲気を作り出している。

 商品棚には筆や画材等が綺麗に陳列しており、壁には花瓶に生けられた花々の絵、夜空を彩るような星々の絵、フェルメールの『真珠の耳飾の少女』やドラクロワの『民衆を導く自由の女神』を模した絵が飾られている。仕事スペースにはゴッホの『アルルの跳ね橋』が描きかけで置いてあった。

「お爺さん、いつものあの筆ある?」

「あれかい? ああ、あるとも」

「じゃあそれ、三本いい?」

「ああ。レジ前で待ってなさい」

「え……? レジ前……?」

 晴榎が少し困惑したのを骨橋美術店の店主が「ほほほ……」と笑って、曲がった腰を重い足取りで歩き、店の奥へ姿を消した。言われた通りに僕と晴榎はレジがあるカウンターの前で待つ。

 晴榎がこの美術店を訪れ、ここで普段使っている筆を買いに来てから、いつしか商品名を言わなくても話が通じるくらいまでになった。それに付き添って来ている僕の顔もいつしか覚えられたようだ。

 数分後、奥から筆を持って店主が戻ってきた。カウンターにバッと並べ、晴榎に間違いが無いか確認させる。

 一見何の変哲も無い筆に見える。穂先が整えられた筆だな……と僕は思った。

「これでいいかい?」

「はい! って……これってもしかして……」

「勘がいいのぉ。その通り、さっき出来たばっかの代物だ」

「い、いいんですか!?」

「勿論だ。ワシも六咲市民美術コンクールは楽しみでな。是非ともこの筆を使って、お前さんの絵を表現してくれ」

「あ、ありがとうございます!」

 晴榎は大きな声でお礼を言い、筆の代金を支払う。テープで筆をまとめてもらい、鞄の中にしまった。

 店の扉の前でもう一度「ありがとうございました」とお礼を言い、浮き足立った足取りで骨橋美術店を後にする。

 閑散としている商店街の真ん中を僕たちは元来た道を戻る。

「よかったね晴榎」

「本当! まさか出来たてを貰うなんて……これは明日、仕上げに使わせて貰うわ!」

 出来たての筆が嬉しかったらしく、晴榎の顔からにやけが収まらない。

 いつも不幸続きの僕だけど、晴榎のこういった表情を見ていられるのが唯一の幸福なのだと思う。晴榎が僕を心配する表情ではなく、こういった楽しそうな表情がいつも見られる日が来るのはいつだろうか。

 何てそんな来るはずも無い未来を想像しても意味が無い。僕が幸福に感じることさえ傲慢なのだ。

 幸福は不幸と表裏一体としばしば言われる。誰かが幸福に感じている時、どこかの誰かが不幸になる。きっと僕の不幸体質は、幸福に思っている人の分の不幸が全部僕に流れてきているのだろう。この不幸で僕が死んでも、誰かが幸福ならそれでいい。例えその幸福に感じる人が晴榎であっても。

 とそんなことを考えていると六枷商店街前のバス停にまで戻ってきていた。ちょうど僕たちが住む近くを通るバスが来たので、それに乗る。

 バス内はさっきと違ってがらがらだったので、座席に座ることが出来た。僕が窓側、晴榎が廊下側に座り、ぐらぐらとバスに揺られる。

「ねぇ樹生、さっきから浮かない顔してるけど……」

「え? そ、そう?」

「うん。美術店出てからずっと」

「…………」

 どうやらさっき幸福と不幸は表裏一体のことが顔に出ていたらしい。

「もしかして……何かあった?」

「い、いや。何でも無いよ」

「そう……?」

 首を傾げて心配そうに僕を見つめる晴榎。度々こういう表情を見てしまうと、晴榎に僕の不幸体質に気を使わせてしまっているようで申し訳無く感じる。

「何かあったら言ってよね。樹生って何でも自分で抱え込んじゃうんだから。私は樹生の幼馴染でもあるんだし相談役でもあるんだから」

「あ……うん。そうだね。ありがとう。何かあったら相談するよ」

「絶対よ。私にどーんと任せておきなさいって」

 と自分の巨乳に手を当てて胸を張る。どんと晴榎が胸を叩いた時、小さく双丘が揺れたので僕は咄嗟に視線をバスの進行方向に向けた。

 晴榎はこう言ってくれるが、僕としてはこの不幸体質は一人で解決したい。一緒に解決しようとすると、解決してくれる晴榎に不幸な出来事を招いてしまいそうでとても怖いのだ。

 だから僕は毎回晴榎が協力してくれそうな時には、有耶無耶な理由を付けて離れて貰っている。「ごめん」と口には言えないが、心の中でそう思っている。

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