第六話 島国

 土曜の昼、西洋人風の男性客がやってきた。年齢は四十代くらいで、スーツをお洒落に着こなしている。テーブル席に座ると、メニューを開いた。


 俺はコップに水を入れ、男のところに持って行く。


「いらっしゃいませ。 英語のメニューもご用意しておりますが、お持ちしますか?」


「日本語で大丈夫ですよ。 コーヒーとサンドイッチで」


 男は笑みを浮かべ、そう答えた。流暢な日本語だな。駐在歴が長いビジネスマンか何かだろうか。


 注文の品を用意している間、ふと男の方を見た。男の手には「落語入門」と書かれた本がある。日本の文化を学習しようとしているんだろうか。熱心だな。


「お待たせしました。 コーヒーとサンドイッチです」


「ありがとう。 美味しそうですね」


 そう言うと、味わうようにゆっくりとコーヒーを飲み始めた。


「いやあ、コーヒーは久しぶりですよ」


「普段は飲まれないんですか?」


「ははは、立場上まずいんですよ」


 コーヒーを飲むとまずくなる立場ってなんだろう。


 しばらくしたあと、再び男に声を掛けられた。


「そういえば、マスターはどうしたんですか?」


「私は甥です。 しばらくの間、店を任されておりまして」


「ほお。 どうしてそんなことに?」


「実は……」


 俺は、大学でいろいろあって休学したこと、それで叔父に喫茶店を任されたことを話した。


「いろいろあったんですねえ。 あなた、私の国に留学してくれればよかったのに」


「え?」


「一度、自分の国から出てみるのも面白いですよ。 他の国から自国を眺めるのは、素晴らしい経験です」


「そうですか。 機会があれば、ぜひ」


「ははは。 あなたにおすすめの学校、紹介しますよ」


 そう言って、俺は男と握手を交わした。


「じゃあ、お勘定お願いします」


「かしこまりました」


 俺はぱちぱちとレジを叩いた。男から現金を受け取り、お釣りを返す。


「そういえば、コーヒー豆の販売もしておりますよ。 ご自宅でいかがですか?」


「うーん、大丈夫です。 飲みたくなったらまた来ますから」


「そうですか。 またのお越しをお待ちしております」


 男は店のドアを開け、外に出ようとした。だが、何かを思いついたかのようにこちらを振り向いた。


「でも、インスタントコーヒーは飲むかもしれませんね」


「え? どうしてです?」


 すると、男はしたり顔でこう言った。


「これがホントの、ネスカフェアンバサダーってね」


 落語入門の本、早速生かされたみたいだな。

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