第8話 陽斗視点

「ですが、母のデザインと僕の腕は確かです。作成途中の物だけでも仕上げさせてくださいよ」


「あら、自覚がないのですね? あなたのお母様のセンスは正直、微妙ですよ。それから、あなたの腕は良くも悪くもない。どこにでもいる宝飾師だと思います。太田宝石店でしか買えない特別な物なんてありませんね。むしろ、ジュエリーブルダンのほうが良い物がたくさん揃っています」


「くっそ! 金持ちだからって言い過ぎだろ。何様なんだよ」

 つい心の声が口から漏れていた。ほんの独り言だよ。いつもは客の相手なんてしないから、こんな時にどうやって対応したら良いのかわからない。


「あら、まぁーー。私に向かってその口の利き方は許せませんね。太田宝石店なんて信用を失ったら一発で潰れてしまう小さな店ではありませんか」


「も、申し訳ありませんでした」

 何度も何度も謝った。こんな大物を怒らせたら確かに間違いなく太田宝石店は潰れると思う。広瀬社長の交友関係はとても広い。


「ここに来ることは二度とありません」


 不愉快だと言いながら、プリプリッと怒って去って行った。






 翌日届いたのは請求書の束だ。いつもはあかねが店の帳簿もつけていたし、お金の管理もしていた。あかねがしてきたことだから、僕にも余裕でできるはずだった。しかし・・・・・・いくらなんでも、母さんは金を使いすぎだ。


 請求書の束をテーブルに置き、僕は母さんに詰め寄る。夕食はこれからなのに、誰も食事を作ろうとしない。ちなみに朝はシリアルにミルクをかけたものだったし、昼は母さんがハムを挟んだだけのサンドイッチを作った。あかねならそんなことはしない。サンドイッチには必ず卵やチーズも挟んだし、レタスだって忘れなかった。まぁ、それは置いといて、まずはこの請求書だ。


「母さん、この請求書は多すぎるよ。なんでこんなに買い物をしているんだ?」

「あら、いつものことですよ。宝石デザイナーのパーティは毎週あるし、お付き合いは大事でしょう? 毎回同じ服を着て出席をするなんて恥ずかしいことです。セレブはそんなことはしないわ」


 いったい、なにを勘違いしているんだ? うちのお得意様たちはセレブでも、僕たちは一般庶民だ。金が無限にあるわけじゃないんだぞ!


「母さんは宝石デザイナーで、モデルでも女優でもない。同じ服を着て行ったところで、誰もそれほど注目していないよ。セレブはお客様で、僕らは職人なんだよ」

「うるさいわね! お金持ちを相手にしているから、こちらだっておかしな格好はできないのよ。品格が大事ですからね」

「いや、お客様対応はあかねがしていたから、母さんはそもそも着飾る必要はないよね? いったい、どうしたらそんな勘違いが起こるんだよ?」

「うるさいわね! 陽斗だって高いお酒を飲んで、決まったブランドしか着ないでしょうが。同じことですよ」


 確かにお気に入りの服は少し高めだが、母さんのように毎回買うわけじゃない。お酒だってそれほど量は飲まないから許容範囲のはずさ。


 そう言えばあかねも同じようなことを母さんに言っていたことがあった。確かあれは結婚してまもなくの頃だった。宝石の注文は今ほどではないが、そこそこあったのに、太田宝石店はいつもお金に困っていた。


「お母様。高価な服を毎週のように買うのは、やめていただけませんか? 手持ちのブローチやネックレス、ストールで変化をつければ、同じ服でもまた違った雰囲気がだせます」

「そう思うならあかねさんがすれば良いでしょう? 私はクリエイティブなお仕事をしているの。こうして新しい物に触れるだけで発想が湧くのよ」

「これではいくらお金があっても足りません。陽斗も少しお酒を控えてくれないかしら? 酒代だけでもかなりの額よ。せめてもう少し安いお酒に替えてくださいな」

「は? そんなの無理だよ。僕だって宝飾師としてクリエイティブな仕事をしている。つまりはこの素晴らしい才能を枯渇させない為には清らかな水(酒)が必要なのだよ」


 当時のあかねは呆れたようにため息をついていた。やがて多くの金持ちたちが来店し、高価なアクセサリーを次々と注文するようになった。それは母さんと僕の腕が漸く認められたんだという誇りに繋がった。それがあかねのお蔭だったなんて、ひとつも思わなかったんだ。


 

 僕の昔の回想を中断させたのは樹理の能天気なセリフだった。

「お金のことなんて心配しなくても良いですよ。あかねのせいで離れていったお客様は私が取り戻してあげるわ。お客様にお世辞を言えば良いのでしょう? お得意様の屋敷に挨拶回りに行けば、上等なお菓子を出してもらえるかしら?」


 樹理なんかにあかねの代わりは務まらない。あかねに帰ってきてもらうしかない。


 僕たちが使ったカードの合計請求金額のすさまじさに、大事な顧客が去って行ったら破綻することは、数字に弱い僕にだって想像できた。広瀬社長を失うわけにはいかないんだ。きっとあかねだって僕が迎えにくるのを待っている。


 僕はあかねを連れ戻しにジュエリーブルダンに向かったのだった。


 

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