第2話 妹とネコ


「おりゃ!」


「ッぐ!」


 その日、朔太は熱烈な妹のキス……なんてものではなく、強烈なデコピンで起床した。


「起きて!」


 重い瞼を開ける。ベッドで仰向けになる朔太の隣では、妹の咲綾さあやがムスっとした表情で朔太を見下ろしていた。青いスカーフが特徴的な中学校のセーラー服を着ている。


「咲綾のその制服も、そろそろ見納めかぁ」


「じろじろ見ないでよ気色悪い」


 朔太を罵倒すると、咲綾は部屋を出て行った。


「……また咲綾をいじめてるわけ?」


 そう言って欠伸をしたのは、朔太の枕元で丸くなっている白い毛並みのネコだ。


「おはようパトラ。いじめてないよ愛でているだけ。可愛い妹だからな」


 パトラはエメラルド色の美しい瞳で朔太を一瞥すると、目を閉じた。このまましばらく丸くなるつもりらしい。


「……さてと」


 ベッドから這い出して制服に着替える。


 自室の2階から1階に下りると、朝食の匂いが鼻腔を擽った。同時にお腹がぐぅと鳴る。


 リビングに入って奥のキッチンを覗くと、咲綾が制服の上からエプロンを身に着けていた。上機嫌に鼻歌をしながらフライパンの上のウインナーを転がしている。


「ご機嫌な朝飯づくりだな」


 声を掛けるが「気が散る。黙ってて」という冷めた言葉と鋭い視線が飛んで来たので、そそくさとリビングに退避する。


 ソファに座ってテレビでも見ようとしたが、庭からネコの鳴き声がしたので窓を開けた。


 パトラではない、別のネコがいた。


「やあ朔太。今日はいつもより遅かったじゃないか」


「キミが早いんだよシュレディンガー」


 シュレディンガーは近所の老人宅に住むネコだ。彼は他のネコと比べて賢いネコで、時折朔太の家に来ては雑談かじゃれて遊んでいる。


「いやいや、そんなことはない。いつもならパトラが窓際で陽を浴びている頃合いだ。今日は彼女をまだ見ていない」


「そうですか」


 そんなことを言っているとパトラがリビングに現れ、しゃがんでいる朔太の肩に飛び乗った。パトラは庭にいるシュレディンガーを女王のように見下ろす。


「また来たのねシュレディンガー」


「ごきげんよう。今日も美しい毛並みだことで」


「私のことを褒める前に自分の毛並みでも整えたら?」


「ほどほどで十分さ」


「そんなんだから雌ネコに嫌われてるのよ」


「安心したまえ。雌雄関係なく、近所のネコたちには嫌われているさ」


「あんたねぇ……」


 パトラが呆れた声で鳴いた。


「お兄ぃ、ネコと遊んでないでご飯あげといて」


 ネコたちと戯れていたら、咲綾が朝食をテーブルに運んでいた。咲綾にはネコたちの声は聞こえないし会話も出来ない。


 不思議なことに、朔太だけがネコとコミュニケーションをとれるのだ。


 この超能力と思しき力に気付いたのは小学生の頃。会話が出来るのはネコだけで、他の動物との会話は不能だった。


 それから数年の日が経ち高校生となった朔太だったが、ネコと会話が出来るからといって大した日常の変化は起きなかった。強いて言えばネコと触れ合う機会が増えたぐらいか。


「……了解」


 朔太はテレビ台の横にある棚からキャットフードと皿を取り出し、パトラに差出した。 


「どうぞ朝食でございます」


「もっと高級なものが食べたいわ」


「我儘なお嬢さんが1人と1匹か。お兄さんは心苦しいです。ついでに懐も苦しい状況なので勘弁してください」


「なんだよ、食べないならオレが貰うぞ」


「シュレディンガー! アンタにはあげないよ」


 窓からひょこっと顔を出したシュレディンガーに対し、パトラはシャ! と小さく威嚇した。


「なんだシュレディンガー、お腹空いているのか?」


「飯が食えるなら頂く。それが道理ってもんだろ」


「シュレディンガー、僕の友達はキミだけだ」


 朔太はシュレディンガーを抱き抱えると背中を撫でてやった。


「お兄ぃ、さっさと朝食食べて! 食べ終わったお皿洗っておきたいんだから!」

 

「はいはい、いまいきますよー」


 キャットフードを袋から片手に乗る程度出してシュレディンガーに与え、朔太も朝食をとる。


 朝食を終えると、朔太はネコじゃらしを使ってシュレディンガーと戯れた。このおもちゃをパトラに使っても全く興味なしだが、シュレディンガーはちゃんと遊んでくれる。


「咲綾、僕も食器洗うの手伝おうか?」


「今までお皿を割った回数を覚えていて、それでもって言うならいいけど?」


 一度手を止め、首を捻る。


「覚えている限りは7枚だな」


 冷たい視線が飛んで来たので、朔太は食後の運動とばかりにシュレディンガーとの戯れを再開する。


「私、先に出るから。お兄ぃはちゃんと鍵を閉めて家を出てよね」


 時刻は8時過ぎ。学校指定の鞄を持った咲綾は一足先に学校へ向かった。


「はいはい。いってらっしゃい」


「……行ってきます」


 朔太はパトラとシュレディンガーと共に咲綾を見送り、リビングに戻った。


「さーて僕も出ようかな」


「気になっていたんだが、どうして2人は一緒に出掛けないんだ? 学校までの距離はそんなに変わらないんだろう?」


 シュレディンガーが不思議そうに朔太に尋ねた。


「僕の妹は反抗期だからな。一緒に行きたくないらしい」


「妹というのは良くわからんな」


「同感」


 通学鞄を手に取り玄関へ向かう。


「ちょっと朔太、汚い野良ネコ追い出してよ」


「忘れてた。シュレディンガー行くぞ」


「汚いとは失礼な」


「家ネコならもっと身なりを整えなさい」


 シュレディンガーは返す言葉が無くナァと鳴くしかなかった。


「シュレディンガー、ドンマイ」


「朔太もだからね。そんなボサボサ頭じゃ人間のメスに嫌われるわよ」


「……はい」


 まさかネコに小言を言われる日が来るとは驚きだ。飼い主に似ると言うが、どちらかと言えば咲綾に似てきた気がする。


 朔太はシュレディンガーを抱えると、咲綾の言いつけ通り鍵を閉めて家を出た。

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