第31話 文化祭

 午前中の受付をのらりくらりとこなし、ついに交代時間がやってきた。


「おーい戸成。交代だぞ交代」

「ういー。あとはよろしくな」

「森野さんとの文化祭デート楽しんでねー」

「でもイチャイチャを見せつけたら殺す」

「俺にどうしろってんだよ!」


 面倒くさいクラスメイト達にツッコミを入れつつ、光莉と共に校内を歩き始める。


「いてて……ずっと座ってたから腰が死んでるわ」

「そう? 運動不足なんじゃない? プランクとかおすすめだよ」

「これでも俺は文科系で通ってるんだよ」

「今の内から筋トレしとかないと将来太るよー?」

「やめろよ怖いだろ」


 太るのだけは本当に勘弁してほしい。理想的な太り方ができるなら話は別だが、専門知識のない俺が太ったらそれこそゴブリンとか餓鬼みたいな体型になりかねない。


 頭に浮かんだ嫌な未来を頭の中から振り払い、腹筋に少しだけ力を入れる。


「さーって、それじゃあ文化祭を楽しむとしますか。最初に行くって言ってたのなんだっけ?」

「筋肉メイド喫茶だよ」

「そうそうそれそれ。どんだけカオスなのか見に行こうぜ」

「うん」


 光莉は俺の言葉に軽く相槌を打ち、そして俺の手を握ってきた。


「……人目があるけど?」

「それがどうかしたの?」

「いや、お前がいいなら別にいいんだけど……」


 光莉のクラスの衣装が壊された件を思い出す。光莉にはまだ伝えてないけど、あれは彼女に嫉妬した女子が自分の恋人たちを使って行った嫌がらせだった。こうして俺とイチャつく姿を見せつける事で、もしそいつらの神経をより逆撫でする事になっちまったらと思うと、少し不安になる。


「もしかして、私のこと心配してる?」

「エスパーかよ」

「幼馴染みだもん。顔を見れば何を考えてるかぐらい分かるよ」


 なんだその特殊技能。俺でも流石に顔を見ただけじゃ何考えてるかなんて分かんねえぞ。


「どうせ私が他の子に嫉妬されるかもとか考えてるんでしょ?」

「一言一句違わないのは流石に怖いよ」

「心配しなくても大丈夫。嫉妬されるなんて慣れてるし」


 確かに、生まれつき顔立ちが整っていた光莉は小学校高学年の時からすでにいろんな女子から嫉妬されていた。思い返してみれば、彼女がそれを気にする姿はあまり見たことがない。


「私が十年以上の片想いをやっと実らせたんだよ? どんなに邪魔が入ったってこの時間を諦めるなんてありえないっしょ」

「心が強ぇ……よくもまあそんな恥ずかしいことを平気な顔して言えるよな」

「当たり前じゃん。何年片想いしてきたと思ってるの?」

「……分かったからもう勘弁してください」


 顔は熱いし光莉の顔を直視できないし、何より心臓が今にも爆発しちまいそうだ。恋の駆け引きにおいて俺がこいつに勝てる日は一生来ないに違いない。


「ふふっ。分かったなら大人しく私と手を繋いでおいてね」


 それはもう嬉しそうに笑いながら、光莉は俺の手を引き、目的地へと足を進める。

 井口先輩が見たら悪態をつきそうだけど、彼女の尻に敷かれる人生もそこまで悪くないかもしれない――なんて思ってしまっていた。



  ★★★



「へいらっしゃい! 何名様ですかい!?」

「二人です」

「二名様ごあんなーい!」

『『『へいらっしゃい!』』』


 居酒屋かな?


「見て見て水樹。壁にハート型の風船飾ってあるよ。かわいい~」

「いやもっと他に気になるところあるだろ」


 光莉に引っ張られるがままにたどり着いた筋肉メイド喫茶は、それはもう圧倒的な濃さを誇っていた。

 上半身裸とだけ聞いていたが、そのレベルが予想をはるかに超えている。ボディビルダーがつける事で有名なワセリンでも塗っているのか、肌がやけにテカテカしているし、壁には褐色肌の男たちの満面の笑みを写した写真が所狭しと飾られている。少なくとも、このすべてを無視して風船に目がいくようなことは決してない。


「水樹はなに頼む? 私はこの上腕二頭筋シュークリームでも頼もうかな」

「メニュー名が濃すぎて頭に入ってこねえよ」


 確かに見ようによっては上腕二頭筋とシュークリームは似てるのかもしれないけど。流石にそこを合体させちゃ駄目だろ。シュークリームを生み出した人に土下座しろよマジで。

 他のメニューも全然普通じゃないし……特にこのダブルバイセップスオムライスって何なんだ。何をどう間違えたらポージングとオムライスが繋がるんだ。


「そんなに迷うなら水樹も同じのにする?」

「……じゃあ俺はこのオムライスで」

「ん。じゃあ店員さん呼ぶね。すいませーん」

「へい! ただいま!」


 メイド喫茶の名前を捨てた方がいいぐらい暑苦しいなマジで。


「ご注文、お決まりですかい!?」

「上腕二頭筋シュークリーム一つと、ダブルバイセップスオムライス一つお願いします」

「上腕二頭筋シュークリームとダブルバイセップスオムライス入りましたぁ!」

『『『ご注文、ありがとうございまぁす!』』』


 二十人近くの筋肉ダルマが思い思いのポージングを取っていた。多分、今日寝る時にこの光景が夢に出ると思う。


「料理の完成を、しばしお待ちくださぁいっ!」

「はーい」


 太陽のような眩しい笑顔と共に去って行くマッチョ店員。野球部ってこんなに暑苦しいのか。どんな間違いを犯そうとも絶対に入部しないようにしよう。


「珍しいからかな? 結構お客さん入ってるね」

「まぁインパクトで言えば文化祭ナンバーワンだろうしな……」


 マッチョとメイドを組み合わせるなんて普通は考えねえよ。


 周りの店員や客の様子を光莉と一緒に観察していると、先ほどの店員が二人分の料理を持って戻ってきた。


「お待たせしましたぁ! 上腕二頭筋シュークリームとダブルバイセップスオムライスでぇす!」


 そう言ってテーブルの上に置かれたのは、普通のシュークリームと普通のオムライス。変な名前がついているが、見た目は全然変わらないらしい。


「シュークリームはともかくとして、オムライスのどこにダブルバイセップス要素が入ってるんだよ」

「気が早いですねお客さぁん! これから見せてやりますよ!」

「は?」


 俺の疑問の声を完全に無視し、店員さんはどこからともなくケチャップを取り出した。そして俺の前で見事なダブルバイセップスを見せつけると――


「そぉい!」


 べちゃああああああ、とオムライスに大量のケチャップをぶっかけた。


「はい、ダブルバイセップスオムライスお待ちぃ!」

「いや無理があるだろこんなもん!」

「すごーい」

「お前も他人事みたいに褒めてんじゃねえ!」

「へへっ。お褒めに預かり光栄です」

「ねえ、俺だけ置いてけぼりにするのやめてくれない? おかしいの絶対に俺じゃないからね?」


 呆気にとられる俺を他所に、店員は照れくさそうに鼻の下を掻く始末。おまけに周囲のテーブルから謎の拍手まで送られてきている。なんだこれ。俺だけ瞬きの間に異世界にでも転生させられたのか?


「では、ごゆっくりぃ!」


 自らの役目を全うした店員は満足そうな顔で奥へと引っ込んでいった。


「じゃあ食べよっか」

「よく何事もなかったかのように食事を始められるよな……」


 俺の幼馴染みはやっぱりメンタル強者のようです。

 まあ、今日一日をここで潰す訳にもいかないし、俺もさっさと食べるとするか。

 ケチャップがぶっかけられたせいで殺人現場みたいになっているオムライスに恐る恐るスプーンを刺してみる。中から出てきたのは、何の変哲もない普通のチキンライスだった。


「良かった……ちゃんと普通のオムライスで本当に良かった……」


 謎の感動を覚えつつ、スプーンですくったオムライスを口に運ぶ。オムライス自体は美味しいが、とにかくケチャップの酸味が邪魔をしている。別にケチャップが合わないとかじゃなく、とにかくかけすぎなんだよちくしょう。


「どう? 美味しい?」

「ケチャップの味が濃すぎる」

「あはは。だと思った。シュークリームで口直ししとく?」


 そう言って、光莉は俺に向かってシュークリームを差し出してきた。


「はい、あーん」

「……人目がありますが」

「何か問題でもある?」

「ナンデモナイデス」


 こいつがそういうのを気にするような奴じゃないってことはもう十分わかっちゃいるが、俺の理性が一応確認しとけと言っていましたので。

 周囲から大量の視線を向けられているのを感じつつ、光莉の手の中にあるシュークリームを一口かじる。


「どう?」

「……んまい」

「よかったー。じゃあ次はそっちのも食べさせてくれる?」


 あーん、と開いた口をこっちに向けてくる光莉。……ちょっとだけエロいなとか思っちまった俺はめちゃくちゃ不純な奴なのかもしれない。

 邪な感情を頭の隅に追いやりつつ、オムライスをスプーンですくい、光莉の方へと差し出す。


「あ、あーん」

「あーん……あむっ。んー……確かにちょっとしょっぱいかも」

「だろ? ケチャップかけすぎなんだって」


 あくまでもパフォーマンスがメインなんだろうなって感じの味だ。客の視点からするとせめてもう少し食べやすくはできなかったのかとは思うけど。


「でも、水樹に食べさせてもらったから、その分美味しくなってるかも」

「はいはい。そりゃようござんしたね」

「顔真っ赤だよ?」

「うるせー。いちいち言うな」

「ふふっ」


 俺をからかってる時の光莉は本当に楽しそうだ。


「……なぁ」

「なに?」

「文化祭、楽しいか?」

「まだ始まったばっかりじゃん」

「それはそうだけど……」


 顔を見るだけで何が言いたいか分かるって言ってたんだから、気持ちを汲んで答えてほしいものである。

 光莉は「んー」と顎に手を当てて少し唸ると、満足そうな笑みを浮かべた。


「今のところは凄く楽しいかなっ」

「……そうか。まぁ、楽しいなら何よりだ」


 まだまだ問題は積んであるけど、少なくとも、光莉が楽しいというのだから今はそれでいいと思う。


「でも、まだまだ足りないかな。後でお化け屋敷とか、他にもいろいろ回ろうね」

「自分で作ったお化け屋敷に行ったところで怖がりようがないだろ」

「じゃあ水樹が一度でもびっくりしたら今日のご飯奢ってもらおうかな」

「上等だ。じゃあ驚かなかったらお前に奢ってもらうぞ」

「ふふーん。望むところですよーっと」


 その後、お化け屋敷に行った俺達だったが、クラスの連中が無駄にやる気を見せたせいで俺は恥も外聞もなくビビリ散らかしてしまい、光莉に夕飯を奢る羽目になってしまうのだった。

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