第30話 面倒ごとは突然に


 そんなこんなで一日が経ち、ついに文化祭当日となった。


「ふぅ……なんとか間に合ったな……」

「お疲れ様、翔琉。慣れない手作業で疲れたろ?」


 教室の壁に背を預け、額の汗を拭う翔琉に俺は買ってきた缶コーヒーを手渡す。


「む、ありがたい。なに、いい経験になったさ。それに、握力も鍛えられた。この経験を柔道に生かせば、更なる成長が見込める事だろう」

「俺はお前のそのイカレた向上心がたまに怖くなるよ」


 柔道馬鹿なのは知っていたが、まさか日常生活の些細な部分まで柔道に生かそうとするほどだったとは。選択授業は絶対に剣道を選ぼう。柔道を選んで、こいつの技の実験台にはされたらたまったもんじゃないし。


「そんな事より、そっちは解決したのか?」

「そっち?」

「今回の件の犯人探しをしていたのだろう?」

「……何で知ってんだよ」

「フッ。親友のオレに隠し事など不可能だぞ?」


 俺が思う翔琉の怖いところがまた一つ増えた瞬間であった。もしかしたら俺の詰めが甘かったのかもしれないけど、それはそれとして俺の行動を把握しているこいつの事はめちゃくちゃ怖いです、はい。


「まぁ、解決はできそうだけど、続きは文化祭が終わってからだな。光莉に余計なことを考えさせたくねえし」

「オレはオマエのそういう優しいところが大好きだぞ」

「そうかよ。でも言葉には気を付けた方がいいぞ」

「む? 何故だ?」

「それはだな――」


 俺は翔琉に見えるように、自分の背後を親指で指し示す。

 そこには……


「翔琉に大好きって言ってもらえてよかったわね水樹?」

「――俺の命が危うくなるからだ」


 俺の頸動脈にカッターナーフを突き付ける千里の姿があった。


「待て千里。お前は何か大きな勘違いをしている」

「いいえ、何も違わないわ。あんたは私を怒らせたの」

「今の大好きは恋愛的な意味じゃなく、友情的な意味だって。翔琉が俺に惚れる訳ない。普通に考えてわかるだろ」

「意味合いなんて些細な問題よ。重要なのは、あんたが翔琉に大好きと言われてしまった事実だけ」

「別に大好きぐらい翔琉なら誰にでも言うだろ! なあ?」

「む? 何の話か分からんが、オレの大好きはそこまで安くはないぞ?」

「殺すわ。これ以上翔琉の心があんたに奪われない内に」

「状況をややこしくする天才かお前は!」


 これだから片想いに溺れた狂戦士は手に負えない。そんなに病む前にさっさと告白しちまえばいいのに。千里の告白を断るような馬鹿じゃないだろ翔琉は。


「水樹。あんたを殺して私も死ぬわ」

「お前の自暴自棄に俺を巻き込むな!」

「だって、おかしいでしょ? あんただけが恋人と仲良しこよしだなんて。私にだって幸せになる権利はある……そうは思わない?」

「はいはい思います思います! 思いますからとりあえず別の解決法を考えよう! こんなやり方間違ってる!」

「私にどうしろって言うの? 文化祭初日にほぼ丸一日受付に立つことになっている、この不幸な私に!」

「そのスケジュール管理は自分で何とかしてくれよ! 誰かに代わってもらうとかいくらでも方法はあるだろ!」

「それは……だって、みんながそれで好きな人と文化祭を過ごせなかったらかわいそうじゃない……」

「なんでお前は翔琉が絡むと急にぽんこつになるんだ!?」


 もう二度と恋愛強者面しないでほしい。


 俺は首元のカッターナイフを払いのけ、千里を翔琉の方へと突き飛ばす。


「きゃっ」

「おっと……」

「受付のスケジュールはこっちで組み直すから、今日は二人で文化祭回れよ」

「なっ……なに勝手に決めてんのよ! 誰も文化祭回りたいなんて言ってないでしょ!?」

「お前の意見なんてどうでもいいわ。翔琉、お前はどうしたい?」

「ん? よく分からんが、千里はオレと文化祭を回りたいのか?」

「へぇあ!? あ、あの、その……ま、まぁ、あんたがどうしてもって言うなら、回ってやらない事もないわ」


 なんだその出来の悪いツンデレは。漫画でも読んで出直してこい。


「そうか。ならば、一緒に回ろうではないか」

「え……? い、いいの?」

「うむ。元々一人で回る予定だったのだが、やはり一人よりも二人で回る方が楽しいだろうからな」

「……そ、そうなの? ふーん? ま、男一人で回っても何も楽しくないでしょうしぃ? し、仕方がないから私が一緒に回ってあげるわよ!」

「おう。よろしく頼む」


 様子のおかしい千里に翔琉は邪気ひとつない笑みを返す。この男は本当に穢れのない純真な心の持ち主だなぁ。この世の中でどう生きたらこんな人間として育つことができるんだろうか。


 親友のおかしさに疑問を抱きつつ、俺は千里の耳元に口を近づける。


「俺に何か言う事はありませんかね?」

「……乱暴なことしてすまなかったわね」

「お礼は? デートの約束を取り付けてやった俺にお礼は?」

「ぐっ……あ、ありがとうございます……」

「ふはは、苦しゅうない!」

「こ、この……調子に乗りやがって……」


 恋愛弱者が何か言っていたが、あえて無視した。今この場において、立場が上なのは俺なのだから。

 さて、他人の恋路に手を貸してやったところで、そろそろ俺のやるべきことをやっておこうか。


「じゃ、俺は今からスケジュール組み直してくるから。そっちはそっちで楽しんでくれよ」

「おう。では千里、どこから回ろうか?」

「き、気が早いわよ。文化祭が始まるまでまだ一時間ぐらいあるってのに」


 素直じゃない友人に苦笑しつつ、俺はクラスメイト達と受付係のスケジュールについての会議を開始するのだった。



  ★★★



「……で、じゃんけんに負けて、午前中いっぱいの受付を全部担当させられた、と?」

「みんなグーを出すって言うからパーを出したのに、あいつら裏切りやがったんだよ。酷いと思わねえか?」

「水樹が純粋すぎるだけじゃないかな……」


 そして始まった文化祭。校内全体が賑やかなムードに包まれる中、俺はお化け屋敷の受付でそれはもうやる気なく項垂れていた。

 千里が翔琉と一緒に文化祭を過ごせるように手を回したところまでは良かったんだが、代わりの受付を立てる際に失敗した。クラスメイトの一人がじゃんけんで決めようとか言い出して、文化祭テンションでそれに乗っかったのが悪かった。


「まさか一発で負けが決まるとはな……」

「水樹って昔からじゃんけん弱かったもんね」

「うっせえわ」


 机の上で項垂れながら悪態をつく俺を見て、光莉は悪戯っぽく笑う。


「つーか、お前はこんなところで油売ってていいのか? 演劇の時間そろそろじゃないっけ?」

「私は衣装係だから、本番はやる事ないんだよね。本当は何か手伝いたかったんだけど、みんなから恋人と過ごして来いって追い出されちゃった」

「ンだよそれ」


 おそらく桐沢あたりが言い出したんだろうな。光莉からしてみれば余計なお世話かもしれないが、俺にとってはファインプレーだ。ありがとうヒカリのクラスメイト達。今度菓子折りでも持っていかないとな。


「会いに来てくれたのは嬉しいけど、残念ながらあと二時間はここから動けねえぞ?」

「そっか。じゃあ、私も受付係、手伝っちゃおっかな」

「はぁ?」

「ほら、そっちに寄って寄って」


 俺が抗議の声を上げる間もなく、光莉は俺の尻をずらして同じ椅子に強引に座ってきた。バランスが崩れて転びそうになるが、机に手をつくことで事なきを得る。


「あぶねえなぁ」

「だって椅子一つしかないんだもん」

「じゃあ俺は立ってるからお前は座っとけよ」

「受付は水樹なんだから座っとかないと駄目だよ」

「でもこのままじゃ狭いだろ。どっかから椅子もう一脚持ってこようか?」

「……一緒の椅子に座りたいっていうの、伝わらないかな?」

「えぇー? だって座りにくいだろ。腰悪くするぞ?」

「恋人とイチャイチャしたいんですー。分かってよ、もう」


 ぐりぐりと横から俺の頬を指でつついてくる光莉。こいつのこういう積極的なところを千里は少しぐらい見習うべきだと思った。

 これ以上何を言っても無駄だろう。とりあえず光莉のやりたいようにさせようと諦めた俺は、椅子から落ちないように姿勢を立て直す。


「ま、こういう文化祭もたまにはありか」

「そもそもまともに文化祭楽しんだことないくせに。いつも屋上とかで時間潰してたよね?」

「だって面倒くさかったし」

「でも、今年はちゃんと参加するんだ?」

「だって俺が参加しないと、お前が楽しめないんだろ?」


 頬杖をついたまま、光莉を横目で見る。


「お前の恋人になったんだから、彼氏としてお前が楽しめるようにするのは当たり前だろ?」

「……ふふ。水樹、なんだか変わったよね」

「ンだよいきなり」

「彼女欲しい彼女欲しい~って言ってた時より、かっこよくなったねって意味」

「別に何も変わっとりゃしませんけども……」

「顔真っ赤だよ?」

「うっせえわ」


 思わず顔を逸らすが、光莉はニヤニヤしながら強引に俺の顔を見ようとしてくる。本当にこいつにだけは敵わないな。


 お化け屋敷に来た客をてきとーに捌きつつ、スマホで時間を確認する。交代時間までまだまだ時間はあるが、ここでぼーっとしながら暇をつぶすのはそれはそれでもったいないし……となると、やる事は一つか。


「どっか行きたいところあるか?」

「え? 遊園地とか……?」

「ちげえよ。文化祭での話だ」

「ふふ、冗談だって。そうだねぇ……あ、筋肉メイド喫茶とか行きたいかも」

「なんだよその悪夢みたいな出し物」

「野球部がやってる喫茶店だって聞いたかな。上半身裸でキャップとスカートだけ身に着けて、料理を注文するとボディビルのポージングをしてくれるらしいよ?」

「前言撤回。めちゃくちゃ見てみたいわ」


 あまりにもネタ度が高すぎる。出し物としてはある意味満点かもしれない。


「じゃあ交代したら行ってみるか。別に先に見に行ってきてもいいけど」

「一緒に受付やるって言ったっしょ?」

「でもお前の貴重な文化祭の時間を削るのは気が引けるって言うかさぁ」

「私がやりたくてやるからいいの。はい、この話はこれでおしまい」

「ふぁい」


 俺の頬を引っ張ってくる光莉に言われるがままに会話を終了する。


「文化祭、めいっぱい楽しもうね」

「ま、それなりにな」


 面倒ごとを押し付けられるのは相変わらずだけど。

 それでも、今年の文化祭が今までで一番楽しくなる事だけは分かった。

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