第26話 彼女の前でぐらいかっこつけたい。

 異変はすぐにやってきた。

 正確には、光莉たちのクラスの劇を見た翌日。その早朝のことだった。


『衣装が全部壊されてる』


 光莉からそんなラインメッセージを受けた俺は、翔琉と千里と共に光莉のクラスへ急いだ。


「光莉!」


 教室の扉を勢いよく開け放ち、恋人の名前を呼ぶ。


「水樹……」


 光莉は教室の後方で座り込んでいた。その手には何かが握られているが、それが何なのかは遠目でも流石に分かった。


 ずたずたに切り裂かれた、白雪姫の衣装だった。


「くそっ、本番まであと二日しかないってのに……」

「誰がこんなことをしたの……?」


 悔しがる生徒たちの間を抜け、光莉の方へと駆け寄る。


「何があったんだ?」

「分からない。朝一番に来た子の話によると、学校に来た時にはもう衣装が全部だめになってたんだって……」

「光莉……」


 ハサミで切り裂かれたのであろう衣装を両手で抱え、強く抱きしめる光莉。千里は彼女を慰めるように、傍に座ってそっと肩を抱いていた。


 光莉が俺の方に顔を向けてくれないのは、きっと泣き顔を見られたくないからだろう。こいつは昔から、俺に自分の弱るところを見せたがらないから。


「……教室の施錠はしていたのだけどね」


 光莉の傍で険しい顔をして立っていた桐沢が、重苦しい声で言う。


「しかし、教室の鍵なんて開けようと思えば誰でも開けられる。それこそ、職員室に入りさえすれば、誰でもその教室の鍵を持ち出せるのだからね」


 学校というものは意外とセキュリティが甘い。外から自由に出入りできるし、内部の人間であればどの教室にも鍵一つあれば好きなだけ侵入することが可能だ。ぶっちゃけ、施錠なんてほとんど意味がない。


「酷いありさまだが……どうするのだ?」


 静かな声で、翔琉は桐沢に問いかけた。顔には出していないが、翔琉の両手は爪が手のひらに食い込むほどに強く握りしめられている。他人事なのに、まるで自分のことのように怒る翔琉らしい姿だった。


 桐沢は両手を組んだまま、深いため息を漏らす。


「衣装をもう一度作り直すしかないだろうね」

「いや無理だろ。あと二日しかないんだぞ」

「その二日でできるだけのことをする。当然、完成度は落ちてしまうが……衣装が一つもないよりはいいはずだよ」


 そう言う彼女の顔には、怒っているとも悲しんでいるともとれる、複雑な表情が刻まれていた。


 当然だろう。演劇部の人間として、可能な限り完璧な状態で劇を披露したかったに決まっている。中途半端な劇を誰かに見せるなんて、それこそ最も避けたい事態だろう。


 ……それに、俺だって思うところはある。


 光莉が一生懸命作った衣装。それがズタズタに引き裂かれているというだけでも許せないのに、彼女の頑張りが日の目を見ないということが何よりも癪に障る。


 ——が。


(俺がここで暴走したところで、光莉はなにも喜ばない)


 伊達に光莉の幼馴染みを十何年もやっちゃいない。光莉を最も喜ばせるに必要なのは、失われた衣装を取り戻すこと。犯人を見つけて謝罪をさせたところで、光莉の望む結果にはならないのだ。


「千里。もうウチのクラスはなにも準備とかすることないって言ってたよな?」

「まあ……大体やることは終わってるけど……」

「翔琉。ウチのクラスの予算はどれぐらい残ってる?」

「材料のほとんどは廃材だからな。予算は衣装代に使ったぐらいで、半分以上残っているぞ」

「そっか。なら、クラスの連中の説得はお前らに任せていいか?」

「説得……? ああ、なるほど。そういうことか」

「オレにも分かったぞ。ふふ、流石は水樹だな。光莉ちゃんのこととなると、中々に頭が回るではないか」

「一言余計じゃボケ」

「あはは、すまん。だが、任せておけ。何と言ったって、推しカプのためなのだからな」

「水樹クン……?」


 俺の顔を不思議そうに覗き込んでくる桐沢。俺が今から何をしようとしているのか、皆目見当がついていないのだろう。


 彼女の疑問を解消するため、俺は答えを提示することにした。


「二年三組全員で、このクラスの衣装作りを手伝わせてもらう。残り二日だろうが何だろうが関係ねえ。人海戦術で遅れを取り戻すぞ」



   ★★★



 事情をクラスの連中に説明したら、全員が二つ返事でオーケーしてくれた。


 そんな連絡が翔琉から届いたのは、俺が光莉と二人で衣装の設計図をコピーし、教室へと戻ってきた時のことだった。


「ったく、こういう時だけ便利に使いやがってよー」

「いつもやる気ないくせにね」

「文化祭だって直前まで興味なさそうだったのに」

「まあでも、森野さんのためならしょうがないよな」

「うん、しょうがないわ。だって、森野さんの涙は見たくないもん」

「どうせやることもなくて暇だったしね」

「ここで森野さんにいいところを見せて、戸成から俺に鞍替えしてもらおう」


 光莉のクラスでは、二年三組の連中がすでに集結していた。文句を言いつつも、全員が人を助けるためにその手を振るうつもりでここにきている。一人だけ相変わらず光莉とのワンチャンを狙う馬鹿がいるが、そいつについては後で川にでも捨てておこうと思う。


「あ、集まってもらったところで聞くのも悪いんだが、本当にいいのかい?」


 教室に戻ってきた俺に気付いたのか、桐沢は早歩きで近寄ってきた。状況の理解に時間がかかっているのか、彼女の綺麗な顔には冷や汗が浮かんでいた。


「あいつらも言ってる通り、どうせ暇だったからいいんだよ。人数だけは多いから好きに使ってやってくれ」

「し、しかし、ここまでしてもらったところで、何も返すものは……」

「心配すんな。お礼なんて一つしか求めねえよ。なあ、みんな?」


 班の振り分けについて話し合っていたクラスメイト達に、俺は同意の声を投げる。


「ああ。俺たちが求めるのはただひとつ――森野さんとのデート権だ!」

「じゃあ俺は桐沢さんとのデート権を……」

「は? それ私も欲しいんだけど」

「抜け駆けとは許せませんなあ。ウチも桐沢さんとデートしたい!」

「俺も!」「僕も!」「あたいも!」「拙者も!」


「せっかくいい雰囲気だったのにお前ら台無しだよ!」


 そこは「お前たちの演劇を見せてくれ」とか言うところだろ! なんでそこで欲に忠実になっちまうかなあ!? つーか光莉とのデート権なんて渡せるわけねえだろ! この世で俺しか存在してねえんだわ、その権利の所有者は!


「……ふふっ、あははは! 君って、本当に面白いね。どうしよう、本当に好きになってしまいそうだ」


「いや、そいつだけはやめておいた方がいいですよ桐沢さん」

「マジでダメ人間なんで」

「いつもやる気ないし」

「森野さんの目が眩んでなければ同じ忠告してるぐらいですから」

「んだんだ」


 よし決めた。文化祭が終わったら、全員一発ずつぶん殴ろう。


 クラスメイトへの復讐方法を密かに考え始める俺。すると、そんな俺の腕を、隣でずっと静かに事の成り行きを見守っていた光莉が、全身で抱き締めてきた。


「……ダメだよカスミン。水樹は、私のものなんだから」

「ふふっ。無理やり取るつもりはないさ。……無理やりは、ね」

「ぐるるるる……!」


 桐沢に向かって犬のような威嚇を飛ばす光莉。二人の仲の良さを見た千里が遠くの方で嫉妬しているのが見えたが、面倒くさそうなのであえて無視することにした。


 とりあえず、これで準備は整った。あとは残り二日間をフルで使って、全員で力を合わせて衣装を再現するだけだ。


「(……ありがとね、水樹)」


 俺の腕を抱いたまま、光莉は俺にしか聞こえないような小さな声で、そっとお礼を言ってくる。


 恋人が悲しんでいるのだから、これぐらい当然だ。


 十年以上も片想いさせたのだから、それを取り返すぐらいの頑張りを見せることだって当然だ。


 そして、何より――


「今年の文化祭は、本気でやるって決めたからな」


 ——恋人の前で格好つけるためだから、多少の無理をするのは当然なのだ。

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