第17話 静かな部屋で二人きり。

「……これでよし、と」


 綺麗に片付いた自室を見て、額の汗を手で拭う。

 準備をしてくるからと家の前で光莉と別れた後、俺は急ぎで部屋の片づけを行った。最近ズボラだったので漫画が床に落ちていたり、椅子の背もたれに上着がかかっていたりしたが、もうその痕跡はどこにもない。すべてをあるべき場所に収納することができた。これなら光莉を部屋に入れても文句を言われることはないだろう。


「あとはタブレット類だが……鞄の中にでも入れてりゃいいだろ」


 別に隠さないといけないわけじゃないが、中に入っている電子書籍にかなりの問題がある。はっきり言って、彼女に性癖を知られたくはない。


 タブレットを学校用の鞄に放り込み、全ての片づけが完了する。謎の達成感に包まれていたところで、家のインターフォンが鳴った。


「お、もう来たか」


 階段を降り、一階の玄関へと急ぐ。

 自分の靴を端の方へと避けつつ、外へと繋がる扉を開け放った。


「よっ」


 ラフなジャージに身を包み、リュックサックを背負った光莉が立っていた。部屋着みたいになっているのは、もう外に出る予定がないからだろう。まあ、光莉がウチに泊まるに来る時はいつも同じ格好なのだが。


 光莉は玄関の上がり框に腰を下ろし、靴紐をほどき始める。


「ちゃんと片付けはした?」

「当然。まるでモデルルームだぜ。見るか?」

「うん」


 お邪魔しまーす、と言いながら、周りには見向きもせずに階段へと向かう光莉。初めて来たわけでもないだろうに、どこかわくわくしているように見える。


 子供のような光莉に苦笑しつつ、後を追いかけるように自室へ。

 階段を上ると、俺の部屋の扉に体を隠しながら、光莉がちょいちょいと手招きをしてきていた。


「ほら、遅いよ」

「なんでお前が家主みたいなんだよ。そこ俺の部屋だぞ」

「水樹の部屋は私の部屋みたいなものだもん」

「ちげーよ」


 お前のものは俺のもの理論やめーや。どこのガキ大将だよ。


 招かれるがまま、自分の部屋へと戻る俺。光莉は俺の部屋に入るや否や、ベッドに勢いよく飛び込んだ。


「よっ……と。相変わらずベッド大きいね」

「男用なんてこんなもんだろ。俺が特別身長高いわけじゃねーし」

「私のはちょっと狭いから。寝返り打とうとすると落ちそうになるんだよね」

「もっと大きいの買えばいいじゃん」

「ベッドって高いし、不自由してるわけでもないから」


 確かに、ベッドって親にねだるには中々なお値段をしているからな。ゲームソフトとか服とは話が違う。光莉が躊躇う理由も分からなくもない。


「ん、水樹」


 腕組みして扉に背中を預けていると、光莉が手でベッドをぽんぽんと叩き始めた。


「……もっと柔らかい布団を持ってこい、とか?」

「ちーがーうー。隣に座ってって言ってるの」

「ああ、そういう……」

「相変わらず鈍感だよね」

「今回のは流石に難しくないか?」

「難しくないもん」


 もんもん言うなよ、可愛い奴だな。


 俺が隣に座るまで永遠にベッドをぽむぽむし続けそうだったので、俺は苦笑しながらベッドに向かい、腰を下ろす。


「これで満足ですかお嬢様」

「ん、苦しゅうない」

「そっか」

「うん」

「…………」

「…………」

「……いや、お前が呼んだんだからなんか喋れや」


 沈黙に耐えられず、思わず乱暴にツッコんでしまう俺。


 そんな俺から目を逸らしながら、光莉は耳の先まで顔を赤くする。


「えっと、その……水樹の部屋に来て、ちょっと舞い上がっちゃいまして……特に意味はないけど、変なことしちゃいました……」

「……お前、俺にいろいろと言うくせに、結構恋愛雑魚だよな」

「恋愛雑魚!?」

「すぐ照れるし勢いのままに動いた挙句に後悔するし。いやー、いつも俺をからかってるのに、光莉さんったらお雑魚ちゃんなんだからー」

「聞き捨てならない! 私よりも水樹の方が雑魚でしょ!? 手もまともに繋げなかったくせに!」

「今は繋げるから雑魚じゃないですー」

「わ、私だって、手を繋ぐ以上のこともできるから、雑魚じゃないもん!」

「以上のことってどんなだよ。やってみてくださいよ」

「このっ……調子に乗るな……!」


 堪忍袋の緒が切れたのか、光莉は目を吊り上げながら、勢いよく抱き着いてきた。


 彼女の豊満な胸が身体に押し付けられ、俺は思わず身体をびくんと跳ねさせてしまう。


「ほ、ほら、どう? 私は恋愛雑魚じゃないから、ハグだってできるもん」


 偉そうなことを言っているが、彼女の顔は林檎のように真っ赤に染まっている。まあ、それは俺も同じだろうから、あまり人のことは言えないんだが。


「む、無理すんなって。顔真っ赤じゃねえか」

「だ、だって、こうでもしないと……水樹、進展してくれないし……」


 なんかとても申し訳ない気持ちになってしまった。

 確かに俺は光莉に嫌われたくないあまり、消極的な行動をとってしまいがちだ。大切にする意図があってのことだったが、どうやら光莉にとってはあまり面白くない結果となってしまっていたらしい。


 ……恋愛雑魚はどっちだよ。


 彼女に気を遣わせてしまった自分の不甲斐なさを心の中で罵倒しつつ、光莉の顔をまっすぐと見つめる。


「……今から抱き締め返したら、怒るか?」

「いちいち聞くな、ばか」

「はいはい」


 照れ臭いから冗談交じりに聞くしかない自分の弱さに腹が立つ。こんなんだからいろんな奴からヘタレだなんだと言われるんだろうに。


 口を尖らせ、視線を逸らす光莉の背中に手を回し、彼女を正面から抱き締める。


 彼女の胸が俺の胸板に押し付けられる。密着し合っているせいか、衣服越しに彼女の心音が伝わってきていた。


 どくんどくん、と早打つ心臓。

 わざわざ聞かなくても分かる。光莉は、俺の行動に対して喜びを抱いているのだと。


「……心臓の音、早いな」

「水樹だって。爆発しそうなぐらい早いよ」

「そりゃお前……しょうがねえだろ」

「……うん。しょうがないよね」


 静寂に包まれた室内に、俺と光莉の心音だけが響き渡る。


 腕で包んだ彼女の身体はとても柔らかく、そして小さい。もう少しだけ力を込めれば、潰してしまえるのではないかというほどに、脆く儚く思えてくる。


「……水樹」


 彼女の身体の感触を全身で感じていると、光莉が耳元で囁いた。抱き合っているから顔は見えない。見えないが、だからこそ、いつもと違って興奮してしまう。


「どうした?」


 この空気はまずい。恋愛経験のない俺でもよくわかる。このままだと、俺たちは一線を越えてしまう。


 体が熱く、心臓が早鐘を撃つ状況で、光莉は震える声で――言った。


「さっきから、太ももの辺りになんか固いのが当たって――」

「どわああああ!?」


 光莉の身体を抱え上げ、ベッドの余りの部分へと勢いよくどかす。


「み、水樹?」


 布団の上できょとんとしている光莉に背中を向け、そして扉の方へと移動する。


「ふ、風呂の準備してくる!」


 扉を乱暴に開け放ち、部屋から一目散に逃走する。


「くそ、ケダモノかよ馬鹿野郎……あああもおおおお……」


 風呂場へと向かいながら、俺は欲情を吐き捨てるようにただただ唸り声を上げ続けるのだった。


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