第3話 通学路の初めて。

「よっ。おはよう、水樹」


 朝起きたら、幼馴染みが当たり前のようにベッドの横に立っていた。


「……何してんだよ」

「何って、いつまで経っても起きてこないから起こしに来てあげたんだけど」


 偉そうに大きな胸を張りながら、光莉はスマホの画面を俺の眼前に突き付けてきた。時刻は八時。朝のホームルーム開始まで残り三十分となっていた。


「あと十分ぐらい寝れるじゃん……おやすみ……」

「どういう計算式を組み立てたらそうなるの? ほら、布団から手を離す。全力で瞼を閉じようとしない」

「何人たりとも俺の安眠を妨害させはしない……!」

「はぁ。寝坊助な水樹にお母さまから伝言」

「ふん。なにを吹き込まれたかは知らんが、俺がそう簡単に屈するわけが――」

「あと五分以内に家を出ないと来月の小遣いゼロ円にするって」

「うおおおお今こそ風になるぜええええええ!」


 眠気など一瞬で消し飛んでいた。


 朝食なんて食べる暇はない。顔を洗って寝癖を直し、部屋着から制服へと高速コスチュームチェンジ。そして最後に鞄を拾い上げ、すべての準備が整った。この間、僅か二分である。


 俺の準備を玄関で待っていた光莉に見守られながら靴を履く。とても冷ややかな視線がビシビシ突き刺さるのを感じるが、俺は無視して笑顔を見せる。


「おい、何してんだ光莉! 早く学校に行かないぞ遅刻しちまうぜ!?」

「まだ夢の中にいるみたいだから一発蹴ってもいい?」

「冗談だから太ももに狙い定めるのやめてください」


 回し蹴りの構えを取ろうとする光莉に慌てて頭を下げる。


「チッ」

「今なんで舌打ちしたの????」

「気のせい。愛しの彼氏に投げキッスしただけだから」

「心にもない言い訳をどうもありがとう!」


 舌打ちを投げキッスと言い換える奴なんてVTuberのコメント欄にいる視聴者ぐらいのものだろうに。


 くだらないやり取りをしながら家を出て、いざ通学路へ。俺が暮らす一軒家とその隣にある光莉の家族が住む一軒家。仲良く並んだ二つの家を通り過ぎたら、あとは学校まで真っすぐ歩くだけ。簡単な通学路だが、二十分ぐらいかかるのが玉に瑕だ。


 ギリギリに家を出たせいか、通学路に学生らしき姿はなかった。


「つーか、俺なんて待たずに先に学校行ってもよかったのに。いつもなら業を煮やして俺を置いていくだろ」

「別に。今日はそういう気分だっただけ」


 仮にも恋人同士だというのに、その反応はあまりにも素っ気ない。


 だが、不思議とどこか様子がおかしい気がした。


 俺の手の方をちらちらと見ては視線を外し、左手を意味もなく開いては閉じるを繰り返している。


 ……ふーむ。


「もしかして、手ェ繋ぎたいのか?」

「…………だから何でそういうの全部口に出しちゃうの」

「いやそんな真横で挙動不審な姿見せられたら誰だって気にはなるだろ」

「挙動不審になんかなってないし」

「じゃあ何でさっきから俺の手をちらちら見てんだよ」

「別に。大きなゴキブリがくっついてるなって思っただけだし」

「言い訳ヘタクソか」


 でもつい確認してしまった。当然、そこにゴキブリなどいない。


「手を繋ぎたいなら繋ぎたいってはっきり言えばいいだろ」

「い、言えるわけない」

「何でだよ。手を繋いだことぐらい今まで何度もあったろ」

「それはそうだけど、彼氏としての水樹と手を繋ぐのは、初めてだし……」


 そう言われて、ハッとした。


 俺と光莉は恋人になった。関係が変わった以上、『幼馴染みだから』という言い訳は通用しないのだ。


 一緒に手を繋いで歩けば、仲良く歩く恋人の姿になる。


 互いの部屋に遊びに行けば、それはお家デートになる。


 行きつけの映画館に一緒に行けば、映画館デートになる。


 今まで当たり前だったことが、全部当たり前じゃなくなる。


 幼馴染みから恋人になるっていうのは、つまりはそういうことなんだ。


「……彼女と手を繋ぐってのは、俺も初めての経験だな」

「そりゃそうでしょ。今まで彼女なんていなかったんだから」

「…………」

「…………」


 二人の間に沈黙が漂う。


 しかしそれは浮ついたものではなく、まるで剣豪同士が互いの隙を窺うかのような緊張感のようなものだった。


「――繋いで、くれないの?」


 最初に動いたのは光莉だった。


 期待するような上目遣いで俺の顔を覗き込んできたのだ。


 たった一度の攻撃。しかし、それはあまりにも破壊力の高い一撃必殺級の攻撃だった。


「……はぁ」


 気恥ずかしさを誤魔化すように、溜息をこぼす。


 そして光莉の手――いや、人差し指を握った。


「……ちょっと」

「いや、あの……すまん」

「手を握るぐらいどうってことないんじゃなかったの?」

「そう思ってたんだが……なんか恥ずかしくてな……」

「ふうん。偉そうに言ってたくせに、そっちの方がヘタレじゃん」

「うっせ。来月までには恋人繋ぎできるようになるから、ちょっと待ってろ」

「手を繋ぐだけなのに気持ちの整理つけるの時間かかりすぎでしょ。どんだけヘタレなの。ヘタレ水樹」

「手を繋ぎたいって言い出すことすらできなかったチキンにだけは言われたくねーよ」

「……キオクニゴザイマセン」

「オイコラ顔逸らすな」


 結局、その歪な手繋ぎを崩すことなく、俺たちは学校へと向かうのだった。

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