1話 蓮華寺その9

「楽しさとは」


京都では盆地ならではの山に囲われた土地であるだけに、見渡せば何処からも立派な山の連なりが見られるが、白川通に出るとより鮮明に山に並んだ木々の形をすら見ることが出来た。


地図上では蓮華寺付近の山は比叡山と書いてあるので、この辺りも比叡山ということになるのだろうかと思ったが、ちらちらと地図を舐めまわして見ていると、てんこ山なる記載もある。

そして、地図を下へとスクロールすれば出町柳の東側、東山慈照寺右手辺りは大文字山や如意ヶ嶽と書かれ、どうにもどれがどれか分からない。

眺めてみても名札が吊るされている訳でもないから、実際は登ってみるの迄分からないのであろう。

面倒であるからどれも同じ山だと思って飲み下し、眺めることにすれば、いやなんとも喉に刺さった魚の骨がするりと取れたような気持ちになった。

そういう心持ちであれば、先程よりも山が綺麗に見える。なんてことは無い。


いっぱいいっぱいになった頭は、いくら自分を納得させようと屁理屈を捏ねても、容赦なく心で否定するのだろうと思う。

しかし、そうでなくても胸のつかえ、もとい思索の妨げのような諸々を拭うことができても、今まで見えていたものが更に輝いて見える、なんてことそうは無いことだろう。

もっとも特大に大きなつっかえでも取れれば別であろうが、今の私にその様なしがらみは隔たっていないので、今、私が見ている世界こそがフィルターのない純粋に綺麗な世界なのだろうなと思ったら、何となく世界が広がる余地の無さに悲しくなってきた。

人はやはりしがらみに囲まれて生きる方が楽しいのであろうか。

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