第126話 自覚(弐)

 ごほっ、げほっ……お茶が気管に入ってしまって、氷雨ヒサメは盛大にむせた。隣ではコマが、慌てて手拭いを差し出している。

 何とか身体を落ち着かせて、ヒサメはコンに尋ねた。


「お前…いきなり何なんだ?」

「だって、小鈴が言っていたから。ご主人さまはハルのことが好きなんだって。絶対そうだって」

「なっ!?」


 ヒサメは絶句する。あの次郎坊の孫、コンに何を吹き込んでいるんだと腹を立てた。


「そんなこと、お前には関係ない」


 子供の戯言に付き合うつもりはない。ヒサメはそれで話を終えようとした。

 だが……。


「カンケーあるよ!」


 断固とした口調でコンが言う。その表情は真剣そのもので、ヒサメは思わず「うっ…」と唸った。


「どうなの?ハルが好きなの?ねぇ、ご主人さま」

「どうなんですか?ヒサメ坊ちゃん」


 いつの間にか、コマまで加わって、コンと同じようにヒサメを問いただしてくる。彼女の目も真剣……というよりは、なぜかキラキラと輝いていた。


「コマ、お前までなんだ」

「だって、気になるじゃないですか!私は坊ちゃんの従者です。もし、坊ちゃんがハルちゃんを想っているなら色々と協力できますし」

「協力だと…?」

「はい!全力で二人の仲を取り持ちます」


 グッと拳を握るコマ。よく分からないが、彼女はやる気で満ち溢れていた。


 ただ、協力という言葉にヒサメの心は少し動かされた。というのも、ハルへの想いを自覚したからと言って、ヒサメはこれからどうすれば良いか、考えあぐねていたからである。


 女性から言い寄られることは多かれど、己から女性に言い寄ったことがないヒサメだ。女性に対して如才なく振舞っているが、それも上辺だけのこと。

 しかも、相手はヒサメを男として意識すらしていないハルなのだ。この状態からどうすれば良いか――確かに何かしらの助言は欲しかった。


 ヒサメはぶっきらぼうに言う。


「まぁ……嫌いではないが」


 ハルのことが好きだと断じているわけではない。何とも煮え切らない答えではあるが、長年ヒサメに仕えているコマにはソレで十分だった。彼女はヒサメの言葉を、肯定とすぐさま理解した。たちまち顔をほころばせる。


「そうですか、そうですか。なら、従者として主を応援しなくては。ねぇ、ロウちゃん」

「あ、ああ…」


 コマに気圧されつつ、ロウが頷く。続いて、彼女はコンを見た。


「コンちゃんも、坊ちゃんを応援し――」

「やだ」

「えっ」

「ぜったい、イヤだ」

 

 それは聞き間違うこともないくらい、明らかな否定の言葉だった。コンの反応に、コマだけではなく、ヒサメもロウも驚いた顔をする。


 ヒサメはコンと上手くやっていると思っていた。最初はほぼ連れ去るような形で連れてきたコンだったが、ヒサメの下で修業をする中で、確かな信頼関係を築けているものだと。だから、こうも拒絶されるのは想定外だった。


 面食らっているヒサメ。片や、コマはコンに穏やかに話しかけた。


「もしかして、コンちゃん。ヤキモチをやいているの?ヒサメ坊ちゃんにハルちゃんをとられるって」


 コマの言葉を聞いて、ああ、なるほど――とヒサメは納得した。それならあり得ると思う。

 しかし、当のコン本人はぶんぶんとかぶりを振って否定した。


「ちがうっ!そんなんじゃないっ!!」

「じゃあ、どうして…」


 キッとコンはヒサメを睨み上げる。その目は確かな怒りを含んでいた。


「だって、ご主人さまは他に好きな人がいるでしょうっ!?」

「いったい、なにを言って――」

「だって、前にボクに言った!大事な人が異世界にいるって!その人に会いたいから、ボクの力をかりたいって!!その大切な人って、好きな人ってことでしょう?」

「それは……」


 ヒサメはすぐさま否定の言葉を口にできなかった。


 コンの言う通り、ヒサメの大切な人物が此処とは違う異世界にいる。彼女はヒサメの恩人だった。その彼女に会うために、ヒサメはこれまで必死に異世界へ行く術を探し、やっとコンの『異世界に渡る力』にたどり着いたのだ。


 ヒサメがその恩人と出会い、別れたのは、まだ彼が子供の頃の話だ。

 だから、ヒサメは己が恩人に抱く感情が、敬愛なのか、親愛なのか、恋慕なのか――自分自身でもよく分からなかった。

 故に、コンの問いかけに即答できなかったのである。


 ヒサメとコン、二人の様子を見て、コマは取り成すように言った。


「コンちゃん。好きっていうも、色々と種類があるのよ。ヒサメ坊ちゃんが恩人さんに、恋心を抱いているとは限らな――」

「もし、その大切な人に『向こうの世界にのこって』って言われたら、ご主人さまはどうするの?ことわるの?ぜったい、ぜったい、ことわれる?」


 コマの言葉を遮って、コンはヒサメに詰問する。

 また、ヒサメは即答できないでいた。そんな優柔不断さを見透かすように、コンは畳みかける。


「もし、ハルもご主人さまを好きになって。でも、ご主人さまが向こうの世界に行ったら、ハルは一人ぼっちになるよ。そんなのボク、ぜったいゆるさないっ!」


 そう言い切って、コンは居間を出て行ってしまった。気まずい雰囲気の中、後には三人が残される。

 ヒサメはコンの言葉を振り返り、正論だと結論付けた。


 ヒサメはずっと異世界に行きたかった。だって、そこには恩人の彼女がいるから。彼女にまた会いたくて、彼はこれまで途方もない労力と時間、金銭をかけてきたのだ。

 恩人の彼女と、ハルを天秤にかけて、前者を諦められるかと聞かれれば首を横に振るしかない。


 一方で、恩人に対する感情があやふやなまま、ハルに己の想いを伝えては、ハルを傷つける結果になりかねない。コンの言葉で、ヒサメはそれをはっきりと気付かされた。

 実は、恩人とハルの容姿はまるで違うが、性格はどことなく似ている部分があるのだ。もしかしたら、己はハルに恩人を重ね合わせているのかもしれない…とも思う。



「コンの言ったことは正論。俺には、ハルを想う資格すらない」


 小さく息を吐き、ヒサメは立ち上がる。


「ぼ、坊ちゃん…」


 コマはその背中に呼びかけたが、彼は振り向きもせず、こう答えた。


「先ほどの話は忘れてくれ。協力も何も要らん」


 それだけ言うと、ヒサメも居間を出て行ってしまった。



「まさか、こんなことになるなんて」


 コマは頭を抱えていた。そんな彼女に「仕方ない」とロウが話す。


「仕方なくなんてないわ!ヒサメ坊ちゃんの幸せが掛かっているのに!」

「そもそも、どうしてコマは、そんなに主にハルさんをあてがいたいんだ?」

「だって、ハルちゃんなら坊ちゃんを幸せにしてくれると思うもの!」

「異世界の恩人さんはダメなのか?」

「あのねぇ、ロウちゃん」


 キッとコマはロウを見据えた。その剣幕に、ロウはビクリとする。


「私はその恩人さんに会ったことはないわ。そりゃあ、坊ちゃんが言うんだから素晴らしい人だったんでしょうよ。でも、それから何年経っていると思うの?」

「たしか、十数年…いや、二十年近くだったか……?」

「そんなに時が経てば、人が変わってしまうこともあるわ。もしかしたら、その方はもう素晴らしい人じゃないかもしれない。恩人さんは坊ちゃんより年上だったんでしょう?今はもう他の男と結婚して、家庭を築いているかもしれないわ。子供だっているかもしれない。こんなこと、坊ちゃんにはとても言えないけれど、不幸に見舞われて亡くなっているかもしれないわ」

「お、おう…」


 矢継ぎ早に話すコマに、たじたじになりながらロウは頷く。


「そんな不確定要素いっぱいの恩人さんより、ハルちゃんが良いと思うのは従者として当然でしょう?ハルちゃんと一緒にいた方が、坊ちゃんは幸せよ」

「……コマは、とにかく主の幸せが大切なんだな」

「当り前じゃない。ロウちゃんは、そうじゃないの?」

それがしだって、そうだ。そして、それはコンも……」

「えっ?」


 ぱちぱちと、コマはその大きな目を瞬かせた。


「某らにとって主が大切なように、コンにとってハルさんが大切なんだろう。だから、万が一にも傷ついてほしくないんだ」

「それは……」


 ロウに指摘され、コマはハッと口をつぐむ。ヒサメを気に掛けるばかり、ハルやコンのことを蔑ろにしていたことに、やっと彼女は気付いたのだった。


「とりあえず、主の言葉に従おう」

「ええ…そうね……」


 宥めるようにロウの言葉に、コマは落ち込んだ顔のまま、静かに頷いたのだった。



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いつも、「お祓い屋さんの召使い」を読んで下さって、ありがとうございます!

ここまで読んで下さった皆様に、感謝しきりです。

毎日更新していた本作ですが、以降不定期更新となります。


第二章もいよいよ終盤へ。

これからハルとヒサメの関係がどうなるか。

ハルはどうして異世界転生したのか。

コンと星熊童子との因縁はどうなるのか。

もう少し、本作にお付き合い下されば幸いです。

よろしくお願いします!





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厄介な祓い屋に目をつけられました【お祓い屋さんの召使い】 猫野早良 @Sashiya

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