第123話 忘れたい記憶(壱)
ヒサメの部屋の掃除をしよう。私はそう思い立った。
異世界についての本をヒサメの部屋で読ませてもらうようになって以来、私がずっと気になっていたこと――それは彼の部屋があまりにも雑然としていることである。少し埃っぽい気がするし、換気も十分にできていないように思われた。
四条の屋敷の掃除を仕切っているのはおコマさんだ。だから、私が掃除について口を挟むのもいかがなものかと
もちろん。これは、おコマさんが掃除をサボっているわけではなく、ヒサメ自身が自室の掃除を良しとしていないのだろう。
私からすれば足の踏み場もない、散らかり放題の部屋。だが、ヒサメは室内のどこに何があるか把握しているようだった。
それを掃除で勝手に物の配置を変えれば、「どこにあるか分からなくなった!」と山のような文句を言われそうである。
しかし、しかしである。
掃除をしない、埃っぽいと言うのは衛生上よろしくない。しかも、あの部屋は畳部屋だ。これから暖かくなり湿度も上がれば、ダニやカビの温床にもなりかねない。
ということで、私はヒサメに掃除をしようと訴えた。
「はぁ?ンなもん、別にいい…」
「全然、良くありません」
「俺個人の部屋だ。誰に迷惑をかけているわけでもない。放っておいてくれ」
「放っておけませんって!ヒサメ様の健康のためにも、一度掃除をしましょう」
「……俺のためだと?」
「そうです!もし、不衛生が祟ってヒサメ様が病気でもなったら、どうするんですか!」
最初は渋っていたヒサメだったが、私がしつこく食い下がると諦めかのように溜息を吐き――
「お前の好きにしろ」
そう言った。
「坊ちゃんの部屋については、私もとても気になっていたの。でも、従者としては中々言い出しにくくて。さすが、ハルちゃん。あなたが言えば、坊ちゃんも折れてくれるのね」
おコマさんの言葉に、私は首を
「おコマさんがお願いしても、きっとヒサメ様は掃除の許可を出してくれたと思いますよ」
「そうかしら?」
「はい。傍から見れば、おコマさんもロウさんもヒサメ様の従者というより、家族のように見えます」
これは正直な感想だった。一応主従関係にあるものの、ヒサメと二人の間にある空気感はもっと気安いものだ。それこそ、家族のような信頼と安心感が垣間見れる。
おコマさんはパチパチと瞬きをしてから、私に問いかけた。
「本当にそう思う?」
「はい」
私が頷くと、おコマさんは花が咲いたように微笑んだ。同性でも思わずうっとりしてしまうような、可憐な笑顔だ。
「ハルちゃんは良い子ね」
言いながら、おコマさんは私の頭を撫でた。
この際だから大々的に掃除をしようという話になり、私たちはヒサメの部屋の物を全て外へ出すことにした。大きな家具は、力自慢のロウさんにも頼んで運んでもらう。全て片付いたら、畳干しをする予定だ。今日は快晴で絶好の掃除日和である。
ちなみに、部屋の主であるヒサメは検非違使庁に出勤していて、今日はコンだけを従者として連れて行っていた。
ロウさんが家具を運ぶ傍らで、私とおコマさんは細々とした物をまとめる。書物、巻物の類に、たくさんの木箱、怪しげな紋様が描かれた壺――ヒサメの部屋はとにかく物が多い。
春の陽気に汗をかきながら、私たちはそれらを持ち出し、別室で仕分けしていた。
「ハルちゃん。こっちの物の整理整頓と掃除をお願いしてもいいかしら?私はあっちをやるから」
「はい。もちろんです」
私はおコマさんに指示通りされた場所に行き、片付けに取り掛かる。そこには、道具や小物が固められていた。それらを一つ一つ手に取りながら、仕分けをし、埃をかぶっているものは丁寧に布で拭う。
ちなみに、ヒサメの部屋には呪術に使うような危険物もあったらしいが、それらは前日にヒサメ自身の手によって他所に移されていた。だから、ここにある品物は私が触れても問題のない物ばかりである。
ただ、彼が所有する蔵書と同様、高価な品物が混じっているため、壊さないよう丁重に扱った。
そうやって、作業している内に、私は絹の布に包まれた何かを見つけた。
いったい何だろう――興味津々でその包みを開いてみると、中から銀製の立て鏡が出てきた。一目で
「あれ…?これって、もしかして……」
私が思い出したのは、以前この屋敷を訪れた
確か、ヒサメがと綾小路という貴族から壊れた立て鏡の修復依頼を受けたのだが、それを止めてくれという内容だった。
どうしてお栄さんがそんなことを訴えたかというと、問題の立て鏡は元々彼女の父親の持ち物であり、綾小路はその父を殺して、無理やり鏡を奪ったのだ。その際に、鏡は壊れてしまった。
綾小路の罪を立証できなかったお栄さんは、せめて鏡が完全な形で綾小路の手に渡ることを防ぎたかった。だから、ヒサメに鏡を「直さないで」と訴えてきたのである。
あの件については、完全に私は外野の人間で、どういう結末になったか詳しく知らなかった。しかし、目の前の立て鏡は、お栄さんの話で聞いていたのと酷似している。どういう経緯か不明だが、周り回って、
「それにしても、綺麗な鏡だなぁ」
感心して、私は独りごちる。
壊れていたという鏡は、今は完璧に修復されていた。傷一つない鏡面が、私の顔を映し出している――そのときだ。不意に頭の中で、声が響いた。
【これは、これは……特異な子】
辺りを見回すが、近くには誰もいなかった。おコマさんも他所で作業をしているのか、見当たらない。
最初、空耳かと思った私だったが、どこからともなく女性の声が続けて聞こえてくる。
【実に興味深いわ。ねぇ、貴女のことを教えて?見せて?】
その声は頭の中に直接響いてくるようで、私は困惑した。
そうこうしているうちに、私の手の中の鏡にも変化があった。その鏡面に、今とは違う別の風景が映し出される。
そこには、小さな女の子が映っていて――
「これ……」
私は絶句した。鏡の中の少女。
それは間違いなく、前世の私――朝倉詩子の姿だった。
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