第121話 温泉(弐)
「うわぁっ!!」
私は思わず、歓声を上げる。
露天風呂から眺める
まるでこの世のものとは思えない美しい風景、それを温泉につかりながら眺められるのだから言うことはない。
そうやって、私が湯船から景色を楽しんでいると、隣から視線を感じた。
なんだ、なんだと思い、そちらを見ると、おコマさんがこちらを凝視している。その視線の先は私の胸だった……って、え?
「えっと……おコマさん?」
私は不審に思って、おコマさんを伺った。
たとえ、同性同士でも無遠慮に見られるのは、ちょっと勘弁してほしい。セクハラ案件である。
私の声に、おコマさんはハッとした顔になった。
「ごめんなさい。つい、気になって」
「気になる?」
「着物の上から見ているより、大きかったから」
そう言われて、私は「ああ」と納得した。
大きいと言われても、私の胸はさほどではない。小さい体のわりには……というだけだ。
ただ、生まれ故郷の神白子村にいたときは、それで継母や異母姉から「いやらしい」だとか「淫乱」だとか、色々と嫌味を言われていた。それがきっかけで、普段はサラシを巻いて胸を抑えるようになったのである。
私とおコマさんが話していると、小鈴ちゃんがこんなことを訊いてきた。
「あの…殿方は、やはり大きい方が良いのでしょうか?」
彼女の目はいたって真剣だったので、私は戸惑う。すると、「そうねぇ」とおコマさんが小首をかしげた。
「私にはその感覚が分からないわ。個人的には、声とか、羽の色鮮やかさとか、巣作りの上手さとかの方が気になるかな。そもそも、私たちは魅力を主張するのは雄で、雌は選ぶ側だから、ヒトとは根本的に違うのよねぇ」
おコマさんは駒鳥の
「ハルお姉様はどう思われます?」
「う~ん。人の好みはそれぞれだし……よく分からないや。ごめんね」
小鈴ちゃんは明らかに尋ねる人選を間違えていた。私は前世も今も恋愛経験など皆無で、そんな私が誰かにアドバイスできるわけもなかった。
くすりと小さく笑って、おコマさんは小鈴ちゃんに尋ねる。
「そんなことを訊くなんて、小鈴ちゃんは気になる子がいるのかしら」
「えっ」
「もしかして、コンちゃん?」
「――っ!!!!」
私は目を瞬かせた。
小鈴ちゃんとコン。仲が良いと思っていたけれど……そっか。小鈴ちゃんはコンのことが異性として好きなんだ。
私はびっくりしつつ、小鈴ちゃんの気持ちを嬉しく思った。小鈴ちゃんみたいな可愛らしくて、しっかりした良い子に好かれるなんて、コンも中々やるじゃないか。
一つ気になるとしたら、天狗と狐って恋人として成立するのかということ。
「ふふ、可愛い反応ね」
真っ赤になっている小鈴ちゃんを見て、おコマさんは目を細めている――と思ったら、彼女は急に矛先を変えてきた。
「このついで…というのは、何なんだけれど。ハルちゃんはどうなの?」
「へ?」
「気になる人はいないのかしら?」
唐突な質問に私は目を丸くするが、すぐに
「いません」
私は断言する。
照れているとか、誤魔化しているとか、そういうのではなく。本当に私の恋愛経験はゼロなのだ。想いを寄せる相手もいない。
この瑞穂の国では、未婚の女性は生きにくいから、いずれ私も誰かの妻になるかもしれない――が、十中八九恋愛結婚はしないだろう。
というか、もし。結婚をしないという選択肢があるのなら、私はそちらを選びたい。だって、子供を産み、ちゃんと育てる自信が私にはまるでないから。
「本当に?全然?」
おコマさんがなおも聞いてくるが、私はそれに「本当です。全然です」とキッパリ答える。
「でも、少しくらい良いな~と思う男性はいないの」
「いませんね」
「うちのヒサメ坊ちゃんは?」
ヒサメなんて厄介な性格の持ち主を好きになったら、さぞかし大変だろう。まぁ、最近はずいぶんと優しくなったけれども……。
そんなことを思いつつ、おコマさんには「滅相もありません」と私は答えておく。
「私なんかがヒサメ様に
「そう…?お似合いだと思うのだけれど」
「ええ?」
私とヒサメがお似合いだって?そんなわけがあるはずがない。
意味不明なことを口にするおコマさんに、私は困惑するのだった。
*
あぁ、負けた。負けた。
御前試合で
悔しいという気持ちはあるが、久しぶりに己の本気を出せたのだ。世の中、まだまだ上には上がいると思い知らされ、今一度修行に励もうと、彼は気持ちを新たにする。
もっとも、あのヒサメという男自体はいけ好かないけれどね。
――なんて笑いながら、湯屋の近くに立つ高い木に一之助は腰掛けていた。
今頃、次郎坊の館では皆が宴会で騒いでいるだろう。それに一之助は参加するつもりがない。一之助自身は御前試合に納得しているが、宴会でそのことを周りからとやかく言われるのを嫌だったのだ。
そんな風に、一之助が一人のんびりしていると、湯屋の女風呂から二人の女性が出てくるのが視界に入った。
次郎坊の孫の小鈴と、あのヒサメの従者である。
一之助の腰掛ける木はかなり高いため、二人は彼も存在に気付かず、そのまま通り過ぎて行った。
ほどなくして、今度は天狗の少年たち数人が湯屋を訪れた。
その中には、狐の
そのとき、子供の一人が唐突に風の術を展開した。おそらく、覚えたての術を皆に自慢したかったのだろう。だが、まだまだ術の制御が甘い。
発生した小さな風の渦は子供の手を離れ、湯屋の方へ向かう。そうして、入り口の
子供たちが「ああっ」と声を上げて、驚く。彼らは慌てて飛んでいった暖簾を回収し、湯屋の入り口にかけ直した。そのまま、ケラケラと笑いながら男湯の方へ入って行く。
ふと、一之助はあることに気付いた。
入口の暖簾が逆になっている。
男湯の入り口に「女」と書かれた暖簾が、女湯の入り口に「男」と書かれた暖簾があった。
どうやら子供たちが吹き飛ばした暖簾を本来とは逆の場所に掛けてしまったようだ。まぁ、里の天狗たちなら、男湯と女湯どちらがどちらかなんて、当然知っている。暖簾が掛け間違えられていても、すぐに気付くだろう。
そう一之助が思っていると、湯屋にまた新たな人物が現れた。それは先ほど一之助を打ち負かした相手――ヒサメである。
一之助は「あっ」と内心思った。
ヒサメが躊躇ない足取りで、「男」と暖簾がかかった方――つまり、本来は女湯である入り口――に入って行ってしまったからだ。
里の者ではないヒサメは、暖簾が入れ替わっていることに気付かなかったようだった。
ヒサメを追って、事実を知らせなければ――一之助は一瞬考えたが、思いとどまる。彼の脳裏を横切ったのは、
しばし、一之助は考えて……彼は口角を吊り上げる。
「俺、しーらない。何も見てない、見てない」
そう言って、一之助は木から飛びだった。
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