第120話 温泉(壱)

 御前試合の後は、次郎坊さんの館で宴会だった。

 広間にたくさんの天狗たちがそろい、御馳走ごちそうが並んでいた。


 天狗たちの宴会は、膳に一人一人の料理が用意されるのではなく、大皿に盛られた料理を各自が取って行くビュッフェ形式のようだ。

 見たこともないような巨大鍋でぐつぐつと煮込まれる猪肉ししにくや鹿肉、料理人がその場で揚げてくれるアツアツの山菜の天麩羅てんぷら、川魚の塩焼きや煮つけ……大和宮ではあまりお目にかかれないような料理がたくさんあった。


 天狗の男たちはどんちゃん騒ぎで、宴会を始めて早々にお酒をあおるように飲んでいた。

 その中央に、次郎坊さんとヒサメがいる。ヒサメは先ほどの御前試合での活躍のせいだろうか、たくさんの天狗たちに声を掛けられて大人気だった。


 私は少し離れた所からそれを眺める。ロウさんはヒサメの横に控えているが、私やコン、おコマさんは別で、天狗の女性陣や子供たちの多い場所に席が設けられていた。


「ヒサメ坊ちゃん。食事は召し上がっているみたいね」


 おコマさんは少しホッとしたように、そう口にする。

 確かに、ヒサメは旺盛な食欲……とまではいかないが、普通に飲み食いしているようだった。


 おそらく、食べる前にはロウさんが毒の有無をチェックしているのだろうが、こういった鍋や大皿料理の場合、特定の誰かに毒を仕掛けるのは難しいだろう。それでヒサメも、いくらか警戒を解いているみたいだ。


 また、もしかしたら相手が人間ではなく、アヤカシであることもポイントなのかもしれない。

 人間不信のヒサメだが、アヤカシへの態度は比較的柔らかい気がするのだ。


 過去に、人間に対して嫌な思いをしたのだろうか――そんなことを私は考える。

 思えば、私はヒサメの過去や出自について何も知らないのだと気付いた。



 宴会が進み、お酒で酩酊めいていし始める者が出始めた頃、小鈴ちゃんが私たちに声を掛けてきた。


「皆さん、温泉に行きませんか?」


 温泉と聞いて、私もおコマさんもパッと顔を明るくする。

 天狗の里の食事を堪能し、ちょうどお腹もいっぱいになっていたので、とてもタイミングが良い。


「良いわね」

「私も是非、温泉に行きたいです」


 私たちがそう答えたところで、「あら」と小鈴ちゃんは不思議そうな顔をした。


「コン様はどちらに?」

「ああ、コンなら館の外にいるよ。この宴会で、天狗の里の男の子たちと仲良くなったみたい。外で遊んでくるって」

「そうですか」


 小鈴ちゃんは少し残念そうな顔をしたが、「まぁ、どのみちお風呂は別々ですしね」と呟いた。聞けば、天狗の里の温泉はちゃんと男湯と女湯が分かれているようで、私は内心ホッとする。



 私、おコマさん、そして小鈴ちゃんはお風呂に入る支度をして、次郎坊さんの館の外に出た。

 もちろん、館の中にも内風呂はあるが、小鈴ちゃんオススメは館の外にあるそうだ。山毛欅ヶ岳ブナガタケの桜の絶景を眺めることができる露天風呂とのことで、私は心躍った。


 露天風呂に向かう途中、天狗の少年たちと鬼ごっこをしているコンを見かけた。私は彼に声を掛ける。


「これから温泉に行くけれど、コンはどうする?」

「コン様が楽しみにしていた大きなお風呂ですよ!」


 そう言って、小鈴ちゃんもコンを誘う。確かに山毛欅ヶ岳ここに来る前、コンだって温泉を楽しみにしていた。だから、私たちと一緒に来るだろうと予想したのだが、コンは「う~ん」と少し考えた後、首を横に振る。


「ボク、もう少し皆と遊んでいく」


 同世代の天狗の少年たちと遊ぶのが、コンにとっては楽しくて仕方ないようだった。考えてみれば、普段ヒサメの下で修業をしているコンが、こんな風に子供らしく遊ぶ機会は少ない。それはコン自身が望んだこととは言え、ちょっと気の毒に私は思った。


 だったら、今くらいはコンの好きにさせてあげたいな――そう考えて、私はコンと別れ、露天風呂へと向かったのだが……


「コン様、あの子たちといて随分楽しそうでしたね」


 ぽつりと小鈴ちゃんが言った。

 彼女はその愛らしい頬を膨らませて、ちょっとムッとした表情をしている。コンが自分の誘いを断って、男の子たちと遊ぶことが不服なのかもしれない。


「まぁ、コンが一緒に来ても女風呂には入れないしね」

「それはまぁ、そうですけれど。私といるときよりも、楽しそうに見えました」


 小鈴ちゃんは「鬼ごっこなんて、何が楽しいのかしら」と口を尖らせていた。



 湯屋は結構立派な瓦屋根の建物で、入り口が二つあった。一つには「男」、もう一つには「女」とでかでかと書かれた暖簾がそれぞれ掛けられている。私たちはもちろん女湯の方に入った。


 脱衣場は広く、掃除が行き届いていて清潔だった。湯上りに涼むための椅子まで用意されている。

 どうやら、今は他に利用客がいないようで、私たち三人だけの貸し切りという贅沢な状態だ。


 私は着物を脱ぎながら、他二人の様子を伺った。

 というのも、大和宮の銭湯では、入浴の際に裸で入ることはなく、湯巻ゆまきというスカートのような下着を腰に巻くのが普通である。前世の日本では、皆裸になっていたが……さて。天狗の里の風習がどちらだろうか。


 すると、小鈴ちゃんもおコマさんも、着物を脱いで裸になると、風呂の方へ向かっていく。つまり、日本スタイルのようだ。

 なるほど、なるほど。天狗の里では、わざわざ入浴着を身に着ける必要がないのか。ということで私も彼女らにならい、湯巻を着けず、そのまま風呂の方に向かった。



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