第115話 天狗の里(参)

 山毛欅ヶ岳ブナガタケの天狗には、人間に化けている者と本来の天狗の姿をしている者の二通りがいた。

 前者は、小鈴ちゃんや左助さすけ右助ゆうすけ

 後者は、今私の目の前にいるような天狗である。


 天狗の特徴は、鳥のようなくちばしのある顔と背中の大きな翼だ。

 正直なところ、私は天狗を知って日が浅いため、顔で天狗個人の識別ができる自信はない。

 ただ、体つきから、目の前の天狗の性別が男だということ。そして、どうやら初対面らしいことだけは分かった。


「はい、私は人間でハルと言います。今日は小鈴ちゃんに此処へ招いてもらって」


 とりあえず、素性を明かし、不審者ではないということをアピールする。無用なもめ事は避けたい。


「ああっ!そう言えば、弟たちがそんなこと言っていたなぁ!そっかぁ、君が人間のお客様か」

「弟たち?」

「左助と右助だよ」

「そうなんですか!?」

「俺、アイツらの兄で一之助かずのすけっていうんだぁ。よろしくね!」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 一之助かずのすけと名乗った天狗は、明るい笑顔をみせた。その友好的な態度に、私はホッと胸を撫でおろす。


「それで君は、どうしてこんな所に一人でいるの?お嬢や弟たちは?」


 連れのコンと小鈴ちゃんは二人で遊びに行ったこと。双子の天狗たちは何かしらの用事でどこかへ行ってしまったこと――それらを一之助さんに告げると、彼は深々と溜息を吐いた。


「ごめんねぇ。馬鹿な弟たちで」


 一之助さんは頭を下げる。


「あいつら、気が利かないなぁ。まったく、誰かに任せることもできただろうに、女の子を一人ぼっちにするなんて。もしかしたら馬鹿者達あいつら、人間がこんな高地で自由に動き回れないことを忘れているのかも……」


 それはその通りかもしれないが、私自身も忘れていたので、左助と右助の二人を責められない。


「いえ。私が一人で大丈夫と言ったんです」

「う~ん、でも。招待した側が案内役を放棄するのは問題だよねぇ……あっ、そうだ!」


 ポンと一之助さんが手のひらを打った。


「じゃあ、俺が里の案内をしようか?」

「えっ」


 突然の彼の申し出に、私は目を瞬かせた。


「せっかく、天狗の里に来たのに、こんな所で一人ぼうっとしていたんじゃ、つまらないでしょう?俺が君を抱えて飛んであげるよ。一緒に、里のあちこちを見て回ろう」

「いや、でも…ご迷惑じゃ…」

「大丈夫。どうせ、暇していたし。君は小さいから俺なら抱えるのも余裕だよ」


 たしかに、一之助は背が高くがっしりとした体つきで、見るからに力がありそうだった。


「ねっ!気が利かない弟たちの代わりにさ。一肌脱がせてよ」

「では…ありがたく……」


 ここまで言ってくれているのだ。断る方が悪い気がする。

 それに、私も天狗の里を見て回りたい。


 一之助さんがこちらに手を差し出す。私はその手に自分の手を重ねた――と、次の瞬間


 バシッ!!

 どこからか、小石が猛スピードで飛んできて、一之助さんの手に命中する。


「いっ!?」


 一之助さんは短い悲鳴を上げて、私から手を放した。


「だ、大丈夫ですか!?」

「う、うん。でも、急に何なんだ?どこから、石なんか……」


 私も一之助さんも混乱していると、石が飛んできた方から声が掛かった。


「すまない。どうやら、蹴っ飛ばした石が当たってしまったようだ」


 そちらを見ると、おコマさんとロウさん、そしてヒサメが立っていた。

 おコマさんは困り顔をし、ロウさんはあわあわと慌てている。そして、ヒサメはニコニコと笑っていた。


「えっと…ヒサメ様?」


 ここに居るということは、もう次郎坊さんとの話し合いが終わったのだろうか。

 私はそれを訊こうとしたが、その前にヒサメの方が口を開いた。


「それで、ハル。隣の方はどなただ?何をしようとしていた?」

「えっと…」


 笑顔だが、その声が妙に棘を含んでいるような気がするのは、気のせいだろうか?


「こちらは一之助さんといって、左助さんと右助さんのお兄さんです。私が一人でいるのを見かねて、天狗の里を案内するとおっしゃってくれて…」

「一人?コンや次郎坊殿の孫はどうした?」

「二人で遊びに行きました」

「……ったく」


 一瞬、ヒサメは苦虫を嚙みつぶしたような顔したが、すぐに取り繕った笑みを一之助さんに向けた。


「そうですか。ハルを気に掛けて下さって、ありがとうございます。しかし、これ以上の気遣いは必要ありません。彼女はたちで面倒をみますから」


 ヒサメの言葉に一之助さんが何か言い返そうとしたとき、


「ああっ!一之助!こんな所にいたっ!!」


 館の中から女性の天狗が出てきて、一之助を指さした。彼は「げっ、お袋」と嫌そうな顔をする。察するに、彼女は一之助の母親のようだ。


「アンタの試合、もうすぐのはずだろう?こんな所で油を売って、何してんだいっ!?」

「俺は御前試合になんて出たくないんだよ!それなのに、勝手に参加登録しやがって!」

「つべこべ言うんじゃないよ!良いかい?わざと負けたりしたら、承知しないからねっ!」

「……クソ婆」

「何だって!?」

「ひぃっ!」


 悪態を吐く一之助さんに対して、拳を振り上げる母親。

 さすがに観念したのか、一之助さんは「わかった。試合に出ればいいんだろう、出れば」としぶしぶ言った。


「ハルちゃん、ごめんな!この埋め合わせはきっとするから」

「あ、そんな。お気になさら――」


 お気にならさらず。そう言おうとしたところで、ヒサメが笑顔で割って入る。


「埋め合わせは結構。早くその御前試合とやらに行ってください」

「……お前、さっきから、いったい何様だ?」


 一之助さんがヒサメを睨む。

 何だか、一触即発の空気が流れるが、そこへ一之助さんの母親の怒声が響き渡った。


「一之助!早く試合に行きなさいっ!!」

「あー、もう!分かったよ!」


 そう言うと、今度こそ一之助さんはどこかへ飛び去って行った。



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