第114話 天狗の里(弐)

 私たちはまず、外京の辰巳たつみ門前町にある居酒屋『はち』に向かった。


 実はこの居酒屋、一見こじんまりとした何の変哲もないお店に見えるのだが、店の奥に不思議な通路があるのだ。これは『天狗の抜け道』と呼ばれるもので、ここを通れば数十キロ離れた山毛欅ヶ岳ブナガタケに一瞬で行くことができる。


 私たちは、前回と同様にこの『天狗の抜け道』を通って、山毛欅ヶ岳ブナガタケへ向かうことにした。


「お嬢、お帰りなさい。お連れさんも一緒なんですね」


 まだ営業前だったが、居酒屋『はち』の店主は笑顔で迎えてくれた。店主は少し小太りの中年男性に見えるが、実は彼も天狗で、人間に化けているらしい。


「ただいま。奥を通りますね」

「はい。分かりました」


 小鈴ちゃんを先頭に、私たち一行はぞろぞろと後に続いた。

 突き当りの引き戸を開けると、その先は砂利が敷かれた細長い通路になっている。これが『天狗の抜け道』だ。


 足元の行灯の光を頼りに、私たちは薄暗い通路を進む。

 それにしても、これが遠く離れた山毛欅ヶ岳ブナガタケに続いているなんて、何度通っても不思議な気持ちだった。

 私はその気持ちをそのまま口に出してみる。


「不思議な通路ですね。空間が捻じ曲がっているのかなぁ」

「そうだな」


 ほとんど独り言のつもりだったが、ヒサメが反応してくれた。


「原理は『つ道』と同じだ」

「『つ道』ってつ国に続いているという、あの?」

「そうだ」


 前世の日本と同じように、この瑞穂の国は島国だ。周りを海に囲まれている。 

 つまり、つ国――外国の人がこの国に来るためには、海を渡る必要があるのだが、そのハードルはかなり高かった。

 もちろん、科学技術の発展が遅れているのもその原因の一つだが、一番の要因はアヤカシの存在に他ならない。


 この世界では、大海原にもアヤカシがいる。彼らが船を襲うせいで、沖合への航海は非常に困難なものになっていた。

 瑞穂の国でも漁業や物流で船を使っているが、もっぱら近海でしか航走しない。


 海だけでなく、人間の住んでいない所――大空や険しい山々もアヤカシのテリトリーだ。他国と交流するには、そこを人間が乗り越えていく必要がある。

 だから、瑞穂の国は江戸時代の日本のように鎖国をしているわけではないが、外国の文化があまり入ってきていないのだった。


 けれども、外国との交流が全く不可能かというと、そうではない。それを可能にするのが、『つ道』だ。

 『つ道』は遠く離れた二つの地点を空間的距離を無視して繋げていて、短時間で二点間の移動ができるらしい。これのおかげで、例えば海を隔てた国とも、瑞穂の国は行き来ができている。


 ただし、『つ道』は狭く、一度に通れる人数はとても限られていると聞く。そんな人数では侵略もままならないため、この道は細々とした異文化交流にのみ使用されているとのことだった。


――瑞穂の国が…いや、この世界の科学技術が遅れているのも、国々がアヤカシの生息地によって分断されていて、他国との交流があまりないせいだろうなぁ。逆に、国と国の間で侵略戦争が起きにくいというメリットもあるけれど。


 そんなことを考えているうちに、私たちは『天狗の抜け道』の奥までやって来た。

 小鈴ちゃんが、そこにある引き戸を開ける。途端にと、眩い光が通路を照らす。

 そして、私たちの目の前にあったのは、以前もやって来た旅館の一室のような部屋だった。もう、ここは山毛欅ヶ岳ブナガタケにある次郎坊さんの館というわけだから、驚きである。



 さて途中、私とコンは、ヒサメたちと別行動になった。


「そう時間はかからない。お前らは桜見物でもしておけ」


 彼は次郎坊さんと話があるらしい。おコマさんとロウさんもそれに付き従った。

 ということで、ヒサメたちは館に残り、私とコンは小鈴ちゃんに連れられて外へ出た。




「うわぁ」

「すごーい」


 そこに広がっている光景に、私だけではなくコンも感嘆の声を漏らす。

 見渡す限りの青い空の下、山の斜面と谷の至る所が桜で埋め尽くされていた。白色から、淡い紅色、紅色まで――様々な桜が見事なグラデーションで山を美しく染めている。

 私は思わず時間を忘れて、見入ってしまっていた。


「素晴らしいでしょう」


 誇らしげに小鈴ちゃんは微笑む。


「この時期は山毛欅ヶ岳ブナガタケもお祭り騒ぎなんです。色々な催しがあったり、屋台が出ていたり。温泉だけではなく、それらも是非お楽しみください」


 よくよく見れば、急な斜面の至る所に民家や集会所のような建物が点在していた。おそらく、そこでイベントごとをやっているのだろう。

 しかし、私はあることに気付く。民家と民家、建物と建物を繋ぐ道が見当たらないのだ。


――どうやって、あそこまで行くの?


 家と家の間は、けっこう距離がある。おまけに、ここは高い山で斜面は急だ。中には断崖絶壁に建てられた家もあるが、そこまでどうやって歩けというのだろうか。こんな風で天狗たちは生活できているのか、疑問である。


 そのとき、コンが声を上げた。


「ねぇ、あそこって何?」

「コン様、あれは神社です。行ってみますか?」

「うん!」


 そんな小鈴ちゃんとコンの会話が聞こえてきて、私はそちらに目をやる。そして「あっ」と驚いた。

 小鈴ちゃんは来ていた羽織を脱ぐと、でパタパタと飛び始めたのだ。


――そうか!天狗って飛べるんだっけ。


 そりゃあ、道がなくても、断崖絶壁に家が建っていても問題ないはずである。

 では、コンの方はどうするのかと気になって見れば、いつの間にかその背中には、小鈴ちゃんと同じような黒い翼が生えていた。


――これも変化の術なのかな?体の一部だけを変えることもできるんだ。


 私が感心していると、コンは地面を軽く蹴った。そのまま翼を使って、器用に宙を飛び始める。上空から、コンはぶんぶんと手を振った。


「ハルー!ちょっと、そこまで行ってくるねぇー!」


 そう言って、小鈴ちゃんと一緒に飛んで行くコン。私はそのまま二人の背中を見送った。


――コン、楽しそう。きっと同じ年頃の友人と遊べて嬉しいんだろうなぁ。


 そう微笑ましく思っている私の横で、「あっ」と左助さすけが大きな声を上げた。彼は双子の兄弟――右助ゆうすけに声を掛ける。


「まずいぞ、右助。そろそろ、試合の開始時刻だ」

「あっ!本当だ」


 左助も右助も、見るからに焦った様子だった。この後、用事があるのだろうか?大事な用かもしれない。私のせいで、彼らに不都合が生じるのは申し訳なかった。


「あの、左助さん。右助さん。もし、他に用があるのなら行ってください」

「い、いいのですか?」

「はい。私は一人で大丈夫ですから」


 左助と右助は少し迷うそぶりを見せたが、すぐに二人そろって私に頭を下げる。


「すみませぬ!」

「では、お言葉に甘えて」


 そう言って、二人もまたどこかへ飛んで行ってしまった。

 結果、私一人が残される。


 さて、私一人でゆっくり天狗の里を観光しようか。

 そう考えて、私はハッとした。


――どうやって……?


 翼のない私は、空を飛ぶことができない。そうだ。私一人では、山毛欅ヶ岳ブナガタケを移動するのは難しいのだ。

 それをつい忘れてしまうなんて、自分の間抜け具合に苦笑するしかない。


――あ~。これからどうしようか。


 私が悩んでいると、不意に声が掛かった。


「あれ?こんな所に、人間?」


 振り返るとそこに、一人の天狗が立っていた。



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