第111話 昔話(壱)

 私は一太郎と一対一で話す時間をもらえないか、とヒサメにお願いした。


「これ以上、俺もお前もあの子供ガキの面倒を見る義理はない。子供ガキの戯言は放っておけ」


 最初、ヒサメは取り合おうとしなかったが、私は「お願いします」と食い下がった。彼は「チッ」と大きく舌打ちをする。


「早くしろよ」


 そう言って、結局ヒサメは折れてくれた。




 他の皆から少し離れた場所で、私は一太郎と話し合うことにした。

 彼はブスっと膨れ面をしながらそっぽを向き、「帰らない」と繰り返している。


「おみつさんが、わざと君をはぐれるように仕向けたって言うの?」

「ああ、そうだ!ウソだと思うなら、それで良いよっ!」

「嘘だとは思わないよ」

「えっ」


 一太郎の目が意外そうに開かれる。そして、彼はやっと私の方に顔を向けた。

 別にその場しのぎの会話で、私は一太郎の言うことを信じたフリをしているのではない。おみつさんが、わざと一太郎を迷子にしたというのは、あり得そうな話だと、思ったのだ。


「どういう状況だったの?」


 つとめて優しく問いかけると、おずおずと一太郎は話し始める。


「人が多くて、アイツとはぐれそうになったとき……オイラ、『母さん』って言ったんだ。父さんは気付いていなかったけれど、アイツは驚いて振り返った。どんどん遠ざかるオイラと目が合って……それから、無視するようにまた前を向いたんだ」


 つまり、おみつさんは一太郎がはぐれそうになっているのに気づいた上で、それを黙殺したということか。

 どうして、彼女がそんな真似を仕出かしたか――その理由が問題だが、何となく推測はできた。


 私は豆腐屋の前で、口汚くおみつさんを罵っていた一太郎を思い出す。

 そして今日、天津神社あまつじんじゃの入り口近くで一太郎を必死に探し、「私のせいだわ」と悲壮な顔で呟いていた、おみつさんの顔を。

 あれは、己が仕出かしたことの罪悪感で押しつぶされそうになっていた故かもしれない。


「君とおみつさんは、血がつながっていないんだってね」


 私がそう口にすると、「どうしてソレを…」と一太郎は怪訝な顔をした。


「以前、豆腐屋さんの前で、君がおみつさんを罵っているところを見たんだ。そのとき、豆腐屋さんの女将さんが教えてくれた。君は、おみつさんの夫の甥なんだって」

「……」

「ねぇ、一太郎くんはおみつさんが嫌いなの?」

「キライだっ!」


 私の質問に、すぐさま一太郎は吐き捨てるようにして答えた。


「あんなクソババア、大キライだっ!向こうだって、そうだろうさ。だから、オイラを見捨てたんだ!」

「ふぅん、それは本当?」

「本当に決まってるだろう!あんなのおかあじゃねぇっ!大キライだっ!」

「嘘つき」


 私は苦笑して、一太郎を見る。彼は食って掛かろうとしたが、その前にこう言ってやった。


「本当は、おみつさんのコト、大好きなくせに」

「そんなことはっ――!」

「もしかしたら、君の実の母親よりも、ずっと……」

「えっ」


 一太郎は言葉を詰まらせる。その顔は、図星を突かれたことを如実に語っていた。

 どうやら、私の推測は当たっていたらしい。


 今回の柳のアヤカシ――アレについてヒサメは説明してくれた。あののアヤカシは獲物が強く心惹かれる人物に姿を変え、惑わすと。

 そして、一太郎の場合、例のアヤカシはおみつさんにその姿を変えていた。


 ……ということは、だ。

 一太郎は、悪態を吐きながらも、養母のおみつさんが好きなのだ。

 もし、実母が好きで、養母おみつさんを認められない場合――柳のアヤカシが化けるのは実母の方だろう。しかし、実際は違うわけで……。


 やはり、一太郎はおみつさんが好きなのだ。きっと、亡くなった実母以上に……。

 そして、亡くなった実母よりも養母の方が好きだという理由を考えたとき、とある可能性が浮上する。

 私は一太郎に尋ねた。


「もし、間違っていたならごめんね。一太郎くんの本当のお母さんは、君に対して辛く当たっていたんじゃない?」

「なんで、そんなことまで分かるんだよ!?」


 一太郎は困惑した目で私を見て、それからポツリと呟いた。


「死んだおっかあには、いつも殴られてた。飯もろくに食わせてもらえなかった」

「そっか…」


 予想通り、一太郎の実母はあまり褒められた人じゃなかったらしい。

 そんな一太郎に、養母のおみつさんは優しく接してくれたのだろう。そのときの彼の気持ちが、私には痛いほど理解できた。

 やっと、自分のことを愛してくれる存在を見つけて、一太郎は嬉しかったに違いない。


――だが。ここで一つ、疑問が思い浮かぶ。

 どうして一太郎は、そんな大好きな養母に対して辛く接していたか。酷い言葉を浴びせていたか――ということだ。


 けれども、この理由も私には簡単に想像がついた。


「一太郎くんは、おみつさんに酷い態度をとっていたね。お芳さんにも怒られたでしょう?それは何故?」

「それは……アイツのことが嫌いだから……」

「もう、誤魔化さなくていいよ」


 一太郎がおみつさんを嫌いなわけがない。それはもう分かっている。

 私はジッと一太郎を見つめた。


「君はのでしょう?おみつさんが、自分をどのくらい愛してくれるか。自分を一番に思ってくれるか――それを試したいんだ」

「――っ」


 一太郎は息を呑んだ。

 それから、弱々しい声で呟く。


「本当に、どうして…そこまで分かるんだよぉ……」


 そのひょうしに、ぽろりと一太郎の目から大粒の涙がこぼれた。

 私は彼の頭を軽く撫でる。


「ある子供の話をしようか」


 そう言って、私は昔話を始めたのだった。



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